気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

うたがたり 小谷博泰 

2016-11-02 13:00:53 | つれづれ
ゆで卵の殻をむきつつ一人なり旅の朝はやき駅前のカフェ

いちめんに広がる海と思いしが眼鏡して見ればただのすりガラス

日が暮れて二つの月が浮かびおりうしろの月にありしふるさと

天国の花屋ならねど棚ごとに冬のビオラが咲きあふれおり

川底を這うている蟹を見下ろせばわれを見上げて笑う顔あり

縄とびの波のしだいに速くなりころがって出たわれは白髪

大橋の六間通りの夜鳴きソバ屋ときどき狐のしっぽが見える

仏壇の奥に金色(こんじき)の都あり役(えん)の小角(おづぬ)が空を過ぎゆく

こなごなに鏡が砕け散ったとき何百となく僕の飛び散る

夜深く覚めれば雨が降っている耳鳴りのなき静かさのなか

(小谷博泰 うたがたり いりの舎)

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結社「白珠」同人、「鱧と水仙」同人の小谷博泰の第九歌集『うたがたり』を読む。

一年ほど前に歌集を出したところだが、歌が溜まったので次の歌集を出すとのこと、羨ましい限りである。歌そのものはすんなり読めて、わかりやすい。それぞれの連作にストーリーがあり、作者の顔がほの見える。
たとえば、五首目。蟹と目が合ったと読んでまちがいないだろう。結句に「笑う顔」とあるのが面白く、作者の自意識が出ている。九首目の下句にも、作者があらわれる。割れて砕けた鏡の欠片に自分の姿が何百もあるとは、恐ろしい。作者自身が崩壊する感覚。十首目では、耳鳴りに悩まされている姿が想像できる。
七首目の「狐のしっぽ」、九首目の「仏壇の奥」など、作者自らの想像、妄想?の世界がひろがる。あるときはユーモアを醸しだし、また土着的な不思議な世界を展開している。

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