ほのぼのとした後日譚読むように年の終りの小春日に居る
(福山市 武 暁)
アクセサリーみんなはずして柔らかきみどり児抱くこの腕の中
(東京都 藤井博子)
好かれたき思いに黒も白と言いいつしか棒のごときを持たず
(横浜市 土屋美弥子)
**********************
一首目。歌全体にほのぼのした感じが漂う。最近、短歌を読むのに忙しくて小説を読まなくなってしまったが、小説の良さは後日譚のあたたかさにあると思う。また小説も読みたくなった。
二首目。自分の子供が大きくなってしまってから、実際に赤ちゃんを抱くことがなくなってしまった。壊れ物のようなみどり児を抱くときは、アクセサリーも心にある虚栄やいろいろはずして、じっと向き合いたいものである。
三首目。選者の佐佐木幸綱氏は、学生運動の比喩と呼んでおられるが、わたしはまた別の読み方をした。恋をする人、ことに女性は、相手に合わせて自分の意思を殺してしまいがちだ。いつか、物事が丸く収まればよいという考えになってしまう。持つ棒は、すりこ木か製菓用ののし棒くらいになってしまう。
(福山市 武 暁)
アクセサリーみんなはずして柔らかきみどり児抱くこの腕の中
(東京都 藤井博子)
好かれたき思いに黒も白と言いいつしか棒のごときを持たず
(横浜市 土屋美弥子)
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一首目。歌全体にほのぼのした感じが漂う。最近、短歌を読むのに忙しくて小説を読まなくなってしまったが、小説の良さは後日譚のあたたかさにあると思う。また小説も読みたくなった。
二首目。自分の子供が大きくなってしまってから、実際に赤ちゃんを抱くことがなくなってしまった。壊れ物のようなみどり児を抱くときは、アクセサリーも心にある虚栄やいろいろはずして、じっと向き合いたいものである。
三首目。選者の佐佐木幸綱氏は、学生運動の比喩と呼んでおられるが、わたしはまた別の読み方をした。恋をする人、ことに女性は、相手に合わせて自分の意思を殺してしまいがちだ。いつか、物事が丸く収まればよいという考えになってしまう。持つ棒は、すりこ木か製菓用ののし棒くらいになってしまう。
いいですね。
「居る」という一語が好きです。
自分がその後日譚に入り込んでいる表現、
勉強になります。
3首目は、わたしもかすみさん解釈に賛成です♪
「居る」は「オル」と読むべきでしょうね。
福山ですし。
居るは、「いる」か「おる」かどちらに読むのでしょう。方言もあるんでしょうね。本人に声を出して読んでもらったら、すぐわかるんだけど、やはり短歌は書き言葉で勝負するのが、本来のすがただと思います。