気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

no news 島田幸典

2007-05-30 18:24:47 | つれづれ
傘さしてほどなく畳む細きあめ梢(うれ)の若葉を発光させつ

巨窓(おおまど)に銀杏若葉は犇きて葉に副う翳のひといろならず

アーケード抜けて日照雨(そばえ)の寺町のまばゆさにあり影も濡らして

<非常口>(EXIT)明るき場所に逃げてゆくひとのあたまと胴つながらず

黒装束の男がやさしく撫ぜているピアノは三本脚のみずとり

(島田幸典 no news)

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以前読んだ歌集を再読。
いまのわたしの気分のぴったりの歌が見つかるとうれしい。このブログを見てくれる人におすそわけしたくなる。いままで、ブログを続けてきたモチベーションはこの「おすそわけ」なんだと思う。
このごろ、短歌を作ったり、人の歌を批評するときに、畏れのようなものを感じることがある。いままで、けっこう好きなようにやって来たけれど、だんだんそうは行かなくなってきた感じがする。現実の歌会の方が、言いたいことを言って平気な場所だと思う。ここで萎縮してはいけないのだけどね。

ほかの人のうまい歌を読んでいると、自分の下手さがよくわかる。自分の歌のいままでの作り方ではダメだ、ということはわかるのだけど、じゃあどうすればいいか、とてもむつかしい。そんなときは、短歌と関係のない本を読むことに逃げてしまう。

最近、読みかけている本は、『京都夢幻記』杉本秀太郎、『ウェブ人間論』梅田望夫、平野啓一郎、などなど。
それに並行して、短歌総合誌や短歌人も読んでいる。本を読む時間を確保するために、何かを減らさなくっちゃいけないかも。



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2 コメント

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Unknown (あらつ)
2007-06-03 10:29:32
こんにちは。
 傘と紫陽花がふんわりと並んでいる図が楽しい。傘のように色づけよ、というエールが込められているでしょうか。雑駁なわたしなどには発見できない構図です。
 「畏れ」に触れていらっしゃいますが、「歌意」は作者が独り占めできるものではないはず。読みもまた意味を生み出す行為。だから、「おそらく作者の意図には無い」意味を見出すことがあり、それが歌を読む愉しみの一つでもあります。作者に対して、どうして遠慮が要るのでしょう?作品あるのみでは?
 「かすみ草」の読みに自分の読みを添えてみる、そんな楽しみ方をさせていただいている、ブログ読者がいます。グイグイと、どうぞ!
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Unknown (かすみ)
2007-06-03 21:14:15
あらつさん こんばんは。
励ましのお言葉、ありがとうございます。
ここしばらく忙しくしていましたが、なんとか一段落したので、ぼちぼち歌集を読んだり、作ったり、ゆっくり行きたいと思っています。
わたしは、他の誰にもなれないわけだし、マイペースで行くしかありません。これからもよろしく。
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