気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

夏桜  中野昭子

2011-01-05 02:16:59 | つれづれ
夏木立の暗き森へはまだやれぬこの子笑ふとまへ歯がなくて

そこここが薄れきたりて夕映えはこれはこれはといふ間に薄暮

熟柿(うれがき)はわれを抱きし伯母のやうぽたぽたとして皮破れさう

大阪のおばちやんになり果(おほ)せずて重信房子捕まりたりき

放尿のしづくの露が先つぽに輝くわらべに初夏きたる

空洞のなかはくすくすわらひしてつるつる石のほとけが御座(おは)す

抽斗の団栗にまた秋のきて中身が縮むにつぽんのやうに

部屋の隅日本の片隅にもたれをり義足はしづかに父を離れて

ちよび髭をなでつつ父の見上げゐきアトムが広ぐる日本のそら

木の葉つぱふんはり頭にとまりたる狸のわれがたつ庭の隅

みづからを家のふかくに進めゆく音せりよるの老い母の杖

四つ辻の夜の灯(あかり)のさみしけれわれより引き出す影ふたつみつ

(中野昭子 夏桜 ながらみ書房)

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中野昭子の第四歌集『夏桜』を読む。
中野さんは鱧と水仙の先輩。短歌を始められたのはおそかったらしい。
家族詠が多いが、ありきたりでなく独特のユーモアがある。
例えば、三首目の伯母を熟柿にたとえた歌など、実感がこもる。
一首目、五首目は、孫歌だろう。夏木立という言葉が詩的で、歯がないというユーモラスな事実に深みを持たせている。放尿のうたも愛情を持って孫の世話をしてこそ生まれた歌だと思う。
八首目、九首目は戦争で障がいを得てしまった父の歌。十一首目の母の杖の歌でも、杖という媒体を介して詠っているので、表現が単純ではない。
十首目では、自らを狸と称している。
また「ぽたぽた」「くすくす」「つるつる」などのオノマトペも面白い。
巧まざるユーモアが全体に満ちている。


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