楽しみは心しだいでつねにある往きに戻りに見る桜の樹
棄てられた親のやうにも六月の日暮あかるくさびしい日暮
紫蘇の花ひつそり咲いて秋まひる淋しくて死んだ人はあらずも
ため息はたつぷりゆつたり吐(つ)くがよいわたしに買はれし末期のヒラメ
晩ごはん何回残りをらむかとふと手を止めるとき涙箸
ご破算で願ひましては、かくいへば前半生の消えゆくごとし
七色の野菜をさむる腹の中さうね虹など生んでみせましよ
開(あ)いたならもう閉ぢられぬ木通の実さうして誰もあきらめを知る
煮含める大根の香(かう)たちこもり帰りくる人ある秋の家
開運招福巳(み)年(どし)兄弟(えと)飴(あめ)口中を右へ左へゆききして消ゆ
(青木昭子 秋袷 本阿弥書店)
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ポトナムのベテラン歌人、青木昭子の第六歌集『秋袷』を読む。
短歌総合誌「歌壇」に一年間連載した「短歌と随想十二か月」を中心に、編まれている。あとがきに、テーマは「食」とあるように、食べ物の歌が多く、楽しく読めた。
一首目の上句「楽しみは心しだいでつねにある」という前向きな気持ちが根底にあるが、あきらめを知ったり、老いを肯ったりしながらの歌つくり。しみじみとした気持ちにさせられた。
棄てられた親のやうにも六月の日暮あかるくさびしい日暮
紫蘇の花ひつそり咲いて秋まひる淋しくて死んだ人はあらずも
ため息はたつぷりゆつたり吐(つ)くがよいわたしに買はれし末期のヒラメ
晩ごはん何回残りをらむかとふと手を止めるとき涙箸
ご破算で願ひましては、かくいへば前半生の消えゆくごとし
七色の野菜をさむる腹の中さうね虹など生んでみせましよ
開(あ)いたならもう閉ぢられぬ木通の実さうして誰もあきらめを知る
煮含める大根の香(かう)たちこもり帰りくる人ある秋の家
開運招福巳(み)年(どし)兄弟(えと)飴(あめ)口中を右へ左へゆききして消ゆ
(青木昭子 秋袷 本阿弥書店)
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ポトナムのベテラン歌人、青木昭子の第六歌集『秋袷』を読む。
短歌総合誌「歌壇」に一年間連載した「短歌と随想十二か月」を中心に、編まれている。あとがきに、テーマは「食」とあるように、食べ物の歌が多く、楽しく読めた。
一首目の上句「楽しみは心しだいでつねにある」という前向きな気持ちが根底にあるが、あきらめを知ったり、老いを肯ったりしながらの歌つくり。しみじみとした気持ちにさせられた。
なかなかおもしろい歌、最初に11字の漢字がつづく。このゆききするものは占いのごとく運命の定まらぬまま飴のごとく消えてしまい甘さだけ残って福はどこやらとなるのである。蛇足ながらわたしの妻は結婚するとき京都一条戻橋にある良く当たる神社で占ってもらったそうだ。
私は、占いをほとんど信じてません。占いにお金を使ったことがない。結果を何かのせいに出来たら、気楽かもしれません。自分で判断したからには、責任はとりますよ。ほとんど行き当たりばったりですが(笑)