気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

昼顔の花が咲きました  佐藤慶子 

2009-11-28 00:05:18 | つれづれ
ゆるやかな冬の日なたに等身の窪みもちたるふとんを広ぐ

どのように生きても一生(ひとよ)コスモスは北北東になだれて咲きぬ

生き継ぐにひたすらなきり我も他人(ひと)もみな泣きながら生まれ落ちたる

生まれざれば悲しまざるを掌に引きたる草の匂い沁みつく

着古しのセーターほどく明日もまた生きるつもりの指にからませ

昼顔の花が咲きました。寄る辺なきこころのように風に吹かれて

ゆっくりと首すじのばす永遠の途中の朝のパンを嚙みつつ

すんすんとチャイナピンクのチューリップ水を吸う朝娘は母になる

ふんわりと拳ゆるませ約束を果たしたように赤子はねむる

(佐藤慶子 昼顔の花が咲きました 六花書林)

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短歌人会同人佐藤慶子さんの第一歌集『昼顔の花が咲きました』を読む。
三井ゆきさんの跋によれば、平成十九年に亡くなられたご主人の望みであった歌集出版をようやく実行されたとのこと。
歌はわかりやすく、作者の人柄の温かさを感じさせる。
三首目など、言いすぎと言われそうな歌であるが、読んで素直に納得できる。いまの歌壇が何を望んでいるかは別として、一般の人が読んで、普遍的に気持ちを代弁したもらった気になるのではないか。それが抒情に包まれて提示されている。
八首目、九首目はいわゆる孫歌だが、すんなり「おめでとうございます」と言いたくなる。
作者の目が歌人の目であるからだろう。