気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2009-11-30 20:48:06 | 朝日歌壇
軒並みに電飾せよのお触れあり今や街とは呼べぬ通りに
(長野市 沓掛喜久男)

われの名に辿り着くまで姪や孫猫の名も出る小春日の母
(町田市 古賀公子)

染めるのを辞めただけです有難う肩たたかれて席ゆずられる
(横浜市 宮本真基子)

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一首目。いわゆるシャッター通りのことだろう。せめてクリスマスはにぎやかにと電飾をするようにお触れがあった。それで人が集まり街が活気づけば良いのだが、作者はむなしさを感じているように読みとれた。
二首目。年のせいか、娘である作者の名前がすぐに出ないお母さま。結句の「小春日の母」が温かく、許しておおらかに暮らすほかはないという作者の気持ちがわかる。
三首目。白髪を染めるのをやめただけで、周りの人が年寄り扱いしてくれて、ありがたいような面映ゆいような気持ちの作者が微笑ましい。
以前は「年相応」という規範が生きていて、こんな年になってこんな派手な格好をしてはいけないという雰囲気があった。いまは若いこと、若く見えることに値打ちがあるようで、新聞のチラシ広告にも、○○歳なのに、このサプリメントを飲んで若々しい女性、といった記事をよく見かける。サプリメントなどを試そうとは思わないが、内心「負けるもんか!」と思ってしまう。またお金さえあれば、あらゆる若返り術が出来るのに、と忸怩たる思いもある。いつまでもしんどいことだ。どこかで「下りて」しまえば、楽になれるのに。

凍て空にこの世の夢を見せしむとつぶらつぶらの光を飾る
(近藤かすみ)