気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2008-12-14 23:34:08 | 朝日歌壇
駅の裏文房具売る蛍雪堂ちいさき灯りともりて日暮れぬ
(豊中市 佐伯久光子)

まなかいにひとりごちつつキーをうつ夫の孤独を見ている孤独
(新発田市 和田 桃)

車椅子押せば押さるるままとなりこんなに素直な妻だったのか
(東京都 太田良作)

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一首目。蛍雪堂という文房具店の名前がありそうでレトロでとてもいい。わたしが子供のころは、学校の前には必ず文房具店があったものだ。それは山口開新堂とか、大原文照堂などという名前だった。ガラスの引き戸を開けてはいると、ノートや鉛筆や消しゴムがところ狭しと並んでいて、わくわくする空間だった。日が暮れると店に灯りがついて、そこが浮き上がって見えるのだ。この歌でそんな文具店に呼び戻される感覚を持った。

二首目。下句に「孤独」が二度出てくるが、その性質はちがう。むつかしい表情をしてパソコンに向かっている夫はそんなに孤独ではないように思う。それを見ている妻の孤独の方が深い。しかしそれぞれがそれぞれのパソコンで、パートナーの知らぬ相手と心を通わせているということもあり得る。まあ夫婦は仲が良いことに越したことはないが、それぞれの趣味や仕事を尊重し、プライバシーには立ち入らないことが、結局円満の秘訣だと思う。見ぬもの清しの精神で。たまには焼き餅を焼いて欲しい気もしないでもないが、度を越して、干渉するのは勘弁して欲しい。

三首目。これも夫婦の歌。どちらかが病気になり、身体の不自由が出てきてはじめて相手にたいする感謝や思いやりが出てきたのだろう。だが、病気になってよれよれになる前に、一緒に旅行したり、楽しむことをしておかないと、急に仲良くなんて無理な話。妻も家庭全体のことを思えばこそ、口うるさくもなる。家庭を顧みない妻は、却って従順だ。これはけっこうコワイぞ・・・。

夢やはらかし

2008-12-14 00:59:30 | きょうの一首
さくら咲くその花影の水に研ぐ夢やはらかし朝(あした)の斧は
(前登志夫 霊異記)

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きょうは、現代歌人集会の総会にお邪魔して櫟原聰氏の講演「前登志夫の世界」を聴講させていただいた。
今年4月5日に亡くなられた前登志夫の作品については、短歌研究6月号でも追悼特集があったが、ゆっくり読めていなかった。きょうはヤママユの櫟原聰氏の講演を聴き、おぼろげながらも前登志夫の短歌の世界がわかりかけて来た気がする。
短歌以前に詩人でもあり、エッセイもたくさん書いておられる。吉野の山人という面が強調されるが、強い美意識をもって作歌して来られたのだろうと感じた。
きょうの一首にあげたこの歌の美しいこと。硬質な斧をこんなに夢のようにやわらかく綺麗に詠えるのだ。「夢やはらかし」という感受性に惹かれた。