気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2008-12-01 23:04:21 | 朝日歌壇
老衰の今際の時に名を呼べば犬はかすかに尾を振って死ぬ
(浜松市 桑原元義)

ふるさとは「限界」なれば行くたびに村はさびしく人らはやさし
(山形市 黒沼 智)

月のしたに塾の送迎バス止まり稲植うるごと子供を降ろす
(和泉市 長尾幹也)

************************

一首目。飼い犬が死ぬ間際、名を呼ぶと尾を振ってから死んだというけなげな歌。飼い主にありがとうと言ったのだろうか、反射的な動きなのだろうか。それにしても結句の「尾を振って死ぬ」はすごい。「死ぬ」まで言うかな・・・と思う。短歌では「言いすぎ」は嫌われる。言い過ぎないためにさんざん工夫して、わからない曖昧な歌になってしまうことがある。歌会などで「言いすぎ」といわれそうだから、それを避けて「尾を振り応ふ」ぐらいにしてしまいそうだ。「死ぬ」まで言ってこそ強い歌になった。勇気をもって、自分の思うように表現するのも大切だと思った。びびっていてはいけない。
二首目。限界集落のことを詠ったのだろう。この「」も微妙である。「」をつけたことで、限界という言葉が際立って効果をあげている。しかし、こういうことをすると野暮だと言われることがある。あくまでも言葉で勝負すべきだと・・・。この場合は「限界」としたことでインパクトが出たと思う。
三首目。いまどきの塾は送迎バスまであるんだと、驚いた。確かに塾の往復は夜になるので、危険を避けるために送迎バスがあると親も安心である。「稲植うるごと」がうまい。子供はまだ細くて、稲の苗のようだから、バスから降りるときの動きとぴったりと合う。植物のようにおとなしいという意味も感じられた。

飼ひ犬が死ねばその日はちよつと泣き次をさがすとあのひとは言ふ
(近藤かすみ)