生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

『生涯学習社会における資格の役割についての考察』

2020年11月21日 12時16分26秒 | 明星大学大学院

タイトルは、私が平成21年度に、「明星大学大学院人文学研究科教育学専攻修士論文研究論題」として書かせていただいたテーマです。

小平宅に戻ってクローゼットを漁っていたところ、修士論文が出てきた!なぜか、明星大学大学院の修士論文だけ名古屋になかったのだが、ここにあったのね!

この修士論文が気になった理由は、リンク先の「資格の達人ブログ」の管理人さんが、現在、産業能率大学で「資格試験の効果的効率的学習法」(仮)で卒論を書かれているから。

資格マニアと呼ばれる方の進路はいくつかあります。一番多い・・・というか大多数を占めるのは「50~100ぐらいでフェイドアウトして撤収される方」。取りやすい資格を取ってしまったのちに、進むべき方向を見失い、何もできない人です。そう、何のために資格を取得しているのかわかっていない人は、挫折しやすい・・・でも、早めに気が付いて、無為に人生を浪費しなかっただけよかったかもしれません。

次に取り上げたいのは「細々と資格を取り続ける方」。この手の方は、基本的には、それなりの資格を目指して頑張られます。国家資格や公的資格を取得し、本当、自身のスキルを積み上げるタイプ。数に走らず、資格を自己のスキル開発に活用していくスタンスに、私は感動してしまいます。こういう方が、大型資格や難関資格を取得されると、そのご苦労や根性に涙してしまいます。

そして、一握りですが「ガンガン資格を取り続ける方」がおられます。私の個人的な考えとして、こちらは内容次第。資格を取得されることは素晴らしいのですが、ネット資格や訳のわからぬ民間資格に走るのはいかがなものかと。そんな中、コンスタントに国家資格や公的資格を入れていくのならまだしも、サルでも取れる資格を積み上げて何になる?というか、数に走った時点で「資格というものなら何でもOK」というモードに入っているのだから、なら、底辺の資格ばっかり取るんじゃなくて、それなりに履歴書に書ける部類の資格も取れよ!って思うわけ。

ゲームで例えるなら、弱い敵ばっかり倒して、「俺は最強だぞ~!!」って叫んでいる痛い人。当然のことながら、最弱の敵ばかり倒しても、ランキング上位には入れませんから。

最後に、資格を研究対象として見つめなおす人。全国に何人ぐらいいるでしょう?資格を研究している先生は多いかもしれませんが、自分自身100越えの資格マニアに属する部類の人で、それを論文にまとめた人間がどれだけいるのか・・・(資格マニアを100越えとしたこと自体、正解かどうか不明ですが)

私は、資格を生涯学習の一環として取得し続けたので、比較的容易に論文として成果物を残す作業ができました。でも、「資格マニア」というか、「資格中毒」に陥ってしまうと、資格の日程や難易度等々、そんな些末なことばかり気になって、禁断症状すら現れてしまう・・・そして、数が全てになって、事前学習もなく、ネットで、択一式で、誰でも取れる資格を取っては「数、増えました~」って、恥ずかしげもなく公に晒してしまう・・・私も片足を突っ込んでしまいましたが、なんとか、大事に至る前に「冥府魔道」から抜けることができた次第。

数を誇ることを否定はしないのですが、「その取得した資格の内容で誇ってしまって、本当に恥ずかしくないかい?」っていうのが疑問点。まあ、私も、それほど大した資格は取得していませんが、基本、それなりに根拠のある資格を取得してきたつもりです。ゆえに、2012年1月1日の「資格について」という記事で、以下の提言をしています。

私の愛する資格とは、生涯学習における『目標』であり、知識の到達度を測る『結果』なのである。そして、知識が到達した場合、『合格証書』が与えられ、それが社会的に『評価基準』となり、社内FAや転職等において『エビデンス(能力の到達状況の証明)』、自分がやりたい仕事を獲得することで『自己実現』へと導くものなのである。
本来なら、ちゃんとした基準を作って、その中で、資格の保有数などを競うというのなら、モチベーションも湧くだろうし、少なくとも、何のために存在しているのか理解に苦しむ「××検定」は除外され、何らかの生涯学習に貢献するものと考えられる。
で、当面、基準がないので、以前、文部科学省の生涯学習分科会で出された、「資格について」の別紙1、2、3、4で数えてみてはどうだろうか?
私の場合、保有資格231個のうち、123個が該当。おちゃらけた資格ばかり取得しているようで、実は、文部科学省生涯学習分科会的に見れば、生涯学習に立脚した資格をコツコツ取得してきたといえる。
123個を軽くオーバーするって超人がいれば、再び、資格戦線に復帰する意欲も出てくるかもしれないが、数を稼げる別紙4のビジネス・キャリア制度を押さえているのが私なので、きっと、私が日本一なんだろうな・・・

ルール無用の資格マニア大戦!言ったもん勝ち、後出しじゃんけん、なんでもありの混沌とした世界。何せ基準がありませんから。「基準なんて作れないよ!」っていうことなかれ。私が研究しようと思っているイギリスでは、万を超える資格があふれていたのを、国を挙げてNVQ等に収束させて、資格のルール化を実現しているのだから。

まだ、それほど読み切れていないが、レベルがあって、学術資格は博士がレベル8、修士がレベル7、学士レベル6・・・となっています。そして、全国職業資格(NVQ)も5段階に分類され、それぞれ、NVQ5=レベル7~8、NVQ4=レベル4~6、NVQ3=レベル3、NVQ2=レベル2、NVQ1=レベル1といった感じで各資格が分類されています。

ランクに入らない資格はカウントゼロ、そして、学位や職業資格等のレベルの集計を行い、一番多い人が日本一って基準を明確化すれば、「俺が日本一!」「私が日本一!」「おいらが日本一!」ってこともなくなるのでしょうね。そうなれば、学位や文科省で公認された公的資格を多数保持している人が強いんだろうな~(笑)。

それはそうと、2012年1月1日の記事にも、資格の達人ブログの管理人さんがでておられたのですね!テーマがテーマですので、かぶってしまったのかもしれませんね。

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自宅で

2020年11月21日 09時13分47秒 | 小平

19日ぶりの小平宅。

やはり設備的にも名古屋宅と違ってそろっている。名古屋宅では、可能な限りシンプルという観点から、テレビもなければ、ビデオもなければ、時計もないし、花もなければ、ペットもいない。ヤカンもないし、土瓶もないし、圧力鍋もないし、食洗器もない。極めつけは調味料。名古屋宅には塩もなければ、砂糖もない。醤油もなければソースもないし、マヨネーズも、ケチャップもない。

そう考えると、結構、過酷な環境で過ごしているものだ。ゆえに、小平宅は天国である。お菓子も多種多様。名古屋宅では「そばぼうろ」が跋扈しているが、小平には「チョコレート菓子」が7割、その他のお菓子も満載。好きなだけ食べることができるので、好きなだけ太ってしまう。

それ以上にありがたいのは家内。コーヒー好きの私のために、いいタイミングでコーヒーを入れてくれる。家内はコーヒーより紅茶、あるいは日本茶。ゆえに、「コーヒーでなくていいよ」と言うのだが、「手間は同じだから」と概ねコーヒーが出てくる。

食事も、やはり、私が作るより、家内が作った方が美味しい。結婚前、そうそう「家内」が、まだ「彼女」の時に、作ってくれた手料理を食べた瞬間、私は、その味付けに笑わざるを得なかった・・・例の「ピンチの時や追い詰められた時に笑ってしまう」という、私の性格が表にでてしまったのだ。あれは・・・凄かった。。。

正直、私は海原雄山のような暴君でもないし、そんなに味にうるさいタイプではないと思っているのだが・・・さすがに驚いた!見た目が美味しそうに見えるだけに困った。「うわ~おいしそう!本当に食べていいの!!」って言った手前、食べた後のリアクションをどうするかパニックになってしまったわけで。ゆえに、切羽詰まって、笑うしかなかった・・・

後に気づくのだが、例の坪内石斎のケースと同じである。そう、織田信長に京風の薄味料理を出して殺されそうになり、今ひとたびの田舎風の濃い味付けの料理で信長のお気に入りになった料理人である。私の好物は、ご存知の通り「味噌カツ」「オムライス」「カレー」「鰻丼」といった味付けの濃い料理ばかり。ゆえに、最初出された料理は薄味で、味が感じられず、何を食べたかわからなかっただけ。もし、あの時、「こんな料理を一生食べさせられるのか・・・」と別れていたら、今の状況はなかったわけで。時に、「あなたは、子どもに出すような料理を作っておけばご機嫌さんだから楽ね!」って感じのことを言われてしまう。信長同様、田舎者なのかもしれない。

のんびりとした中、そんな昔のことを思い出してしまった。本当、幸せなひとときである。

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