「27日の東京都における新型コロナウイルスの感染者は570人で、1日の感染者数としては21日の539人を上回り、過去最多を更新した」とのこと。
連日、最多、最多と、「チューリップの花」じゃなくて、最多の危機に晒されているのは「人間」なんだから、マジで、本格的な対策を講じる段階ではないのだろうか?いや、もう、遅きに失したかもしれぬのに・・・
本当、GO TOやめようよ。というか、この時節に、GO TOに興じる人の神経がわからない。その昔、苗木城に行った時のこと・・・断崖の地にある苗木城に向かう途上、看板に「いたる所に転落の危険性」とか「各自の責任で十分気を付けて」って書いてあった。なら、せめて、「感染の危険性」を知ったうえで、自己責任でGO TOに行った人は、感染しても「各自の責任で」、病院に行かずにコロナを治すくらいの覚悟を負って欲しい。「自分が勝手に楽しんだんだから、パンク寸前の医療機関に頼るなよ」って思ってしまう。
もし、GO TOに行った人を助けるために、GO TOにも行かずマスクも、うがい、手洗いもしていた人が不幸にも感染し、病床がなかったために命を落としたとしたら・・・政府が金を出すからと、不要不急の旅行に行った人が間接的に殺人をしたのと変わらない。
時に、経済が回らないと自殺する人もでると言う人もいるが、「自殺する人」と「病院に入れずに死に至る人」をどのように比較しろと言うのか?「自分の力ではどうしようもなく救われない」のはどちらなのか。
ましてや、この状況を続けると、遅かれ早かれ「緊急事態宣言」が出されるか、国民が自発的に旅行や飲食をやめる。そして、第一次緊急事態宣言でもわかったように、状況がひどくなればなるほど、自宅で勤務(リモートワーク)や、自宅で飲食(オンライン飲み会)など、外出せずに楽しむ手段が進化していく。結果、コロナが収束しても、客足は二度と戻ってこなくなるのがなぜわからない?
というか、今までが幸せすぎたのがどうして理解できないのだろう。この惨状こそが、ある意味、人類が経験してきた常識なのだから。そう、文明が発達していない時代は、自然からの収穫頼みだった。ついこの間の、百年、二百年前まで「飢饉」が発生すれば、1年、2年、あるいはそれ以上と、食べるものもないような苦しい生活を年単位で切り抜けてきたのである。日本でコロナが流行し始めて1年すら経過していない。江戸時代の人間ですら1年やそこらはカツカツの生活を耐え忍んできたのだから、たとえ、経済がマイナス成長になろうとも、高度に発展した我々が1年やそこらを耐えられないわけがない。
正直、政府が愚かなキャンペーンを打たず、愚かなマスクを配らず、愚かな給付金をバラまかず、その資金と英知とマンパワーをコロナ対策に回していれば、第2波、第3波は発生せず、あるいは発生しても「最多」「最多」と歌わずとも切り抜けられる程度の影響に抑えられたと残念でならない。せめて、自分の身は、自分で守るしかないのだから。。。