海と見間違えるくらい大きな新宮川。
その岸辺に秦徐福上陸之地があります。
ここからは、阿須賀神社の裏山の蓬莱山も近いです。
で、この背後の方に数分歩くと、梵字の石碑があります。阿須賀神社の中には「徐福之宮」もあります。
徐福の墓もあるし、色々と、謎の多い地であることは間違いないと思います。
海と見間違えるくらい大きな新宮川。
その岸辺に秦徐福上陸之地があります。
ここからは、阿須賀神社の裏山の蓬莱山も近いです。
で、この背後の方に数分歩くと、梵字の石碑があります。阿須賀神社の中には「徐福之宮」もあります。
徐福の墓もあるし、色々と、謎の多い地であることは間違いないと思います。
阿須賀神社から徒歩5分ほどのところに史跡「宮井戸遺跡」があります。
弥生時代の遺跡と思って行ったのですが、歩いていて偶然出会ったおじさんが「観光客か?」と聞いてきて「そうです。名古屋からきました」と言ったところ、この遺跡の道なき道を教えて下さり、梵字で書かれた千引岩まで連れていってくださいました。
本当、短い距離というか、トントントンと登って、降りたところなのですが、知らなかったらなかなかたどり着けないかもしれません。正直、私の専門は考古学なので、弥生時代の遺跡の方がありがたかったのですが・・・地元の方のご厚意に感謝です。
阿須賀神社の境内には竪穴住居の跡地が発見されています。
弥生時代から古墳時代にかけて同じところに住居が造られていたそうです。
で、その遺跡がこちら。
正直、よくわからない・・・
新宮駅から徒歩10分ほどのところにある阿須賀大社。
こちらは「阿須賀王子跡」として世界遺産登録されています。
世界遺産を示す石碑もあります。
で、こちらが阿須賀大社。
阿須賀大社の案内板。
こちらの世界遺産を訪れた際、他には観光客はいませんでした。世界遺産を独り占めできるなんて幸せですね。
秦の始皇帝の指示を受け、不老長寿の薬を求めて日本に来たとされる徐福。
その徐福が来たとされるのが新宮。そして、駅前に徐福公園があります。
誰も見たことがない徐福。でも、その石像がありました。
そして・・・徐福の墓!
本当に徐福のお墓なのでしょうか?
名古屋駅を出たのが6時25分、そして新宮駅に到着したのが13時20分!
約7時間かけてようやく新宮駅にたどりついたわけです。
新宮駅には、周辺各神社が奉納した大きな犬の絵馬がありました。熊野那智大社の絵馬。
熊野本宮大社の絵馬。当駅でバス1時間もかかるのですね。
そして、今回行くことができた熊野速玉大社。徒歩20分ならなんとかなる距離です。
そして、こちらが駅舎。
改札前には「ようこそ 世界遺産の地 木のまち 新宮へ」といった木の看板が。
駅を出て全景を撮影。
紀勢線を走っていると川があります。
川だけでなく山もあります。
しかし、山には靄がかかっていて、天候の悪化が気がかりでした。あるいは、雲も、すぐそばまで降りてきています。
この山は土砂が崩れたのでしょうか??
山だけではなく海もあります。
本当に、日本のふるさとって感じの風景が連なっていました。
「長島」と言えば、愛知県との県境に桑名市の長島駅があるのですが、和歌山県と近いところにも紀伊長島があります。
同じ県内の北と南に、それぞれ長島があるのは偶然なのか、必然なのか・・・それはともかく、こちらが紀伊長島駅。
11時について、11時28分まで電車は停車することとなります。
青春18切符を使っているので、せっかくですから、駅の外にでてみました。
駅舎にあった熊野古道伊勢路の幟。
再び駅に入場し、列車に戻ることとしました。階段を上って、進行方向を眺めます。まだ、新宮への道のりは長いです・・・
これが、新宮行の列車。2両編成です。
駅舎はこんな感じ。
もう一つの国宝が御影堂!
こちらも、わかりやすいように「国宝御影堂」との表札がありました。
同じく案内板も。
如来堂と同様に、中は金色が主体です。時間がなかったので、結構、高速で正信偈を念じさせていただきました。この正信偈、例えば、大谷派と本願寺派で、同じものを念じるにもかかわらず、大きく念じ方が違うのですが、高田派も、やはり違うのでしょうか?