@トリウッド(下北沢)
★まずは、長い前ふり(笑)★
ボクは、連合赤軍事件も含めて、60年代70年代の左翼的な学生運動・労働者運動については、ほとんど知識はありませんでした。
ただ、以下2点の理由により、平均的な団塊ジュニアより、この関連の知識が少しあったと思います。
一つは、親からのアドバイス。
ウチは両親ともに大卒だったせいか、大学では、宗教とそのダミーサークル、そして、政治運動・学生運動関連には関わらないようにと口をすっぱくして言われてました。
そのときに、いろいろな団体名を教わっていたわけです。
もっとも、それでも、その当時は、民青も新左翼も全然違いがわかってませんでしたが(笑)。
もう一つの理由は、ボクのサブカル好き体質、要は趣味。
ナチスのように、人々が封印したがるものに興味を持ってしまう質みたいんだんですよ、ボク。
その内のネタの、ひとつとして、この団体名・関連団体名・関連人名を少し知っていたと言うことがあります。
大学院時代、実際、ボクと同様にそういうことに興味を持っている文系の仲間とのトークをしたことがありました。
そして、私が、宮台真司先生を尊敬していて、氏の文章をいくつも読み(本映画では監修協力者および声優として協力)、また、先日、北田暁大先生の「嗤う日本の「ナショナリズム」」を読んで連赤事件について新たな見方を得たワケで、コレを見逃してはイケナイだろうと(笑)。
★本題★
タイトル通り、連合赤軍事件の映画です。
3時間強の長尺モノで、見応えあります。
というか、コレでもだいぶそぎ落として省いたのだと思います。
視点が徹底的に、事件を起こしてしまった側になっているのが、特徴。
若者側・内側から描いているので、放水されても鉄球が山荘にぶつけられていても、あくまで山荘内部が描かれます。
前半は、ニュース映画の引用が多いですが、仕方ない。
坂口弘にARATAとか、ナレーションに原田芳雄とか。キャスティングも、なるほどと感心させられました。ちなみに、シューティングアクション映画的にカッコイイのは坂東國男役の大西信満。
ストーリーは、60年代学生運動からの左翼運動の流れがあって、赤軍派と革命左派で連合赤軍が結成されて、山岳ベース事件、そして、あさま山荘事件。
そして、その渦中の若者たちが何を考えていたかに迫ること。何故?に迫ること。
丹念に、事件を起こした側の資料と取材をして、フィクションを最小限に抑えています。
クローズアップ度の高い人物(=キー人物と言い切れないけれど、それに近い)が、遠山美枝子と加藤元久。この二人の感情のクライマックスでは、私もかなり涙しました。
とにかく、今から考えると、滑稽なことなんだけれど笑えない。
そういうことの連続です。
銃を持ったところで、少人数で権力に対して戦えるワケがない。
爆弾って、そりゃ爆弾に違いないけれど、爆弾としての能力は推して知るべし。
大まじめに革命なんて考えていたことを笑うのではなく、なぜ信じられる状態だったのか?を考えなければならないんでしょうね。
モチロン、革命とか言っていながら、色恋もあってフツーの若者たちだったわけです。
矛盾の解消できてなくて象徴的なのが、森恒夫と永田洋子がくっつくと。「それが、共産主義的に正しい」とかって、もう、ワケわかりません(笑)。
山岳ベース事件でドンドン理不尽に人が殺されていくわけです。リンチ、粛正、いや、あれは虐殺とも言えるかと。
コッチは、余計な知識があるから、つまり、40代以上の人と同様だと思うのだけれど、映画観ながら、「あ、あの人も殺されるんだ」「あと○人、粛正されるんだ」とカウントしてしまって、なんとか早く終わらないかなと思ってしまうわけです。殺された人の名前を全員知らなくても。
まったく、知識がない人だと、「あと何人殺されるの?」とブルブルしたかも知れません。
山荘での銃撃戦が始まるとき。
加藤元久が「勇気がなかったんだよ!!」と叫んで周囲を糾弾します。
確かに、それもあったのだと思います。
でも、加藤の兄は、森と永田に抗議しながらも、まったく意味なく、かつ粛正されてしまった。
つまり、誰かが勇気を持っていても、それは無理だったのではないかと思うのです。
空気とか雰囲気のせいだけでもなく、宗教のような信仰レベルよりも、さらにもっと束縛の激しいものだったのではないでしょうか?
★パンフレットについて★
監督の気合い入りまくりなのが、このパンフレット。
準A4版200ページ強で1470円ナリw。シナリオも全収録。
読み通すのにかれこれ1週間かかってしまいました(爆)。
朝晩の電車の中で読むのも気が引けるし、新宿駅や渋谷駅の防犯カメラに写りたくないし。だって、真っ赤の表紙ですぜ(笑)。
.....でも、電車の中でもホームでも読んじゃいましたが(笑)。
この本・ブックレットは、新左翼の運動の歴史とまとめとしても、かなり良くできているのではないでしょうか。
多分、まだ枝葉末節にはイロイロとあって、それをサクッと理解するのは不可能なことなのでしょうが、それでも一通りの流れは掴めるモノになっています。
各団体の分派と合従連衡というかは、ネットとかで趣味でまとめている人とかいますが、その人ですら「もう、わかりません!(笑)」とか言っているくらいですもんね。
一番、興味深かったのが、試写会のときのトークバトル録。
かなり端折られていて、ものすごく残念。
赤軍派の塩見孝也さんと植垣康博さん(この方は連赤に参加)が論争していて(だいぶ長いことやっているらしい)、とにかく塩見さんが植垣さんを叩くんだ。
そんなに何度も言わなくても、「赤軍派」と「連合赤軍」は違うのはわかる・わかったからって感じ。
側近の山田さんを粛正されてなおさら許せない存在なのかもなんだけれど、人によってはウンザリしちゃうと思う。弱いモノいじめの構造に近いかも。
理論派(塩見)VS実践派(植垣)というか、理想派VS現実派というか。
植垣さんの「ボクは塩見さんのように聖人君子じゃない」というのが象徴的。
でも、ボクは、植垣さんの話の内容のほうによっぽど「ヒューマニズム」というか人間らしさを感じたなぁ。
このバトルを読んで、当時、それでも、塩見さんについていった人がそれなりにたくさんいたということも、カナリの驚きに感じてしまったというのが、正直なところです。というか、塩見さんて、もっと人を惹きつけるスゴイ人かと思っていた(笑)。
★そのほか★
さて。
ココで、まだ、話は続きます(笑)。ゴメンなさい。
北田暁大先生の本に先ほど触れましたが、その本に書かれてある通り「反省する」ということを通して(そしてそれ以外の観点からも)、我々は連赤および、そのルーツとなった運動を笑えません。
笑える人は、ちょっと、自分や社会に対する現実認識能力が足りないおめでたい人の可能性がありますよ。と。
んで、その「反省する行為」にかかわって。モチロン、ここの参考文献は「嗤う日本の「ナショナリズム」」です(笑)。
主に父親のボクに対する子育てにおいて、この事件および60年代70年代の学生運動・新左翼運動の「間違えた点」について、反面教師にしていたのかな?と今思えるのです。
ひとつめは、「とにかく自分を相対化しろ」ということ。
視野を広く持って現実認識能力を高めて、冷静に物事を判断し、突き抜けすぎるなと。それが間違っていた方向の場合に取り返しがつかなくなると。
筋道を通すことと、原理主義で盲目的になるのは違うと。
そういう教育を受けたなぁってのは、感じます。
ふたつめは、「基準となる軸と目盛りをしっかりと意識しろ」ということ。
目的も目標もすべての価値基準を無限遠にもっていくと、理想状態以外はすべてダメとなるし、どの状態からどの状態へ遷移すればいいのかわからなくなると。
「目標は遠くても、目的は近く」と。
おもに粛正された人々が、「何をどう総括したらよいのかわからない」ってなってたけれど、そうならないために。
そして、これで最後にひとつ。
それは、私の通った高校の話。
学生運動のアジ演説、山岳ベースでの総括と自己批判を求めるための正座。
コレ、ボクが高校で経験した應援歌練習と「説教」そのものです。
この説教とは、旧制中学・旧制高校・寮生文化圏における説教。
経験した人にしかわからないと思うのですが、今は絶滅していると思うのですが(笑)、90年代初頭にして、私の通った高校では、まだありました(笑)。
高校に入学して、その高校の生徒として認められるためのイニシエーションが何段階かあって、その最初に、精神注入のごとく先輩から後輩へと行われているのが、應援歌練習。そして、その際の、正座して説教(先輩)と返事(後輩)。
ちなみに、通った高校の應援委員よりも、通った大学での活動家(まだかろうじていたw)の方が、演説が下手だったっていうオチもあったりしますが(爆)。
そういう意味、そういえばコンナのに似たの経験していたなぁと感じてしまう映画でもあったのでした。マルっ。
★まずは、長い前ふり(笑)★
ボクは、連合赤軍事件も含めて、60年代70年代の左翼的な学生運動・労働者運動については、ほとんど知識はありませんでした。
ただ、以下2点の理由により、平均的な団塊ジュニアより、この関連の知識が少しあったと思います。
一つは、親からのアドバイス。
ウチは両親ともに大卒だったせいか、大学では、宗教とそのダミーサークル、そして、政治運動・学生運動関連には関わらないようにと口をすっぱくして言われてました。
そのときに、いろいろな団体名を教わっていたわけです。
もっとも、それでも、その当時は、民青も新左翼も全然違いがわかってませんでしたが(笑)。
もう一つの理由は、ボクのサブカル好き体質、要は趣味。
ナチスのように、人々が封印したがるものに興味を持ってしまう質みたいんだんですよ、ボク。
その内のネタの、ひとつとして、この団体名・関連団体名・関連人名を少し知っていたと言うことがあります。
大学院時代、実際、ボクと同様にそういうことに興味を持っている文系の仲間とのトークをしたことがありました。
そして、私が、宮台真司先生を尊敬していて、氏の文章をいくつも読み(本映画では監修協力者および声優として協力)、また、先日、北田暁大先生の「嗤う日本の「ナショナリズム」」を読んで連赤事件について新たな見方を得たワケで、コレを見逃してはイケナイだろうと(笑)。
★本題★
タイトル通り、連合赤軍事件の映画です。
3時間強の長尺モノで、見応えあります。
というか、コレでもだいぶそぎ落として省いたのだと思います。
視点が徹底的に、事件を起こしてしまった側になっているのが、特徴。
若者側・内側から描いているので、放水されても鉄球が山荘にぶつけられていても、あくまで山荘内部が描かれます。
前半は、ニュース映画の引用が多いですが、仕方ない。
坂口弘にARATAとか、ナレーションに原田芳雄とか。キャスティングも、なるほどと感心させられました。ちなみに、シューティングアクション映画的にカッコイイのは坂東國男役の大西信満。
ストーリーは、60年代学生運動からの左翼運動の流れがあって、赤軍派と革命左派で連合赤軍が結成されて、山岳ベース事件、そして、あさま山荘事件。
そして、その渦中の若者たちが何を考えていたかに迫ること。何故?に迫ること。
丹念に、事件を起こした側の資料と取材をして、フィクションを最小限に抑えています。
クローズアップ度の高い人物(=キー人物と言い切れないけれど、それに近い)が、遠山美枝子と加藤元久。この二人の感情のクライマックスでは、私もかなり涙しました。
とにかく、今から考えると、滑稽なことなんだけれど笑えない。
そういうことの連続です。
銃を持ったところで、少人数で権力に対して戦えるワケがない。
爆弾って、そりゃ爆弾に違いないけれど、爆弾としての能力は推して知るべし。
大まじめに革命なんて考えていたことを笑うのではなく、なぜ信じられる状態だったのか?を考えなければならないんでしょうね。
モチロン、革命とか言っていながら、色恋もあってフツーの若者たちだったわけです。
矛盾の解消できてなくて象徴的なのが、森恒夫と永田洋子がくっつくと。「それが、共産主義的に正しい」とかって、もう、ワケわかりません(笑)。
山岳ベース事件でドンドン理不尽に人が殺されていくわけです。リンチ、粛正、いや、あれは虐殺とも言えるかと。
コッチは、余計な知識があるから、つまり、40代以上の人と同様だと思うのだけれど、映画観ながら、「あ、あの人も殺されるんだ」「あと○人、粛正されるんだ」とカウントしてしまって、なんとか早く終わらないかなと思ってしまうわけです。殺された人の名前を全員知らなくても。
まったく、知識がない人だと、「あと何人殺されるの?」とブルブルしたかも知れません。
山荘での銃撃戦が始まるとき。
加藤元久が「勇気がなかったんだよ!!」と叫んで周囲を糾弾します。
確かに、それもあったのだと思います。
でも、加藤の兄は、森と永田に抗議しながらも、まったく意味なく、かつ粛正されてしまった。
つまり、誰かが勇気を持っていても、それは無理だったのではないかと思うのです。
空気とか雰囲気のせいだけでもなく、宗教のような信仰レベルよりも、さらにもっと束縛の激しいものだったのではないでしょうか?
★パンフレットについて★
監督の気合い入りまくりなのが、このパンフレット。
準A4版200ページ強で1470円ナリw。シナリオも全収録。
読み通すのにかれこれ1週間かかってしまいました(爆)。
朝晩の電車の中で読むのも気が引けるし、新宿駅や渋谷駅の防犯カメラに写りたくないし。だって、真っ赤の表紙ですぜ(笑)。
.....でも、電車の中でもホームでも読んじゃいましたが(笑)。
この本・ブックレットは、新左翼の運動の歴史とまとめとしても、かなり良くできているのではないでしょうか。
多分、まだ枝葉末節にはイロイロとあって、それをサクッと理解するのは不可能なことなのでしょうが、それでも一通りの流れは掴めるモノになっています。
各団体の分派と合従連衡というかは、ネットとかで趣味でまとめている人とかいますが、その人ですら「もう、わかりません!(笑)」とか言っているくらいですもんね。
一番、興味深かったのが、試写会のときのトークバトル録。
かなり端折られていて、ものすごく残念。
赤軍派の塩見孝也さんと植垣康博さん(この方は連赤に参加)が論争していて(だいぶ長いことやっているらしい)、とにかく塩見さんが植垣さんを叩くんだ。
そんなに何度も言わなくても、「赤軍派」と「連合赤軍」は違うのはわかる・わかったからって感じ。
側近の山田さんを粛正されてなおさら許せない存在なのかもなんだけれど、人によってはウンザリしちゃうと思う。弱いモノいじめの構造に近いかも。
理論派(塩見)VS実践派(植垣)というか、理想派VS現実派というか。
植垣さんの「ボクは塩見さんのように聖人君子じゃない」というのが象徴的。
でも、ボクは、植垣さんの話の内容のほうによっぽど「ヒューマニズム」というか人間らしさを感じたなぁ。
このバトルを読んで、当時、それでも、塩見さんについていった人がそれなりにたくさんいたということも、カナリの驚きに感じてしまったというのが、正直なところです。というか、塩見さんて、もっと人を惹きつけるスゴイ人かと思っていた(笑)。
★そのほか★
さて。
ココで、まだ、話は続きます(笑)。ゴメンなさい。
北田暁大先生の本に先ほど触れましたが、その本に書かれてある通り「反省する」ということを通して(そしてそれ以外の観点からも)、我々は連赤および、そのルーツとなった運動を笑えません。
笑える人は、ちょっと、自分や社会に対する現実認識能力が足りないおめでたい人の可能性がありますよ。と。
んで、その「反省する行為」にかかわって。モチロン、ここの参考文献は「嗤う日本の「ナショナリズム」」です(笑)。
主に父親のボクに対する子育てにおいて、この事件および60年代70年代の学生運動・新左翼運動の「間違えた点」について、反面教師にしていたのかな?と今思えるのです。
ひとつめは、「とにかく自分を相対化しろ」ということ。
視野を広く持って現実認識能力を高めて、冷静に物事を判断し、突き抜けすぎるなと。それが間違っていた方向の場合に取り返しがつかなくなると。
筋道を通すことと、原理主義で盲目的になるのは違うと。
そういう教育を受けたなぁってのは、感じます。
ふたつめは、「基準となる軸と目盛りをしっかりと意識しろ」ということ。
目的も目標もすべての価値基準を無限遠にもっていくと、理想状態以外はすべてダメとなるし、どの状態からどの状態へ遷移すればいいのかわからなくなると。
「目標は遠くても、目的は近く」と。
おもに粛正された人々が、「何をどう総括したらよいのかわからない」ってなってたけれど、そうならないために。
そして、これで最後にひとつ。
それは、私の通った高校の話。
学生運動のアジ演説、山岳ベースでの総括と自己批判を求めるための正座。
コレ、ボクが高校で経験した應援歌練習と「説教」そのものです。
この説教とは、旧制中学・旧制高校・寮生文化圏における説教。
経験した人にしかわからないと思うのですが、今は絶滅していると思うのですが(笑)、90年代初頭にして、私の通った高校では、まだありました(笑)。
高校に入学して、その高校の生徒として認められるためのイニシエーションが何段階かあって、その最初に、精神注入のごとく先輩から後輩へと行われているのが、應援歌練習。そして、その際の、正座して説教(先輩)と返事(後輩)。
ちなみに、通った高校の應援委員よりも、通った大学での活動家(まだかろうじていたw)の方が、演説が下手だったっていうオチもあったりしますが(爆)。
そういう意味、そういえばコンナのに似たの経験していたなぁと感じてしまう映画でもあったのでした。マルっ。