少年兵に志願し14歳で終戦を迎えた筆者による、日本の軍国主義についてのエッセイ。学び、気づきの多い一冊である。
根底に流れる主張はまえがきで以下のように示される。
「われわれは実に従順であり、我慢強く、さらには大いに付和雷同的でした。あの侵略的な軍に大いに喝采していたのです。軍と半ば一体化し、だから軍がまいったときには国民もまいったのです。残念ながら軍国主義は一部の軍国主義者たちだけのものではなく、草の根の広がりと深さを持っていました」(p8)
歴史書には戦争の推進力として、軍部の独走、政治の無力化、マスコミの賛同らが主に記述される。が、筆者はそれとは視点を変え、国民による戦争の受容に目を向ける。
「いかにも無茶苦茶な一部の軍人たちをなぜ政治の中枢にいる人々が制御できなかったかといえば、それは彼らがけっこう国民大衆に人気があったからと言わざるを得ない。彼らは特異な少数者ではなくて<草の根の軍国主義>に支えらえた多数派であった。」(pp143‐144)
個人的な体験に根差したものであるが故に高い説得力がある一方で、叙述は(論文や学者の通史ではないのであたりまえだが)主観的で感覚的でもあるところもあるので、読み易くはあるが慎重に読んだ方が良い。例えば、以下のような記述がある。
「この道(注:日中戦争から太平洋戦争への道)が自滅の位置であることを彼ら(指導者たち)が知らなかったわけではないでしょう。負けると分かって選んだのではないが、少なくとも勝つ自信は指導者層の誰にもなかったと思います。にも拘わらずこの道を彼らが選んだのは、中国に敗北するよりはそのほうがマシだという心理が支配していたからだと思います。明治以来、ひたする挑戦と中国を軽蔑することによって欧米先進国に対する劣等感を解消してきた日本人は、軽蔑し続けてきた相手に敗北したことを率直に認めることができず、畏敬できる相手であったアメリカ、イギリスに向かって玉砕する方がまだ格好がつくという心情に支配されたのだと思います。」(p212)
果たして、負けた際の玉砕の格好まで考えた「心理」が日中戦争から太平洋戦争への引き金になったのか、この証明は難しい。そして、それだけで語れるものでもないだろう。だが、今の世の中も然り、世の事象というのは何でも裏付けがとれるものだけで理解できるわけでないし、人は「論理」ではなく「空気」によって動くのも事実だ。今、すぐここに、80年前と相似形の出来事がいくつでも見つかるのが怖い。
個人的に特に興味を引いたのは、筆者の専門である映画批評を通じた歴史の振り返りである。戦後、筆者が戦時中に作られた中国の「抗日映画」を何本も見て、それがあまりにも先入観とは違うことに驚き、戦時中は、観たこともない「抗日映画」についての報道を見て「中国はけしからん」と息巻いていたことに気づかされる。そして、積極的に軍に迎合していた新聞の役割にも思いが及ぶ。
また、スペクタクルとしての映画がもっぱら太平洋戦争を売り物にして日中戦争を省略しがちなのは、中国侵略には日本側に主張できる正義がなにもないからという分析も腹落ちする。太平洋戦争には、アジアを支配していた西洋列強に一撃を加える痛快さや、アメリカとの戦争は飛行機や軍艦を主として派手で華麗な場面をたくさん見せ場にすることができるから映画にしやすいという解説もなるほどと思わせる。
人によって思い当たるところは違うだろう。何よりも現代のわれわれ日本人は90年前とは違った「戦争」に向かって、草の根の××主義に囚われていないかを考えたい。
【目次】
1 私はどうして軍国少年になったか?
2 軍国主義とはどういう主義か?
3 忠ならんとすれば孝ならず
4 爆弾三勇士の神話
5 捕虜になったらどうしよう?
6 アメリカ人にわれわれはどう見えたか?
7 “東条さん”の演説を聞いた
8 気分は「忠臣蔵」
9 大東亜共栄圏のまぼろし