南無煩悩大菩薩

今日是好日也

起因と結因。

2009-07-25 | つれづれの風景。

しろつめ草に、たまたま蝶が止まっている。

蝶が止まったところは、たまたましろつめ草であった。

どちらも主客をどう見取るかは、本人の自由で誤ってはいない。


私が愛したのはたまたまこの人である。

と、この人が愛したのはたまたま私である。

の主客の転倒は、おいおいなる不和を起こす可能性があるものの、あながち間違いとも言い切れない。


しかし。

たまたまのことに、理由を見つけようとすれば、それは、狭い思い込みの罠にはまる。

しろつめぐさには蝶が止まるものだ。

蝶はしろつめぐさに止まるものだ。

私はこの人しか愛せない。

この人は私だけを愛す。

上手くいったのは、私の行いのよさだ。

まずいことになったのは、相手が悪いからだ。

と、人は自己防衛のために、重荷を背負うようなバイヤスを自らにかけやすい生き物だ。


そもそも、蝶はなんにでも止まる。

そもそも、人は常に愛を切望する。

必然をたまたまと捉え、たまたまを必然と捉えるトラップと私たちは常に対峙している。

たまたまとたまたまではないことの主客を捕らえるのは、かなりの度量を要すのだ。

度量がなければ、「たまたま」は少しの不安で、すぐに縮こまるものである。

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