大体の人生においてのエネルギー量のギブアンドテイクは
プラスマイナス ゼロ であると思っている。
貧富や喜怒や哀楽や愛情の授受。
高揚や落ち込みといった心情的なものと
得られたり失ったりする物量的なことも含めて。
エネルギー量とは 熱量のこと。
こころ にも熱量が存在するとすれば。
ヒエラルキー的に移動する物理の原理そのままに
人の一生の中でも何らかの熱量と呼べるものが移動を繰り返すのではないだろうか。
体内の循環移動しかり。地球内の元素的移動しかり。人間関係上の精神移動しかり。
その姿を変えながらも 転換しうる熱量は同等のレベルを持って移動する。
300グラムの肉を食うと300グラムの運子になるわけではない。
物体とエネルギーに分解されはするが その総量は300グラムとなるはずだ。
拾い集める事は不可能だろうけれども。
通常我々は 失われたものは失われたままだ。
と認識してしまい易いが そうではないと思う。
どこかに形を変えて存在しているものの 現実的認識として測れなくなっただけのこと。
と考えれば喪失感は薄れる。
熱は与えられたほうは熱くなるが与えたほうは冷たくなる。
絶えず与えながらも熱い為には違ったエネルギーを燃焼させなくてはならない。
どこかから持ってこなくてはならない。
生存する為にはエネルギーは不可欠なのであるから。
三角形の法則というものがある。
底辺×高さ÷2で全ての三角形の面積をはじき出せる。
物事のインパクト や 人間の生き様なんかも同じようなもの。
総面積に違いがないのであれば
底辺を広く取ると高さが反比例に低くなる。
底辺を狭くすると高さは反比例で高くなる。
底辺を時間軸。高さをインパクト。と捉えると分かり易い。
おしなべて 人の一生とはそのようなものである とも言えなくはないのではないか。
と思っている。
要するに形を変えてはいるが 総量に変化はない。ということ。
そうとらえることで 希望と言うものが又違った風に感じられるのではないだろうか。
思うのは個人の勝手なので 勝手にそう思っている。
おしなべて わたしは楽観主義がすぎるのかもしれない。
ただひとつ。
間違いなく 人間はいつか死ぬ。
「ご遠慮なく・・ウエルカムで・・」のご親切な
お言葉に、本日のお話も、とても感動しましたので
ふらふらと、やっぱりお邪魔してしまいました。
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エネルギー、燃焼につきまして、
先生のように、科学、生物、言葉、行き着くところ
は、哲学、宗教など、あらゆる分野にお詳しい
先生のお話に、胸と言いますか腹の底にストンと
納得できることばかりでございます。
先生は、人生を心の内面も含め、
プラスマイナス ゼロだと言って下さいました。
三角形の定理で判り易く説明してくださり、
長い間わたくしが、悩んでおりました疑問が
解け、何だか気持ちが軽くなりました。
希望も、生きる張り合いも湧いてきました。
ありがとうございました。
明日は、わたくしにきっと楽しい日が・・・
省エネで多内燃の ハイブリットカーのようであれば かなり面白くなりそうです。私は未だに燃費が悪うございます。
ありがとうございます。