南無煩悩大菩薩

今日是好日也

遠慮する。

2011-03-24 | つれづれの風景。

夜話に云わく、今、世出世間(せしゅつせけん)の人、
多分は善事をなしてはかまえて人に知られんと思ひ、
悪事を作(な)しては人に知られじと思ふ。
依(よつ)て内外不相応のこと出来(いできた)る。
あいかまえて内外相応し、錯(あや)まりを悔ひ、
実徳をかくして外相(げそう)をかざらず、好事をば他人に譲り悪事をば己にむかふる志気(しいき)あるべきなり。
-(正法眼蔵随聞記より「道元語録」)-


とかく世に出てくる人というのは、
あれをしたこれをしたこうするああすると、よいことをならべてはいい気にナっておるが、わるいとおもうことをしたりするときには慎重に人にわからないよう気を配る。
だから心のもやもやが晴れないのさ。
気を配るなら配るで、配れないなら配れないで、どっちもわからんようにしたらどないや。
どっちかというと悪いのは自分で被り、良いとおもわれるものは他人に譲るほうがずっと、心穏やかに過ごせるのじゃないかい。
-(無山人勝手訳)-


遠慮(えんりょ)とは、遠くを慮(おもんぱか)ると書きます。
遠慮という志気(しいき)をなくさないよう努めたいものでございます。
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