当たり前のことを当たり前に書いてるのだけれど。
体調を体の調子と分解するのもいいんだけど、体を調べる、といってもいいな。
今朝の走りは重かった。
にしても、自分の意思で足を踏み出し、ということを通じて、体を見る。
あるいは、慮る。
または、ご機嫌を伺う、とかね。
いろいろと言い方はあるもんだ。
われが我がペット、とつながるわけだ。
しかし、そんな平和な話も、フランスなんかでは通用しそうもないな。
すごいものだね、執念というのか。
ウクライナへ送られた武器が使われている、なんてニュースがあったな。
今まで世界をかたち作ってきたもの、その構造みたいなものが、だんだん、表へ炙り出され。
だな。
ポップコーンを食べながら眺めていてね、なんて言説、何年まえか、トランプが言っていた。
まんま、だ。
そんな映画を見て、その昔、ヤクザ映画が流行っていた頃は、見終わった観客の一部が。
ベタに、ヤクザみたいな歩き方に変わった、なんて笑い話があったけれど。
そこんとこ、注意召されよ、って、がっこの先生ならいいそうだ。
にしても、すごい時代に生まれついたものだ。
こんなことを体験、体感、傍観、できているんだから。
あいつやあいつ、もう少し長生きしてたら眺められたのに、なんて感じ。
とはいえ、彼らもあちら側で、やってるやってる、と言ってるかもな。
明日は、ほぼ半世紀ぶりに学生時代の友人たちと会う。
楽しみだな。
どんな会話になるのか、だ。
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