もちろん、僕にかけられた声ではないんだけど。
昨日の昼下がり。
暖房の効いていない僕の部屋で、上着もとってのひととき。
そう、日当たりが良くて、2月の、なんて思えない陽気の中のできごと。
窓の外に向いての相方だったんだけど、振り返るとそこにはメジロがみかんを啄んでいる。
難しい社会情勢やら何やらを語り始めようとした矢先の、ナイスなタイミングでの光景だったのです。
しばらくすると、その席はヒヨドリに変わり、だった。
五感に素直に生きてある、ってのはいい感じだよな。
どちらかというと、女性が得意な分野なのかもしれないけれど、男同士の会話に混じり込んだ、メジロ。
をきっかけとした流れ、というわけだ。
おかげで、激変への予感、とでもいうのか、そんなことには話は転換せず、だった。
ことほどさように、起こっているできごとというのは、存在するようで存在せず、存在しないようで存在する。
なんて具合の、まるで、量子物理学だっけ、観察する人がいてそこに存在する、というのが、物質。
くらいの話と似てるな。
なので、落語で言えば、与太郎みたいな暮らし方がいいのかもね。
今朝は、久しぶりに、180spmの女史が走り去っていった。
今までより少しペースが速まったかな、という印象の走りだった。
昨日だったか、Facebookのわがタイムラインに、ご丁寧、親切にも、9年前のあなたの投稿、ってのがやってきて。
枝垂れ梅、満開の中の、母とおばが映り込んでいた。
掛川の龍尾神社だ。
いまだに元気でいる二人に驚嘆、感嘆、安心みたいな感情とともに眺めていた。
その時にも、立春がなんとか、と書いてあったのだけど、今年の梅はどうなんだろうか。
少し寒いのかな、なんて会話も叔母たちとは、ここしばらくはしてないんだよね。
さて今日も、わがレストランにメジロくんがやってくるのかどうなのか、来るだろうな。
なんて思いつつ、次なるルーティンへ向かうとするか。
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