まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

今朝は瞑想を一時間以上やってしまった

2016年12月24日 | Weblog

これって、単に、寝てただけでしょ。

なんて、ツッコミ入りそうだけど。

iPhoneからの終了の音が、聞こえなかった。

そのくらい、深く入ってしまった、とも言えて、物は言いようです。

おかげさまで、昨夜聞こしめしたお酒は、すっかり抜けて、爽快なイブの朝。

全世界で、多くの人が、さまざまなイブを過ごすんだろうな。

イエスキリストの誕生を、わがことのように感じながら過ごす一日になりそうだ、僕の場合。

なぜか、ふと、そんな気分になった。

自分の中のイエス、というか、イエスである自分、というか。

お釈迦様でもそうだけど。

昨日もアップしたんだけど、大伽藍とか、大道徳、大経文などなどで、伝えようとして、なかなか、伝えきれない。

あるいは、こちらが受け止めきれない、それだけの境地に至らない、それ、についてね。

静かに味わってみたい、という今日のイブだな。

そうそう、昨日、学校のテストで0点を取ったら賞賛される、そんなじゃなきゃ、どうにもならない。

というような話を投げかけ、妻に大受けだった。

そのことを、実は、本日のテーマにしてみむ、と思っていたんだった、のだけれど、思い出せなくて。

の表題、だったのです。

それは、スマップの解散についてのワイドショー見ていて、東京新聞の伝言板が、スマップファンに占領された。

というようなネタで、どれだけ、スマップからたくさんのものをいただいたか、苦しい時に心の糧になった。

という切々たる思いが吐露されたもので。

老子のなんとか、とか、孔子のあれこれが、とかのフレーズだと、なにか、高級文学っぽいけれど、ジャニーズの、芸能の、スマップじゃね。

という、独特な、高踏趣味のような、それ、フラットに見直そうよ、くらいの。

話で。

と書きつつ、それはそれでありつつ、しかし、例えば、太宰の言葉に、とか、村上春樹のなんとかの小説に。

救われた、ってのも、当然あるんで、こんな比較自体、無理があるのかね。

そう言えば、僕も、聖書のね、たぶん、マタイ伝かな。

その中の言葉に救われたことがあるんだ、若かりし頃。

それは、今日一日の悩みを悩め、というようなものだったな。

苦しみ、悩みが、もうね、未来永劫続くような気分でいた時、そうか、悩みは今日一日分だけで、いいんだ、と。

もっとも、今では、そんなのは、この瞬間だけでいいよ、と言えちゃうけどね。

それはともかく、そんな時もあった、って、誰かの歌みたいだけど。

何れにしても、高踏、高等、高級、低級、低脳、なんでもいいけど、人それぞれに、それぞれの生きる道でいいんだ。

生きていることに意味も、意義も、あるんだ、そう、イマル、生きてるだけで丸儲け。

by 明石家さんま、っていうようなことを、イエスの存在が示している、とも解釈でき。

そんなイブの朝、というわけです。

 

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