たぶん、今朝の表題は正確ではないのだろうけど、夕べ。
プチ漢方の講習会に早変わりしたお宝発見の委員会。
むつごろうさんの語り口がまた、現在横溢している世情とは別次元で。
とてもよかったのでしたが、そこでの一コマ。
入れる医学と出す医術、なんて括ったら乱暴すぎて医学を志してきた方々の顰蹙ものかも、だけど。
表題のことなんだけど、もともと涙腺が弱い、とか、涙脆いとか、そんなわが身を肝臓の観点から眺めると。
ってわけだ。
モノごとにはそれぞれ、訳があるんだよね、知らないうちの。
僕の友人知人関係で、若い頃からお酒の呑みで、肝臓をやられた、なんての、何人かいたんだよね。
もちろん、とうの昔に、こちら側の住人ではないのだけれど。
そんなことが思い出される、涙は肝臓からの、ある意味贈り物とも言えるな。
お宝といえば、またぞろのレナード・コーエンだ。
forget your perfect offering、って歌詞。
なんだけど、今、chatgptに聞いてみたら、forgetは、忘れろ、なんだね。
忘れちゃいけない、ということではないので、修正だな。
その前に。
まだ、ベルを鳴らすことができるよ、とあり、あなたが完璧だと思っているものなんて忘れな。
とつづき、だって、すべてのものにはヒビがあり、そのヒビ割れの向こうから光がやってくるんだから。
なんだろうな。
拙訳では心許ないので、原詩、書いておくか。
ring the bells that still ring
forget your perfect offering
there is a crack, a crack in everrything
that's how the light gets in
なんだけどね。
今朝は英語のお勉強になっちゃったな。
あなたが完璧だと思っているもの、それ、忘れちゃうことだよ、ということなんで。
思い込みだったり、幼少期から刷り込まれた、信念みたいなもの、それのことだな、きっと。
そこのひび割れ、そこから光がさすんだ、なんていいじゃないですか。
まるで、八ヶ岳、下野さんのエネルギーワークみたいだ。
今朝も、ハトホルのエネルギーが僕のハートに差し込み、瞑想のお時間とあいなった次第。
さて、外では元気に鳩が飛び回っている日に出かけるとするか。
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