志ん生に、「あくび指南」という落語があって。
長屋の暇人が、あくびの仕方を指南してもらいに、稽古に行くわけだ。
その頃の、江戸の長屋では、暇人が多かったと見えて。
たいくつで、たいくつで、たいくつで、あぁあ、とあくびをするのを習うんだね。
ところが、今では小学生まで、塾やら何やらで、忙しいようだね。
大人は、仕事と家事、育児に追われ、いそがしく、日々すごしているしね。
スケジュール帳が、真っ黒になるのが、ま、ひとつのステータスみたいだし。
以前、PTAの役員やってたころ、お母さんたちが、やおら、カレンダー付きのノートをとりだしね。
その日は、空いてます、空いてません、みたいな会話をしたのをおぼえているんだけど。
いかにも、颯爽と、キャリアウーマンみたいで。
もっとも、男たちも、なにやら、黒々した手帳、というイメージでもあったな。
仕事をたのむなら、忙しい人に頼みなさに、なんて、標語もあったりね。
いつの頃から、忙しいが、商売繁盛だったり、人生の充実感だったりに、おきかわったのかね。
落語の、職人の世界では、一日仕事をするのは、粋じゃなく、かっこわるいことになってるからね。
退屈が、発明の母、だったり、いくさの母だったりしたのかも、ですけど。
定年退職を迎えたサラリーマンが、さて、これからどうするか、みたいなイメージが浮かぶんだけど。
経営者だったり、団体の役員だったりした方々が、その役割からおりたときね。
そんなときも、「あくび指南」なんて受けなくても、あくびをしてくらすのかもしれない。
ところで、あくびやらくしゃみやら、ってのは、自分を吹き飛ばすから、それこそ、自我を超越するには、最適なんだろうけどね。
自我の肥大した、この時代だから、ちょうどいいかも。
だれか、あくび讃歌、だとか、退屈のすすめ、だとかの本でも書けば、売れるかもしれないな。
昨日、toshさんとの会話で、「枕草子」ね、あの中で、登場人物は、みんな退屈してたみたいね。
なんて聴き、それもありだろうな、と。
退屈が人生の本道です、ってわけで。
長屋の暇人が、あくびの仕方を指南してもらいに、稽古に行くわけだ。
その頃の、江戸の長屋では、暇人が多かったと見えて。
たいくつで、たいくつで、たいくつで、あぁあ、とあくびをするのを習うんだね。
ところが、今では小学生まで、塾やら何やらで、忙しいようだね。
大人は、仕事と家事、育児に追われ、いそがしく、日々すごしているしね。
スケジュール帳が、真っ黒になるのが、ま、ひとつのステータスみたいだし。
以前、PTAの役員やってたころ、お母さんたちが、やおら、カレンダー付きのノートをとりだしね。
その日は、空いてます、空いてません、みたいな会話をしたのをおぼえているんだけど。
いかにも、颯爽と、キャリアウーマンみたいで。
もっとも、男たちも、なにやら、黒々した手帳、というイメージでもあったな。
仕事をたのむなら、忙しい人に頼みなさに、なんて、標語もあったりね。
いつの頃から、忙しいが、商売繁盛だったり、人生の充実感だったりに、おきかわったのかね。
落語の、職人の世界では、一日仕事をするのは、粋じゃなく、かっこわるいことになってるからね。
退屈が、発明の母、だったり、いくさの母だったりしたのかも、ですけど。
定年退職を迎えたサラリーマンが、さて、これからどうするか、みたいなイメージが浮かぶんだけど。
経営者だったり、団体の役員だったりした方々が、その役割からおりたときね。
そんなときも、「あくび指南」なんて受けなくても、あくびをしてくらすのかもしれない。
ところで、あくびやらくしゃみやら、ってのは、自分を吹き飛ばすから、それこそ、自我を超越するには、最適なんだろうけどね。
自我の肥大した、この時代だから、ちょうどいいかも。
だれか、あくび讃歌、だとか、退屈のすすめ、だとかの本でも書けば、売れるかもしれないな。
昨日、toshさんとの会話で、「枕草子」ね、あの中で、登場人物は、みんな退屈してたみたいね。
なんて聴き、それもありだろうな、と。
退屈が人生の本道です、ってわけで。
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