祖父が
「よだが来た!」
と叫んだ。
というくだりがあるんだね。
「三陸海岸大津波」という吉村昭の本。
ちなみに、「よだ」といのは、土地の言葉で、津波のことらしい。
地震の前は、
「大漁も大漁。あんな大漁、生涯に二度とない」
というくらい、魚がとれた、という。
マグロやいわしが、さばききれないくらいとれて。
村はお祭り気分だったそうだ。
今、巷では、想定外、という言葉がはやっているんだけど。
吉村さんの著作によると。
この三陸地区は、大きな地震・津波が来ているんですね。
天正13年(1585年)という年には、東海・近畿まで、とありますね。
史上始まって以来、だと思っていたけど。
そうでもなくて、度々、この国は、地震・津波にみまわれていたようです。
先人たちは、その中から、何度も何度も、立ち上がってきたのですね。
ちなみに、吉村昭さんが、土地の人から聞いた中で。
「よだ」という意味は二通りあったそうで。
地震がなくて津波だけが来る、それを「よだ」と呼んだ。
いやいや、地震と一緒に来るのが、「よだ」だ。
というね。
で、その昔、例えば、チリなどで大地震があったときには、ご当地は揺れは感じていなくて。
あれよあれよ、と言う間に、巨大津波が到来。
なんてこともあったんだろうからね。
今のように、地震速報なんてなかったし。
ある人々にとっては、いきなり、海が壁のように迫り来る。
と言う恐怖を、「よだ」と言い習わしてきた、と。
それでなくても、岩手などは、度々、冷害の飢饉におそわれてもいたわけで。
そんな観点から、宮沢賢治の詩を読みなおしてみたら。
もう少し、深くまで、いけるかも。
ところで、これを見ると。
1958年、アラスカのリツヤ湾では、500mの「よだ」ですね。
明治8年(1875年)の石垣島は、島民の半数が亡くなってますし。
今と違って、救援隊制もままならないでしょうから。
こうした自然のすさまじい猛威の前では、謙虚になるしかないな。
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