当たり前だけど。
少し日が経ってしまった、焼津はさかなセンターで買い求めたアジの干物を。
やおら、炭をおこし、という段取りで、わが夕餉に供じ候、ってわけだ。
そうだ、昨日の昼餉は、ドローンおじさんで今をときめく御仁と、って持ち上げすぎかも。
だけど、カタカナの多く混じる会話をしながらの時間だった。
きわめつけは、シビック・プライド、ってので。
直訳すれば、市民の誇り、なんだろうね。
どうやら、地域の活性化を論じる面々、官主導の、は、こんなカタカナを自由自在に操り。
議論を交わしているらしい。
たしかに、専門用語、学術用語、哲学用語、ってのは、それ一言で、何事かが詰まっているので。
他の言葉に置き換えるのは、長々と、だらだらと、スピード感が失われ。
みたいな気分にもなるんだろうか。
先人の偉大さを、改めて味あわせていただく瞬間でもあったけどね。
あの、明治維新の後、舶来の用語を、和語に置き換える営為をしてくださったおかげで、少なくとも。
文化の外見は、植民化せずに済んだ、というのね。
市民とか、自由、とか、解放、とか、いろいろとあるんだろうな。
ついこの間までは、その言語を本家本元の中国に、逆輸入もし、なんてことね。
ということはともかく、いや、それに続くか。
コンピュータが、身近なものになるにつれ、それを操る人士方の用語が。
すっかり舶来化しちゃってね。
専門家に言わせれば、やむを得ないんです、日本語の概念にないんだから、ってことらしいけど。
福沢諭吉が生きていたらなんて言うかね。
知の怠惰、とか、あるいは、小林秀雄なんかだったら、どうなのか。
そうそう、昨日は、昼餉の前、久々に、浅間神社にお参りして、とてもいい気分だった。
夜の家族に乾杯で、鶴瓶と高橋一生が出ていたな。
拝殿に向かい、手を合わせる。
その時にやってくる、と言うのか、空気ね、あれが、とても良かったんだよね。
気を良くして、麓山神社まで登っちゃって、あの石段を、一段飛ばしで。
帰りがけ、目についたのが、寄進された石灯籠に、葉山さん、と言う名前が彫られていて。
麓山(はやま)→葉山つながりで、何やら、いわく因縁があるのかも、なんてね。
意識するしないに関わらず、ご自分のルーツと、そんな具合に結びつき、なにごとかの気分を味わう。
なんてこと、そこかしこにあるのかも、だな。
わが母親の、このところの口癖のような、波止場のおばさん、と言うフレーズとかも。
その類かな。
見える見えないに関わらず、つながる、と言うこと。
わが「歴史の旅」も、そんな衝迫がどこかにあるのかも。
芭蕉の、いつのもの惹句、道祖神の招きにあひて取るものも手につかず、って心境ね。
言葉にすれば、こうなるけど、言葉にせずとも、心のどこかから、そんなものが香り立ち。
という式で。
ところで、今、表題を見直していると、リズムからしたら、秋刀魚は目黒にかぎる、でしょ。
って気分だった。
落語。
そうだ、昨夜、わが愛しの、川柳川柳さんが、お亡くなりになっていたのか、と言う夢をみた。
なっていたのか、と言うのも、夢に出てきた、落語会のポスターに、故川柳川柳、みたいな書き方があったんだよね。
これ見たら、お弟子さんやら、ご本人もお怒りになるかも、だけど、いずれ、洒落のめして笑いに変えちゃうんだろうな。
ひどい話ですよ、このあたしがですよ、故、とかつけられちゃって、まだ、86ですよ、今でもいけますよ。
一升五合くらいは。
そこへ、快楽亭ブラックがやってきて、「芝浜(川柳の)」が始まる、って算段。
最後に、やっぱり、やめとこ、また夢だといけないから、と盃をおく、ってのね。
たった一つの夢から、妄想は枯野をかけめぐるね。
実は、このところ、OSHOの「creativity 」創造力、っての、凝りかかっていて。
これ、とても、面白いはずなんで、って、まだ、二ページと読んでないけど、ちょっと、わかりやすく。
解説しますよ、って、約束しちゃおう。
末広亭7月の中席にちゃんと出てるだろ?それまで生きてりゃってことだけどな(笑)
http://rakugo-kyokai.jp/variety-entertainer/member_detail.php?uid=21
ガーコンやるから、来ておくれ!
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「シビック・プライド」とは…
http://kaiseibiz.com/_ct/16867828