まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

今週は二回、アップしてなかったな

2016年12月14日 | Weblog

11日と13日。

11日は、下書き、のまま、クリック、13日は、御殿場にての朝を迎え。

さて、少しばかり、書いてみるか、と言うんだけど、Wi-Fi、繋がらなかったんだよね。

御殿場?

ここだけの話だけど、ある会の役員選考の任を拝命していて、まるで、隠密剣士みたいな。

007みたいなものですが。

そんなウタイで、結果、美味しい御殿場のお料理とお酒、もと少年少女合唱隊、と言う相方の歌声と。

少しばかりの綺麗どころ、ってわけで。

御殿場の夜を堪能した。

朝早くに、同行の御仁と速攻引き返し、何事もなかったかのように、特別安全パトロール、って算段で。

午前から午後にかけてをそつなくこなし、って、自分で言うなよ、ってなもんですが。

午後遅くに来社されたご夫婦相手に、そんな話を、と言うか、結局、自分が大好き、って言えるかどうか。

なんだよね、どうみても、みたいな話をしたりしたので、その名残かもね。

なにせ、スピリチュアルの業界にしても、宗教界にしても、その他インタートリップ的な業界にしても。

エゴをなくせ、とか、利他の心、とかの大合唱でしょ。

なので、そこんとこ、勘違いしがちでね。

業界用語はともかくとして、自分が一番、自分を愛する、大好きである、って言う立ち位置を外したら。

すべてが嘘になり、嘘を嘘で塗り固め、と言う所業に及ばざるを得ず、フィット感を失い。

昔の青春映画、例えば、よく出がちな、森田健作の、海に向かって、ばかやろー、みたいなシーンね。

あんなシーンで、大好きだー、自分のことがだい、だい、大好きだー、って叫んじゃえば、一件落着、って次第で。

なんだけど、そこはそれ、おもんぱかりの精神ってやつ、あるいは、赤ちゃん時代の後から、アレヤコレヤの。

無理難題、あるいは、課題、テーマ、みたいなものを人から与えられ、ま、親の口、態度を借り降りてくるものが。

一番多いんだろうけど。

後、ガッコの先生や、世に言う賢者賢人、聖職者みたいな類の方々からの、陰に陽にのメッセージね。

いいんだけど、めんどくさい、と言うか、あなたのことを思って、なんてキャプションをつけての。

メッセージめいたものだから、これが、複雑怪奇にないまぜになり、ココロはコロコロと転がせなくなっちゃう、と。

今、旬の人、ボブディランにならって言えば、like a rolling stone、ってわけだ。

それはともかく、その自己愛、とでも呼べるものと利他のココロ、ってのが、実のところ、表裏の関係でもあり。

と言うこところに行き着くんだけど、ここらあたりが、たぶん、人生の妙、ってやつだな。

順番、って言っちゃうと、ちょっと違うかも、だけど、まず、自分がありき、がないと、お為ごかし。

ってわけだ。

朝の短いブログでは、説明しきれないし、と言うか、そもそも、説明することでもないんだけど。

なわけで、このテーマはこの辺で、実は。

昨夜は、ある御仁の、我が経営を語る、ってイベントがあってね。

by 同友会、ってことだけど。

これが、面白くて、共感しまくり、その後の、グループ討論も、結構、深いところまで下りて行って。

何を隠そう、わたくしめがグループ長だったからね、とここでも、自己愛満載コメント、と。

くだんの彼、デザイナーというのか、たしかに、商品だけでなく、組織そのもの、事業そのもの、をデザインする。

とも言えて、有名な話は、四国は今治の、郷土愛を気づかせてくれた、今では、世界進出、っていうタオルの復活、あれなんかにも。

コミットした、という御仁なんだけどね。

は、ともかく、共感島倉千代子、ってのは、僕も、そんなこと、ずっと感じていて。

つまり、商売でもいいし、人生そのもの、でもいいんだけど、結局、どうデザインするか、にたどり着く。

喜びでデザインしたもの、不安から脱出するためにデザインしたもの、などなど。

色々あるんだろうけど、ここでもまた、実のところ、上記の、自分大好き、にもたどり着くんだけど。

というわけで、今日は、当日のメモ、Facebookへアップしちゃおうかな、たまには。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母親に風車キットを買い求め

2016年12月14日 | Weblog

《これ、アップできてなかったみたいで。

僕の中では、再アップ。

それに、昨日は、御殿場泊にて、アップできず、Wi-Fi、使えなかったから。》

 

Facebookに、何回か、アップされていた、ツインメッセでの。

静岡ホビー何とか、というイベントに、行ってきた。

表題のごとく、風車キットを、紙屋の女史のところで、見つけ。

母親の無聊を慰め、ってわけだ。

お腹が空いていたので、ウロウロと、食を探したんだけど、道草を食ってしまった。

って感じで、いつもの、ひとり鶴瓶、みたいにね。

で、道端で拾ったのが、ヘリテージデコ、って言葉、というのか、芸術、いや、アート。

 

こんなの、ですが。

磁石に、ペーパーナプキンの絵柄を貼り付ける、ってやつ。

手芸、とか、手作り、なんてのは、ノータイムでスルーするタイプなんだけど、なぜか、道草を食っちゃったわけだ。

やってみれば、面白い。

阿波踊りと同じで、踊らにゃ損損、ってね。

それにしても、ああいったブースを眺めていると、それぞれがそれぞれの思いで、まさに、蓄積された。

大げさに言えば、人生そのものを表現なさっている姿ね、思わず、全部、買い占めたくなっちゃう。

というのは、まるで、紅葉狩りみたいなもので。

ずっと前、三バカ大将プラスワン、だったか、で連れてっていただいた湖東三山の紅葉。

あの時の感覚、思い出したよ。

全山紅葉の、その光景を狩ってしまいたいという衝動ね。

紅葉狩りとは言ったもので、それほどに凄まじい、言ってみれば、欲望、に襲われる瞬間。

もちろん、昨日のイベントは、それとは違う衝動ではあるけれど。

凄まじかろうが穏やかだろうが、変わらぬ、ココロの中に秘められた、あるエネルギー。

この三ヶ月、お休み中なんだけど、おじおば会、年明けには復活できるかも。

というね、そのイベントでは、田舎のおばちゃんたちが、自作の、佃煮やら金山寺味噌やら売っている場面に。

よく出喰わすんだけど、その時にも、そんな衝動にかられる。

紅葉狩り、のような。

おばちゃんたちの思いを全部、狩りあげたい、というね。

なので、そういう時には、豪気に気張って、買っちゃうんだけど、買いすぎ、という嫌いもなくはない。

買う、という行為が、何千年くらい前からなのか、つまり、貨幣を介在させた行為、商行為、とでもいうか。

モノが溢れた、という言い方をされる時代には、売る側が過剰なので、モノを受け取る、という行為が。

どうも粗雑ではあるね。

粗雑、というのか、高慢、傲慢、というのかね、買う人が神様、なんてのが、三波春夫の罪、とも言えないかも、だけど。

カーテン屋さんの社員さんとは、そもそも、自分ではできないことをお願いして買い求め、ということなんで。

それをいただいてありがとうございます、ってのが、買う側の正しい態度だよ、とここだけの話。

とエクスキューズを入れて、話したりもしているんだけどね。

ということは、カーテン屋さんにしても、仕入れがあるわけで、ゆめゆめ、納入業者は、ほれ、裏門から入りなさい。

的な、傲慢な、階級意識丸出しの態度は、アウト、でもあるんだよね。

そこんとこ、テストに出るんだけど、なかなか、及第点をもらえる御仁は少ない。

とも言えるね、すべからく。

なんて書き方は、業突く張りのご隠居みたいになっちゃうけどさ。

いきなり場面転換するようだけど、今はなき妻の父親が、脳梗塞で倒れ、病小康をえて帰宅後、夜中に時折。

大声を出し、それをなだめる家族も大声になり、という音声が、隣近所に伝わり、介護文化の希薄な時代。

ご近所の親戚衆は、まるで、介護している息子夫婦が、年寄りをいじめているような、そんな解釈をし。

アレヤコレヤの、ほら、よく井戸端会議で出がちな、そんな風情を醸し出した会話が飛び交ったようで。

それをわが妻は、いたく気にもしていて、というのが、かれこれ、10年も前の話になるのか。

それが、いざ、わが母親やおじやらのそう言った類の話が、リアルに入ってくる環境に身をおくとね。

介護文化の蓄積、いや、慣れ、そいういうものなんだ、という認識が共有されつつあり、と。

昨日も、隣のいとこが、おじのところへ、テレビを持っていくんだ、と言うんだね。

大声を出し、廊下へ出されちゃうんで、テレビで、せめて無聊を慰め、と言う感じで。

そりゃね、我が身の来し方行く末を、左脳がうまくコントロール利かないまま、大声にもなるよね。

なにせ、ココロはコロコロと行方知らず、アンコントロール、ってのが、デフォな姿なんだから。

なんだけど、くだんのいとこは、すまないオーラ満載で、出かけて行った。

なんてことと妻のトラウマのようなエピソードと重なり。

と言うわけで、本日は、風車を母親に持っていくのであります。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする