風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

「ひかりまつり」に異形のホイトたちが登場!

2007-08-30 22:31:30 | アングラな場所/アングラなひと
Flyer_hikari 明日(31日)明後日(1日)と神奈川県藤野町旧牧郷小学校を会場として行われる「第4回ひかりまつり」に藤野在住の音楽家KYOUさんが、おもな仕掛け人となった「Liberty-comm」なる異形のホイト(乞食)たちが登場する。3人の異色の舞踏家(黒田オサム、福士正一、成瀬信彦)、囃し手のガンジー、KYOU、池田ヒロそして口上としてフーゲツのJUNである。

 このホイト集団、会場での公演にとどまらず、藤野町のあちこち、私邸で門付(かどづけ)をしてまわるつもりらしい。2日間神出鬼没と思われるが、1日には「カフェレストランSHU」、「スーパーまつば」前などに登場し、さらに個人宅を数軒まわる計画らしい。
 舞踏家のそれぞれも個性的で面白い存在なのだが、この藤野町で繰り広げられる現代の門付が、どのような顛末になるのかしかと見届けようと思う。

 報告は後日を待て。
 ひかりまつり公式サイト→http://www.hikarimatsuri.org/





ビザールな月食の夜

2007-08-29 23:37:17 | コラムなこむら返し
Pre_fullmoon 関東地方いや、本州は雲に覆われたところが多く、あいにく皆既月食を観察することはできなかった。雷鳴や雨にたたられたところもあるようだ。
 前日、つまり27日、望の月を眺めながら、こういう月が明日は眺められるかなぁと思っていたものだ。とはいえ、空が雲に覆われるとそれまでの暑さが信じられないくらい涼しい。
 ビザール(怪奇)な皆既月食は、望めなかったがその前日の月をアップして、溜飲を下げることにしよう。
 少し、傘のかかったビザールな月ではあったのだから……。
 (名前もpre_fullmoonという名前で保存した(笑))



表現すること。その他のこと。

2007-08-27 23:59:34 | コラムなこむら返し
25_1 ボクは思うのだが、ポエトリー・パフォーマンスに専念するとブログに掲載する散文を書くエネルギーが殺がれてしまうようだ。では、お前はどっちが好きなんだと問われたとしたらボクはなんの躊躇もせず、パフォーマンスですと答えるだろう。きっと、ミュージシャンのひとたちも音は奏でられたとたん消え失せてしまうにしても、「ライブ演奏」のあの「現在性」に取り憑かれているのではないかという感覚が自分なりに理解できる。

 いわば、それは「魔の時間」だったりもするのだが、時間が「いま-ここ」に収斂するあの至福の時間は忘れがたい。いわば、ドラッグよりも興奮し「我を忘れる」。変性意識のような感覚も目覚める。きっとあの感覚を味わったら、誰しもとりこになるだろう。ただ、その前に人前に立ち、自分の声、所作がコントロールされねばならないだろう。それが、できたら次の瞬間には「我を忘れて」いる。

 書くことは、このブログの記事のように読まれることを前提にして書いているから、どこか反応を気にしている。いや、それが瞬時にくることはない。だから、充実感という面では時間のズレが生じる。書くことも過去の時間であれば、反応にも時間のズレがある。それに比べ、ライブ・パフォーマンスはすぐさま消え失せ、うつろってゆくものにせよ反応は瞬間だ、推移する時間は「いま-ここ」しかない。

 だから、充実したライブ・パフォーマンスであればこそ表現者が、そのレポートを書かなくともよいのかも知れない。むしろ書くべきではないかも知れない。無用な解説を付け足すことになりそうだからである。

 ということで、8月25日(土)『溶鉱炉 vol.10』(主催:恋川春町/所:新井薬師Special Colors)にてガンジーさんのソプラノサックス、北村誠くん(元「非非非の非」)のギターとともにトリをつとめてきました。なかなか充実した時間でした。
 『溶鉱炉』のイベント自体は、音楽あり、ポエトリーあり、ダンスありの長丁場イベントだったのですが、多様な表現の寄せ鍋であるがゆえに、「溶鉱炉」と名付けられたのでしょう。その名に恥じないゴッタ煮イベントでした(笑)。個人的に気に入ったのはあるユニットでした。CDを買いました。観客数およそ30名くらい、出演およびスタッフが20名近くか?
 ボクの表現に関してはいくつかの感想がでてきたところでピックアップさせてもらうかもしれません。
 ハコはこの8月オープンした(相方のギターの北村クンはそのオープニングを演奏で飾ったらしい)ARTENA関連でオープンしたハコで、舞踏、ダンスなどにはとても向いたハコだと思います。

 翌26日(日)やまさん主催(やまさんは前日の「溶鉱炉」に飛び入り枠で登場)の西立川「カンタービレ」閉店ラストライブ。急に思い立って、行く気になったのはゆめやえいこさんが来るという情報と、サトコに久しぶりに会いたかったこと。そして、一度行きたかった「カンタービレ」に行くラストチャンスだと思ったから……。ボクにしては珍しくクルマを飛ばして行った。
 こじんまりとしたホームパーティのようなノリだったが、なんというかアットホームで良かった。こんな可愛い店だったら早く行っておけば良かった。オーナーのゆうこさんもキーボードも弾くシンガー、この日思わず「アメージング・グレース」などが、聞くことができた。きっと北村幸生くんが刺戟したのかもしれない(彼は「アメージング・グレース」で、「ロック魂」を叫ぶのを持ちネタにしているので、この日もゆうこさんに所望して弾いてもらったらしい)。
 そのゆうこさんのキーボードでシンガーとして、マツイサトコが「サマータイム」を歌ったのだが、これには鳥肌がたった。ジャニスでもなく、エラでもないサトコの「サマータイム」。凄く良かった。
 ボクはなんの連絡もしてなかったので、飛び入りで1編ポエトリーをやらせてもらった。好評でした。ありがとう!



クラウド・コレクター/文学編その1

2007-08-25 15:22:20 | コラムなこむら返し
Sunset_aug_23_2   雲  竹内浩三

 空には
 雲がなければならぬ
 日本晴れとは
 誰がつけた名かしらんが
 日本一の大馬鹿者であろう

 雲は
 踊らねばならぬ
 踊るとは
 虹に鯨が
 くびをつることであろう
 空には
 雲がなければならぬ
 雲は歌わねばならぬ
 歌はきこえてはならぬ
 雲は
 雲は
 自由であった


 山口小夜子が死んだ「敗戦記念日」の前日、つまり8月14日にボクは高円寺のライブハウス「ペンギンハウス」で北村誠クンに呼ばれて、「ネオネオギー」というセッション・インプロバンドにまじってポエトリー・リィディングをした。
 この日は、「インプロの日」で、そのようなお盆休みの時期であるにもかかわらず人が集まったことに驚いたが、ボクがこの日詠んだのは先に掲げた竹内浩三にインスパイアされた詩であった。
 ただ、インプロの中のヴォイスの要素が強い役割だったので、ボクのことばがちゃんと届いたかどうかは、なんとも心もとない。

 今晩、「溶鉱炉vol.10」で、ボクはこのポエトリーをちゃんと詠む(2編めの予定)。死者の月である8月中にぜひ完結させたいという思いがある。


八月に死す(2) 我々は主張する!

2007-08-22 23:47:18 | コラムなこむら返し
Sayoko_hana うかうかするうちに書き忘れるところだったが、8月16日マンハッタンでジャズ・ドラマーとして最高峰を極めたドラマーと言ってよいだろうマックス・ローチが死去した。
 ブルーノートレーベルが発表したもので、死因は不明、84歳だった。
 2004年5月に死去したエルヴィン・ジョーンズに次ぐ、ジャズ・ドラマーの損失だ。
 マックス・ローチは終始思想をもったドラマーだった。そのドラミングもそれを裏付けるような力強い演奏だった。ボクらにとっての、マックス・ローチの衝撃は「We insist!」にとどめをさす。「われら(黒人)は主張する!」(「We insist!」)は、まさに黒人たちが公民権運動のただなかにあったその時に発表されたアルバムだ。ボクらはそのアルバムに衝撃を受けた世代である。まさにそのアルバムはマックス・ローチの黒人解放運動だった。ほかに「Drums Unlimited」やクリフォード・ブラウンと組んだコンボアルバムが忘れがたい。

 「敗戦記念日」の前日には、あの日本人形のようなおかっぱ頭でパリコレを制覇、世界を代表するファッションモデル(「ニューズ・ウィーク」1977年度)にも選ばれたことのある山口小夜子さん(以下敬称略)が、肺炎で死去していた。20日のASAHI WEB NEWS、その夜のNHK7時のニュースで流れていた。山口小夜子はパリコレでの凱旋後、1973年以降スーパーモデルとして資生堂の専属となり広報誌『花椿』の顔だった。あの切れ長の眼に、魅惑されたものは数知れないだろう。晩年、俳優やコンテンポラリー・ダンスや衣裳デザインまで手掛けていたが、その実アーティストと呼ばれたかったのではないだろうか?
 東洋の神秘的なイメージがウリだったが、その実、山口小夜子はキュートな女性だったと思う。享年57歳。つまり1950年生まれだった。あの美女もボクらとほぼ同世代だったのだ。

 「死者の月」である8月に多くの人が亡くなった。他に作詞家であり小説家でもあった阿久悠(70)さん、民芸の女優である南風洋子(77)さんなどだ。
 冥福を祈りたい。

 我々(死者)は主張する。「死を想え! メメント・モリ」と。

 (明日はもうひとりの死者竹内浩三にふれて書きたい。)

※写真は資生堂のポスターから。この画像は中国語のブログに掲載されていたものです。


八月に死す(1) メメント・モリ

2007-08-21 23:55:43 | コラムなこむら返し
Denis_nolan_poster 8月はこの国にとっての大量の死者を生み出した先の戦争を、回顧し鎮魂する月である訳だが、どのような天の配分によるものか、ふたつの「原爆投下」、「敗戦の日」のこの月は、古来から仏教起源の「お盆」(正式には「盂蘭盆会」)の月であった。盂蘭盆会は彷徨う餓鬼に布施し、弔い、祈りその責め苦を緩和させようと言う残された生者が、死者を思いやる鎮魂の月であった。別名、精霊会(しょうりょうえ)とも言う。今年は、8月27日がその「旧盆」にあたる(翌日の28日が「満月」で、皆既月蝕が観測されるだろう)。

 そのような意味をもつ8月に、ある意味多くの名が知れた人(有名人)が、バタバタと死んでいったように思えるのは不思議な気がする。ボクも訃報をこのブログに書きながら奇妙な感覚にとらわれていた。いや、それは否定すべきものという意味ではなく、8月が「死者の月」であってみれば、「死」は、陰惨なイメージのみで語られるのではなく、そう、メキシコの「死者の祭り」のような陽気な「死」のイメージの氾濫で祀られてもいいではないかという思いだ。「死の反乱」による祭りでもいいではないか(メヒコはフリーダ・カーロの国、太陽神に人身御供を捧げたアステカの国である)。

 死神はキリスト教的な死へ誘う西洋のイメージだが、中世、そうヨーロッパにペストや伝染病がまん延し、死と隣り合わせにあった時代、その西洋でもその死の絶対性に「死」(そのシンボルとしての死神)そのものを畏れ敬う信仰が、民衆の間に沸き起こった。「死の舞踏」である。このダンス・マカーベルは、いわば終末待望思想でもあったようだが、救いのない民衆、農民が「死」の前の平等性(絶対的な「死」の前にあっては、平民も王族も平等である。ゆえに「死」を思え=メメント・モリ)に最後の救いを求めたようなものだった。

 「死」は、王族のもとにも、教王のもとへも乞食のもとへも等しく訪れる。「死」の前においては、身分制度も金持ちであろうとも一切関係ない。「死」の前においては、すべての人間もロバも平等である。


8・25「溶鉱炉vol.10」学徒出陣、玉砕覚悟!

2007-08-20 11:44:04 | イベント告知/予告/INFO
Blast_10 今週末、25日土曜日開催の『溶鉱炉 vol.10』にガンジーさん(Sax)、北村誠クン(G)とともに出演します。トリだそうです。夏の終わりの土曜日です。ぜひ、その眼で目撃してください!
 学徒出陣、壮行会。雨の神宮外苑。
 総員! 玉砕せよ!(笑)

★2007年8月25日(土)
『溶鉱炉vol.10/ファン感謝祭 』

会場:新井薬師 Special Colors
時間:17:30開場 18:00開演 21:45終演
料金:入場料1500円
詩人:恋川春町、フーゲツのJUN、杉田奈央子、山内緋呂子、ジュテーム北村
音楽:山崎怠雅(エレキギター)、アーヴィントン(壺ドラム+トランペット)、河内兄弟(河内伴理、弾き語り+河内麻美、絵画パフォーマンス)、私の死(なかおちさと、立島夕子)、ガンジー(sax)、北村誠(gui)
舞踏:Nori@爪跡(カポエラダンス)、蒼羽マリ(バーレスクダンス)
飛入り参加者:4名(詩人、弾き語り、舞踏)
会場:西武線「新井薬師」徒歩3分、JR中央線「中野」徒歩13分
中野区新井5-9-1 アーバンハイム津島B1 整体院の地下1階です
公式サイト:http://www.h4.dion.ne.jp/~narcisse/page011.htm

ボクの出番は
21:35 フーゲツのJUN&ガンジー&北村誠 POETRY/MUSIC
(持ち時間はおおよそ20分)
を目安にしてください。



クラウド・ウオッチャー/クラウド・コレクター

2007-08-18 23:59:58 | コラムなこむら返し
Cloud_817_4 17日付けで「8・15の積乱雲」について書いてから、空ばかり眺め暮らしている。正確には、空の雲を眺め暮らしているのである。少年時代にそうであったように、空の雲は彼方や、まだ行ったことのない異国やらの空想にボクを引きずり込んで、いつもボクは時間を忘れるのであった。
 そうしたら折も折り、本屋で面白そうな書物を見つけた。少し値段がはるので、購入せず図書館にリクエストしてから読むことになるだろうが、面白そうなところを立ち読みした。

 『クラウド・コレクター』(クラフト・エヴィング商会)という本の存在は知っている。しかし、それはたしかエッセイやオブジェの設定で書かれたファンタジー(存在しない国への旅行記)だったが、この日見つけた本は本格的な雲の研究書で、それに立ち読みした箇所だけでも読み物として充分楽しめる内容であることが分かった。これまで、雲の研究書というものは気象学の見地から書かれた本が多かったと思う。読み物としては、楽しめる内容のものはほとんどなかった。
 その意味でも、これは「雲好き」にはたまらない書物だと思う。雲に対する古今東西の知見が盛り込まれているようだ。
 ボクがたった今書いた「雲好き」(という言葉があるとして)のこと。毎日、空の雲ばかりを眺め暮らしている人のこと(ちょうど、今のボクだ)を、この書物では「クラウド・ウオッチャー」と呼んでいる。が、ボクは「クラウド・コレクター」の方がいい言葉(詩的で素敵だ)だと思うので、こちらを同じ意味で使わせてもらう。
 ボクが立ち読みした箇所は、言うまでもなく「積乱雲」をテーマとした第2章である。この真夏日の空を見上げては無意識のうちに探しているのが、積乱雲である。
 積乱雲は、発生するとチョモランマよりも高い1万8千メートルほどの高さになることもあり、その雲の内部のエネルギーはなんと広島型原爆の10倍ほどのエネルギーを秘めているのだそうだ。
 積乱雲はかみなり雲で、筆者はそれを「そそりたつ怒れる王」と呼び、その凶悪さは「雲のダース・ベーダー」だと言う。
 エピソードで取り上げられるのは、その積乱雲に飛行機ごと巻き込まれて積乱雲のただ中から、パラシュート脱出したある操縦士の手記だ。その手記は、まさしく宮崎アニメの隠れた傑作『天空の城ラピュタ』の中の、「竜の巣」の出現シーンを思い起こすようなものだ。というより、きっと「竜の巣」は「積乱雲」の設定で、たしかランキン中佐という名だったと思うこの中佐の手記が、この「竜の巣」の設定に反映しているのだろう(宮崎駿はよく知られているように「飛行機」マニアである。ランキン中佐の積乱雲を落下した得難い手記の存在は、当然知っていただろう)。

 クラウド・コレクター必読の書に思えるこの本の名前は、『「雲」の楽しみ方』という実に平凡な書名がついている。著者ギャヴィン・プレイター=ピニー。桃井緑美子訳。河出書房新社2,400円。

 (付記)しかし、メモを取りながら新刊書店で立ち読みするのも疲れますわ(笑)。


「敗戦記念日」の積乱雲(6)

2007-08-17 00:34:44 | コラムなこむら返し
Cloud_7 猛暑日が続きながら今年の夏は、夏休みらしい入道雲(積乱雲)が見られないなぁ、と思っていた。やはり、真夏にはあの白い入道雲が、抜けるような空の青を背景にしてモクモクと沸き立つ光景がふさわしい。野辺には黄色い向日葵が、太陽を追尾し、真夏の物憂い日盛りの午後には縁側で、かき氷を食べたいものだ。その後、うだる暑さを忘れるように風の通る板の間でもゴロリとし、昼寝をむさぼるのだ。かたわらには、ムギワラ帽子があり、虫篭が放置されてある。軒下ではチリチリンと風鈴が涼しげな音をかなで、庭先に干された姉のブラウスの白が真夏の太陽の光を反射して、少年の目には鮮烈に見えた。

 終戦の日、いやそれはアジアの人々にとって解放の日だったから、日本人にとってはいさぎよく「敗戦」を何処までも銘記すべきだと思う。戦争は自ら止めたのではなく、止めさせられたのである。無益な侵略戦争の使い捨てられたコマでしかなかった兵士たちは「慚愧」の思いの中で、残された母を姉を妹をおさない弟、そして妻の、つまりこの国の将来がどのように築かれるのか思い悩み、心配して死んで行ったのではなかったのか(「わだつみの声」などの手記に見られる「危惧」だ)。

 62年目の「敗戦」の日、8月15日「敗戦記念日」にモクモクと入道雲は沸き立ち、そこにはまるで慚愧に耐えないひとの顔の気配さえ感じられた。やがて、その沸き立った入道雲は夕陽の照り返しを受けて血のように赤く染まり、やがて夕闇に溶けて行ったのであった。

 いまだ、数十万の遺骨が南の島のジャングルに、洞窟に放置されたまま迎える62年目の8月15日であった。



総員玉砕せよ!/水木しげると戦争(4)

2007-08-12 02:35:04 | コラムなこむら返し
 日本と言う国は、徹底的に国際的な視野を持ち得なかった。それは現在でもたいして変わらないだろうが、当時において捕虜の扱いに対する国際的な取り決めがあることなど知らされていなかったし、ましてや一般国民、兵卒はまったく無知だった。

 それに、玉砕まで強要されて守ろうとした島の、戦略的な重要さや撤退まで含んだ柔軟な作戦と言う考え方は皆無だった。作戦は部隊長の見栄や、誇りを守るために決行されたりした。
 そして、そのことによって幾十万の兵士の生命が、弄ばれ、南海の南島の藻くずと消え、だれも顧みないジャングルの中で拾われない骨となっていったのだ。それが、どのように美化されようと「英霊」の実体だった。あの先の戦争の中味だった。「無意味の死」を死なされたのだ。

 水木は文章でもその戦争体験を残している。紙芝居のような絵入りの『ラバウル戦記』、『娘に語るお父さんの戦記』などである。それらのエピソードは『総員玉砕せよ!』に生かされている。
 まだ20歳そこそこだった水木二等兵は、永遠の新参兵(なにしろ後員の補充がなかったのだ)としてビンタを毎日のように受け、戦争の日常をふてぶてしく楽しんだらしい。サイバイバル精神に富んでいたのかも知れないが、戦争の中にもある日常に溶け込んで昨日の事は、サラリと忘れていったからである。そうであるがゆえにか、水木は片腕をなくしただけで幸いにも生命ながらえ、原住民の人々に溶け込んで、あらためて「楽園」の生活を送ることができたのだった。

 水木の作品は証言としても第1級だと思う。水木の書いたものは、その呑気なマンガ家としての取り柄も含めて大岡昇平や、武田泰淳や、城山三郎の作品に匹敵すると思う。いや、もっと優れている。ある意味、若いひとにもそのマンガという表現において、現在も読まれるだろうからである。

 ひとは戦争を知らない人間は、半分子どもなのである。成人するためにも、成長するためにもこの国においてかって戦争があったというその中味を、少なくともこのような証言としての作品から学ぶべきではないだろうか?

(4回連載。終わりです。読んでくれてありがとう!)