風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

4/5 E.G.P.P.Nova!/step105 エレファント・マン/ボクもまたフリークスだった!

2010-03-31 00:30:30 | イベント告知/予告/INFO
Elephantman_jhon●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
E.G.P.P.Nova!/Step105
テーマ:「エレファント・マン/ボクもまたフリークスだった!」
2010年4月5日(月)開場19:00/開始20:00
参加費:1,000円(1Drinkつき)
MC:フーゲツのJUN、梓ゆい
(出演予定者)梓ゆい(ポエッツ)、フーゲツのJUN(ポエッツ)、ココナツ(うた)、bambi(スピリチャル・トーク)、よねやまたかこ(うた)ほか……エントリーしてくれたあなた!
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 一番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)→http://naks.biz/suizokukan/
主催:電脳・風月堂→http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/

 
 ボクは最近、入院した。チョー閉塞の時代のせいなのか、腸が閉塞したらしい。で、最初に病院でやられたのが鼻からイレウス管というチューブを小腸まで通すというなんとも大胆な処置。口から嘔吐しながら、ボクはその消化器系の内臓をひとつひとつ確かめてゆくような処置に必死に耐えた。しかし、そのことによって鼻からチューブを垂れ下げた自分の姿は、まるであのエレファント・マンのようだと思ったのだ。19世紀、霧のロンドンに希代の猟奇殺人者である切り裂きジャックが出現した頃、同じロンドンのウェストエンドに奇妙な看板がかかった見世物小屋がつくられた。そこに掲げられたなんとも怪奇な看板??象になりかかったひとりの男の姿が、そこには描かれていた!
 ディヴィッド・リンチが処女作『イレイザーヘッド』に引き続いて放った『エレファント・マン』は実は実話だったのです!
 かってフリークスのもうひとつの用法「奇人・変人」と後ろ指を世間から指されたボクは、先天性のフリークスだったエレファント・マンことジョン(ジョゼフ)・メリックの存在が我がことのように思える。これは、真実の物語だ。まして、見世物小屋という暗黒の世界に惹かれ続けて来たボク自身が、あたかもエレファント・マンそのものの様な容姿に成り果てた時、エレファント・マンとはボクのことだった!
 
 今回のE.G.P.P.Nova!第105回目はフリークスの王にして清らかな魂の持ち主だったジョン・メリックの生涯(皮肉にも「障害」でもある!)に、ポエトリーで橋をかけるという試みです。また、これは異国多国籍料理でもあってMCのふたり(フーゲツのJUN、梓ゆい)はシェフでもあり、パテシェでもあるという立場で、みなさまに組み合わせの創作料理の味わったこともない世界へお連れします!
 どうぞ! お召し上がりください! 今回、それがいかにほろ苦かろうとも!
 未知の世界へようこそ!

  一般オープン・マイクにエントリーなさる方には、このテーマ設定にしたがう必要はありません、御自分の表現.テーマで挑戦してください。
 ?ポエトリー、うた、バンド問わずフリーエントリーが可能です!
 事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP100 BBS)にエントリー表明を書き込んでください!→http://8512.teacup.com/5lines/bbs

E.G.P.P.Nova! MIXI内コミュ→http://mixi.jp/view_community.pl?id=230706

今後の開催予定→2010年5月12日(水)
2010年5月からは毎月第二水曜日に開催。定例開催に決定です。
問い合わせ 03-3362-3777(水族館)もしくはmixiメールでフーゲツのJUNまで。



ある愛のうた/2005ポンポコ銀河祭り

2010-03-24 14:30:14 | アングラな場所/アングラなひと

YouTubeにアップされたボクのポエトリー・リィディングではアクセス数が一番のものです。いまとなっては懐かしい05年に佐渡島の北部でおこなわれた「ポンポコ銀河祭り」のライブ映像です。テーマはザトウクジラの愛のうた。シーシェパードに聴かせたい(笑)。


瘋癲老人入院日誌~~閉塞した時代と閉塞する腸(2)

2010-03-18 21:50:31 | コラムなこむら返し
Breakfast_hospital美しき担当医の午前中の回診でお昼から流動食が食べられるようになった。うれしい!イレウス・チューブは、まだ万が一のために残すが(抜いて調子が悪くなったら、また入れると言うから「やめてください!」と叫んでしまった)ガスが上手く抜ければ取れるだろう。

流動食ながら入院後はじめての食事をとる。おもとなほではなくおもゆと塩!コンソメスープとケチャップをお湯でといただけのようなスープそれにプリンと牛乳それぞれミニパック。感動するかと思いしや、ぜんぜんダメだった。だってまずいんだもん。ツレの差し入れのスープに感動したせいかわからんが……。

朝食。おもゆと塩、具なし味噌汁、豆乳、みかんジュース。味気なし。それでもお腹は一杯になるから、相当胃が小さくなっているに違いない。具なし味噌汁は昔本当に貧乏だった時、よく作って目玉汁と称していた。碗を覗くと自分の目玉が映るからだ。みかんジュースは市販の100%ジュースであるのはいいが「離乳食」と印字がある。

入院してはや一週間が過ぎ去った。早い。苦しかったから余計早く感じる。嘔吐、腹痛からは解放されたが原因はまだ特定されていない。このあとどういう検査をし、原因特定をするのか不明である。妙な病名が出てこないことを祈りたい。

10:40イレウス・チューブを抜く。自分の病室のベッドに腰掛けたまま。鼻の穴は痛いが、すっきりした。これで鼻の穴からひもを通す大道芸が出来るかも……(笑)。やっとエレファント・マンから解放されたのに何を考えているのか?オイラ……。

病室の窓に目をやると……なんと雪が舞っていた!窓は八国山の方に向いているのだが、トトロの里が白くおおわれるのか?

昼ご飯から三分粥(かゆ)になった。野菜の煮付け(いんげん、人参、はんぺん)、大根おろしと鮭フレーク、トマトそれにとちおとめ苺ゼリーと牛乳がついた。おかずがついてやっと咀嚼ができる。人間噛まないとダメになるナイト!やっと少し満足感を覚える。今夜はおかずはなんナイト?よし。絶好調(笑)!

誰かと違ってひとりさびしく病院食。三分粥、ロールキャベツ、じゃがいものソテー、小松菜のかかびたし。あとからツレアイがリクエストのチャイを持って来てくれそれをドリンクないとナウシカ。

目覚めて窓のカーテンを引けば外は雪景色だった。積雪は2センチほどか。地表だけが白く八国山の木々がぬっと突き出している。入院十日目。

10日。朝食。三分粥、味噌汁(豆腐、みつば)、温泉卵、奈良漬け、たいみそ(チューブ入り)。もっとおいしいものを食べたく思うが、これは朝ご飯だった。普段よりははるかに豪華なんだが、食べられるようになるとそれ以外にこれといって楽しみはないもので……。

昼食。三分粥、そぼろ卵、白菜人参の中華風煮付け、じゃがいも玉葱のマヨネーズあえ。牛乳少パック。お昼の前に入浴。10日ぶりなので気持ちがよかった。あぁ、ビールが飲みたい!

点滴がはずれている間に駅前までちと脱走。少しフラついたがいい散歩だった。むしろ腸を活発にするためには、この位歩かせてもらいたい。しかし、空気中にまじる排気ガスをかぎわけるほど鼻やからだが過敏になっているのには自分でも驚いた。このままバンコクあたりに出没したら倒れてまた病院送りになりそうだ(笑)。

ひとり退院。同部屋の残りふたりは明日あいついでオペらしい。準備であわただしくなってきた。オペの前の緊張感みたいなものが伝わってくる。

18時夕食。三分粥、なす田楽、魚(さわら?)煮付け大根おろし添え、ほうれん草磯びたし、バナナ。あっさりと言うかぺろりと平らげてしまう。飲み込まずよく噛んで……。でも、物足りないのには変わりなし。

国の天然記念物でもあった鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏が昨日の悪天候の中、強風で薙ぎ倒されたというニュース。樹齢800年以上と言われる大銀杏は、ボクの母と小学生だったボクの姿も見ていたから残念でならない。

11日。入院10日め(昨日の10日めは間違い)。朝食。三分粥、味噌汁(チンゲン菜)、キャベツごまあえ、高野豆腐、えびみそ(チューブ)。それに差し入れのもみじ饅頭ひとつとチャイ。食欲あり。便通なし。

風は冷たそうだが雲ひとつなく空は晴れ渡っている。もはやなんの生産も、社会生活もない隔離された暮らし。消費さえもない。出された食事を食べ、文句ひとつ唱えずに従順につきしたがっている。入院とか施設入居とか収容とかは、ひとを従順にさせるためのシステムかと疑いたくなる……?

昼食。三分粥、ジャガイモいんげんの煮付、厚焼き玉子の甘酢あんかけ、きゅうりカブラの浅漬け、和風プリン(小豆)、牛乳小パック。食べながらお通じがないので下剤を飲むことに……。

18時夕食。三分粥、シャケ、やっこ(豆腐)、白菜かか浸し。う~ん、もの足りぬ。今日はデザートもないのか……。本日109病室は夜はボクひとりなり。

12日。入院11日め。昨夜2本の点滴で点滴は終了らしい。針も抜かれる。するとみかけ病人らしい点はパジャマを着ているところだけで、手持ち無沙汰になってしまう(笑)。身の置き所がなく自分が単なる怠け者ではないかと思われてくる。ま、そうなんだが……。携帯ラジオから奏でられるショパンが身にしみる。

朝食。五分粥、味噌汁(豆腐)、ミニオムレツ+ほうれん草付け合わせ、カブ2杯酢、のり佃煮、ケチャップ。普段はこんなにもたくさんの朝食をとるわけではないので充分である。NHK/FMのショパン特集を聞き続けている。

昼食。トリ南蛮風うどん、白和え、茄子におかか、青りんご風ゼリー、牛乳(小パック)。後から入った身長180超の若者、身重のちっちゃな妻とともに退院して行った。昨日オペのもうひとりは集中治療室から、この病室へまだもどってこない。

ショパンも魚座の生まれだとは知らなかったが、ピアノが奏でるあのミステリアスなほど美しいメロディはさもありなん。戦慄するほどの旋律だと言っておこう。いまから200年前の1810年3月1日生まれ(戸籍上)。本年生誕200年!お茶の水の「ショパン」で聞きたい。

入院してから二回目になる風呂に入る。昼間からいい気持ちになっていると、なんだかケア付きの温泉療養に来ているような気分に陥ってしまう。出たら散歩に行こう、と病室へ戻ると同室の若者が戻ってきていた。「地獄から戻りました~」。きっとしんどかったのだろう。

深夜はジャズ、朝ぼらけはバロック、午前中はクラシックが感性にフィットするというのはあの十代の日々を過ごした喫茶店、深夜喫茶のローティションに対応してつちかわれた感覚だろうか。だからロックは午後の時間帯から夜になりますね(笑)。FM各局の方、よろしく!(て、そんな番組編成がされているような気もするが……)

神を讃える音楽としての教会音楽そしてバロック音楽。捜神と言う言葉があるが(神を探すこと)それらの音楽の中では、指し示される至高の彼方を見やればそこに神がいまします。バロック様式建築が華美な装飾の中にもはるか天の一点を指し示しているように……。

そうか!高み、言い換えると至高所とはそれ自体が神のアナロジーなのだ。絶対を現すアナロジー、これは形容矛盾なんだが、だから言葉のレトリックを使って現せない存在を表した。いま、ヴィバルディの「調和の霊感」が流れる。そう、調和の霊感だ。世界は存在と生きとし活けるもののシンフォニーではないか!調和を聴け!

「140文字の哲学」(ツィッターの場合)という霊感!ま、あんまり受けないだろうが……。

午前中だがピーター・バラカンのMC番組で40年ぶりに発売されたジミ・ヘンドリックスの未発表音源がかかっていた。いい!しかし、遺族によれば今後10年発売できるほどある、と言うのだがそれならいままで何をしていたの?

13日。入院12日め。朝食。五分粥、味噌汁(おフ)、ツナ缶フレーク、白菜かか漬け、うめびしお(チューブ)。これで充分。

関西系のラーメン屋さんの名前としか覚えられていないかもしらないが、「神座(かみくら)」=「高御座(かたみくら)」は高天原にもうけられた天皇の玉座のことである。天にある至高の場所なのだ。中国の皇帝にならったのか自ら神を名乗ったのである。現代なら確実にパラノイアである。精神を病んでいるとみなされるだろう。天皇は神族だと言うのだ。

昼食。五分粥、ジャガイモといんげんの煮付、鶏肉のとろみづけ、白菜一夜漬け、缶詰のみかん、牛乳(小パック)。それに差し入れの杏仁豆腐。病室にいても今日は暑い。空調かけっぱなしのせいかのどが渇く。神々の渇き。午後脱走を試みる(笑)。

夕食どき。見計らって病室へ戻る。気温20度の春めいた一日。春の女神は薄物をはおって裾をひらめかせてやっと我がもとへやってきた。春めいた野原は沖縄で言うはえばるだった(沖縄の姓でもある)。はえとは南風のこと。はえばるは南風の吹く野原のことだ。女神のなま足はなまめかしかった。ボクはそいつを胸一杯吸い込んだ。

間に合った夕食。五分粥、金目鯛煮付け、大根人参煮物、青菜おひたし。春めいた一日だった。散歩も快適であった。脱走?そんなことはありません。

14日、入院13日め。5時50分起床。病室の外で鴬が鳴いている。今朝は昨日とはうって変わって肌寒く感じる。淡々として何の刺激もない日々。飛ぶように過ぎた二週間だった。老いの日々というものもこのようなものか?今朝はバッハのフーガから「バロックの森」は始まった。

回ってきた看護士に昨日のことをたしなめられる(ボクは4時間ほど外出していた)。30分いないようでしたら警察に通報しますよ、と。隣に養護老人ホームもあり、要するに徘徊老人とみなされるようだ(笑)。ま、「徘徊老人」に「フーテン」とルビをふるならその通りだ。いや、瘋癲老人日記という谷崎作品もあったな(!)。

朝食。全粥、味噌汁(里芋、長葱)、炒りおから、隠元かまぼこのわさびあえ、のりたまご(ふりかけ)。日が射して気温が徐々に上がってゆくのが感じられる。昨日は21.4度まで上がったそうで五月中旬の気候だったよし。今日も暑くなるか?

暇にあかせて病院中の置いてある本をチェック。週刊誌、漫画本のたぐいが多いのだが、唯一詩集を見つけた。谷川俊太郎「みみをすます」(福音館書店1982)である。全編ひらがなの詩集。「そのおとこ」という乞食もしくはホームレスを描いたような詩が良かった。/かたすみに/そのおとこは/たっている/てらてらと/あかびかりする/ぶかぶかのがいとう~/

今日の昼食メニューは洋食風だった。ビーフストロガノフ(というかハヤシライス)、トマトアスパラのサラダ、サワークラウト(洋風漬もの)、バナナ1本、牛乳(小パック)。身体動かさないからお腹すかない、とか言いながらまたもぺろりと平らげる瘋癲老人つぶつぶ……ブツブツ……。云々。

土俵入りは白鵬ひとり。優勝杯、優勝旗の返還は親方が土俵に上って代行する。客の入りは空席が目立つ。相撲界はどう盛り上げて行くつもりだろうか?

瘋癲老人は徘徊をそろそろ引き上げて病室に帰還です。なんもキカン患者と思われては(て、もう思われているみたい)器官に支障が出ますです。ナース!待っててね!イエース!

夕食時に間に合った。17:50夕食。全粥、筍とフのお吸い物、サバ梅煮、ぬた(むきエビ、ワカメ、ネギ)、白菜かか浸し。朝青龍が抜けて空気が変わった大相撲(春場所)中継を見ながら……。

15日。入院14日め。5時55分起床。さっそく「バロックの森」にチューニング。天使の歌声が携帯ラジオから流れる。深夜ラジオを午前2時くらいまで聴いていた。昨日クィンシー・ジョーンズが77歳の日本風に言えば「喜寿」を迎えたことを知る。レッド・ガーランドなど懐かしい曲が流れて来て興奮してしまったのだ。

吉祥寺の伊勢丹、正確にはF&Fだったがカウンターがメインのサ店「檸檬」には1972年過ぎ頃新宿風月堂がなくなってからよく行った。38年前の話。

「檸檬」に通ったのは仲間が集ったこともあるけど、ウェィトレスの娘が目当てという点も大きかった。顔は忘れたが気持ちのいい爽やかな娘だった。で、「ぐわらん堂」なんかにも行った。「meg」「more」「Funky」などのJAZZ喫茶にももちろん!

朝食。全粥、うめしそふりかけ、味噌汁(具なし。目玉汁!)。それだけの味気ない食事に戻る。コロノクリーン食と言って検査前の腸に溜めない流動食になったのだ。腹持ちしない。つまみ食いしそうだ。

「meg」はマスターがJAZZ評論家として有名になる前でできたばかりなのに、もう寂れたような(笑)いい店だった。そこもウェイトレス目当ての面もあったがある日、よく見知った娘がヌードでパンチかなんかに載っていてびっくりした。名をフラワーメグと名乗っていた。なるほどと会得したもんだ。

風呂から上がってくると昼食。そうではあるがコロノクリーン食で全粥、うめしそふりかけ、幼児用ぶどうジュースのみ。隣のベッドのひとに差し入れの巨大いちごを三粒もらい少し息をつく。これでは食べ終わったとたん腹がすくってもんだよ。

許可をもらって今日も外出。「誘惑に負けないようにします」と言いながら駅ソバに直行……(笑)。朝昼お粥だけじゃ、もちません、センセイ!あたたかいのだろうが、日が射してこないためそうは感じない。気温18度あるの?ホント?

あ、そうだ。携帯じゃ変換できない、「レモン」をちゃんと書いておこう。「檸檬」ね、檸檬。梶井基次郎の丸善檸檬テロリズム小説から付けたんじゃなかったのかな?

夕食。書くのやめようかな。全粥、うめびしお、はちみつレモンジュース。以上。とほほほほ……。

ジョージはこれからはハーモニカ横丁で栄えればよろしい!デパートなんて似合わなかった。バブル山手セレブ文化滅びて、闇市文化が生き残ったのだ。ヒッピィ・ハッピィ・ホッピィ!庶民ワールドチャンプルー文化マンセイ!

16日5時57分起床。入院15日め。今日は午後の検査のために苦行になるらしい。当然食事もなし、経口洗浄剤を飲み続ける(15分ごとに200cc)というもの。修験道者になれるか大道芸人か?

バスロータリーが作られる前、つまり伊勢丹がくる前だがそこは路地で以前歌声喫茶「灯」吉祥寺店があった。その跡地におそらく日本で最初のロック系ライブハウス「OZ」が作られた(ロカビリー以来の踊れる場所、店はあったがロックというジャンルは確立してなかったため特化されていない)。

なんでこんなに呟き続けているのか?と言えば入院して何もしないと言うか何もできない時間がたっぷりあるからだが、入院してブログが全く書けない欲求不満も大きいかもしれない。こうしてる間も200cc15分の苦行は続いている。ふたたび点滴が始まりつながれた身に戻ってしまう。

あまりのことに立ち直れない!午前中ずっと飲んでいた水薬がすんで(なんと2?飲んだ!)便が水溶状になると別室に連れ込まれ突然ケツの穴からチューブを差し込まれぼくは喚き続けた!ぼくは看護士に押さえ込まれ腹の中をひっかき回された上「何もありませんでした。きれいですよ」と言われたのである。いったい何だったの?

あるひと曰く。西洋医学は消去法。なるほどね。もう少しでボク自身が消去されるのかと思ったよ(笑)。喚きながら自分の綺麗な腸内を見てしまった!まだ十代の内蔵だったなぁ……(!)。

夕食(移行食)。全粥、吸い物(椎茸、玉葱)、白身魚(ピカタ)、サラダ(ブロッコリー、インゲン、ハム、剥きエビ)、小松菜かか浸し。本日の実質的な初めての食事。いや食べられるということは心身にとっての喜びです。ゆめゆめ食をおろそかにしてはなりません。

17日。5:50起床。入院16日め。午前中に退院の予定です。ご心配おかけしました。また、これまでこの「ふうてん老人入院日誌」におつきあいくださりありがとうございました。もう少し続きますが、今後は「ふうてん老人徘徊日誌」と名前が変わりさらに繰り言を呟いてゆく所存です。お覚悟めされい(笑)!

朝食。病院で食べる最後の食事。常食となる。ご飯、味噌汁(大根、なめこ)、納豆、青菜たまご炒め、白菜漬け。醤油が常備されていないのだが、納豆をおいしくいただきました。九州生まれで納豆を食する文化圏ではなかったのですが最近は好きと言えるようになったかも知れません。完食。

いまから退院です。清算できないんで早速借金をかかえるようです(笑)。色々お言葉をいただきましたが、帰還してから御礼の言葉を書きます。さらば、美しき担当女医よ!やさしき婦長よ!さらば、看護士たちよ!さらば!
こんにちは、シャバ世界よ!徘徊の地よ!
(2010.3/2~17mixiボイスおよびtwitter投稿より)


瘋癲老人入院日誌~~閉塞した時代と閉塞する腸(1)

2010-03-17 22:51:41 | コラムなこむら返し
Elephantman_jun七転八倒の二晩を過ごし本日強制入院!またもやトトロの病院。予定もくるったが、病院報告を呟こう!ただし具合のいいときだけね……。

午後九時が消灯時間。頼むよ、子どもでも病人でもないんだから……あ、病人だったわ。

ベッドの上であお向けになったままオシッコも排便も済ませることに快感を覚えるなら、それはヘンタイだろう? あ~、患者でよかった(笑)。

さあ、温かいほくほくした朝ご飯の時間だ。さあ、朝食にしよう! ……点滴だわ。

さぁ、ランチタイムだ。昼食は丼ものだろうか?麺類だろうか?あ、オイラを素通りして、また今日のランチは点滴だわ……。

同部屋のひとりが退院した。昨夜、怪獣が寝ているかのような物凄いいびきでぼくは眠れなかった。助かった、と思っていたら同部屋の他の患者さんたちは何日も悩まされてきたらしく「このままじゃ、病気が良くなるどころか悪くなっちゃうよ」とナースに抗議していたらしい(笑)。

閉塞の時代でも大地は揺れる!昼、台湾南部台南周辺で大きな地震があったという報道。続報はないが国会ではハイチ地震の質問、それも大事だが、自然災害は初期緊急出動が大事じゃなかったの?いま、現在が見えないかっての政権担当党の議員たち。

台湾の高雄の山地部甲仙郷あたりが震源地らしい。報道では半導体工場団地は無事。とあったがより心配なのは台湾のひとたちが「山地同胞」と呼ぶパイワン(族)などの先住民のひとびとの暮らしへの被害だ。

そろそろ夕餉の苦痛ないい匂い(笑)が、ただよってきた。敏感な胃は休んでいる腸のことなど胃(!)に介さずぐうぐう鳴る!さぁ、葡萄糖液(点滴)を注文しよう!ナース!ワンパックお願いしますぅ!

屏東(ピントン)で亡き母は女学校時代を過ごした。戦前の植民地時代の台湾だ。外省人はともかく内省人はとても日本人に友好的だ。パイワン、ルカイ、アミなどなどの先住民のひとたちもまた。。。美麗島に棲む山と海の民。そのひとたちが心配なのだ。続報まだなし。

液がもれ一時的に点滴の管がはずされた。あぁ、つながれていることはなんて不自由なんだろう。でも、このまま放置されたらどうなるのか一抹の不安がよぎる。

<<美麗島に棲む山と海の民。そのひとたちが心配なのだ。>>本心です。彼らの心からの歓待に、かって高砂族は野蛮な人食い人種と呼んだひとりだった母は何度も詫びていました。

やっぱり放置されていたのだ。二時間後ねている(フリをしている)ところにやってきて「今日はバタバタしてまして」などと言う。最近増えた男の看護士。いま、またつながれてしまった……。

♪地球の上に朝がくるぅ~/いやさ、入院中のぼくにも朝と誕生日はちゃんと来ました(微笑)!このような状態であるにもかかわらず「おめでとう!」と言ってくれたみなさん、どうもありがとう!

いまは好物のチーズケーキより白いご飯が切実に食べたい!嗚呼!ささやかすぎる望みだらうか? 点滴三日目。

チリ巨大地震の救援活動は富裕層の住む地区ばかりで、なんの救援も受けられずやむなく略奪に走る貧者から商品や私有財産を守るために軍隊が出動しているよし。ハイチでも同じだった。ゲバラの夢見た汎ラテン・アメリカ主義はどこに消えた?

担当医(もち女医さん。美人)の朝の診察の感触よし。やさしくぼくのお腹をじかになでてくれて「う~ン!よくなってますね」ですと。メシが近づいてきたか?!と言ってる間に昼ご飯の時間に。。。まだおあづけ。先生まだですかぁ?

入院先の病院長の月一回の回診があった。医師らぞろぞろ引き連れて一応患者ひとりひとりの症状を聞いて回っているらしい。そこで「医院長!おめでとう!と言ってください!今日、誕生日です」と言って強引に言わせてしまった。

3月5日はインスタント・ラーメンを発明した安藤百福(故人、日清食品創設者)の誕生日でもあったらしい。しかし、テレビでの取り上げ方は、究極の食料危機を救うものという取り上げ方で少しおかしい。

みなさん、午前六時となりました。起床の時間です。本日は三月六日金曜日です。あ、6時の院内アナウンスを書いてみた。起きちゃったらごめん(笑)。

食事タイムはぼくには拷問なのでテレビのある休憩室に避難していると(madさん言うところの)「伴侶の鏡」のツレアイが魔法瓶にポタージュスープを入れて見舞に来てくれた。ぼくがあまりにも空腹を訴えるからだろう。

禁じられている食事になるのか、許されている飲料になるのか微妙なところだが、うん、うまいところを突くね。ともかく完食、おいしかった。あとはともかくお米、ご飯を食べたいのだ。メシは天、天はメシ!

ツレの差し入れのポタージュスープは、胃の腑に滲み渡っていくのが自分でも分かった。次はコンソメスープをリクエストしたが本当はご飯・米のメシが食べたいのだ。おにぎりでもいい。おかゆでもおもゆでも、おもとなほでもいい。あ、同じギャグは禁じ手か(笑)?

行ってポエトリー・リィディングする約束だった草子の版画展(小平市鷹の台徒歩3分「松明堂」書店地下ギャラリー)のオープニングは、いまが盛りのナウシカだと思うのだが、どうだらうか?「森ガール」かナウシカのやうな草子のために力になりたかったのに……。

でもけふは、強力な助っ人が森ガールナウシカのやうな草子のためにオープニングを舞うらしい。ホイト芸の黒田オサム翁だ。黒田翁はきっと今年ひと花咲かすだらう。虐殺された大杉栄は黒田翁のテーマのひとつだ。

今日の夕食は点滴はむろんだが、ツレがさっそく差し入れてくれた愛情入りコンソメ・スープがメイン・ディッシュであった(笑)。大部屋でむさぼり食っている他の患者さんはきっと腹はふくれても何か隠し味が欠けていることに気がついただろう(微笑)。

ひと(人間存在)は口腔から肛門までの一本の管(チューブ)だ、と喝破したのは稲垣足穂だったはずだ(いまは文献に直接たしかめられない状況ですのであしからず。「A感覚とV感覚」だったと記憶する)。鼻から小腸へまで錐鉛のように管をのばしたぼくの今の姿はまさしくチューブである(2m40cm入った)!

ぼくの身長よりはるかに長いそのチューブはイレウス・チューブと名付けられているもので、それで胆汁のように真っ黒な小腸の分泌液を吸い出す。ぼくが当初激しく吐いていたものはまさしくそれだ。

それが収まって何も吸引できなくなるとイレウス管を吸引バックから切り離す。そして管にセンをして閉じる。すると鼻の穴から残りの20cmあまりの管を垂れ流した世にも奇妙ないまのぼくの姿が出来上がる。そう、ぼくが自嘲気味に呟いたように、その姿はエレファントマンに似ている!あの高名なフリークスに!

「エレファントマン」はデビット・リンチ監督の出世作であるとともにフリークス映画の最高峰だが、その成功は事実の持つ重みのせいだったかもしれない。そう、エレファントマンは事実に基づいた作品だったのである。

事実は壮絶な痛みと苦しみを与えただろう。エレファントマンことジョン・メリックに。。。見世物小屋の興業師にみいだされたジョンは、ロンドンの貧窮救済病院の医師に再発見され医学的な興味から病院内に一室を与えられる。今のぼくのように……。

イジメ問題自体たとえば、心理学者がどのように位置づけているのか知りませんが、ぼくは「汚(けが)れ」意識と結び付くのかと考えています。そこまで降りないと本質はみえないと。。。エレファントマンは姿形が醜かったのですが人間は心が醜いのです。

映画では当初、エレファントマンことジョンにコミュニケーション能力があるのか疑問視されていたようです。しかし、ドクターは知るのです。ジョンは読み書きはおろか知力も抜群で、そんなジョンを稼ぐ手段にしている健常者のほうが醜い人間たちだと。そしてジョンを学問的な成果として晒し者にしている自分もまた。

「美醜」という言葉もあるが、実は美しさも醜さも「聖なるもの」なのだ。ひとはそれらのものを目前にしたとき、畏れ戦き感動する。神と出逢った古代人の心情だ。「聖なるもの」を見出だす手段はなにか?ささやかな「しるし」がある。それをスティグマと呼ぶ。聖なる痕跡、「聖痕」という意味だ。

「いじめ」もまたスティグマ探しだ。ひとと違うところを個性として持った者を「聖別」し、吊しあげ、排除する。そのことで小さなコミュニティの結束を固めるためのスケープゴートにする。俗なるものは「聖なるもの」の視線に耐えることができない。それを「汚れ」とみなす。共同体の禁忌を侵す者とみなすのだ。

この図式は基督教的すぎるか?第一スティグマそれ自体がはりつけされたイエスの傷つけられた手足のことを意味する言葉なのだ。「汚れ」は文化人類学の概念だ。さても、心理学や精神分析では何と言うのか?

これ以上手元に資料もない状態でジョン(ジョーゼフ)・メリックについて書くことは出来ない。記憶は曖昧なものだ。でもボク自身がエレファントマンのような姿形となることで、ジョンの気持ちが少し分かったような気がしたので書き綴ったまでだ。それにこの姿は生涯続く訳ではない。健常者はどこまでもズルイのだ。ごめん。ジョン!
(つづく)