風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

「おくりびと」と「囁きの霊園」(2)

2009-02-25 00:31:27 | コラムなこむら返し
Lovedone_atg 60年代のなかばすぎ、たしかATG(アート・シアター・ギルド)だったと思うのだが、トニー・リチャードソン監督の『ラブド・ワン(The Loved One)』という映画を見た(制作は1965年MGM)。トニー・リチャードソンはビートルズもそのテーマを歌った『蜜の味』を監督した当時新進の「怒れる若者」世代の映画監督だった(他に『トム・ジョーンズの華麗な冒険』などなど)。この映画『ラブド・ワン』はイヴリン・ウォーの『囁きの霊園』(邦題、原題はThe Loved One1948年)を原作とする商業主義と化した葬送業者を皮肉り、「死」さえも食い尽そうとするアメリカ資本主義をグロテスクなまでの視点で描いたブラックな作品だった。そして、この作品の舞台はアカデミー賞を発信する当のハリウッドだったのである。

 当たった航空券で英国からやってきた青年デニスは、盗作(「引用」と称する)も辞さないエセ詩人だった。友人の葬儀を依頼した縁でカリスマ牧師が経営する「囁きの霊園」の営業マンになる。そのことによって過剰な演出の霊園の実体や、死体防腐処理師やロケットを利用した「宇宙葬」などを知ることになる。またそれは霊園を効率の良い「老人ホーム(養老院)」に変えるための牧師の陰謀だった……。
 設定もどこか『おくりびと』と似ているかも知れないこの作品で、ズブの素人のデニスは次第にそのアメリカ型の葬儀の方法を知ってゆく。観客であるボクらもまた……。

 主人公のデニスが思いを寄せる女性が、死体防腐処理をした遺体に念入りな化粧を施す。老婆の顔は美しいというよりグロテスクな人形のようなものになってゆく。ここにもまたベッドの上で動けないほど肥え太った老女が豚の丸焼きにかぶりついているといった「死に至る(肉)食」というモチーフも描かれていた。

 ラブド・ワン??「愛されし者」のためにかの地では防腐処理を施した遺体に化粧が欠かせない。事故死などで損傷した遺体を、安らかな顔付きなどに戻すこの技術をエンバーミング(Embalming)と言い、最近わが国でもその需要が高まったのか専門学校なども作られ、社会的に認知されてきた。
 英米を含むキリスト教圏では、圧倒的に土葬であり、さらに「最後の審判」での甦りを信じているためもあるのだろうが、遺体(死体)を生前のままに納棺し、墓地に葬るのが「葬儀」の一切と言えるほどエンバーミングは欠かすことができない。

 おそらくハリウッド映画人は日本的なこの「葬儀」のセレモニーの在り方が新鮮で、驚いたのだと思う。映画『おくりびと』の中で、重要な台詞を言う焼き場の隠亡という職業も不思議だったことだろう。まして、主人公大悟を演じる本木雅弘さんの「納棺師」の所作は、まるで「能」を見るような「様式美」に映ったのではないだろうか?
 今回のアカデミー外国語映画賞の受賞は、そんな文化的な齟齬と、西洋に根深くあるジャパニスム的な誤解が生んだ幸運だったのではないのかと思えてならない。
 もちろん、映画作品としての完成度の高さが今回の受賞につながったとも思うのではあるが……。

(写真)映画『ラブド・ワン』/アートシアター(ATG)系で1967年に公開。写真はそのパンフ。「アートシアター」49号。


「おくりびと」と「囁きの霊園」(1)

2009-02-24 00:25:57 | コラムなこむら返し
 いくつかの不透明な印象を残しながらも(原作と映画の関係が曖昧であることなど)ボクも二度も見て、涙を流し激賞した『おくりびと』(英語タイトル『Departures』)が本年度のアカデミー外国語映画賞を受賞した。
 同時に発表された短編アニメーション部門を『つみきのいえ』(加藤久仁生監督作品)が獲得し、日本映画がダブル受賞という快挙を達成した。
 作品に関しては昨年、映画、コミック、そして原作である青木新門さんの作品についてそれぞれふれて書いたボクの記事があるので、そちらを参照してもらおう。
 「映画・おくりびと」→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20081207
 「コミック版・おくりびと」→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20081209
 「納棺夫日記」と「おくりびと」→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20081221
 さらに、
 「いしぶみ」というモチーフ(1)→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20081212
 「いしぶみ」というモチーフ(2)→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20081213

 今回は、以前書き忘れたことに触れておきたい。
 なぜこのことを書く気になったかと言えば、「葬儀」や「納棺」に対する歴史的・文化的な違いが、『おくりびと』をアメリカ人(ハリウッド映画人)がどのように見たかということの検証になるかもしれないと思い至ったからである。さきほど「快挙」と書きながらこんなことを言うのは奇妙に聞こえるかも知れないが、ボクはそれを「ダブル受賞」ゆえにそう表現したのであって、アカデミー賞における「外国語映画賞」というオスカーの意味付けは、おそらく「マサラムービー」と言う言葉ができる以前にボクらが、物珍しいものを眺める気分でインド映画や、イラン映画を見ていたのと同じ「差異」を感じながら受容されてきた部門なのだと思うからである。
 だから、ある面では文化人類学的なテーマがそこには潜んでいるのではないかと思われる。
 こちらでは仏教的な風土の中で培われた葬儀であり(中国や韓国の影響も濃いと思われる)、片やキリスト教での葬儀である。死者のゆく処も、観念も違う。

 (つづく)


続・ホームレスのうた(追記)

2009-02-18 13:59:22 | アングラな場所/アングラなひと
 朝日新聞の当の記事によれば「(ホームレス)公田耕一」という名乗りの(ホームレス)という表記は、投稿規定住所、氏名、電話番号明記に違反するものだが、「住所=存在証明を持たないホームレスという立場が現にある。発信を排除すべきでない」という選者等の方針で合意し、住所表記は(ホームレス)にすることになったもので、作者公田耕一さん本人が自ら名乗ったものではないことが、判明しました。この点でも、ボクの1月27日付けの記事の誤りを訂正させていただきます。これは重要な点ではないかとボクは考えています。



続・ホームレスのうた

2009-02-17 01:18:52 | アングラな場所/アングラなひと
 今朝(16日付け)の朝日新聞を開いて驚いた。朝刊に、「連絡求ム ホームレス歌人さん」と題する記事が掲載されていた。それは、ボクが既に1月27日に「ホームレスのうた」と名付けて書いた記事で注目した「朝日歌壇」にこのところ毎週のように掲載されている「(ホームレス)公田耕一さん」に当の朝日新聞が一般記事として注目した初めての記事だったからだ(ボクの記事→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20090127)。

 朝日新聞の記事では、「返歌」(という言葉は使っていないが)や、励ましの声が届いており、それらの好意は(ホームレス)では届けられないから(それに入選1首につき官製ハガキが10枚もらえるそうだ。その「投稿謝礼」も宙に浮いていると書いてある)、どうにか連絡がつかないものかと「朝日歌壇」の掲載される月曜日朝刊に合わせて(ホームレス)公田耕一さん個人に向けて発せられたような記事に一見みえる。

 記事は河合真帆というおそらく女性記者の署名記事だ。新聞は「公器」という記者の常識からするときわめて異例な記事でもある。掲載面は30頁めの社会面。すぐ上には「雇用ショック/派遣村・その後(下)」という連載コラムがある。
 さて、これが鵜の目鷹の目で話題や、材料を探し回っているハゲタカのようなマスコミがどう捉えるのか注目したいし、また、(ホームレス)公田耕一さんがこれにどう答えるのか注視したい。少なくとも彼はこの記事を目にしていたのなら今日一日は高揚して、心臓が早鐘をうつような状態だったに違いない、と推測する。
 この事態にボクは、あえて期待したい。(ホームレス)公田耕一さんが「歌」で応えることを!

 *なおこの機会に、前回(1月27日)のボクの記事の中の間違いを訂正しておく。ボクは見逃していたが、(ホームレス)公田耕一さんの初入選は12月8日付け「朝日歌壇」で

 (柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ

という歌だったそうだ。そう言えば、この歌は読んでいました。さらに、12月22日に

 鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ捨てたのか

1月5日に

 パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる

という歌で入選している。

 ボクが紹介記事をアップした次の週(2月2日付け)には

 一日を歩きて暮らすわが身には雨はしたたか無援にも降る

が入選していたし、当の今日の朝刊の「朝日歌壇」には

 哀しきは寿町と言ふ地名長者町さへ隣りにはあり

という横浜寿町のおそらくドヤにいることを推測させるような歌が掲載されていた。

 少なくとも(ホームレス)公田耕一さんの歌は、新世代歌人と言われているフワフワした日常会話のような若い世代の歌人の歌よりボクにはしっくりくるし、現代の「貧窮問答歌」(山上憶良)ではないかと思っている。


カフェ・スローでナナオの追悼会

2009-02-16 00:00:08 | アングラな場所/アングラなひと
Nanao_cafeslow_1 15日、国分寺の「カフェ・スロー」で昨年末12月23日に死去した放浪詩人サカキ・ナナオの四十九日と銘打った追悼会が開かれた。コーディネーターをつとめたのが、南兵衛(アースガーデン)とオハル(チナ・キャッツ)だったらしく、若者もたくさん詰めかけた追悼会となった。
 「カフェ・スロー」がグンと駅に近くなったのにも驚かされたが、あらためてナナオという人物はその存在がネットワーカーだったんじゃないかと気付かされた。詩壇というものが君臨する日本では詩人としては、インディペンデントな存在だった訳だが、独学で学んだ英語で自ら英訳し、また英語で詩作もしたおかげでアメリカや東欧では知られた詩人だった。60年代新宿「風月堂」での出会いの中から形成されたのちの「部族」(当初は「バム・アカデミー」と称した)でも、ゲーリーやギンズバーグと「部族」が邂逅するきっかけをつくり、アメリカの西海岸におけるヒッピー・ムーブメントとシンクロしたのもナナオのおかげだった。
 当のナナオは三省やナーガなどの「部族」のメンバーよりも10歳も年上の筋金入りの放浪者だった。「部族」が、この国におけるコミューン運動や、リュックサック(バックパック)革命の起爆剤となり得たのもナナオが「旅に行きなさい」とすすめるその口癖のようなハッパかけによったものだし、ナナオのカリスマ的な存在感があればこそだった。

 ナナオの「やまうと」のまつりでくつろいでいる姿や、スカパーで放映された「歌は歩いてゆく」などの映像が流され、熊谷もん、アリ、セブンなどなどナナオと交流のあったミュージシャンが歌う中、ボクもポエトリーでまじらせてもらった。
 労をねぎらいたいのは、ナナオが死去した大鹿村からナナオの遺骨(広島などで散骨されている)と遺品を運んできてくれたアキで、「カフェ・スロー」の一角に祭壇が設けられた。脇には、ナナオの亡くなる数日前に死去した「人間家族」の大築準の祭壇も作られていた。大築準はナナオが大鹿村へ行く前まで、南伊豆でなにかれとナナオの面倒をみていた人物である。彼の突然の死去もカウンター・カルチャーやオルタナティブな運動にとっては痛恨の極みであった。

 「カフェ・スロー」の会場を彩っていたのは越生の「新しき村」から運ばれた紅白の梅で、それらは散会する際に参加者に配られ、ボクも一対の紅白の梅をもらってきた。しばらく、この梅の咲く様を見ながら、その思い出とともにナナオに思いを馳せることだろう。


母とミシンとコウモリ傘

2009-02-11 23:57:44 | コラムなこむら返し
 書くことのモチベーションが下がっている。ブログの記事を書くことにも、その下調べや書く時間をつくるなどのエネルギーがいる訳で、それなりの情熱を継続させることが必要だ。励みになるものを必要とするようだ。
 時間を犠牲にしたおかげで、こんな大失業の時代に非正規とはいえ、仕事を獲得した。それは虫の営みのような地道なワークだが、いまは樹木になった母が良く言っていた。
 「JUNや、仕事があるだけ幸せだと思わんといかんよ」
 東京にいた長い間、地味な町工場で働いていた母は、ボクが幼い頃は貸し間の板の間の廊下で、一日中ミシンを踏んでいた。その足下で遊んでいたボクは、ミシンを踏む母の足と、リズミカルな回転音が廊下に響くその心地よい時間をよく覚えている。お嬢様育ちだった母が、その技術をどこで覚えたのか知らないが、ボクら姉弟は、母のその洋裁の技術で育てられたようなものかも知れない。
 貸し間には、胸部だけのマネキンをはじめとする洋裁の道具がたくさんあった。糸巻き(コイル)に美しく巻かれた色とりどりのミシン糸、型紙、裁ちバサミ、布に印をつける道具などなど……。いわゆるファッション誌の類いもたくさんあり、ドメステックという言葉もそれで覚えた。ドメスという和製英語にもなっているが、これはファッション用語だとボクは思い込んでいたから、「国産の」とか「国内の」という意味まであるなんて長じて旅にゆくまで知らなかった。
 もしかしたら、母のその洋裁、和裁の技術は台湾ですごした娘時代、「女学校」で学んだものかも知れなかった。戦前の「女学校」は、植民地においても「良妻賢母」教育に違いはないだろうからだ。
 母が愛用していた「シンガーミシン」は、母が転々とした長崎、熊本、東京をともについて回っていたに違いないのに、文京区の千駄木のあと谷中初音町(台東区)に越した頃には消えていた。のちに片方の手の中指の第1指から先を切断してしまう事故に見舞われる町工場に勤めだしていた。その頃から、家から洋裁の道具も徐々に消えて行ったのだった。

 先日の日曜日、ボクは行けなかったのだが、樹木葬の寺「天徳寺」で、報告会が行われた。それに参加したつれあいと娘の報告によると母が樹木となったヒメコブシ(樹木を墓標代わりとする「樹木葬」で母を葬った)は、たくさんの新芽をつけていたらしい。樹木となった母が告げる春も近い。花をつけたら母に会いに行きたいものだ。

(あ、タイトルにあるコウモリ傘に全然触れていないことに気づかれた方へ。ホラ、ミシンはコウモリ傘とつきものじゃないですか!……ロートレアモン伯爵によれば! ただそれだけです。(笑))


2/6 E.G.P.P.100/step91 「非正規の矜持」

2009-02-04 23:08:38 | イベント告知/予告/INFO
2/6 E.G.P.P.100/step91 「非正規の矜持」
開催日時 2009年02月06日(開場18:30/開始19:00~)
開催場所 東京都(JR新大久保駅すぐ「水族館」)

●E.G.P.P.100/Step91
第3回ドロップアウト・カレッジ
テーマ:「非正規の矜持」
パネルディスカッション&ティーチ・イン

麻生総理は、バラマキ給付金について、高収入者は「受け取らない矜持を持つ」ことを期待していると語り、最近は「高収入者も受け取って・・」とか、迷走の極みでありますが、低収入だからといって、バラマキ給付金が欲しい訳ではありません。ドロップアウター(非正規)には、「非正規の矜持」があるのだということをメッセージ!
非正規でも矜持ある生き方をしている5~6人の「非正規」のみなさんををパネラーにして、それぞれの生き方を語り合い、また参加者全員で大ティーチ・イン!
非正規にして、対抗文化的、矜持ある生き方を展望したいと考えています。
非正規、正規を問わず、多くのみなさまの参加をお待ちしています。

18:30 開場
19:00~パネルディスカッション&ティーチ・イン&演奏ほか
※誰でも参加・発言可、実質オープンマイクです!

○パネラー:
未だ会ったことないけど ギターを弾く挿絵描き アニさん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=294816
アンビエントなギターを弾く旅人 ココナツさん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=169301
ムロケンのダチ公 Takeshi Traubertさん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=20942153
JUNさん曰く「平成の藤圭子」 madさん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3434403
ほか、元気な「非正規」のあなた

MC:ダルマ舎
http://mixi.jp/home.pl
サポーター:13号倉庫さん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=247912
サポーター:bambiさん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=426934

2009年2月6日(金)開場18:30/開始19:00~
参加費:1,500円(1Drinkつき)
パネラーは、1,000円(Drinksつき)

会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)http://naks.biz/suizokukan/
共催:電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/
   ドロップアウト・カレッジ
後援:NPO自主事業サポートセンター
(文責)ダルマ舎さん

※2月と3月ボクは不在です。はじめてボクの手を離れたE.G.P.P.100が開催されます(3月の企画MC開催責任者はやまさんです)。ボク自身が見てみたいと思います(笑)。目標の100回連続開催まで、あと10回です!


節分/ついな/おにやらい

2009-02-03 23:59:50 | コラムなこむら返し
Sestubun_09_1 鬼は見えない存在であるらしい。「鬼」という文字には「ム」という部分があるが、これは鬼が目に見えない存在であることを表わしているらしい。地獄絵に描かれた地獄の獄卒としてのイメージから鬼は、仏教伝来とともに伝わったものかと考えられがちだが、それは形象としての鬼の姿で、鬼はこの国の神代の時代からいたらしい。『古事記』に「醜女」(「醜い」という文字には、「鬼」がいる)として登場するが、『風土記』に伝えられる鬼がほぼこの国の鬼の原点だろう。

 折口信夫は、その「鬼の話」という小論で、鬼は常世神、春を告げる歳神で、まれびとなのだ、と書く。今日でも沖縄の離島では、ほぼ「精霊」のような神々がおとずれて、島人や村びととひとしきり戯れ、厄や病気や、災いを落としては去ってゆくと言う秋田のナマハゲにも似たまつりが行われている(季節は違うが、宮古島のパーントゥや西表島のアカマタクロマタなど)。
 「ついな」つまり「節分」の次の日は「立春」で、鬼の訪れとともに春は来るのだ。本来は、この国では姿の見えない鬼は、災いや、厄を連れ去ってくれる悪魔払いの意味があったのかもしれない。それが、いつのまにか、鬼自身が邪悪な存在にされてしまった。
 それが、いつの頃かと言えば、仏教伝来ののち、説話文学として伝えられ、文字に書きとどめられた『今昔物語』や『日本霊異記』『宇治拾遺物語』などの中世仏教説話の中でであった。

 だが、邪悪な側面は神代からあって、『出雲風土記』に伝えられる鬼は、ひと食いであった。この伝承は、のちの「大江山酒呑童子」や「伊吹童子」「茨木童子」などの伝説、絵草紙、謡曲などの物語につながってゆくだろう。柳田国男はこのあたりから「ひとつめ小僧」を導き出すが、鬼がひとつめだったらしいことは鬼が恐れるものを考えればわかる。まるで、ジョークのようだが、目がたくさんあるザルや、竹篭そして目刺しやヒイラギを鬼はおそれたらしい。節分では、それらのものを戸口にかかげ鬼や厄の侵入を払った。

立つ春や
雪解け 鬼の目に涙 (JUN)

※断るまでもなく、この句は芭蕉の

行く春や
鳥啼き 魚の目に涙

によっています。

(写真)今年もかかげてあった目刺とヒイラギの葉(近所にて撮影)。



タニアに捧げる/チェ・ゲバラ

2009-02-01 23:59:31 | コラムなこむら返し
Tania_tamara_1
 ひっそりと静まりかえる
 ジャングルの暗い奥地に
 静かにひびく人びとの歌ごえ
 彼女がそっと指をふれて
 小さなテープをまわす
 静かな
 なんと静かな歌ごえだろう……

 彼女の心の中に
 どんな歌があったのか
 わたしはもう知ることはできない
 彼女をここへ導いた
 かずかずの歌のしらべも
 もうきくことはできないのだ

 ジャングルの茂みが
 彼女にゆるした旋律(うた)は
 モールス信号と
 胸に波打つ鼓動だけだった
 応答の信号を待ちわびるいま
 彼女が愛するこれらの旋律を
 もう二度と口ずさむことはなくなった

 けれどいま
 彼女はそのうたをきいている
 ジャングルの
 死んだような静かさの彼方へ導かれ
 彼女だけにきこえる
 勝利のうたをきいているのだ

(桃井健司・訳)

タニア:1937年11月19日ナチスに迫害されアルゼンチンへ移住したドイツ人一家の2番目の子どもとして出生。キューバ革命に感激し、東ドイツで、キューバ支援の運動に加わる。ドイツを訪れたゲバラの通訳をつとめる。キューバに渡航、通訳・翻訳などに従事、ゲバラの下で働き、またハバナ大学の学生となる。キューバでゲリラ活動の訓練ののち、地下工作の使命をおびてボリビアに入国。合法的に滞在するために結婚。1967年ドブレたちを案内してゲリラキャンプに合流。8月31日、行軍中ボリビア政府軍の待ち伏せにあい死去。享年29歳。その死の1ケ月半後、ゲバラも捕らえられ銃殺される。チェ・ゲバラは、39歳だった。