日本と言う国は、徹底的に国際的な視野を持ち得なかった。それは現在でもたいして変わらないだろうが、当時において捕虜の扱いに対する国際的な取り決めがあることなど知らされていなかったし、ましてや一般国民、兵卒はまったく無知だった。
それに、玉砕まで強要されて守ろうとした島の、戦略的な重要さや撤退まで含んだ柔軟な作戦と言う考え方は皆無だった。作戦は部隊長の見栄や、誇りを守るために決行されたりした。
そして、そのことによって幾十万の兵士の生命が、弄ばれ、南海の南島の藻くずと消え、だれも顧みないジャングルの中で拾われない骨となっていったのだ。それが、どのように美化されようと「英霊」の実体だった。あの先の戦争の中味だった。「無意味の死」を死なされたのだ。
水木は文章でもその戦争体験を残している。紙芝居のような絵入りの『ラバウル戦記』、『娘に語るお父さんの戦記』などである。それらのエピソードは『総員玉砕せよ!』に生かされている。
まだ20歳そこそこだった水木二等兵は、永遠の新参兵(なにしろ後員の補充がなかったのだ)としてビンタを毎日のように受け、戦争の日常をふてぶてしく楽しんだらしい。サイバイバル精神に富んでいたのかも知れないが、戦争の中にもある日常に溶け込んで昨日の事は、サラリと忘れていったからである。そうであるがゆえにか、水木は片腕をなくしただけで幸いにも生命ながらえ、原住民の人々に溶け込んで、あらためて「楽園」の生活を送ることができたのだった。
水木の作品は証言としても第1級だと思う。水木の書いたものは、その呑気なマンガ家としての取り柄も含めて大岡昇平や、武田泰淳や、城山三郎の作品に匹敵すると思う。いや、もっと優れている。ある意味、若いひとにもそのマンガという表現において、現在も読まれるだろうからである。
ひとは戦争を知らない人間は、半分子どもなのである。成人するためにも、成長するためにもこの国においてかって戦争があったというその中味を、少なくともこのような証言としての作品から学ぶべきではないだろうか?
(4回連載。終わりです。読んでくれてありがとう!)
それに、玉砕まで強要されて守ろうとした島の、戦略的な重要さや撤退まで含んだ柔軟な作戦と言う考え方は皆無だった。作戦は部隊長の見栄や、誇りを守るために決行されたりした。
そして、そのことによって幾十万の兵士の生命が、弄ばれ、南海の南島の藻くずと消え、だれも顧みないジャングルの中で拾われない骨となっていったのだ。それが、どのように美化されようと「英霊」の実体だった。あの先の戦争の中味だった。「無意味の死」を死なされたのだ。
水木は文章でもその戦争体験を残している。紙芝居のような絵入りの『ラバウル戦記』、『娘に語るお父さんの戦記』などである。それらのエピソードは『総員玉砕せよ!』に生かされている。
まだ20歳そこそこだった水木二等兵は、永遠の新参兵(なにしろ後員の補充がなかったのだ)としてビンタを毎日のように受け、戦争の日常をふてぶてしく楽しんだらしい。サイバイバル精神に富んでいたのかも知れないが、戦争の中にもある日常に溶け込んで昨日の事は、サラリと忘れていったからである。そうであるがゆえにか、水木は片腕をなくしただけで幸いにも生命ながらえ、原住民の人々に溶け込んで、あらためて「楽園」の生活を送ることができたのだった。
水木の作品は証言としても第1級だと思う。水木の書いたものは、その呑気なマンガ家としての取り柄も含めて大岡昇平や、武田泰淳や、城山三郎の作品に匹敵すると思う。いや、もっと優れている。ある意味、若いひとにもそのマンガという表現において、現在も読まれるだろうからである。
ひとは戦争を知らない人間は、半分子どもなのである。成人するためにも、成長するためにもこの国においてかって戦争があったというその中味を、少なくともこのような証言としての作品から学ぶべきではないだろうか?
(4回連載。終わりです。読んでくれてありがとう!)
日本人は特に、負けたら潔かったのです。
捕虜になると、「重要な戦略」でもぺらぺらしゃべってしまう・・
司馬遼太郎によると、それじゃ困るので「捕虜になるくらいなら死ね!!」へと変化してきたそうです。
それが太平洋戦争。
「原爆? 早く戦争を終わらせるため しかたなかったのさ」は米の教育方針。(日本にもいたけど)
なんかさー やっぱ「勝てば官軍」なんだ。
ノモンハンだって「日ソ不可侵条約」ありながらも、「早く戦争を終わらせるため!
バカいってんじゃないよ!
ちっともサムライじゃない、武士道じゃない。むしろ卑劣である。
やまさん!そう思いませんか?
大半は狂気にかられ自我を無くす!
昔も今も…
敗者も勝者もちゃんと学んで欲しいものですね。
ボクは三日ばかり茨城で過ごします。
ブログもお休みです。
自国の民間人を捨て、真っ先に逃げ出した関東軍も、高級軍人もサイテーな奴らだらけだったと思うし、
731部隊も実在したんだろうし、玉砕を命じたおえらいさんもいたとは思いますよ。
満州事変(事変と呼んでいいのか?)でも・・まあ、ひどいものだった、と学校では習ったし、いろいろ書物を読んでもそう思う。
たださあ、段ボール○マンがやらせと報道したこと自体がやらせじゃないか?とか
サッカーの試合のひどさ、コピー商品のズーズーしさ、その他いろいろ考えると「従軍慰安婦」だってどこまでが本当なのか?
と考えてしまいます。
(5年前の自分とは違ってきてると感じる)
額面どおりとは信じない自分がいます。
誰とはいわないけど、ピンクの掲示板にしたり顔で書いてる「こう書けば受けがいいんじゃないか?」
みたいな奴は大嫌いだ。
安易すぎる。
自分の日記でも書いたけど「本当の敵・・云々」
上官をいいことにまあ、ひどい奴は・・というかヤなやつだらけだったのかもね。
哀しきかな 靖国神社 ゼロ戦の 破片の薄さよ・・
従軍慰安婦については、以前小林よしのりが「他国の女に同情するより自分の祖父の罪を赦せ」と描いていましたが、女性の方にアイデンティファイする私は到底納得できませんでした。
金子兜太 「湾曲し 火傷し 爆心地のマラソン」 (広島ですが…)