今回の縄文杉の表皮はく離事件の背景はなんなんだろうと考えた。いくつかのブログやサイトでは、子供達への道徳教育がなっとらんといった道徳感、倫理観の欠如に原因を求める意見が多いようだ。
しかし、今回のこの事件は道徳心や、イタズラと考えるには少し無理がある。というのも、昨日書いたが、縄文杉の周りには、その根を守るために無粋とも思えるような高いフェンスがはりめぐらしてあるからだ。これは、当初から表皮を剥ぎ取る目的、枝を取る目的で高いフェンスをよじ登ったと考える方が、理にかなっている。
これは、確証のある話ではないのだが、長い間(1966年の「発見」以来?)「縄文杉」は、周りの屋久杉の幹廻りから推測して樹齢7200年と言われてきた。現在、学問的には否定されているようだが、風評としてそう世に出回った。巨樹ブームもあるが、そうしたことで「縄文杉」はそのネーミングもあって樹木の中の樹木、樹木の翁(山尾三省の「聖老人」のイメージもそうだろう)と目されてきた。
つまり、現存する樹木の中ではその巨大さと、長寿において世界上位のレベルにあると。
(巨大さにおいては、シェラネバダやヨセミテ公園のジャイアントセコイア(漢字で「世界爺」と書くらしい!)、長寿にあってはやはりシェラネバダのブリッスルコーンパインがある。樹齢4700年でこれが世界最長寿の樹木ということになっている)
そこで、縄文杉の長寿にあやかろうとその表皮や小枝が、「長寿のお守り」として老人たちに売られているという情報がある。ガサかもしれないが、さもありらんという話である。
いわば、翁=長寿神社のお守りを身につける感覚で、ありがたる気持ちも分からぬでもない。フレーザーの言う「共感呪術」、縄文杉の長寿にあやかりたいという人間のかってな呪術信仰である。
1987年にはここにロープウェイをかけようという計画があった(川崎製鉄のプラン)。もちろん観光客誘致のためであり、現在「縄文杉」や、その周辺の神秘的な屋久杉の景観を楽しむには、足腰の弱い老人や、車椅子の障害者の方には厳しいものがある。かっては、人跡未踏で何びとの立ち入ることも拒否していた神秘の原生林であったところなのだ。
この計画は反対運動もあり、また屋久島が世界遺産登録されたこともあって幸いにも頓挫したが、それでも縄文杉をひと目見たい、触りたい、それが出来ぬのならせめて身に付けたいという老人たちの願望も分からぬことではない。
そのような老人たちの願望を商売にするものが現れた。これは、もしかしたら屋久島に在住の者かも知れない。そのような悪意をもってあの山道を、縄文杉のそそり立つ場所まで行くのは地元のひとの案内を乞わない限り無理だからである。いや、そう断定するのではない。本土の人間でもテント持参で、好んで原生林にキャンプするものもいるからである。彼らはこの原始の森で、自分達が煮炊きした火の始末、料理に使った汚水、排便、排尿などの生理作用が森にもたらす破壊的な効果に無自覚である。
ともかくも、これは推理である。名探偵コナンのようには推理できないが、この事件が長寿を誇った縄文杉の生命を縮めるような影響を与えないことを心から願う。
実は、原生林のように一見見える屋久杉の森もかっての伐採がたたって復活のまっただ中なのである。世界遺産登録は観光客の激増という思わぬ副次効果を島にもたらしたが、本来、この島の豊かさ、神秘をそのまま保存して行こうという目的だったはずなのである。
森を畏れ、敬う気持ちがあるのならもっと慎重になろう。この島の観光資源と目されることと、深い森の奥でひっそりとたたずみ生きてきたこととは矛盾するのだ。この島をふたたび、神秘の島に返そう。三省も敬愛していたラマナ・マハリシの「沈黙」へ帰ろう。
「(サマディにあっては)“私は在る”という感覚だけがあり、想いはない。“私は在る”という経験は静かであることである」
(「ラマナ・マハリシの教え」山尾三省・訳)
(写真は林野庁屋久島森林管理署および屋久島自然保護官事務所が発表した縄文杉につけられた最大の傷跡)
※なお同森林管理署では、ゴールデンウィークからこの20日までの縄文杉を訪れ撮影した方からの写真の提供を呼びかけている。はぎとられた日時を写真をもとに特定したいとのこと。電話0997-46-2111まで。
※詳細な記事は、南日本新聞→
http://www.373news.com/index.php
トップ頁から「縄文杉 傷」で検索。20日以降の調査や検分のニュースが写真入りで唯一見れます。なお、南日本新聞は鹿児島県を中心にした地方新聞社で奄美や、島のニュースに詳しく、役にたちますよ!
また屋久島のことは、島からの発信である『生命の島』という雑誌を手にとってみて欲しい。この雑誌の発行人こそが、三省を屋久島に導いた人物である。