風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

E.G.P.P.100七夕の宵/星祭りの夜・星巡りのうた

2006-06-30 02:41:23 | イベント告知/予告/INFO
Step59_live●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
E.G.P.P.100/Step60 テーマ:「星祭りの夜/星巡りのうた」
7月7日(金)七夕の宵 開場18:30/開始19:30
参加費:1,500円(1Drinkつき)
(出演)フーゲツのJUN(ポエッツ・MC)、おもとなほ(ひとり芝居)、bambi(講話、DJ)、マツイサトコ(うた)……エントリーしてくれたあなた!
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)http://bsn.bbzone.net/suizokukan/
主催:電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/

7月のオープンマイクは通算開催60回めで、なんと七夕の夜。織姫(織女)、彦星(牽牛)の年に一度のデートの夜、星の降るような満天の夜空に銀河をはさんでのロマンチックな夢が見られるでしょうか?
東京では、ほとんど見ることの望めないこの伝説を地上で再現します。ひとつはひとり芝居のおもとなほさんのためにフーゲツのJUNが台本を書き下ろしました!
フーゲツのJUN・脚本/おもとなほ・演出・主演「星祭りの夜」。はじめての試みです。きっと楽しんでもらえるでしょう。天体の伝説が地上の星となるでしょうか(笑)?
さて、ボクのポエトリーのテーマもまた宇宙をうたったものです。長詩です。
この、七夕の夜にあなたも一遍のポエット(詩)、弾き語り、あるいはコントやコメディで参加しませんか?
フリーエントリーです。ロマンチックな七夕の夜をともに過ごしましょう!

※ポエトリー、うた、バンド問わずフリー・エントリーが可能です!
事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP 100 BBS)にエントリー表明を書き込んで下さい!→http://8512.teacup.com/5lines/bbs



四人はアイドル/ビートルズがやってきた!

2006-06-29 02:05:21 | トリビアな日々
Onstage_in_japan丁度、40年前の1966年6月29日??62年にレコード・デビューするや否や、またたくまのうちに世界的なアイドル・グループとなったビートルズが、武道館での三日間、全5回の日本公演をこなすために初来日、羽田に降り立った日である。
貧しい母子家庭の子どもであったボクにはコンサートチケットをねだる人間もいなかった。ボクらには、まだコンサートに行くという習慣も、ましてレコードを買うと言う習慣もほとんどなかった時代だ(ましてレコードは高かったし、LPレコードつまりアルバムは月収の10分の1くらいして、とても買えなかった)。
しかし、ビートルズの日本公演は抽選で、それでも当時としては破格の20万人の応募があったのだ。ビートルズの日本公演は、ドリフターズや尾藤イサオ、内田裕也、ブルーコメッツなどの前座演奏を別にすれば、30分きっかりの今ではもの足りないくらいの演奏時間だった(ビートルズ日本公演の司会は先日亡くなった岡田真澄の実兄E・H・エリック)。
そのセットリストは以下のようなもの。

ROCK'N ROLL MUSIC
SHE'S A WOMAN
IF I NEEDED SOMEONE(邦題「恋をするなら」)
DAY TRIPPER
BABY'S IN BLACK
I FEEL FINE
YESTERDAY
I WANNA BE YOUR MAN
NOWHERE MAN(邦題「ひとりぼっちのあいつ」)
PAPER BACK WRITER
I'M DOWN

まさしく、アーリー・ビートルズだ。ボクなどはそのほとんどを毎週聞いていた音楽番組で耳になじんで、いまだ忘れられない曲ばかりである。
ビートルズは、翌年に「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」をリリースし、超越瞑想のグルであるマハリシに傾倒してゆく。

ちなみに、日本武道館をこのような海外の不良グループが使用することに賛否両論があったそうだ(あの頃は爆音を出すエレキギターを使用することだけで、不良扱いされた)。ビートルズはその意味でも「日本武道館」をロックミュージシャンにとっての憧れの殿堂にした功績があるだろう。ビートルズを呼んだ「呼び屋」は。その後も際物的なインド大魔術団などを手掛けて伝説的な「呼び屋」となる。

ボクはというと、ポータブルのプレイヤーを小遣いをためて買い、ドーナツ盤を買ってウサをはらしていた。もっとも、ボクはどちらかというとローリング・ストーンズ派で、ストーンズの黒いニグロ的な音楽性の方を好んでいた。とか言いながら、中学生くらいの時にたどたどしい英語でリトル・ペギー・マーチに手紙を書き、返事をもらっては喜んで、リクエスト葉書に書く曲名はペーギー・マーチやブレンダ・リーだったりしたんだが……。
(写真は「The Beatles on stage in Japan」)

(六月のクロニクルその3)



ふたつの<原点>

2006-06-24 23:47:58 | コラムなこむら返し
Etsuko_takano◎6月23日は沖縄のひとにとっては大事な一日であった。先の戦争で日本国内唯一の上陸戦となって20万人といわれる戦死者(その半数が女子供を含める一般人)を出した沖縄戦の犠牲者を慰霊する「慰霊の日」だった。昨年、終戦から60年の特別な慰霊祭の中継を、京都の「太陽と月のまつり」からの帰り、国道沿いのレストランで昼食をとりながら、ココナツと見ていた。
今年は、その戦没者のなまえを刻んだ「平和の礎(いしじ)」に、さらに588名が加えて刻銘されたという。
沖縄戦から61年めの瞑目の日。
17歳の池彩夏さんという那覇商業高校三年生の少女が「若い瞳」という自作の追悼詩を朗読したと言うニュースがこころをなごませた。

◎さらに、6月24日、37年前の今日。
国鉄山陰線の貨物列車に京都市中京区西ノ宮の天神踏み切り近くで、線路上を歩いていた若い女性が、飛び込み即死した。
彼女の名前は 高野悦子。二十歳。立命館大学文学部日本史学科三回生。日大闘争や東大闘争など大学が自治の問題や、学費値上げ反対や、安保闘争などの「政治の季節」にあった頃、そのまっただ中で自己の存在、生き方、権力への憎悪そして愛の問題に悩み、逡巡し、京都荒神口にあった「しあんくれーる」というジャズ喫茶に入り浸ってよく日記を書いていた。
死後、その日記は父親の手でまとめられ、三冊にわたって出版され、ベストセラーとなる。
みずからの「成人の日」にしるした以下のことばがその出版物の署名となる。

 独りであること 未熟であること これが私の 二十歳の原点である(1969/1/15)

純粋に学生であること、女性であること、ブルジョアであることを悩み、清らかに生き、そして苦悩の末に死を選んだ。二十歳の詩の好きなひとりの青春の死だった。

(写真は生前の高野悦子さん。『二十歳の原点』(新潮社)口絵写真より)
(六月のクロニクルその2)



MIXI一万アクセスめはおもとなほさん!

2006-06-22 02:19:16 | トリビアな日々
フーゲツの JUNさん、こんにちは。

mixiからのお知らせです。JUN さんのページ全体のアクセス数が10000アクセスを超えました。記念すべき10000アクセス目の訪問者はおもとなほ さんでした!

以下のURLより おもとなほ さんのプロフィールを見ることができます。
これをきっかけにアクセスしてみてはいかがですか。
プロフィールを見る→http://mixi.jp/show_friend.pl?id=765187

MIXI一万アクセスめはおもとなほさんだった!
おもとさんとはかれこれ8年くらいになる長いつきあいです。ボクのメインのホームページ『電脳・風月堂』http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/が主催したはじめてのイベント第1回「新宿60sツアー」の参加者としてお会いしたのがはじめてでした。
女優志願で果敢にボクが主催するオープンマイク「E.G.P.P.100」でひとり芝居に挑戦してくれています。こんど、彼女のために短いですが台本を書きます。いま、生みの苦しみにある最中ですが……。
すこし難産気味です。逆子かしらん(笑)?

今後ともよろしくです!

ちなみにブログ『風雅遁走!』としてはこのようなアクセスの現状です(6月21日)。
閲覧ページ数合計: 53398
1日あたりの平均: 90.97
今週: 589


夏至の祭り

2006-06-22 01:50:08 | コラムなこむら返し
21日は夏至だった。太陽の黄道がもっとも高い日である。日の出4時25分、日の入り19時。なんと明るい時間帯が14時間35分もあったのだ。だが、あいにく東京は雨模様の曇り空、夏至を実感することはできなかった。
そして、ボクはバイトのため行くことは出来なかったが、代々木公園で「夏至フェス」というイベントがおこなわれたはずだ。これは、今年でたしか3年めになる「100万人のキャンドルナイト」の関連イベントで、冬至のキャンドルナイトはかなり知られて来たが、夏至もやっていることを知っている人はそう多くないかも知れない。
だが、このようなムーブメントもすっかり広告代理店のキャンペーン手法を取り入れて、スマートにそしてファッショナブルに行われてきている。今回は女性タレントをイメージキャラクターとして採用して展開していたようだ。
とはいえ、コンセプトの共鳴者は午後8時からの2時間を電気を消してキャンドルの下で、家族で語り合えば良い。電気の素晴らしさでも、その素晴らしい文明の基幹である電気がどのように生み出されているかでも、そしてその電気はあまりにも無駄に消尽されているかでも……別に原発の可否を問う必要はないのだ。たまには、文明以前の暗闇や夜を味あうことも大切な時間であるはずだ。

LOHASもこのようなキャンペーン活動も多くの人に知られたい一心でか、どこか、現在の消費文化への批判をすり抜けてスマートに展開するコマーシャル手法を採用するのか、ボクには理解できないが、ま、素敵なことではあります。


6月20日/世界難民の日

2006-06-21 01:22:24 | 今日はナンの日?
World Refugee Day??世界難民の日。この日はもともとアフリカ諸国が決めていた「難民の日」だった。それが2000年12月の国連総会で、決議されて「世界難民の日」となった。
日本はいわゆる難民条約(難民の地位に関する条約)には調印しているのだが(1981年)、その実、「難民」の認定は厳しい国である。入管法(出入国管理および難民認定法)の秘密主義がネックになって国際的にも批判されるほど、難民に認定されて居住が認められたケースは驚くほど少ない。

ボクが直に知っている難民の人も多くはない。ボクがその生活の実際を見たのは、ダージリンの周辺に居住しているチベタン難民だった。
それからベトナム難民のひととカンボジア難民の方と会ったことがある。後者はその民族レストランで……。
最近では、一時収監までされたスリランカ難民のララ・ロッキー(通称)さんである。
難民のひとたちの民族的アイディンティティも含めて、その数奇なる運命は国家のはざまに置かれた個人の人生の悲劇である。そのたびにクレオール的な言語や、文化の発生なんてことまで想像力の及ばないこの国に生まれたのが、幸運だったのか、悲劇だったのか分からなくなる。

この国では平坦で、平凡でそれでいてそこそこの暮らしを営むために、競い合い、選別され、それが格差社会を生み出している。あらたな身分制社会が生み出されていると指摘するひともいる。
同朋はライバルであって気のおけないヤツという、友愛どころか同朋に手もさしだせない関係を社会制度
がきずいているせいか、このような難民問題に対して概して冷淡であるようだ。
学校等の教育機関は、最近、国家の下請けとしての締め付けが厳しくなってきており、「愛国教育論」がさかんだが、ことこのような難民問題や友愛は教えないらしい。
社会すなわちソシャール(Social)とは、「友愛」を語源とするらしい。ますます、MIXI関連の方々には自覚的になってもらいたい(笑。MIXIのようなサービスをSNSつまりソシャール・ネットワーキング・サービスもしくはサイトと呼ぶのを御存知ですよね?)。

ホワイトバンドのようなイメージと、ファッション性が先行したキャンペーンだととびつくんだが、なかなか自らの発意で動くのは難しい。LOVE & PEACEとたやすく口にする前に、世界の現状を認識しよう(自戒をこめて書いてます)。

特定NPO法人として日本UNHCR協会が出来ていたらしい。ここで「難民問題」の基礎を知っておこう。→
http://www.japanforunhcr.org/


幻想の手記/映画『初恋』

2006-06-17 23:34:54 | アングラな場所/アングラなひと
Hatukoi10代のほろ苦い、そしてちょっぴり甘い感傷にひたっている。先月の末は高野悦子の残した手記、『二十歳の原点』を読んでいた。再々再読くらいになるか? そして、映画を見た後、それを原作とした『初恋』を再読し、ますます引きずり込まれてしまう、10代のまるで老成したかのような達観と、憂鬱に満ちていた心情に……。

外は止んではまた降り続く梅雨の雨だ。夕暮れ時の、紫陽花の夕闇に溶け入るような色を見ていたら、泣きそうになってしまった。理由は分からない。紫陽花の花のその存在のありようが、ボクの心に沁みて来たのだ。

  ??*??*??*??*??*??*??*??*??
映画『初恋』(2006ギャガコミュニケーションズ)の感想を書こうと思っていた。新宿武蔵野館で映画を見終わったあとボクの心はカラッポだった。何も残らなかった。ほぼ原作に忠実に進行するストリーも、新宿の描き方も……。
映画の中に登場するジャズ喫茶「B」は、「ジャズ・ヴィレッジ」(以下「ヴィレ」)とは似ても似つかなかった。ただ、ボクはネットでその予告編を見てしまい、そのことをあらかじめ知っていたからショックは少なかった。というより、正直に言って「ヴィレ」が忠実に再現されるだろうと言うことを期待していなかった。
主演の宮崎あおいも「B」にたむろする不良の「仲間たち」の描き方もボクには不満ばかりだ。60年代風のファッションを身に纏い、「マリファナだ、エルだ」ということをセリフで言うことが、芝居だとは思わない。
第一この映画はフィルム・ノワールにさえなっていない。中原みすずの原作『初恋』は、良質なフイルム・ノワールの雰囲気をたたえている。原作を再読してあらためてそう思った(半日もあれば読めてしまうほどの分量に過ぎない)。原作に対してこれは三億円事件の実行犯の手記だとか(実際、この小説の草稿をもとにして「真犯人」とか言うノンフィクションを書いた人物がいるのだ)、本当のことだといったことが云々されているらしいが、この時代は反権力の動きなら爆弾闘争が行われはじめる頃で深夜のジャズ喫茶や「風月堂」などで、そのような謀略はたしかに錬られていた。アングラ芝居やハプニングをやることと爆弾闘争や犯罪を犯すことの距離はほとんどなかったと言っていい。
「あらゆる犯罪は革命的である」??そんな断言、スローガンがウソじゃなかった時代だった。

三億円強奪のプランを組み立てみすずにもちかける東大生「岸」にそっくりな男をボクも知っている。その男はのちに「日石 ピース缶事件」の真犯人であることをみずから名乗りあげる。
そっくりといえば、この映画の登場人物のそれぞれに実際のモデルがおり、そのほとんどをボク自身も知っている。ボク自身が「ヴィレ」である時期10代の日々を過ごして来たからだ。

しかし、「タケシ」役があまりにもイメージをはずしてくれた。「タケシ」は後に芥川賞を取る自身の生き方を貫いた男すなわち中上健次だろうだからだ。当時から荷揚げ人足のような力仕事に従事していた中上健次は堂々たる体格の持ち主だった。
それは、ともかく映画を見た後、カラッポの心をかかえてまっさきにボクが思ったことは、この映画を中上健次が見たら何と言うだろうか、ということだった。
中上健次も、そして中原みすずもともに「ヴィレ」を愛し抜いている。「初恋」という小説は中原みすずのあの頃の仲間たちへのオード、そしてレクイエムのような作品だからだ。(評価:★★★)
  ??*??*??*??*??*??*??*??*??

映画の後、うつろな心をかかえてボクは様変わりの歌舞伎町をウロつき、結局60年代の香りを残すいまや貴重なジャズ喫茶「ナルシス」のカウンターに座り、うつろな心を埋めるべく痛飲するしかなかった。

(「幻想の手記」は、原作中原みすずの最初のタイトルのひとつ。映画では塙監督は60年代の新宿の風景をもとめて北九州市にまでロケハンを敢行している。その努力は買う。だが、九州も知っているボクにはそこは新宿には見えなかった。映画の背景イメージを組み立てるのに一番お世話になったのが、どうやら渡辺克巳の写真のようだった。渡辺克巳はつい最近、亡くなってしまった。このボクのブログでも訃報を掲載した。その写真からインスパイアされて組み立てたセットであろう新宿南口甲州街道下の公衆便所のあるあたりの光景は、懐かしかった。そこだけ、この映画の中で奇妙にリアルな背景だったのだ。シネマGAGA、新宿武蔵野館、シネカノン有楽町などで上映中。)

※お断り。この映画の宣伝にもなることと思い、映画の画像を使わしてもらいました。問題があれば御連絡下さい。あ、宣伝費は結構ですので…(笑)。




6・15安保は遠くなりにけり

2006-06-16 00:27:20 | コラムなこむら返し
1960年6月15日。46年前。

国会前を12万人のデモ隊が取り囲み、口々に「安保反対!」をとなえていた。全学連反主流派は岸政権の打倒を叫びながら正門から国会内突入をうかがっていた。午後5時15分デモ隊に右翼の車が突っ込み、その場で大乱闘となった。午後6時すぎ、デモ隊は警察の車の幌の火をはなとうとしたために、警察は放水車で応酬する。午後7時頃にデモ隊7千人あまりが南通用門を突破し、国会構内突入をこころみる。ここで、警察との間で20分あまり大乱戦となり、学生、取材中の新聞記者、実況中継中のラジオアナウンサーなどが警察の暴力で重軽傷をおう。この混乱の中でひとりの女子学生が死亡した。

樺美智子さん。享年22歳。東大文学部の学生で共産主義者同盟(ブント)の構成メンバーだった。死後、遺稿集として『人知れず微笑まん』が出版され、ベストセラーとなった。
遺稿集の書名は樺美智子さん自身の詩からとられた。

「最後に」
誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ

ボクはほんの少年だったが、いま60歳なかば過ぎの安保世代には「美智子」という名前は、ほろ苦いのではないだろうか?
ひとりは、この安保批准反対の運動のうねりの中で亡くなった樺美智子さんであり、もうひとりは民間から天皇家へ嫁いだ現代のシンデレラともてはやされた正田美智子さん??そう現在の皇后である。

ついでに言っておくと当時の(60年安保を指導した全学連反主流派の)リーダーたちは、そのほとんどが保守陣営の思想を持つに至っています。初老にさしかかっている60年安保世代こそは、まったくもって信頼してはならない世代であります。
(六月のクロニクルその1)


『初恋』のこと

2006-06-12 04:08:35 | アングラな場所/アングラなひと
久方ぶりに、ある映画の封切を心待ちにしている。その映画の内容や、俳優のためとか言うのでなくその作品の背景がどう描かれるのかが楽しみなのだ。
その映画の名前は、『初恋』。そう、封切まじかで現在強力な宣伝活動をしているし、御存知のかたは多いだろう。また作品があの戦後史に残る迷宮入り事件である「府中三億円事件」をテーマにしていること、NHKの連続TV小説のヒロインもつとめている宮崎あおいが主演していることでも評判になっているようだ。
もちろん、事件そのものが1968年12月に起ったことからも作品の時代背景が60年代であることは、誰でも容易に想像がつくだろう。だが、それが新宿の場末にあったあるジャズ喫茶だということまでも注目しているひとはそう多くはないだろう。
実は、原作は読んでいる。それも、なんと作者みずからから献本されてボクは読んだのだ。原作者は中原みすず??最初、その作者からボクのHP「電脳・風月堂」についてのメールをもらった時、ボクのこころは騒いだ。「みすず」という名前は、ボクにとっても懐かしい名前であったからだ。だが、作者中原みずずさんはボクの知っているみすずではなかった。そして、ぜひ読んでくださいと送付された小説『初恋』(リトルモア刊)を読んだボクは、さらに驚愕した。小説の舞台となるジャズ喫茶はボクもよく知った場所であることが明らかだったからだ。ジャズ喫茶「B」として描かれているそこは、その頭文字から「びざーる」かとも最初は思った。だが、登場する人物像のモデルを考えると、「B」は明らかに「ジャズ・ヴィレッジ」だと分かったのだ。

「ジャズ・ヴィレッジ」??通称ヴィレ。60年代なかばから新宿の中でも、もっとも退廃的で名うての不良少年たちが、たむろった深夜ジャズ喫茶だ。その店の名前は、ある文学者が無名時代に通っていたことから、かろうじて新宿史に名前がのこった場所だ。新宿のジャズ喫茶はあまたあれどこの店ほど故意に無視されているとしか思えないような店のひとつなのである(いやジャズの名士たちは、この店を故意に避けていたか、恐くて入れなかったのだろう)。
その文学者の名前は中上健次という。中上は「文芸首都」同人だった若き日々、紀州から上京すると「DIG」で、フリージャズの洗礼をうける。そして、夜な夜な「ヴィレ」に通いだすのである。
さらに、のちに『ガロ』でデビューしていまでも一部のカリスマ的人気を博しているらしい鈴木翁二もそのフーテン時代に通っていた。
ボクが通っていた時期は、彼らが常連となる時期よりも少し早かった。1965~1966年ころだったか。フーテンバッグに本を詰めて、家出して最初に向かった先が「ヴィレ」だった。行き場の無かったボクは、当時たまに行っていた「ヴィレ」に行くしかあてがなかったのだ。

板張りの床は、ワックスのにおいがし、タバコと精液のにおいと入り交じってくさかった。壁は真っ黒で、壁と言わず柱と言わず落書きだらけだった。トイレはこれ以上ないというくらい汚く、そこも落書きにおおいつくされそして店でひっかけた女の子とのセックスの場所となった。トイレはよく詰まり、壁を接している隣のビルとのあいだにあるドブから異臭がただよい、冷房装置はいつもうなりをあげていた。
リー・モーガンの「サイドワインダー(ガラガラ蛇)」とブラジル66がよくかかり、まるで黒人街ハーレムにありそうな店内では、それらに合わせて踊るものもいた。
ボクはその店に、ランボーの詩集とギンズバーグとヘンリー・ミラーを持ち込んではジャズに合わせて読んでいた。仲間もすぐできた。
この店では、自分の店のようにのさばったボスがおり、新顔とみればタイマン勝負の暴力のイニシエーションがあった。こいつの名前は忘れもしない。のちに、田舎に帰ってジャズ・バーをひらきケンカに明け暮れ早死にしたそうだ。

ある時、中原みすずさん経由だったと思うが、あるひとから当時の雰囲気を知るひとに話を聞きたい、映画をとっているので時代考証のため話をききたいといった主旨のメールが来たが、ボクは無視した。どうせ一銭も払う気はないのだろうと思ったのと、その映画と言うのは自主映画なのだろうとかってに考えたからである。
それが、今回の『初恋』という商業映画の監督だったのかどうか、記憶がないが、いまとなっては協力しておけばよかったと思っている。というのも、映画をこれほど心待ちにして期待を裏切られるよりは自分の記憶を甦らせてセットにせよ実体化してくれるのであれば、そのほうがよかったかもと思っているからである。
さて、映画の出来、いや「ヴィレ」は映画の中で見事に甦えっているだろうか?

(中原みすずさんは、中上健次の娘でやはり作家となった中上紀さんとも親交があり、「ヴィレ」時代の中上健次のあだ名を言うなとクギをさされた覚えがあるので、封印します。)


六月のクロニクル(2)

2006-06-11 01:30:17 | 曲水の宴/う・た・げ
Step59_8ひきつづきエントリー六番。ひとり芝居のおもとなほさん。もちろん、この日の主役のひとり。「バース」というようなタイトルだとか。来月は、彼女のために本をボクが書きます(どうなることやら、ま、お楽しみに!)。

七番手のエントリー。誠子さん。初のエントリーで、時間前から到着し長らくお待たせしてしまった。勇気をふるいおこすために宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、高村光太郎「智恵子抄」から読み出しました。ほとんど人前で読むのははじめてのようでしたが、きっと彼女の魅力を発揮してくれることでしょう。でも、落ち着いていました。美人だし……。

八番手。「水族館」では初、以前の池袋SCUM2000ではエントリーしに来てくれたゆひゃ。湯被ャは自己紹介のポエムがあるのは、相変わらずでした。韓国語でのポエムも披露。

九番。北村イエス(幸生)。このところ舞台活動もあり、乗ってるようです。お笑い系なのですが、最近のキリストならぬ「切り捨て」トークのネタはなかなかシビアで、この日はNHKもキリステの対象でした。で、またもや、ボクも割って入りました。法律で義務化しようという方針には賛成できません。

十番、エントリーのトリはボーズパンク、コボリイチエン。この日は2曲です。1曲めから弦を切りまくっています。しかし、2曲めの歌はいい歌です。

もう時間はここで22時30分をまわってました。やむなく、ボクも自作のポエムを断念しました。ゲストのおはるにたっぷり歌ってもらいたかったから……。

ゲストのおはるとジャンベの野崎雅人さんの登場です。おはるは、このE.G.P.P.のオープンマイクの雰囲気に、最初は少しとまどい気味に見えました。なにしろ「ここは個性的なひとばかり集まってますね。まるで珍獣の森に迷いこんだみたい」と言ってましたから……(むしろ、面白がってたのかな?)。
でも、ビートルズ「A Day In The Life」から歌い出すと、吉永小百合「勇気あるもの」、「五木の子守唄」、村八分の「らりるれあの娘」、デッドの曲「シュガ-・マグノリア」などなど、まるで団塊世代泣かせの選曲です(笑。もちろんオリジナルも)。bambiさんのみならず、ボクも曲をプレゼントしてもらいました。なんと、おはるはボクの母と同郷なのです。それも町まで同じだったのです(八代)。
おはるがうたった「五木の子守唄」の五木村は川辺川の上流に計画されているダムで、現在住むものも少なくなった滅び行く村なのです。日本人の原郷ともいうべき場所なので、残念です。失ったら取り返せません。日本人は自らひとつの魂の故郷を失うのです。
この日、はりやさんが歌った「竹田の子守唄」とともに「子守唄」が2曲飛び出し、「子守唄」研究家(?)のボクは奇縁を感じました。

こうして、六月上旬のひと夜は、1960年の6・15(60年安保闘争、樺美智子さんの死)、1966年の6・29(ビートルズの初来日)、1969年の6・24(高野悦子の自殺)やお誕生会や水族館一周年など多様なものをゴッタ煮にしながら、オープンマイクらしくなんのまとめもせずに(笑)暮れていくのでした。

来月は、なんと「七夕」の夜が、開催日となります。なにかサプライズがありそう?
(この日読めなかった高野悦子さんにささげるポエムは、あらためてテーマ設定させてもらいます。)
(おわり)



六月のクロニクル(1)

2006-06-10 00:16:05 | 曲水の宴/う・た・げ
「六月のクロニクル」と題してはじまった「E.G.P.P.100/Step59」、のっけから「四人囃子」のBGMにのせてはじまりました。きっとどういうことか、分からなかったでしょう。
そして、この日は大久保「水族館」に会場を移してから、一年目。さらに、6月に誕生日を迎える三人の方の「お誕生日会」もかねてやってしまおうという欲張った主旨でした(bambiさん、おもとなほさん、そして会場でわかった「リバースクラウン」のあまのひかりさん)。

ボクが「四人囃子」にのせて最初に読んだのは、1969年6月24日に二十歳という若さでみずからの生に終止符をうったひとりの女性??高野悦子さんの日記に書かれた最後の詩でした。
そして、この日記『二十歳の原点』は、1971年に出版されてベストセラーとなり多くの70年代に青春を迎えていた若者たちに読まれました(文庫になり版を重ねているらしい)。
そして1973年には、角ゆり子主演、四人囃子音楽で映画化もされました。そう、この日のBGMはその映画に使われたアルバムだったのです。そして、この高野悦子さんの最後の詩はボクの詩への伏線となるはずでした。時間があれば……。

こうして、この日のオープンマイクは始まりました。
一番手。この日は美人受付嬢そして美人DJそしてまたバースディの主役のひとりと大忙しのbambiさん。なんと、この日はいかにして若返るかという耳をそばだてたい話からニューエィジの講話までと多様でした。

二番手、KsK(ケースケ)。本日のゲストであるおはるを見に来て、自らも初エントリーしたひと。ここに来る直前に書いた詩2編を朗読。直前に書いたとは思えないほど滅法よかった。とりわけアンビエントな音にのせて読んだ2編めがボクは気に入りました。
かけあいでやったKsKとのMCが、なんか漫才みたいで面白かった。

エントリー三番目。彼女も初のエントリー、しい子キタムーラ。彼女はよく「ベンズ」でエントリーしているひと。手話の勉強をなさっていてこの日も手話をまじえた詩を披露してくれました。
なんか面白そうなキャラだったのでインタビューしてみましたが、手話の歴史なぞを語ってくれました。

四番。リバースクラウン。最近はミュージシャンとしても開眼している明智くんが、ギターを弾きまくりました。それにしても、あまのひかりさんはいつになったら歌ってくれるのでしょうか?

五番手。初エントリー弾き語りのはりやさん。「竹田の子守唄」「自転車にのって」「生活の柄」などのカバー曲。彼は、「ゆーことぴあ」ではたまに歌っているらしい。

ここで突然、今月誕生日を迎える御三人に前に出てきてもらってバースディのお祝いをする。ボクが用意したのはバタークリームケーキ。表面にはしっかりこの日に迎えたE.G.P.P.の回数「59th」の書いております。決して誕生日の方のお年ではありません。北村イエスがハッピーバースディの歌を歌ってくれました。

(つづく)


六月のクロニクル(phot_7)

2006-06-10 00:10:26 | 曲水の宴/う・た・げ
Step59_7(写真7)ジャンベの野崎さんとともに熱いライブを繰り広げてくれたおはる(チナキャッツ)。歌ったナンバーは団塊(ベビーブーマー)感涙のチョイスでした。おはるの故郷でもある熊本の民謡「五木の子守唄」もよかったなぁ。もっとも、おはると同郷生まれのボクの母を縁としてプレゼントしてもらいました。ありがとうございました。



六月のクロニクル(phot_4)

2006-06-09 00:30:40 | 曲水の宴/う・た・げ
Step59_4(写真4)初エントリーの誠子さん。人前ではほとんどはじめての割には落ち着いてました。看護士さんらしいのですが、自然治癒力がいいですよねと病院や薬を暗に否定しているのが面白かった。うん、西洋医学の中で働くのは、お仕事でしょうからね。なかなか美しいひとであります。