風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

そしてさらに野外フェスへ!/ANTARU FES.

2007-11-30 00:53:12 | アート・文化
Antaru_fes_6 横浜から帰ってきてから明けて25日(日)も、実はいそいそと今度は代々木公園で前日から開催されていた「ANTARU FESTIVAL」に遊びに行く。今度はファミリィで、楽しみに行った。紅葉した木々の葉が美しいまつり日和の一日だった。「ANTARU」とは、西アフリカのある部族の言葉で「集い」という意味であると言う。
 様々な理由で縁あって日本に住みついた世界各国出身の人たちが、その音楽、舞踊、食を持ち寄って仲良く平和な暮らし易い世界を目指そうというのがコンセプトのようだ。
 この日は、残念ながら夜の部はなかったのだが、それでもまったりとしたユルイ進行で代々木公園野外ステージにはさまざまな出演者が入れ代わり立ち代わり現れる。アースディなどに比べれば、観客も出店も少ないが、くつろげる雰囲気を作っていた。

 面白かったのはカポエイラの披露だろうか。東京近郊から集結したカポエイラ(カポエイラとは、ブラジル生れの舞踏のような格闘技のこと)の練習生が舞台上で模範演技というか組み練習を披露していたことだろうか。超人的な身体能力をもった者から、体をひねるのも覚束ないような女性までもが演技してゆくのが面白かった。それらは、名前は失念したが弓のような弦楽器のリズムにのって踊るように披露されるのだ。どこか、ほほえましい格闘技は太極拳とも似たようなものがありそうだ(ただし、飛び跳ねたりスピード感は似ていない)。

 トリを飾ったレゲェのちだ原人の東北弁まるだしの語りとその風貌(おそらく現在、日本一長いドレッドヘアではないだろうか?)、音楽性とのギャップが面白い。宮城にはレゲェ・ミュージシャンが多いのはどういう理由なのだろう?
 ちだ原人は自作のうた「みんなの地球」をNHKの「みんなのうた」に売り込みたいらしく盛んにあらぬ方へ向かって「NHKは『みんなのうた』で、ちだ原人の曲をとりあげろ!」とシュプレヒコールをしていたが、妙にカワイイ原人であった(笑)。

 フード関係の出店は「はらっぱまつり」でおなじみの店もかなり見かけたが、ケバブ、タイラーメンなどがおいしかった。そのようなアピールはなかったが、ボクは皿とスプーンを用意していった。暮れるのが早い初冬の一日をあたたかい気持ちで過ごせたのだった。

(写真)夕陽をあびて並べてあったマフラーが色とりどりに美しく映えた。なんだか、その暖色系の色合いといいこの日の「ANTARU」(集い)を象徴していたようなお気に入りのワンショットとなった。


WELCOME'07第2夜/倍音・エスニック・フルムーン(2)

2007-11-29 00:02:21 | アングラな場所/アングラなひと
Welcome_kaoru 流れがこういう風に進行する中、先週「Ben's Cafe」でお会いしたばかりのAnanda Kaoruさんは、緊張していらした。なにしろソロもソロ、彼女は声だけで表現するのだ。
 そこでボクがコールされたのだ。この日、セブンと脱線トークをやることになっていたのだが、ボクにひとりで前日喋れなかったことを喋れと言うのだ。ここで、喋ったことはこの1年余りのビートニク関連の出版ブームのことだった。いまや、ネオ・ビートニクスが生まれても良いバックボーンが形成されかかっている。いまや、足りないのはネオ・ビート・トライブを標榜する若者たちの存在だ。非正規雇用の不安定なプレカリアートたちを「ロスト・ジェネレーション(ロスジェネ)」と呼ぶなら、当然その層の中から「ビート・ジェネレーション(ネオビート)」が生まれてくるはずなのだ。ここで喋ったことは、ふくらませて近日中にここに載せたい。
 続いてセブンが吠えた。昨日から我慢してきたのか、ネイティブ・アメリカンの雄叫びのうた。
 これで、空気ができた。凄いぞ、セブン!
 そして、Kaoruさんの出番となった。たったひとりなのに、サンスクリットによる「バガヴァッドギーター」のチャントは、ZAIMのホールに朗々と響いた。素晴らしい朗唱だ。ボクは感動に打ち震えた。

 ビアンカのGuacamole Queenは、その振り付けのショーアップぶりが、群を抜いている。それこそナイト・クラブのショーを見ているレベルなのだ。しかし、メンバー合わせての練習不足がやや目立っていた。レベルが高いと逆に目立ってしまうものなのだ。

 津軽三味線が登場する前までで、ボクは会場をあとにした。フリーキーセブンも見たかったが、そこまでいたらまた今晩も泊まりになってしまう。後ろ髪を引かれながら帰ったのであった。ギリギリ終電には間に合いました。余計な出費をしなくて良かったが、「WELCOME'07」の三日目「エレクトラ無礼講」は確かめられなかったのです。

 かくして濃厚な横浜の夜は終わりを告げたのだが、とりわけ23日のボクが「ネオ・ビートニクス・ナイト」と名付けたひと夜が、今後どのように語り継がれるかで、あの「サンフランシスコ・ポエトリー・ルネッサンス」が幕開いたひと夜に匹敵したかどうかが決まるだろう。ボクの熱演もただただ1955年10月7日の「シックス・ギャラリー」に見合うポエトリー・リィディングのイベントにしたかったがゆえだった。 ビートニクスたちが、時代を切り開いたあのひと夜と同じ伝説的なはじまりの日に!

(写真3)朗々たる「ギーター」のチャンティングで、圧倒されました。Kaoruさんは声も美しいが、メロディに孔雀が羽を広げる姿が見えました。まるで天上世界です。


WELCOME'07第2夜/倍音・エスニック・フルムーン(1)

2007-11-28 22:37:00 | アングラな場所/アングラなひと
Welcome_yoshie 24日の第2夜は、正直二日目ゆえにか二日酔いだった。もうどうやって寝たのかおぼえていないほどいつの間にかセブンたち「レインボウ・プロジェクト」が入居している部屋で眠ってしまったのだ。昼近く起きだしてZAIM中庭のカフェで昼食とコーヒーをかき込んで、自分が腹が減っていたのを思い出したほどだった。
 会場に行って、出演者にしてにわかボランティアとなり、掃除や椅子の配列等を手伝っている内に会場が暗くなりなんとはなしに「WELCOME'07」の第2夜が始まった(笑)。

 この日は満月の夜だった。ZAIMを一歩も出ていなかったボクは、13号倉庫さんと連れ立って横浜球場まで(と言っても目の前)満月を鑑賞しに行った。横浜で見る満月もどこかミステリアスで絵になる。木陰のシルエットが椰子だったら、シンガポールか、クアラルンプールで見るフルムーンという気分になれたのではないだろうか。

 「WELCOME'07」第2夜は「音魂開眼視覚狂乱」と名付けられていた。フタを開けてみれば、倍音系の音とベリーダンスでエスニック一色だ。実は、ボクは最近倍音系の音に食傷気味だ。口琴、ホーミー(ホーメーとも)、ディジュリドゥという組み合わせがはやりだしたのも野外パーティのアンビエント系ライブからだろうが、こうも多くなってしまうとブームなのか?と考えてしまう。パーティやまつりでも、これまでもそれ一色に染まるブームというのはあった。その一過性が過ぎてから本物が根付いて生まれてくる。レゲェ、ジャンベ、インド音楽などがこれまでの流行現象だったろう。そして、若い人たちは器用である。すぐ、わがものにしてしまう。

 二日目に見たベリーダンスでは、Yoshieのその柔軟性と本格性に驚かされた(ソロ)。それに、圧倒的に美人だ。ベリーダンスのブームはその腰回し運動が美容と健康をもたらすと言われてきたこともあるのか現在多くの女性がやっている。だが、このYoshieほどの本格的な日本人ベリーダンサーをボクはまだ見たことがない。
(つづく)

(写真2)美しくしなやかな姿態、その柔軟性。ホールが一瞬にして天幕になりました。素晴らしく本格的なベリーダンサーYoshie!



ネオ・ビートニクス・ナイト/WELCOME'07第1夜

2007-11-27 00:27:52 | アングラな場所/アングラなひと
Neobeatnik_6 11月23日、横浜ZAIMで行われた3日通しの『WELCOME'07』の第1夜は「言葉・サウンド・肉体の優美」がテーマで、ポエトリー・リィディングと音楽、ダンスの競演だった。
 最初に恋川春町仕切りの「fr.詩神達のサーカス小屋から」というコーナーから始まり、そこに登場したのは平井美紗子、イシダユーリ、杉田ナターシャ奈央子、恋川春町そしてサポートミュージシャンの山崎怠雅。恋川レディスの一党である(ふっきーのみ不在)。

 続いて踊子の衣裳の美音妙子がのびやかな声で音に乗せて朗読、ダンスってきっと発声もよくするのかもしれないとお美しいお姿に見とれる。KUSSYは急に決まったのかmizuumiというなかなかいいバンドをバックに歌うかのようにリィディング。A1にプリントした「WEP/01」からの数編(あとでKUSSYからいただいた)。『オン・ザ・ロード・アゲイン』(この本はおすすめです)の著者であるKUSSYは充分にビートニクである。

 このあたりから「ネオ・ビートニクス・ナイト」の夕べになったのかもしれない。続いて登場したのは、炎氷IZUMI。ボクはこの7月に同じZAIMで見たが(オールナイト・レインボーショー)、今回は格段に良かった。ギターリストとの二人で登場。強力なリィディングである。

 そして平山昇の登場である。雰囲気はガラッと変わる。それまで、ロックや倍音系のミュージシャンとの競演で展開していたポエトリー・リィディングの場面がJAZZになる。
 ジョン・コルトレーンの「Ole!」をバックに長詩を読む。以前も聞いたことがあるが、その場で色々詩句が変奏されているようだ。やっぱり、50年代ビートニクスのBGMがチャーリー・パーカーであり、ビバップであったようにJAZZの要素は欠かせないかもしれない。

 これである意味ボクはやりやすくなったかもしれない。平山昇に感謝である。というのも、ボクのポエトリーもあえていえばアヴァンギャルドな音をバックにしたものだったからだ。サポート・ミュージシャンとしてサックスの浅原ガンジー、ピアノとジャンベにKYOU、そして舞踏としてふみに踊ってもらった。出てくるダンサーが、これでもかとほとんどベリーダンスだったのにはボクもビックリしたが、ふみの暗黒舞踏風コンテンポラリー・ダンスとこの後のMAYURIがユニークだったかもしれない。
 それに、ふみのダンスはこのサポート・ミュージシャンが作り出す即興のアヴァンギャルドな音と、トライブ(族)とトライバル(部族的)をテーマにした今回のテーマにあった舞踏(舞い)をしてくれたように思う。
 ボクの読んだポエトリーは「ハートビートを打ち鳴らせ!」そして続けて「ビートニクス・アゲイン」でした。
 途中、会場から失笑が聞こえましたが、きっとボクの全開した熱演がおかしかったんでしょう(笑)。全然気になりませんでした。

 『WELCOME'07』の第1夜。DJがからみ、終始レインボウショー的な映像、サイケデリックなスライドショーが会場を彩り流れていたのは言うまでもない。

(写真6)左の立ち姿、ダンサーのふみ(白塗りです)。奥にピアノKYOU。そしてサックスのガンジー。右にネオ・ビートニク詩人フーゲツのJUN(笑)。(カメラ:同)



サウンド・デモとBen's Cafe(2)

2007-11-22 00:26:54 | コラムなこむら返し
Bens_nov18_1 そして、ボクは時間を潰しながら18日夕刻から開催の高田馬場Ben'S Cafeの「ポエトリー劇場」という服部剛クンがMCをやっているオープンマイクに足をのばすことにしたのだった。10ケ月ぶりの参加だ。
 そして、そこに、またシンクロニシティを感じる不思議な風が吹いたのである。それは、「木枯らし1号」ではなくインドから吹く熱い風だった。
 「ポエトリー劇場」のMCをしている服部剛クンのボクの出演パートのmixi報告を引用しよう。

 「記念すべき第1回の「ぽえとりー劇場」以来、久しぶりの登場はフーゲツのJUNさん。/シンクロの多い昨夜の「ぽえとりー劇場」でしたが、 なんとBen'sCafeの近所の早稲田・戸塚町は上京した中原中也と恋人の長谷川泰子が最初に住んでいた場所だったことを話してくれて、このシンクロには本当に驚きました。/そしてJUNさんが主催のE.G.G.Pは 次回「中原中也特集」をするとのことでこれもシンクロ……。 

 昨夜のBen'sCafeには「目に見えぬ糸」が確かに存在してたゆたっていた気がしてならない不思議が多くありました。 

 朗読は急遽決まったカオルさんのハミングとセッションでこれがまた素晴らしい組み合わせのパフォーマンスとなりました。/(仏陀が悟りを開いた)バンヤンツリーの木陰の下で横たわり瞳を閉じる老人とその横で少年も眠る……。 
というインドでの「永遠の時」が止まったような描写の詩で、’70年代にJUNさんがインドを旅した実感が今も伝わる詩でした。 

 この朗読が終わった時、昨夜の「ぽえとりー劇場」のテーマは「幸せ」からいつのまに「インド」に変わっている雰囲気になっていました。」(服部剛・mixiのレポートから引用)

 先にお断り申しておくが、仏陀が悟りを開いた樹木は菩提樹の樹(インド菩提樹:ヒンドゥー語でピーパル)であって、ボクのポエトリーの中でボクがそう書いた訳ではない。ただ詩の中に仏陀という言葉が1ケ所出てくるので(その詩を書いたのは、ブッダガヤの近くで仏陀の歩みを強く意識した旅だったのだ)、服部クンが混同したとしても仕方がないだろう。
 Ben's Cafeで、この詩(「バンヤン・ツリーの木陰の下で」)を読む気になったのは、今週末から横浜ではじまるイベントでお目にかかるに違いないとひそかに楽しみにしていたカオル(Ananda・C・Kaoru)さんが、この日偶然にもBen's Cafe「ポエトリー劇場」に参加していてバガヴァット・ギーターのチャンティングをいちはやく聞くことができたのだった。丁度、第2部の終わりの方で、ボクの出番の数名前だった。
 これは、本当に偶然でありシンクロニシティだったのだけど、オープンマイクの空気はいっぺんに熱いインドになってしまったものだった。それに、この日知り合いになった新井悠ノ介クンがバックパッカーだったという話をしていたこともあったかもしれない。
 ボクは、Kaoruさんが、自分の時間に歌うかのような朗唱をしていたのに感動し、彼女にハミングでチャンティングを付けてくれるように申し込む。即興のセッションだ。そしてまた、これが一段とインドのムードを出してくれたように思います。

 ボクが登場したのは第4部だったが、この日はなんと第5部まであったそうである。
 いったい、この日のオープンマイクはなんとエントリー者が30名だったという(18:30スタート~23:00?)。これは、カフェという気楽さか、同じオープンマイクをやっているボクの力不足か、この活況ぶりはやっぱりうらやましい。

 それにしても、久しぶりにオープンマイクにエントリーしてみると、適度な緊張感とこの日のようなシンクロニシティに会うことがあるかもしれないと思うとなかなか楽しいことのように思う。

(写真)ギーターとその自由訳で歌うかのように朗唱していたKaoruさん。