風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

声ノマ〜〜ノマドとして現代を漂流する剛造の膨大なメモを見せられること。

2016-07-31 02:59:36 | アート・文化
友人に偏執狂的な記録魔がいた。ボクもちとその傾向があるのだが、生きて呼吸をしているその一秒一秒を記録しようと思い立ったら、人生は記録されるために生きられることになってしまう。
その記録も、日記だけでなく、判読しがたい細かい文字でびっしりと原稿用紙を埋めるテキストはもとより、(ポロライド)写真、音声データ(カセットテープ、リィディング)、さらにフィルム(ビデオ)などのメディアを使ってされるいわば膨大なメモだとしたら、そこから抽出された「作品」ではなく、読者や、観客を意識しソフィストケートされたものでない、ナマの提示だとしたら、人はその軌跡を読み取ろうと努力するだらうか?
吉増剛造が東京国立近代美術館で開催した『声ノマ』は、そんなノマド化して行方を失った「言葉」(エクリチュールとパロールともに)を探す旅のやうなものと言っておく(挨拶の言葉をリーフレットに寄せた館長は「声の間」とか「魔」とか、「真」とか書いているが、チラシにも緩用されたこのコピーはつまらない。ボクはノマド化した言葉と声、と好意的に捉えておきます)。
そして、この剛造展のおかげで、中上健次、吉本隆明、ジョン・ケージのナマ原稿が拝見できたことに感謝を述べておこう。
かって、吉本隆明は谷川俊太郎、田村隆一そして吉増剛造の名を挙げて「プロの詩人」と呼んだ。詩を書いて食って行ける稀有な存在であって、その作品としての詩がいいかどうかは棚上げするということであった。
そう、褒めておくことが一つあった。流されていた映像作品に、木道で空の乳母車を押して舞っている大野一雄の映像があったが、大野一雄を見つめる剛造のまつ毛が長いこと!
それは、美しいまつ毛で、羨ましくなったことだ。(笑)

http://www.momat.go.jp/am/exhibition/yoshimasu-gozo/

狂おしき愛/ウニー・ルコント『めぐりあう日』

2016-07-30 23:26:42 | シネマに溺れる
岩波ホール『めぐりあう日』公開初日。『冬の小鳥』でデビューしたウニー・ルコント監督の出自にまつわる三部作構想の第二部にあたる。
はっきり言って、メロドラマである。で、ボクはメロドラマがダメなのだ。途中退場しようかと思うほど物語に入っていけない。このテーマはむしろノンフィクションで追及すべきではないだろうか?
では、なぜ途中退場しなかったかといえば、ラストにブルトンの『狂気の愛』の一節が使われると知ったからだ(パンフ売り場にブルトンが置いてあって何故?と思っていたら初日挨拶で岩波ホール支配人がそのことを語っていたから知った)。
その言葉は、映画がこの現実世界を一歩も出なかったように、津久井やまゆり園障害者虐殺事件を経たばかりの現在の日本でも、アクチュアルに通用する含蓄あふれる言葉で、シュールレアリズムの旗手だったブルトンのイメージとは、ほど遠いブルトンが娘へ与えた生命賛歌だったのである。

この映画の原題は、ブルトンの『狂気の愛』のラストのこの言葉から取られている。

「あなたが狂おしいほどに愛されることを、わたしは願っている」

どうしてこれが、『めぐりあう日』となるのだろう?含蓄も何もない邦題だ。

そもそも『狂気の愛』の翻訳タイトルもおかしい!
『ナジャ』のイメージでブルトンを考えていると、それはとてつもない尋常を超えた「愛」を考えてしまうだろう。
実は、それは「狂おしい愛」のことなのだ。
それも、娘に対する思いやりと、愛情あふれる言葉だったなんて!
評価(★★1/2)

公式サイト:http://crest-inter.co.jp/meguriauhi/index.php

蓮の香りたつ夢幻のシアターを期待した...「シアター・プノンペン」

2016-07-12 16:30:52 | シネマに溺れる
映画の始まりはプノンペンの雑踏だ。主人公の女子大生ソポンはボーイフレンドのバイクの後部座席にまたがり、カンボジアの熱い空気を切り裂いて暴走する。そして、ツッパリ気味のBFと別れて紛れ込んだ廃墟同然の映画館で、スクリーンに映し出された一本の映画『長い家路』と、そのメガホンを取った監督と出会う。
そして、そのスクリーンに映し出された花咲く蓮池で、微笑む自分によく似た女優は、家で老残の身をさらしている母ではないのか?
こうして、ソポンは、母の生きがいの回復のために『長い家路』の完成を母の身代わりとして自らの主演で、目指すのだ。

ポルポト政権以前に存在したカンボジア映画へのリスペクトに満ちながら、「劇中劇」としての映画『長い家路』を完成させるために、現実とまじりあった辺りから映画としては、ノスタルジーに流れて破綻するのだ。
残念だ。美しい映像だったから、とても惜しい。
それなのに、東京国際映画祭2014年にカンボジアの歴史及び女性監督ソト・クォーリーカーへの期待からか、国際交流基金アジア・センター特別賞が与えられた。ソト監督のこれは処女作なんだ。甘すぎるだろう。

アジア女性監督映画特集として、二作品並べられた岩波ホール上映の作品では、先月上映されたインドネシア映画『鏡は嘘をつかない』の方が優れていた。ま、映画音楽とソポン役の女優(マー・リネット)は良かったが...。蓮の花の香りたつ夢幻の映画を期待した自分が、悪かったのだ。
評価(★★★)。

http://www.theater-phnompenh.com/