このリストには加わっていないが、西表島に伝わるアカマタ・クロマタもまた、キジムナーの一種だと思われる。神々の原郷と言われる久高島にもアコウの木に棲むというキジムナ-伝説がある。そして、樹木の霊、森の精霊にとどまらない子どもの霊とか、溺死者の霊、果ては先住民の霊とか考えられ、住処も樹木から洞窟、ウタキ(御嶽・墓)、海中というものまである。
どうやら、キジムナーの伝承の影には、亜熱帯地方の伝承に留まらない、ニューギニアやミクロネシア、ポリネシアなどの記憶が遠く刻印されているように思える。黒潮に乗って流れ着いた、先祖の精霊信仰の記憶だ。
キジムナーは一般に、赤いオカッパ頭をした赤ん坊のような小さいこどもの形態をしているということになっていて、絵本も作られているようだ。
アカマタ・クロマタ・シロマタは「秘儀」中の「秘儀」で、その実体はいまだとんと知られていないが(禁止されていた上に、西表島から住民がいなくなって一旦、滅びてしまった)、キジムナーの一般的な形態「赤い頭髪」をした赤子のようなものというのは、この「アカマタ」の「アカ」の特性から来ているのではないかと言うのがボクの私見だ。
そう、たしか「アカ」は「アガ」で、マオリ語やポリネシア語で「(赤ん坊)のように手がつけられないもの」という意味があるはずである。つまり、「アカ」がつくものは「幼い姿をした神」のことで、アカマタ・クロマタ・シロマタは海の彼方(ニライカナイ)からやってくる来訪神、畏怖すべき力をたたえた先祖神のことであった。
(日本語の「赤子(赤ん坊)」も、そもそもはこのポリネシア語からきているのかもしれない。もっと言えば神社の鳥居が、赤く塗られるのもそのためかもしれない……)
このようなポリネシアから伝わった神のイメージは、実は日本文化の深層に取り込まれ、眠ってしまった。柳田国男は、その「柳田民俗学」で、そのような日本文化の、民衆史の記憶の底にしまい込まれてしまった記憶に触れたが、それは椰子の実がこの国まで、流れ着くことの深層まではえぐり出していなかったのである。
遠野に伝わる河童や、座敷き童を全国区にした功績はあるが、その意味はなんら洞察されていなかったのではないだろうか?
とはいえ、ボクが知る限りこのようなキジムナー伝承や、民話レベルのものにポリネシア、ミクロネシアの記憶が埋め込まれていると言う指摘をした人間はいないはずである。と、これは自画自賛が過ぎたか?
どうやら、キジムナーの伝承の影には、亜熱帯地方の伝承に留まらない、ニューギニアやミクロネシア、ポリネシアなどの記憶が遠く刻印されているように思える。黒潮に乗って流れ着いた、先祖の精霊信仰の記憶だ。
キジムナーは一般に、赤いオカッパ頭をした赤ん坊のような小さいこどもの形態をしているということになっていて、絵本も作られているようだ。
アカマタ・クロマタ・シロマタは「秘儀」中の「秘儀」で、その実体はいまだとんと知られていないが(禁止されていた上に、西表島から住民がいなくなって一旦、滅びてしまった)、キジムナーの一般的な形態「赤い頭髪」をした赤子のようなものというのは、この「アカマタ」の「アカ」の特性から来ているのではないかと言うのがボクの私見だ。
そう、たしか「アカ」は「アガ」で、マオリ語やポリネシア語で「(赤ん坊)のように手がつけられないもの」という意味があるはずである。つまり、「アカ」がつくものは「幼い姿をした神」のことで、アカマタ・クロマタ・シロマタは海の彼方(ニライカナイ)からやってくる来訪神、畏怖すべき力をたたえた先祖神のことであった。
(日本語の「赤子(赤ん坊)」も、そもそもはこのポリネシア語からきているのかもしれない。もっと言えば神社の鳥居が、赤く塗られるのもそのためかもしれない……)
このようなポリネシアから伝わった神のイメージは、実は日本文化の深層に取り込まれ、眠ってしまった。柳田国男は、その「柳田民俗学」で、そのような日本文化の、民衆史の記憶の底にしまい込まれてしまった記憶に触れたが、それは椰子の実がこの国まで、流れ着くことの深層まではえぐり出していなかったのである。
遠野に伝わる河童や、座敷き童を全国区にした功績はあるが、その意味はなんら洞察されていなかったのではないだろうか?
とはいえ、ボクが知る限りこのようなキジムナー伝承や、民話レベルのものにポリネシア、ミクロネシアの記憶が埋め込まれていると言う指摘をした人間はいないはずである。と、これは自画自賛が過ぎたか?