風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

キジムナーの謎(2)

2005-03-31 00:27:09 | トリビアな日々
このリストには加わっていないが、西表島に伝わるアカマタ・クロマタもまた、キジムナーの一種だと思われる。神々の原郷と言われる久高島にもアコウの木に棲むというキジムナ-伝説がある。そして、樹木の霊、森の精霊にとどまらない子どもの霊とか、溺死者の霊、果ては先住民の霊とか考えられ、住処も樹木から洞窟、ウタキ(御嶽・墓)、海中というものまである。
どうやら、キジムナーの伝承の影には、亜熱帯地方の伝承に留まらない、ニューギニアやミクロネシア、ポリネシアなどの記憶が遠く刻印されているように思える。黒潮に乗って流れ着いた、先祖の精霊信仰の記憶だ。
キジムナーは一般に、赤いオカッパ頭をした赤ん坊のような小さいこどもの形態をしているということになっていて、絵本も作られているようだ。
アカマタ・クロマタ・シロマタは「秘儀」中の「秘儀」で、その実体はいまだとんと知られていないが(禁止されていた上に、西表島から住民がいなくなって一旦、滅びてしまった)、キジムナーの一般的な形態「赤い頭髪」をした赤子のようなものというのは、この「アカマタ」の「アカ」の特性から来ているのではないかと言うのがボクの私見だ。

そう、たしか「アカ」は「アガ」で、マオリ語やポリネシア語で「(赤ん坊)のように手がつけられないもの」という意味があるはずである。つまり、「アカ」がつくものは「幼い姿をした神」のことで、アカマタ・クロマタ・シロマタは海の彼方(ニライカナイ)からやってくる来訪神、畏怖すべき力をたたえた先祖神のことであった。
(日本語の「赤子(赤ん坊)」も、そもそもはこのポリネシア語からきているのかもしれない。もっと言えば神社の鳥居が、赤く塗られるのもそのためかもしれない……)

このようなポリネシアから伝わった神のイメージは、実は日本文化の深層に取り込まれ、眠ってしまった。柳田国男は、その「柳田民俗学」で、そのような日本文化の、民衆史の記憶の底にしまい込まれてしまった記憶に触れたが、それは椰子の実がこの国まで、流れ着くことの深層まではえぐり出していなかったのである。
遠野に伝わる河童や、座敷き童を全国区にした功績はあるが、その意味はなんら洞察されていなかったのではないだろうか?

とはいえ、ボクが知る限りこのようなキジムナー伝承や、民話レベルのものにポリネシア、ミクロネシアの記憶が埋め込まれていると言う指摘をした人間はいないはずである。と、これは自画自賛が過ぎたか?



キジムナーの謎(1)

2005-03-30 00:26:46 | トリビアな日々
royd_kijimunaこれはまるで、ジョークみたいな発想かも知れないが、タヌキとムジナから、「タ」を抜いたらキムジナーもしくはキジムナーにならないだろうか……。

キジムナーとは、沖縄に棲むと言う伝承的な精霊だ。年老いたガジュマルの巨樹に棲息すると言われている精霊だ。どこか、タイなどの森に住むピーと似ているのではないかと言う印象をボクは持っている。しかし、このキジムナーはどうやら本土の河童や座敷童の仲間なのではないかと言う説がある。森や、ガジュマルに棲む河童や座敷童というのもファンタジックだが、河童は照葉樹林帯を流れる河の深い淵に好んで棲息するから、キジムナーのように亜熱帯の鬱蒼とした森の気配を好む精霊とは違うのではないかと、個人的には考えている。水木しげる氏の妖怪コレクションにも入っているが、妖怪と言うよりこれは精霊だ。もっともラフカディオ・ハーンの『KUWAIDAN(怪談)』にも登場する雪女などは、精霊のような気がする。妖怪とはなんだか、今度は気になってきた。

キジムナーそれ自体も、沖縄本島の中の中部の地域的な伝承が始まりのようである。喜如嘉(きじむか)に伝わる話がそれだ。ところが、名前は違えど沖縄それぞれの島の中には昔から似たような伝承が伝わっていた。

本島北部:アカカナジャー(伊平屋村)、アカブサー(伊是名村)、ブナガヤ・プルパカヤー(国頭村・大宜味村・東村)、ヤンバサカー(名護市屋我地)、ポージマヤー(名護市羽地)、カムローグワー(名護市屋部地区安和)、ツノーラー(名護市屋部地区旭川)、スノールキジムン(名護市名護地区)、シェーマ・セーマ・カムラグワー・カムローグワー(本部町)、ガヤブヤー(金武町)
本島中部:フカゾークークー・キジムン(与那城町平安座島)、ヤチバー(与那城町屋慶名)、ウンサグワー・イッチョイグワー(津堅島)、ケンケンジムナー(勝連町)、イッチョイグワー(勝連町平敷屋)、カーガリモー(中城村)
本島南部:キジムナー(南風原町)、マージャ(玉城村)
久米島:マア・キムナー(仲里)、カーカブロー(具志川)
宮古諸島:マズムヌ(宮古島、多良間)、インガマヤラウ(伊良部町)
八重山諸島:マア・マンダー・マージャッピ(石垣島)、マンジー・マンジャー(小浜島)、マーザ・カムラーマ(鳩間島)、キディムナ・マディムナ(与那国島)

(つづく)
※画像は水木しげるロード(境港市)にあるキジムナーのオブジェ。


狸のこと(3)タヌキとムジナと大狸

2005-03-29 01:44:18 | シネマに溺れる
sinsyun_tanukinagata1鈴木清順監督の新作「オペレッタ狸御殿」をめぐって展開してきたこの論考は、自分でも意外な方向へボク自身を導いてゆく。書くことが、書くことの迷路へ導いて行くかのように……。書かれたことが、新たな書くことへボクを誘って行くのだ。

「狸御殿」シリーズは、「永田雅一(のち大映社長)とシナリオライター八尋不二が徳島を旅した折に聞いた阿波徳島に伝わる狸伝説」のアイディアから始まったということは、昨日書いた。そう、日本映画における「タヌキもの」「狸御殿」シリーズを生み出した人物である永田雅一は、かっての日本映画がいい意味でも、悪い意味でも六社協議に縛られていた頃の、映画界のドンであった人物だ。また、映画以外でもパリーグの創設者として知られ、大いなる影響を野球界にも残した(1988年に殿堂入りしている)。ボクにとっては親しい東京スタジアム(南千住にあった幻の球場だそうだが、ボクは隣の都立高校に通ってナイターを良くテラスの上に昇ってボーッと見ていたと言う思い出を持つ。ちなみにボクの同級生は「アタックNo.1」の原作者で、マンガ家志望だったボクと気があって、一緒に出版社へ売り込みに行っていた!)を作った人物である。それどころか、岸信介、児島誉士男などとも交流があり、政界のフィクサー的な力さえ発揮した人物である。

永田は、自身若い頃にそうだったように、仁侠心が強く、こうと決めたこと、発言したこと、思い込んだことに異様なほどの執着心を見せたらしく、その天下御免の放言ぶりで「永田ラッパ」などというありがたくないあだ名を付けられる。だから大毎オリオンズのオーナーとなったきっかけも、アメリカ視察の際に、尊敬される大物たるものの名誉職は球団オーナーだと知ったからだと言う!

球団のオーナーとしても、経営者としてもそのワンマンぶりたるや、西武ライオンズのオーナーだった雲上人・堤義明氏(先日、1億円もの保釈金を積んでシャバに戻ってきた!)とも共通点があるが、この映画界、野球界、政治に大いなる権勢を誇った「タヌキ親父」のことを調べ始めたら、同時にこれは、昨年のパリーグ新球団創設の際にライブドア、楽天が競った一件を思い起こすのは、ボクひとりではあるまい。

永田雅一の時代には、メディアの雄は映画だった。上り坂の新興メディアが球団買収や、他の映画会社を買い取り・合併に走ること、また政治家とも癒着すること(癒着ぶりはまだ顕在化していないが……)??歴史はくり返されると言うべきなのか、「同じ穴のムジナ」と言うべきなのか(そう、ムジナは狸と混同されている)?
奇妙な符牒、シンクロニシティがそこにもあることにボクは気付いた。そうなのだ。ニッポン放送株の買い付け、ひいては新興メディアが旧態のメディアを買い付け、呑み込み併合して行こうとすることは世の習いとは言え、そのメディアへの露出ぶりも含めて永田雅一というかっての映画界のドンの轍を再び踏むべきではないのだ。

とはいえ、ムジナとタヌキは、似て非なるものでありながら(ムジナはアナグマの仲間、狸は犬の仲間)、混同され、巣穴を共有するように(どうやらムジナの巣を狸が借用するらしいのだが)同じように、農作物や、ニワトリなどを狙うらしい。
ターゲットは、汗水垂らして獲得した村びとの富なのだ。どうせ、ムジナも、タヌキも「同じ穴の」……あっ、何だっけ?

(写真は永田雅一氏。隣は市川雷蔵、若尾文子主演の「初春狸御殿」(1959年大映)より)


狸のこと(2)狸御殿はオペレッタ

2005-03-28 01:05:40 | シネマに溺れる
tanukiこの資料からだけでも、たくさんの連想が沸き上がってしまうが、ここではこのシリーズが戦前から一貫していわば、時の人気スターによるミュージカルとして、制作され続けてきたシリーズもしくは映画界のドル箱であったこと。そして、それぞれの作品を担当した作詞と作曲の名前に着目して欲しいと言うこと。さらに、このシリーズそのもののアイディアは当時、新興キネマ京都撮影所長の永田雅一(のち大映社長)とシナリオライター八尋不二が徳島を旅した折に聞いた阿波徳島に伝わる狸伝説をヒントに「阿波狸合戦」を製作し、これの予想外の大ヒットを期に次々と製作していったものだということに注目しておこう。

そして、今回の鈴木清順監督のものが、「狸御殿」の8作目だというのだが、「平成狸合戦ぽんぽこ」(スタジオジブリ作品、1994年)は「狸もの」の系譜に是非加えておきたい。なんとなれば、「永田雅一(のち大映社長)とシナリオライター八尋不二が徳島を旅した折に聞いた阿波徳島に伝わる狸伝説」というのは、まさしく「平成狸合戦ぽんぽこ」の一方の設定であるからだ。
というより、高畑勲氏は「平成狸合戦ぽんぽこ」を明らかに、この日本映画の輝かしきドル箱映画「狸御殿」シリーズから着想したことは、明らかだからである。

そして、今回の清順作品でも注目すべきは、キャスティングだ。主演男優:オダギリジョー(雨千代)、ヒロインを演じる主演女優にチャン・ツィイー(狸姫)。脇を固める俳優人も豪華だ。
鈴木清順監督は、時代の最も熱い「タヌキ」=スターを起用している。

狸という野生生物は、照葉樹林で棲息し、ある意味、里山で人間にも親しい動物である(日本と中国にしか棲息していない)。家族形態で同じペアで子育てをするというきわめて人間に近いほ乳動物でもある。
森林縦断道路や、やまなみハイウェィとかいった身勝手な観光道路を作られることによって跳ね飛ばされ、危険が増し、迷惑を被っているのはこのような小動物ではないかと思うのだが……(道路公団の功罪に、なぜこのことも加わらないのかと切に思うのだ)。狸は意外に思われるかも知れないが、狼などと同じ、イヌの仲間なのだ。 狸の生態を調べて行くと、実は人間のほうがイメージで言うところの「タヌキ」なのではないかと思うことがある。狸より浮気性であるし、オス(おとこ)は狸ほどにも子育てに関わらないという意味においても……。「狸」ひとつでも奥深いのである。

そしてさらに、ミュージカルという呼び名ではなく、「オペレッタ」とモダーン・レトロに呼んだところにも鈴木清順監督のセンスを感じる。オペレッタは1920年代に大ブームしたもので、いわば「大衆オペラ」とでも言うべきジャンルである。日本での完成形は、「宝塚少女歌劇団」と言っていいだろう。大衆の願望や、欲望を叶え、大団円という天国へ連れて行く予定調和のエンターティメントだ。恋あり、涙ありなのだが、美男・美女が色恋沙汰に華麗に舞い、踊り、世界を劇場にしてしまうような方法論だ。
鈴木清順という日本映画界のタヌキオヤジな監督は(失礼!)、まるですべてを見通したかのように、暗い世相を吹き飛ばすべく華麗なるシネマの爆弾を仕掛けたのに相違ない。
これが、ボクの買い被りなのか、見事に正解なのかは4月下旬のロードショーを俟たねばならない! あ~、楽しみだ!
(写真はウチの近所に出没しているおタヌキさま)


狸のこと(1)映画界の清順タヌキさらに化けんとす?

2005-03-27 00:00:02 | シネマに溺れる
tanuki-goten実はまだ未見だし、それにこれから公開される映画だから、話題に取り上げたくはなかったのだが、好きな監督だし、それにこの時期にこのような映画を撮ってると言うことに妙に感心したものだから、あえて触れてみる。しかし、内容そのものには踏み込まない。つい先日、完成披露試写会が東京で開かれたばかりだ。

正直に言うと、昨日ボクはこの映画の存在を映画館の予告編という形で知ったのだ。
じゃ、昨日見た映画評を書けばいい訳だが、一昨日の書き込みから思わぬシンクロニシティを、またまた感じてしまったので、気持ちはこの新作の方に取られてしまっていた。

一昨日のボクのブログの記事、つまりニッポン放送株をめぐる企業買収合戦のありさまが、「化かし合い、騙しあいの狸合戦」というボクの揶揄・皮肉にまさに呼応したような映画がこれから公開されるのだと知って妙にウキウキしてしまった。それも監督はボクも大好きな鈴木清順、その映画のタイトルもそのものずばり「狸御殿」! 正確には『オペレッタ狸御殿』というのだ(2004年松竹・日本ヘラルド)!

シンクロニシティというものは、ボクはよく体験するのだが、不思議なものだ。そこから、とてつもない連想が膨らんで、ボクはその予告編を見ながら、一気に子どもの頃に見た美空ひばり主演の「七変化狸御殿」や、「大当たり狸御殿」などという作品を思い出していた。雷蔵主演の「初春狸御殿」などという作品もあり、当然、清順監督はこれらの「狸御殿」ものを踏まえて今回の『オペレッタ狸御殿』を製作したに違いない。と思って公式サイトを探してみたら、その通りでなんと、「狸御殿」ものは戦前から過去7作も製作されているのだと言う(さらに「狸もの」の映画はこの前に、2作あり3作めが「狸御殿」だった)!

1.「狸御殿」(1939)/配給 新興キネマ/監督・原作・脚本 木村恵吾/撮影 牧田行正/音楽 佐藤顕雄/出演 高山広子/伊庭駿三郎/阪東太郎/尾上松緑(2代目)/東良之助/水野浩/高松昌子/三保敦美/香織不二根

2.「歌ふ狸御殿」(1942)/配給 大映/監督・脚本 木村恵吾/撮影 牧田行正/美術 上里義三/音楽 佐藤顕雄/作詞  サトウ・ハチロー/作曲 古賀政男/出演 高山広子/宮城千賀子/草笛美子/楠木繁夫/美ち奴/大河三鈴/豆千代/雲井八重子/伊藤久男

3.「春爛漫狸祭」(1948)/配給 大映/監督・脚本 木村恵吾/企画 清水龍之介/撮影 牧田行正/美術 上里義三/照明 岡本健一/音楽 服部良一/作詞 西條八十/出演 喜多川千鶴/草笛美子/曉照子/萩町子/明日待子/杉狂児/野々宮由紀/丸山英子/日高澄子/笠置シヅ子/豆千代

4.「花くらべ狸御殿」(1949)/配給 大映/監督・脚本 木村恵吾/企画 清水龍之介/撮影 牧田行正/美術 上里義三/照明 岡本健一/音楽 服部良一/出演 水の江滝子/喜多川千鶴/柳家金語楼/京マチ子/暁テル子/大伴千春/常盤操/藤井貢/杉狂児/竹山逸郎/渡辺篤/寺島貢/灰田勝彦

5.「七変化狸御殿」(1955)/配給 松竹/監督 大曾根辰夫/企画 福島通人/製作 市川哲夫/脚本 柳川真一/中田竜雄/森田龍男/撮影 石本秀雄/美術 川村芳久/照明 寺田重雄/音楽 万城目正/出演 美空ひばり/宮城千賀子/野沢英一/堺駿二/山路義人/有島一郎/淡路恵子/渡辺篤/伴淳三郎/広沢虎造/近衛十四郎/フランキー堺/奈良光枝/高田浩吉

6.「大当り狸御殿」(1958)/配給 東宝/監督 佐伯幸三/製作 杉原貞雄/原作 木村恵吾/脚色 中田竜雄/撮影 岡崎宏三/美術 小川一夫/照明 下村一夫/音楽 松井八郎/出演 美空ひばり/雪村いづみ/山田真二/白川由美/淡路恵子/有島一郎/井上大助/左卜全/千石規子/峯京子/トニー谷/ミヤコ蝶々/佐原健二/河内桃子

7.「初春狸御殿」(1959)/配給 大映/監督・脚本 木村恵吾/企画 山崎昭郎/製作 杉原貞雄/撮影 今井ひろし/美術 上里義三/西岡善信/照明 岡本健一/音楽 吉田正/編集 菅沼完二/出演 市川雷蔵/若尾文子/勝新太郎/中村玉緒/近藤美恵子/仁木多鶴子/金田一敦子/中村鴈治郎/菅井一郎/水谷良重/楠トシエ/江戸家猫八/三遊亭小金馬/トニー谷/左卜全/神楽坂浮子/藤本二三代/松尾和子
(資料出典:『オペレッタ狸御殿』公式サイトより。番号つけはボクによる)

(画像も公式サイトから。松竹・日本ヘラルドさま。宣伝に貢献しましたゆえ画像転載をお許し下さい)



対イラン戦の合間に「狸合戦」を考える……?

2005-03-25 23:48:40 | トリビアな日々
son_softbank何かを書こうと思った。だが、サッカーのTV中継に目を奪われてしまって、思考がまとまらない。サッカーの対イラン戦の試合に目を奪われてしまう(さすがに、昼の北朝鮮Vsバーレーン戦は見なかった)。ながらをするつもりだったのだが……。
きっと、ライブドアの堀江社長もこのようなTVのライヴ中継の力が欲しかったのだろう。きっと、いまはネット・ジャンキーの連中も、マウスを離し、キーボードから離れてTV画面に見入ってるのではないだろうか(もっとも、PCのモニターで見ている人も多いだろうが……)。

そのライブドアによる買収劇も、大物のソフトバンク系のSBIが出てきて奇妙な展開になってきた。ニッポン放送が保有するフジTV株をSBIに5年間貸し出すことによって、ニッポン放送を押さえたライブドアの株主議決権を無効にしようという作戦だと言う。しかし、あの手この手とよく出てくるものだ。というより、このような企業買収というものは、戦略や、謀略をくり出す化かし合い、騙しあいなんだということがよく分かった。
この化かし合い、騙しあいの一連の経過は、スタジオジブリのアニメ作品「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994年)をボクに連想させた。で、一番の大タヌキはだれだろうということが、傍観者的立場からは楽しみになってきました。孫さんの影が見えてきましたからね。

(孫さま! ここに貴方の画像をいれたのには他意はありません。貴方がタヌキと言いたいのではなく、カピタン・ヒーローは貴方か、ホリエモンかということを言いたいがため貴方の画像を引用しました。イラン戦の感想を言いたくないのと同じです……?)


花に生まれ変わるホトケたち(樹木葬) <3>

2005-03-24 23:05:27 | トリビアな日々
sakurasousakura03          3
「天徳寺」で、最近は「樹木葬」の中でも「桜葬」というものを希望する人が増え、「エンディング・センター」の働きかけでここでもはじめると言う話を聞いた。ただ、ほかの低木の木々よりもヤマザクラとはいえ、樹高も幅もとるので1本のサクラの木の下に30ほどの遺骨が眠るのだそうだ。
ボクはその話を聞きながら、梶井基次郎を思い出していた。花見の時、即興でポエトリー・リィディングをすると必ずそのフレーズが出てきてしまう。

「櫻の樹の下には屍體が埋まつてゐる!
これは信じていいことなんだよ。何故つて、櫻の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だつた。しかしいま、やつとわかるときが來た。櫻の樹の下には屍體が埋まつてゐる。これは信じていいことだ。」(「櫻の樹の下には」)

ボクらも、桜は一番最初に考えた樹木だった。しかし、その時点では選択樹木の中にサクラはなかった。それに、梶井だけでなく桜と死にまつわるこの国の「散華」という「美意識」が、ボクは好きになれないのだ。その咲き誇る頂点で、潔く散って行く美意識と言うものは、あの少年兵を特攻に追い立てた美意識である。国のため、天皇のため、父母のため、兄妹のためこの国の死守、守備のために若きその生命を捧げて生き柱となるという犠牲の精神が美意識でもって強要された。その追い込まれて至る死に様は、まるでセレモニーか、能舞台に立つ役者のようではなかったのか?
銃後にいるその母も、兄妹も無惨な焦熱地獄で皆殺し寸前にまで至るのだが(東京大空襲、二つの原爆投下など)、あたらこの国に伝統的に伝わる儒教に根をおいた武士道的な美意識が、若い生命を奪い去った。
だから、サクラの木それも外来種であるソメイヨシノには、どこか距離をとる自分がいるのだ。なにしろ親戚(義理の叔父)に特攻艇「震洋」の生き残りがいるという事実もあるものだから……。
(写真は2003年春の神田川の桜。千葉大原「天徳寺」の「桜葬」予定地)


花に生まれ変わるホトケたち(樹木葬) <2>

2005-03-23 23:38:15 | トリビアな日々
katsuura_sea            2
しかし、のどかな一日だった。いや、ボクらは翌日(21日)も勝浦まで観光とシャレ込んでいたのだから、墓参というより、春分の日の連休二日間を遊んだようなものだった。
10メートルもの螺旋階段を降りて、海底にビス止めされた展望室に入り、餌でおびきよせた魚をじかに見ると言う「海中展望台」なんてものまで勝浦で見てきてしまった。海岸線の岩場から遊歩道を空中に作ってあり、それは奇妙な風景だった。ほとんど海岸線の景観をぶち壊しにしたかのような施設だ。その遊歩道から、海から直接セリ出した白い灯台のようなタワー天頂部に行くのだ。入場料大人980円の割には、水族館のような様々な魚の生態がみれる訳ではない。唯一の救いは、海底の岩盤にタワーを建てただけで魚や、生態系に人為的な働きかけをしている訳ではないということだろうか?

ここの上部は、海上に突き出た展望台だが、その景観説明文に面白いことが書いてあった。勝浦の半島部分の彼方に、これよりサンフランシスコ8,860キロと書いてあったのだ。海の向こうは、もうアメリカであるという自負なのか、ユーモアなのか?
そうか、千葉勝浦の海をへだてたお隣は、サンフランシスコなんだ!
おお! シスコよ! 花のサンフランシスコ! ゴールデン・ゲート・ブリッジの街、ヘイト・アシュベリーのストリートのある街!


花に生まれ変わるホトケたち(樹木葬) <1>

2005-03-22 22:18:32 | トリビアな日々
mother_flower緑にかこまれたおだやかな山あいで、母は静かに眠りについた。来春、コブシの花が春を告げる頃、ボクらはその場所に再び会いに行く事になるだろう。不思議な事に、ボクはコブシの木を母と呼ぶだろう。まるで、神話のように樹木に化身したかのように樹木を母と思うだろう。その木に白い花が咲いたとき、ボクたち家族は神話のような時間を生きる事になる。それも、また楽しみなことではないか……。(昨年10月26日に書いたボクのブログ記事より)

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昨年の10月23日に、千葉大原「天徳寺」に樹木葬で母の遺骨を葬ったその同日の18時少し前、本堂の天蓋が音を立てて揺れるほどの地震があった。達磨の掛け軸はいつまでも揺れていた。幾度か、余震も感じ、それが、あの新潟県中越地震だった。

この20日、春のお彼岸の中日に墓参に行ったにも関わらず、母が生まれ変わったヒメコブシの最初の花はもう萎(しぼ)んでいた。東京では桜の直前に咲くコブシの花は、やっと膨らみを付けたばかりと言うのに、房総はやはりかなり暖かいのだ。

そして、大原へ出かけたボクらは、その日の丁度電車に乗っている時間帯に、北九州の玄界灘でこれまたかなりの倒壊家屋を出した大規模な地震があったことを知らされる(福岡西方沖地震と名付けられたらしい)。
このシンクロニシティが何を表わしているのか、母からの何らかのメッセージなのか、いまのボクには読み解くことは残念ながらできない。もしかしたら、関東地方に、いや東京に近い内に大地震があるよということを教えているのかも知れないと、直観で思うが、それから逃れる術まで教えていてくれているのかまでは分からない。母との対話が少ない罰なのかも知れない(樹木葬にしてはじめて訪ねたのだから……)。

しかし、不思議な暗合を感じる。きっと、母は、ヒメコブシに姿を変えた母は、息子のボクに何かを伝えたがっている。
霊界のメッセージを読み解く力は、ボクにはないが不思議な因縁と、暗合の中に何かが秘められていると言う思いを強くするばかりだ。
(ボクは、リアリストであり神秘主義者ましてや、新宗教の信者などではありません。信仰心も人並みで、まぁ、森には精霊が宿るということを信じるくらいで、むしろアニミズム的心象をしているのかもしれませんが……)


三題はなし/カラの弁当を売る

2005-03-19 22:18:18 | トリビアな日々
fukumeshi           3
近くのスーパーの食品売り場で特売をやっていた。そのタレ幕を見て、って、オイラが反応してるのは文字ばかりだな……。
一瞬、どうしてそんなものを売るの? と考えてしまった。
特売のタレ幕にはこう書いてあった。
「駅弁・空弁大特売!」って……。ン! カラの弁当って売れるの?
駅弁ならまだしも、カラの弁当売ってどうするって……。
デパートでも最近はよく「全国駅弁名産展」なんて名前で、よく駅弁は売っている。地方地方の特産品が駅弁を食べることによって手軽に味わえる。なかなかいいアイディアだ。でも、さすがにカラの弁当の器は売っていない。

30分たって、分かった。そうか「空弁」って空港弁当=空港で売ってる弁当なんだ。
そう言えば、長崎からの帰りに食べた駅弁「下関名物ふくめし」の空き器をとってもっているオイラは、堂々と空き弁当を売れる資格があるんじゃないだろうか?
って中味のない弁当の器なんて、誰が買うかよ、ですか?

では、この「ふくめし」の器を写真で見せよう。ね、売れそうでしょう?

(写真・下関名物駅弁「ふくめし」のこれはまだ中味が入っていた時のもの)


三題はなし/抱きつき議員

2005-03-18 21:53:37 | トリビアな日々
nakanisi_oni          2
しりあがり寿ってマンガ家は、そんなに嫌いじゃなかった。たまにリアルに可愛い女の子の絵なぞを描いたりする。しかし朝日新聞夕刊の「地球防衛家のヒトビト」はイケナイ! ハッキリ言ってキライだ。昔は担当編集者はヒトリヨガリのアイディアをたしなめ、ボツにしたものだ。
しかし、昨夜(17日)の「地球防衛家のヒトビト」も駄作だ。

「夜道のチカンに注意」というタテ看板のある道を通りかかった女の子が、その看板にイタズラ描きというか付け足しをする。
「夜道のチカン<と国会議員>に注意」

つまんないよ! なんかヒネリがないの? ストレートすぎて、そのままじゃん。
東京4区選出の中西一善・衆院議員(自民党・40才)が10日におこした強制ワイセツ事件をネタにしてる訳だろうが、議員辞職をせざるを得なかった(当たり前だが)中西がいかに偽善的な議員だったかということをここでは表現したい。

オイラが描いたらこう描くな。

夜道を歩いていると抱きついてきて石のように重くなる妖怪がいる。たしかオンブおばけというんじゃないかな。中西前議員の顔をしたオンブおばけが夜道で女の子に抱きついた。女の子が叫ぶ!
「キャーッ! 抱きつき議員!」
中西オンブおばけが、呟く。「一日一善!ワタシ議員特権で逮捕できませんから…」

ダメか? 長すぎてギャグマンガじゃない!

(※)昨日のネタじゃないけど、この「抱きつき議員」強制わいせつ事件の裏にはこんなウソみたいな事実が隠されていた! その名も「セクシー・チャーハン」(笑)!→http://www.zakzak.co.jp/top/2005_03/t2005031716.html


三題はなし/セクシー・ドライバー

2005-03-17 23:51:37 | トリビアな日々
sexy_driver今日から三日間は、思いきりクダラナイことを書く。というのも、オイラの即興のポエトリーしか聞いたことがないひとは、オイラが書くブログの記事や構成したポエムを聞いたり、読んだりした時にあまりにも真面目すぎてものすごいギャップを感じているのではないかなぁと自覚しているからだ。
だから、そのミーハーで、バカで、毒を含んだイメージに一歩でも近付くために……三日間、ショートショート形式のコントですが、すべて実話に基づいています。

                 1
先日、近くの駅で見かけた看板だ。そう、ホワイトデーにホワイトアウトしていた時、見かけたからオイラのあたまは混乱し、疲れていた。ボーッとしたオイラの目にその看板は飛び込んで来た。

「セクシー・ドライバー募集! 男女問わず」

思わずニンマリして、ボクも応募しようかと思った。ボクはヒップの線に自信があって、(昔だが)女性にセクシーと言われたことがあって、それ以来ひそかにこれはオイラのウリかなぁと思っていたからだ。最近は腰までフィットしたパンツは、はやらないからそこを誉められることがなくなったことが残念でならない。ひそかに、ベルボトムがふたたびはやらないかと願っているのだ。

で、ボクはヘ~ッ、このジャパンも随分すすんだものだ。駅の看板でAV男女優を募集するようになったのだと、おもいきりいやらしい妄想にひたっていた。セクシー・ドライバーって、女性上位で男なら正常位のこと? なんてね。
で、目をこすってその看板をもう一度見直すと、そこにはこう書いてあった!

「タクシー・ドライバー募集! 男女問わず」って!


一匹狼ホリエモンVs.フジサンケイグループ/果たしてそうなのか?

2005-03-16 23:55:39 | トリビアな日々
horiemonニッポン放送株を買い続けついには、取得率が50パーセントを超えてしまったと報じられたライブドアのホリエモンこと堀江社長に、若手の経営者たちが熱い視線を送るのはわかる。だが、いわゆる団塊世代(ボクはベビーブーマー世代と呼びたい)までもが、大きな権力に楯ついてる姿としてシンパシーを感じているらしい。
しかし、ホリエモン自体はすこし前までは、「団塊世代は、はやくいなくなってもらいたい」と邪魔者扱いしていたことを御存知ないようだ(マスコミ露出度がたかまったきっかけになり、若き経営者世代のトップと目されるようになって球団買収に名乗りをいち早くあげる半年ほど前の週刊誌での発言)。

それにホリエモンがやっていることは、アメリカ流の企業買収工作のテクニックで、別段大きな権力に楯ついている訳ではなく、むしろ大きな権力の(この場合フジサンケイグループの)足下の弱点=アキレス腱を見つけたから、そこを攻めている訳で、だからこそフジテレビというかフジテレビが代表するフジサンケイグループという巨大なメディア産業が必死に死守しようとしている訳だ。

フジサンケイグループの弱点と言うのは、年商もフジテレビにくらべれば何十分の一という、いわば時代の寵児であった時代はとっくに過ぎてしまったニッポン放送というラジオ局がフジテレビの大株主であるという歪みである。小さなニッポン放送が、巨像ともいうべき巨大なメディア産業にまで発展したフジテレビのいわば親会社、親企業であるというアキレス腱をホリエモンは見い出して、ここぞとばかりに時間外取り引きと言う奇襲攻撃をかけ、企業経営に破綻をきたすのではないかと思えるほどの巨額な資金(ライブドアの年商の数倍)を、リーマンブラザース証券というアメリカの投資会社に借りて買収資金にした。

先日も、インターネット関連に投資される広告料が、はじめてラジオ放送局を上回ったという報道があったが、昇る陽の勢いのあるIT関連会社が、勢いのあるうちに巨人に化けようとしてうった大ばくちというのが、今回のニッポン放送株をめぐって攻防が続いているサル芝居の中味であろう。

なぜ、「サル芝居」なのか? ライブドア側つまりホリエモンの論理は、金が金を生み、投資ファンドで世界の金融商品を仕切り、支配しているアメリカ流の論理であり、つまり「企業は大株主のもの」という考え方である。対する攻撃を受けているフジテレビの日枝久会長をはじめとするフジサンケイグループの論理は、これまでの日本の経営者が抱き続けて来た「会社は社長・役員のもの」というグループ会社が不動の支配権・経営権を持つと言う「閨閥」の考え方である。
この買収劇のさなかにニッポン放送の労組は、ライブドア買収に反対声明をだしたそうだが、ニッポン放送労組は、これは単に現在の経営者に媚びをうっただけなのではないだろうか?

実は、「ライブドア」自体がこのような企業買収の過程でホリエモンこと堀江氏が社長に就任した会社なのである。ホリエモンは東大在学中に作った「エッヂ」というIT企業が、成長する過程で買収した会社で(2002年11月)、既にネームバリューがあった「ライブドア」が新会社の名称として採用されたという経緯がある。

この過程の中で、モリエモンと一緒に会社を大きくしてきた「エッヂ」の社員は、そのほとんどが解雇・整理されたとのことである。となれば、ホリエモンはもうひとりのカリスマ経営者、現在、逮捕拘束されている西武セゾングループの総裁、「コクド」前会長の堤義明氏にまさるとも劣らない前近代的なワンマン経営者であるようだ。おそらく、ホリエモンこと堀江氏のあたまの中には「会社はオレのもの」という堤氏と同じ考えが渦巻いていることであろう。

では、会社、企業はいったい誰のものなのか? 給与というものは、会社への貢献度で決まり、出来るものほど高額を受け取り、出世するものなのか?

これは、たとえ話になってしまうが、「会社は株主のもの」(ホリエモン)も、「会社は社長・役員・閨閥のもの」(フジサンケイグループ)も、企業を国家にたとえればともに亡国論なのではないだろうか?

そこに置き去りにされているのは、国民であり、人民だからだ。国民を置き去りにした独裁国家が栄えたためしはない。ナポレオンも、ヒトラーも、ポルポトも一時の栄華を誇っても、むなしく滅び去った。

国家が民主国家、国民・人民が主人公である制度が素晴らしいと考えるのであれば、正々堂々と言うべきではないのか? とりわけ、労組であればこそ、自信をもって言うべきではなかったのか?

「会社は、企業は、そこで働く社員のものであり、その家族のものである」と。

(画像はライブドア競走馬「ホリエモン」ファンクラブサイトから←堀江さま、馬の方は応援します!転載をお許し下さい。貴方のあだなの由来を知らない方がたくさんいるようですので、この写真でお知らせも兼ねました。)


ホワイトデーにホワイト・アウト!

2005-03-15 22:39:34 | トリビアな日々
whitedayバレンタィン・デーのお返しの日として、なんら歴史的根拠も、意味もなく作られたホワイト・デー。はっきりいってシカトしようと思っていた。しらを切る、白らばっくれる、って、この言葉はなぜホワイト=「白」にまつわる言葉なのだろう?

して思いついたのが、ホワイト・アウトであった。ヤバイよね。なぜか、あたまの中を吹雪が吹き荒れ、そこに巻き込まれて、白魔と闘いながら呟いている自分のイメージが錯綜する。

レジストしていた。抵抗していた。いやだった。お返しをすることがいやなのではなく、こういう風にお菓子業界の御都合主義で作られたものに踊らされるのが不快なのだ。
しかし、暗黙の圧力(なぜって、楽しみにされてしまっているのだもの)には打ち勝てなかった。馬鹿馬鹿しく思いながらも、ボクが買ったものはこれである(写真参照)。

嗚呼! なんて子どもじみた、趣味と思いながら、このやりとり自体が聖バレンタィンには申し訳ないほど、子どもじみている! ボクは、予言するが、おそらくこの慣習と言うか、バレンタィン?ホワイトデーのやりとりは(それも日本だけだ)将来、子どもたちのまつり、イベントになるだろう。きっと!

と憤りながら、翌15日(つまり今日だ)提出の「確定申告」を書き出していた。毎度の事ながら、やる気がまったくおこらず、控除の材料になるものばかり集めて、いざ書き出すと、このような事務作業がもともと不得意なボクは、頭がすぐにホワイト・アウトになってしまった!

白魔が、こんなところにもいたのかと驚いた! 国税庁、税務署。これらが、ボクのアタマをホワイト・アウトさせた原因だ。とりたてるばかりで、本当に社会保障や年金がもらえるのかと不安をかりたてる社会保険庁もそうだが(先日、朝日新聞が社説に社会保険庁無用論を掲載していた)、自衛隊に対するいわゆる軍備費、PKO活動で派遣、派兵される経費などを控除欄をいまだ設けていない国税庁は、ついにe-taxなるインターネットで確定申告ができるシステムを立ち上げたが、その発想はまったく納税者(と、一応いくらかなりとも払って来たのだよ)の自由、裁量権を無視している。何でもそうだが、(税金を)払うものは(税金の)使われ方を知り、指示する権利をもつはずなのだ。

しかし、その前にもっと分かりやすくしてくれ! まして、確定申告の個人事業者の締め切りをホワイトデーの翌日にするのは、やめてくれ!
嗚呼! ボクのアタマは、煩雑な申告書の記載作業のために、ホワイトデーにホワイトアウトだ!


ハウルの動く城??声に蠱惑される!

2005-03-14 00:53:17 | シネマに溺れる
young_baishohowlやっと『ハウルの動く城』(スタジオジブリ作品。二馬力2004年)を見にいった。さすがに、公開115日目ともなると、席も空いていた。日曜の第1回めの上映と言うこともあったのか、ガラガラだった。ま、稼ぎに稼いだ作品だから、終了間際であってみれば仕方ないだろう。というより、座れるか座れないかという状態では、見に行く気力がわかないのだ、最近は。
『魔女の宅急便』につながる魔女・魔術ものと言えばいいだろうか。さすがに、展開と言うか、演出は、小道具も含めてもう驚きはなくなった。宮崎-鈴木作品でのおなじみのものと言えるだろう(原作はダイアナ・ウィン・ジョーンズの『魔法使いハウルと火の悪魔』)。
ボーッと物語の展開にまかせながら、シートにもたれて見ているボクはハウル(声・木村拓哉)が、翼をはやして変身して空中に飛び立つたびに、つげ義春作品の『無能の人』連作の一編である『鳥師』という作品を思い出していた。というのも、前日、読み返したばかりだったからだ。

これまでの作品に比べ、安心して見ていられるかも知れないが新しさも面白さも感じられなかった。ただひとつ感想がある。それは、声優としてソフィの声を担当した倍賞千恵子さんについてだ。ソフィは物語りの中で18才のこれといって目立ったところのない、自分では美しくないと思っている帽子屋の少女だ。むしろ、ブロンド髪の妹ベティは男にチヤホヤされているため、そう思い込んでしまっているようだ。
そのソフィは「荒れ地の魔女」(声・美輪明宏)によって90才の老婆に変えられてしまう。ボクが感心したのは、少女と90才の老婆の声を使い分ける倍賞千恵子さんの声の演技に対してだった。
18才の少女ソフィの時は、艶やかに、老婆の時は、嗄れて……途中、効果音にかき消されてきこえづらいシーンもあったが、とても良かった。

倍賞さんは、パンフレットにも堂々と生年月日を公開しているが、今年64才のベテラン女優だ(ちなみにロマンスグレーの宮崎監督と同じ歳)。多くは、『フーテンの寅さん』シリーズの渥美清の妹さくら役で知られているが、SKDの出身で1961年にスクリーンデビューを飾って以来、清純派のイメージで楚々とした演技を貫いて来た女優さんで、また歌手でもいらっしゃる。
その倍賞さんも、もはやベテランの域に入り、老いを全面に出したCMなどにも出演なさっている。こんな言い方は、失礼だが、清純派のおばぁちゃんでいらっしゃる!

その方が、ハウル役の木村拓哉に向かって言うのだ。

「だって、ワタシあなたを愛してる1」

いや、びっくりしました。その艶やかな声、若々しい張りのある清らかな声。美輪さんとは、違った意味で(今回の美輪さんが、介護老人のような声を出すのにも驚きましたが…)、またひとり化け物に出会った思いでした! (失礼!)
(画像は「ハウルの動く城」(c)二馬力。倍賞さんのものは所属事務所のものです。←借用に感謝します。)