風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

「東京ローズ」の死

2006-09-29 00:00:03 | コラムなこむら返し
Image1 28日の新聞の訃報欄に興味あふれる人物の死が報じられていた。その名はアイバ・トグリ・ダキノさん。1916年生まれのダキノさんは、26日老衰で90歳で亡くなったと書いてあった。AP電でおそらくアメリカからの配信であるようだ。
 その名前だけでピンとくる人がいたら、おそらく70歳以上だろう。
 ダキノさんは、ジャズやアメリカン・ポピュラー・ソングをバックに甘く囁くような声で、多くのアメリカ兵をとりこにした日本で最初のDJかもしれない。

 彼女の場合、その声の魅力そして正確な発音の英語で戦いを止め、故郷に住む恋人や妻子のことを思い、ただちに故国に帰ることをすすめたり、ホームシックになるようなスウィートな内容の話術をもっていたらしい。大平洋上に展開する若いアメリカ兵たちは、その声と語りにとても魅惑されその東京から発信されていたプロパガンダ放送「ゼロアワー」の女性DJのことを誰が名付けたのか「東京ローズ」と呼びならわした。

 実は「東京ローズ」は、数名いたという説があり、それは本当らしいが、ダキノさんは戦後に自ら名乗り出たただひとりの「東京ローズ」なのである。
 日系アメリカ人だったダキノさんは、ロス生まれで父親が雑貨商を営んでいた。たまたま親類をたよって日本に訪れていた時に、日米が開戦し、帰るに帰れなくなってNHKにつとめ、通信傍受の仕事をして、その英語力をかわれてプロパガンダのアナウンサーとなる。
 「ゼロアワー」は短波を使ったNHKの海外向け放送という位置付けだったらしい。

 日本名は戸栗郁子で、ダキノはポルトガル人の方と結婚したためらしい。しかし、戦後は戦犯同様の扱いをうけ(なにしろアメリカ人にとっては、日本における天皇に次ぐ有名人だったらしい)、アメリカにける裁判で「反逆罪」に問われ服役、恩赦がおりるまでに30年の月日が必要だった。だが、名誉回復も市民権の回復もなされないまま26日にお亡くなりになった。

 諜報活動や、謀略のたぐいには極秘事項が多くて、真実にいたることが困難になるが、第二次世界大戦時にかくまで有名になりながら、「東京ローズ」の真実はさほど多くは知られていない。
 それこそ、NHKなど自社の内部資料などを発掘して(GHQによる取り調べ記録も)、番組を作るべきではないだろうか?

 プロパガンダと放送とか、メディアという問題もきちんと切開されていないことのひとつだと思える。

(写真は巣鴨プリズンに収監中の東京ローズことアイバ・イクコ・トグリ・ダキノ)


いせやな日々の終わり

2006-09-27 23:34:34 | コラムなこむら返し
Iseya_day_1 昨年亡くなった高田渡さんが通っているということが知られ、またネットのグルメ(?)記事などの紹介や、雑誌の吉祥寺タウン紹介などで有名になり、この数年、客層は変わってきてはいたが、「いせや」をもっとも長く贔屓にしてきたのは中高年客それも「年金生活者」だっただろう。実は、高田渡そのひとがその「年金生活者」、つまり生産の第一線から身を引いたリタイアの生活に憧れて、みずからもその身をリタイア世代に見立ててその気侭な暮らしぶりをライフスタイルにしようとしていた節があるからだ。
 また晩年の渡さん自体が、白くなった髯とボソボソとした語り口で年齢よりも老けて見えたからそのライフスタイルは身についていたと言うべきかも知れない。

 かく言うボクが、将来いくらかでももらえるのか分からぬが、「年金生活者」の年齢になったら正しく(!)真っ昼間から正々堂々と「いせや」で立ち飲みすることを夢(?)にしていたから、今回、その昭和28年に建てられたと言う木造の店舗が老朽化のため取り壊されることになったと聞き残念でならない。

 夕暮れ時の、「いせや」からもれる裸電球の灯火とモウモウと立ちのぼる「焼き鳥」(実は焼き豚)を焼く煙りは絵になったし、人恋しさをつのらせたものだった。

 季節々々が素通りする
 来るかとおもつて見ていると
 来るかのやうにみせかけながら

 僕がいるかはりにというやうに
 街角には誰もいない

 徒労にまみれて坐っていると
 これでも生きているのかとおもふんだが
 季節々々が素通りする
 まるで生き過ぎるんだといふかのやうに

 いつみてもここにいるのは僕なのか
 着ている現実
 見返れば
 僕はあの頃からの浮浪人
 (「石」詩:山之口 貘)

 若者の街のようになった吉祥寺にあって、北口のハーモニカ横丁と同様の焼跡闇市と「昭和」の面影をのこす「庶民遺産」とも言うべき店だった。

(店舗自体はなくなる訳ではありません。14階建てのビルになり、その1~2階に現在の店舗を復元して来秋オープンするらしいのですが……)

(写真3)昼、開店早々の「いせや」の佇まい。人影の見えない「いせや」も珍しい。貘さんの詩に合わせてみました。「僕がいるかはりにというやうに/街角には誰もいない」(2006年3月下旬撮影)。




かほり・タイムマシン!

2006-09-22 00:41:01 | コラムなこむら返し
 20日朝、あの芳香が漂ってきたのに気付いた。まるで、南国で嗅ぐかのような強い花の香り。その匂いは金色の匂いとはかくなるものかと、ボクに思わせる。それでいて、その匂いのみなもとはどこにあるのかすぐには、見つけることができないのだ。これほどの強い香りであるにもかかわらず、その匂いは風にのってかなりの広範囲に漂い流れる。

 やっと、その匂いのみなもとを見つけたら、その花はまだあの特徴的な山吹色の粉を吹いたかのような色に染まっていず、いささか拍子抜けした。

 その花??金木犀はボクに青い性欲のようなものをかきたてるのだ。年甲斐もないことを書いて恐縮だが、若い頃の「恋人」にまつわる思い出が、その金木犀の香りに結びついてこの花の香りをかぐと、恋情(れんじょう)のようなものさえよみがえってきてしまう。条件反射のようにボクは勃起している。まるでパブロフの犬だ。

 そうして、ボクは毎年この香りで季節が変わったことを知らされるのだ。それは、いつもボクの心の準備を待ってくれない。ある日、突然、その芳香はボクをおとずれ、いつもボクは、不意を突かれる。

 「恋人」の思い出を封じ込めるように、金木犀の盛りの時に、その花を集めて乾燥させ、匂い袋を作ろうと考えていた。そうすれば、その金木犀の匂い袋はタイムマシンのような役割を果たして、あの18歳の頃の異性を好きになることと、ブレーキのきかない激しい性欲の高まりとのあいだに引き裂かれるヒリヒリするような痛みにボクを連れて行ってくれるかも知れないと考えたからだ。それは、固くて青い恋情だ。

 こうして書きながらもボクはどこか惜しんでいる。40年も昔に失った恋人のことを!
 なんて、往生際が悪いおとこなんだろう!

 だが、それもこうしてボクを40年の時間をも遡らせて、思い出にひたらせてやまないあの金木犀の香りのせいなのだ!

 もしかしたら、香り(かほり)と言うものは「時空」を超えることができるのかも知れない。その強い喚起力は、タイムマシンと言っていいのかもしれない。



物見遊山とタイのクーデター

2006-09-21 01:18:48 | ニュース
 ひさしぶりに驚かされた。20日未明のバンコクで起ったタイの軍部クーデターである。バンコク市内を戦車が走り回り、首相府や放送局などが制圧された。タクシン首相は外遊中で、ほぼ無血クーデターであったようだ。
 民衆の心は、一時は辞任を発表しながら首相の席に居座り続けるタクシンをほぼ見放し、この日(20日)には首相退陣を求める大規模な集会が予定されていた。
 タクシン首相はいわばみずからの一族で支配する携帯電話会社(AIS)で財をなし、会社を一族名義に変えて首相になるや権限を利用して一族会社への利益誘導や、不正な節税工作を行った。当初、民衆寄りの政策で人気をとっていたが、一族の不正な工作が明るみに出るや首相退陣のデモが民衆の中から巻き起こった。この4月、総選挙が行われたが野党のボイコットや、混乱のため成立せず、再選挙が決まっていた。タクシンはプミポン国王に退陣を表明していたが、実質的な権力は握ったまま約束を反故にするような発言をくり返し、民衆の怒りをかっていた矢先の出来事であった。
 ネットのニュース速報によれば、どうやらタクシンは滞在していたニューヨークを離れると帰国せず、ロンドンに向かいイギリスに亡命したようである。

 さて、タイでは仏教界(僧院)、政治のみならず軍の頂点に国王が位置付けられている。文民の政治家を軍部の制服組が倒したと言えど、クーデターもそのいきさつがプミポン国王に報告された。とはいえ、それは民主的な手続きではありはしない。

 いま、危惧されているのはこれまでの流血の惨事からタイがすすめてきたデモクラシーがどこへいくのだろう、ということだ。
 布告された戒厳令が、解除され民衆の日常がもどり、ソンティ司令官が言ったように「できるだけ早く主権を人民に返す」という言葉が、反故にされないことを祈る。

 タイの民衆は楽天的で、ヤジ馬根性をかくせない人々だ。わざわざ、デジカメ片手に戦車を見に首相府まで出かけたりしているらしい。そのような、物見遊山の民族性が血で染まらないことを願う。

 (で、突然、そのような状況を見たいなと思ってタイに行きたくなるボクってなんだろう?)


AKIRAがE.G.P.P.にやって来る!/Step63はライブだよ!

2006-09-18 23:59:08 | イベント告知/予告/INFO
Flyer
●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE SPECIAL EVENT
E.G.P.P.100/Step63 スペシャル・イベント:「10月は黄昏れの国(THE OCTOBER WAS TWILIGHT COUNTRY)」
10月20日(金) 開場18:00/開始19:00
予約:2,000円 当日:2,300(ともに1Drinkつき)
(出演)AKIRA(ミュージシャン・アーティスト・作家)、ララリーヌ(ボーカリスト)、ねたのよい(サイケデリック・バンド)、マツイサトコ(弾き語り)、フーゲツのJUN(ポエット・MC・DJ)。
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)http://naks.biz/suizokukan/
主催:電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/
問い合わせ/予約メール fuugetsudo@yahoo.co.jp
予約専用携帯(夜のみ)/090-7824-5382


 この7月に月イチのオープンマイク・イベントの連続開催60回を突破!??ということは丸5年間も飽きもせず(笑)1回も休むことなく開催してきたということですが??STEP63はそれを記念してスペシャル・イベントをうつことにしました!
 スペシャルゲストとしてAKIRAがやってきます。アーティストにして作家、そして最近では「ONSENS」をひきいてミュージシャンとしても精力的に活動する若者のカリスマのような不思議な魅力をたたえた男です。
 これまで、3回ほどAKIRAとからんでイベントをやってきましたが、そのすべてが面白かったし、また会場をいっぱいにする人気です(今回は会場の都合もあり混乱を避けるため予約メールをいれた方がおトクな設定になっています)。
 そのAKIRAに、「つなみライブエイド」(2005.02)で歌ってくれたララリーヌさん、最近御無沙汰だが「新世紀の村八分」とボクが名付けた爆音バンド「ねたのよい」、E.G.P.P.が生んだ歌姫マツイサトコとボクがからみます。

 疑いはない。ぜったいにまちがいない。十月というふしぎな生きものがやってきたのだ!
(レイ・ブラッドベリ『10月はたそがれの国』The October Country)

(出演者HP) 
【AKIRA】
アキラマニア http://www.akiramania.com/
NEW天の邪鬼日記 http://akiramania.ameblo.jp/

【ララリーヌ】http://lalaleene.net/

【ねたのよい】http://page.freett.com/netazoku/

【マツイサトコ】

【フーゲツのJUN】
電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/
風雅遁走! http://angura.blogzine.jp/fugue/



MIXI11,500アクセスとMIXIのマザーズ上場

2006-09-15 00:12:59 | トリビアな日々
フーゲツの JUNさん、こんにちは。

 mixiからのお知らせです。JUN さんのページ全体のアクセス数が11500アクセスを超えました。記念すべき11500アクセス目の訪問者は恭子 さんでした!

 恭子さん、このところ御無沙汰ですがすみません。最近、毒書日記でとりあげている書物はもしかしたら恭子さんのお好みならばいいなと思います。
 しかし、フリーランスで生き抜く恭子さんの逞しい自立力にもただただ感嘆してしまうばかりです。こういうことを考えるとボクの方が、恭子さんより女々しいのかも知れないなどと考えてしまうのです。
 今後ともよろしく御指導願います。

 ????????????????????????
 昨日、MIXIがマザーズに上場した。ボクにはなんの関心もないが、99年に資本金300万円つまり有限会社でスタートし、04年2月からSNSサイトMIXIをたちあげ(ボクが入ったのが、たしか04年の11月だったかな? 翌年100万を突破したのだった)、いまや570万人の登録会員を集めると言うSNSでは、ほぼ先行ひとり勝ちのラッキーなベンチャー企業となった。その収益のほとんどが広告収益でLBのような虚業体質は否めないが、30歳の創業者社長笠原さんには、コンビニ弁当を食べて今後もがんばってもらいたい(笑)。

 笠原さんのみそっ歯な顔とその庶民性はかう。ついに規約を改正してコンテンツの私物化をはじめた2chよりは、ずっとましだ。というか、MIXIの成長は2chを反面教師にしている面があるだろう。
 そして、MIXIの登録会員に女性が多いと言われているのも、そこに由来するだろう。

 しかし、上場の記者会見の時の映像でも思ったが、屈託ない一見フリーターのような笠原社長(フリーターのように見ても東大出らしい)の周りを強面のオジさんたちが囲み、それらのオジさんたちは金だけはもっている出資者や、銀行関係なのかも知れないが、食い物にされないように踏ん張るように……。

 というか、そんなことよりyahooのSNSにも入りたいのだが、だれか招待してくれませんか(笑)?


毒書日記Poisonous Literature Diary/「マダム・エドワルダ/目玉の話」(二)

2006-09-14 22:03:56 | アート・文化
 バタイユのこの処女作には、後年の『エロチシズム』や『エロスの涙』として理論化されて著述される原形のようなイメージが鮮烈な印象で詰め込まれている。ここには、まだエロチシズムの禁忌とその侵犯といった洞察は登場しない。

 国立図書館の司書であったその身分を隠すためか「便所にしゃがんだ神」という意味のロード・オーシュというひとを食ったような変名で地下出版されたこの作品は(1928年にアンドレ・マッソンの石版画を添えて134部限定版、1941年に500部、1940年にはハンス・ベルメールの版画を添え199部というささやかな限定出版であり、1967年にやっと1万部出版されたのだ)、それでもバタイユを少年時代、梅毒病みの父親から受けた恐怖や、トラウマから解放したようである。
 最後の章(中条訳「思いだしたこと」。生田訳「回想」、「暗合」)で、「眼球・玉子・睾丸」の三位一体がどのようにしてバタイユにイメージとして訪れたのかが明かされる。

 この新訳にはないのだが、バタイユの同時期の断片作品に「松毬の眼」というものがある(バタイユ著作集1971年)。ここでバタイユは眼球のイメージを脳の松果腺に敷衍してそれを「頭蓋の眼」と呼んでみたりする。ところで、このイメージがヨーガで言うところの「第三の眼」(アジナー・チャクラ)の開眼と似ていると思うのはボクくらいだろうか?

 バタイユの「松毬の眼」のイメージはチャクラに似ている。普通「第三の眼」は第6のチャクラで天頂部のすぐ下の眉間にひらくチャクラであるが、バタイユのそれは天頂部にひらく眼なのだ。すると、その眼は第7のチャクラであるサハスラーラ・チャクラに開く眼で、会陰からつきぬけるエネルギーがまさしく頭蓋に開かせる天頂部の眼球だ。

 そして、バタイユは頭蓋骨の天頂部に開いた「松毬の眼」は、正午の天頂の太陽を直立した姿で見据えるために存在する眼だと言うのだ!
 いくら球形のイメージ連鎖でそれが、正午の太陽にまでつながったとはいえバタイユは狂っているのだろうか?

 しかし、まさしく『眼球譚(目玉の話)』そのものに、天頂部の眼でみつめるような美しい描写がある。そして、またバタイユはおなじく同時期であるこの頃に(1927年バタイユ30歳)宇宙的な「涜神」のイメージとも思える「太陽肛門」という作品をも書いていることを申し添えておこう。

 天頂部の眼(松毬の眼)で見つめるような美しい文章で、球形のイメージの連鎖は睾丸、玉子、眼球、頭蓋骨そして天窮にまで至るのだ。ここは生田訳で引用したい。

 ??そのあと私は平たい石を枕にして、草原に長々と寝そべり、「銀河」を振り仰いだ、それは星の精液と空の小便がこぼれ出しでもしたような奇妙なすがたで、星座からなる頭蓋骨状の穹窿を横切ってひろがっていた。まさしく無辺のひろがりのなかで輝きをおびたアンモニアの蒸気から形造られた、天空の頂に開かれたその割れ目は??まるで深い静寂のなかの雄鶏の叫び声が蒸気を引き裂きでもしたような虚ろな空間の中に??その玉子の一種、潰れた眼玉、それとも石に張りついた目くるめく私の頭蓋骨は、相似の形象を無限に映し出していた。吐き気をもよおすような、その雄鶏の異様な叫び声が、私の生命と重なり合うのだった。??
(生田耕作・訳『眼球譚』バタイユ著作集/二見書房1971年)

(おわり)


毒書日記Poisonous Literature Diary/「マダム・エドワルダ/目玉の話」(一)

2006-09-13 23:56:16 | アート・文化
「マダム・エドワルダ/目玉の話」Histoire de L'Oeil/G・バタイユ/中条省平・訳(光文社古典新訳文庫)

 これは偶然なのだろうが、『エマニエル』を読了したとたんに、この新訳の文庫本を見つけた。生田耕作訳が定本のようになっているところを勇気のある新訳出版だと思うが、この光文社の古典新訳文庫のコンセプトは「いま息をしている言葉で、もういちど古典を」というものらしく、これはこれで素敵なことだ。それなのにローダリの「本邦初訳」もあるという面白いライナップである(『ちいさな王子』?「星の王子さま」のタイトルで知られるそれ?もあるところを見ると、著作権切れの「古典」を狙った企画出版なのかもしれない)。

 しかし『眼球譚』をわざわざ『目玉の話』というタイトルにするというところは、のけぞってしまいそうになる。しかし、これはこれで理由の無いことではないらしい。

 生田訳では「眼球(眼玉)・玉子・睾丸」であるものを中条新訳は「目玉・玉子・金玉」とした。これは、フランス語原文の「ウフ・ウエ・クエ」(oeuf,oeil,couille)の音韻上の類似をひきたたせ、この三つのイメージの形態上の類似を「玉」を重ねることによって強調するという意図で選ばれたらしい。
 それはいい。ただ「目玉」という文字面はボクに「目玉焼き」を連想させ、ついで「玉子」も連想の連鎖で「卵焼き」になってしまったという不具合を除いては……。
 さすがに「金玉焼き」というのはないから、「金玉」はそのままかと言えば、食べ物の連想からボクの口の中は「白子」(魚や動物の精嚢のこと)のイメージで白いツバが込み上げてきそうだ。

 いや、不平を言っているだけではない。たしかに「告白体」の採用など、読み易くなったのは認める。しかし、このバタイユの処女作(!)は、聖なる涜神の物語であり、一時は神学校で聖職者になるべく勉学にいそしんでいたバタイユという特意な存在の幼児体験にまで遡るイメージの連鎖であり、「眼球(眼玉)・玉子・睾丸」とは、いいかえるとバタイユの涜神とエロチシズムの供儀のための「三位一体」のオブジェなのだ。

 『眼球譚』、ここでは『目玉の話』だが、その中にふたつの印象深いエピソードがある。闘牛場の場面と、ドン・ファンの墓のある教会のエピソードである。
 「グラネロの目玉」(生田訳「闘牛士の眼」)と、「シモーヌの告解とエドモンド卿のミサ」(同「無神論者のミサ」)それに引き続く「蠅の足」(同)である。
 ここで語られるエピソードは、「死」と「エロチシズム」、「涜神」と「スカトロジー」をテーマとする。とりわけ、この作品ではバタイユの糞尿(とくに尿)への愛着もしくは固着が感じられる。

 詳しい引用をすると章(しかしそれ自体は短い章)全体を引用したくなってしまうが、バタイユの「三位一体」(眼球・玉子・睾丸)が、どのように物語を引き裂くのかの好例としてこの部分を中条新訳で引こう。

 ??私は立ち上がり、シモーヌの太腿を広げました。彼女は横向きに寝ています。このとき、私は、ギロチンが切断する首を待ちのぞむように、自分が長いこと待ちのぞんでいたものと対面したのです……シモーヌの毛むくじゃらの陰唇のあいだから、マルセルの青白い目玉が見えて、尿の涙を流しながら私を見かえしてきたのです??

 物語が引き裂かれる! その引き裂かれた物語の裂け目で主人公は狂気に駆られたかのように屹立する。たとえば、「マダム・エドワルダ」ではこうだ。

 ??「あたしのぼろ切れを見たい?」と彼女はいう。/彼女は椅子に腰を下ろして、片方の脚を高くもちあげていた。割れ目をもっと広げるために、両手で皮膚をひっぱったところだった。すると、エドワルダの、毛むくじゃらで、ピンクの、いやらしい蛸のように生命にあふれる「ぼろ切れ」が私を見つめていた。私は口ごもりながら、ゆっくりと尋ねた。/「なんでそんなことをするんだ?」/「分かっているでしょう、あたしはなのよ……」??

 この彼岸から見返えされるかのようなまなざしが、死者の眼球であり、神の虚無であるといった認識がバタイユのエロチシズムが何であるかをあらわしているだろう。死者(ドン・ファン教会の聖職者)の眼球を内部にくわえこんでシモーヌは、闘牛場で牛の生の睾丸をくわえくんだ時のように両性具有者となり(少女にして睾丸を持つ者)、そして睾丸にして眼球であるそれは陰部から語り手である「私」を見据えるマルセル(「私」とシモーヌが愛した死んだ少女)のまなこ(眼)となったのだ。
(つづく)


毒書日記Poisonous Literature Diary/「エマニエル夫人」<その2>

2006-09-10 23:59:45 | シネマに溺れる
E_arsan_1 映画『エマニエル夫人』(以下『エマニエル』と表記)の原作者、エマニエル・アルサンは女性の年齢をばらすのは気がひけるが、御歳66歳でいらっしゃる。しかし原作本『エマニエル』がはじめてフランスで出版された1967年当時は27歳だった(1963年出版説もある。ならば23歳で『エマニエル』を書いたことになるが……)。

 エマニエル・アルサンの経歴には不思議な色香というか官能が匂いたつようなものがある。そこにはエロチシズム文学の最高峰のひとつを築いた作品『エマニエル』に結実したようなエロチシズムの遍歴が実際にあったのではないかと憶測させるような色香である。

 本名は明かされていないが、エマニエル・アルサンは外交官夫人であるのは間違いないようである。バンコクで生まれた彼女は16歳にしてフランス人外交官の「幼な妻」となる。ちなみにその年齢での結婚はタイでは珍しいことではない。女性も高学歴化してキャリアになり晩婚になってきたとは言っても、地方では早く結婚する傾向にあるのは変わらない(法的には満17歳以上であれば結婚できる)。
 そして、結婚したのち28歳の時に、ロバート・ワイズの『砲艦サンパブロ』に出演、女優としてスクリーンデビューをしている。女優としての名前は、マラヤット・アンドリアンである。小柄だかふくよかな肉体、そして長い黒髪をもつ、エキゾチックな東洋人女性の色香を放つなかなか素敵な方である。そして、もともと映画の脚本を書いていた彼女は後に、習得したフランス語で一遍のエロチック文学を書き、フランスで出版する。『エマニエル』である。
 この本は映画化の話題も加味して数百万部を売りあげる! その映画も世界中に女性を巻き込んだ「性の革命」を引き起こしたが、小説は当初フランスでも物議をかもしたようである。
 1975年に自作の小説を自ら脚本化し、メガホンをとって(名義貸し?)ヌード出演までしてしまう『卒業生』(アニー・ベル主演)という映画もある。現在は、おそらくパリの上流階級の社交界で静かに余生を楽しんでいるのではないかと思われる。

 このエロチシズム小説『エマニエル』は長い間、A・ピエール・ド・マンディアルグが匿名で書いたのではないかというウワサがまことしやかに囁かれていた。ある意味、A・ピエール・ド・マンディアルグのような世界観がうかがえる箇所があるからだ。もちろん、その上当のマンディアルグが序文を書いていると言うのもウワサを増幅させただろう。
 また高名な作家が別名を名義としてポルノグラフィを発表すると言うのは、日本では永井荷風くらいしか思いつかないがフランスではありふれたことだった。バタイユの『眼球譚』が、まさしくそうであったように……。

 『エマニエル』の中の設定で、エマニエルはパリから夫の赴任先であるバンコクへロンドン経由で飛行機で行く、というのは冒頭のシーンである。エマニエルは新婚の貞淑な若妻だった。エマニエルは英語を理解せず、のっけから言語的コミュニケーションの不可能な隔絶された状況に陥るのだ。ただひとり金髪のスチュアーデスだけがフランス語を喋る。キャビンの閉塞的な状況の中で、性幻想にとらわれたエマニエルは視姦からはじまるふたりの見知らぬ男と交わる。そのふたりめの男はまるでギリシャ神話に登場する英雄のようで、エマニエルはみつけたとたん自ら手をひいて化粧室に導いてゆく。そして、その飛行機「飛翔する一角獣(リコンヌ・アンボレ)」号はベイルートでトランジットしたのち、バンコク経由で東京へ向かう飛行機であることが明かされるこの初めの章は「飛翔する一角獣」と名付けられている。そして、この章のエピグラフはオヴィデウスの『愛の術』である。

 訳者(阿倍達文)は残念なことに古典文学にはあまり詳しくはないようだ。これはアルス・アマトリア『愛の技法』と訳されているローマの詩人オウィディウスの作品である。オウィディウスはギリシャ・ローマ神話に題材をとった散文詩『変身(転身)物語』を残したアウグストゥスと同時代の職能詩人だった。

 エマニエル・アルサンはその処女作『エマニエル』を、おそらくギリシャ・ローマの神々に愛され、持て遊ばされ神々との交わり、その愛の中で植物や、動物に変身してしまうオウィディウスの『変身物語』を念頭においてこの物語をはじめた。それは、貞淑な若妻エマニエルの性の変身の物語なのだ。そして、その変身はアルス・アマトリア=愛の技法を通じての変身なのだ。この時、エマニエルの中で愛は性と同義になり、肉体はその女性-性の肯定となる。

 つつしみ深い16歳の東洋の少女が、フランス人外交官と結婚し、やがてみずからも身体をはった女優となり、のちにヌードまでも映画の中で公開するほどにまでなる。それ自体が、「転身」であり「変身物語」ではないか!
 つまり、『エマニエル』が書かれることによってエマニエル・アルサンというエロチシズム小説の作家が生まれたように……。

 そして、『エマニエル』の中でマリオが導くそのエロチシズムの哲学は、いわば20世紀の『愛の技法(アルス・アマトリア)』を打ち立てようと意図したものだろうし、だからこそその哲学は古典的に思えるほど反自然的なのだ。

 「この自然に対する夢の勝利であるエロチシズムとは、不可能なるものを否認するがゆえに、詩的な精神の最高の住人なのだ……エロチシズムは人間そのものであり、エロチシズムにとって不可能なものは何もないのです」

 (写真は『エマニエル』の作者エマニエル・アルサンのヌード)



毒書日記Poisonous Literature Diary/「エマニエル夫人」<その1>

2006-09-08 02:56:58 | シネマに溺れる
Emmanuellefrench_1「エマニエル夫人」Emmanuelle, New Version/エマニエル・アルサン/阿倍達文・訳(二見文庫/2006.9)

 きっと多くのひとにとって「エマニエル夫人」は映画、それもややファッショナブルなポルノ映画と目されるひと昔前の作品だろう(ソフトポルノ=soft coreとか言うらしい)。日本公開は1975年(制作1974年。仏)。この映画はポルノを女性も楽しめるものと両性に開放したと言う功績がある。映像の美しさはファッション写真出身のジュスト・ジャカン監督の手による作品だったということが大きいだろう。籐椅子に腰掛けた主演のシルビア・クリステルのあられもないそれでいて美しいポスターが有名である。

 原作はエマニエル・アルサン、外交官夫人で原著は、フランス語で書かれ1967年に出版された。その翻訳本はたしか映画化される前に出版されていた。しかし、ボクはこの作品がフランス・ポルノグラフィの金字塔とも称される『O嬢の物語』や、バタイユが変名で地下出版した『眼球譚』に並び称されてもおかしくないくらいの傑作だ、というのはうかつにも気付かなかった。映画でもその片鱗は垣間見えるのだが、エマニエルのエロチシズムの師ともいうべきマリオの存在は、狂言回しのような登場の仕方しかしていない。マリオの口を通じてエマニエルに伝授されるエロチシズムの真髄は、原作の中では全面展開されている。

 おそらくマリオが伝えるエロチシズムの理論は、G・バタイユに感化された哲学だろう。ただ、それは序文でA・ピエール・ド・マンディアルグが述べているようにバタイユのエロチシズムは小さな死だという哲学とも違う。むしろ、反自然で人工楽園を打ち立てようというもくろみはボードレールや当のマンディアルグに近いものがあると思う。

 エロチシズムをセイレーンのような自然界にはない一遍の美しい詩にたとえるマリオの哲学は、バタイユをもじって「エロチシズムは自然にあがらう小さな詩だ」と言ってみたいが、そんなことは本文に書いてある訳ではない。

 それにしても、こんなにも香り高い作品だとは思いもしなかった。まず、その各章のタイトル、そしてその章に付されたエピグラフ??凝りにこった上に、本文に垣間見えるバンコク(翻訳本ではバンコック)の美しい描写!
 いやいや、ボク自身はバンコクの上流階級の住まいなどわからないから、ひたすらジム・トンプソン邸を思い浮かべながら読んでいたにしても……(シルク王と言われタイシルクで巨万の財をなしたジム・トンプソンはマレーシアの山中で行方知れず、その残された屋敷は一般公開されている)。

 章立てはこうだ。
「飛翔する一角獣」「緑の楽園」「乳房、女神のような女、バラの花」「短詠唱曲、あるいはビーの愛」「法則」「サム・ロー」

 本文中にもエロチックな詩が挿入されたり(!)、引用されたりするが、時に、それこそ詩文のような描写もあちこちにある。

 ビーとのレスビアンの愛におちいる寸前の描写。

 「八月の夜の妖術めいたなかで、彼女(エマニエル)が一つの世界を顛覆し別の世界を創造して以来学んだこと、忘れたことによって、すべては忘却の彼方におしやられた。いつも曙は唇を金色に染めた。」

 マリオと彷徨い歩く運河の描写。

 「その水路沿いには、ところどころ低い小屋があった。それらはいずれもさびたブリキか黒くなった竹の壁、棕櫚の屋根、それに船着場と家との間に足場板がかかっていた……これにくらべれば、サイパン(水上生活者の住む舟)に住んでいる者たちの生活の仕方のほうが、エマニエルには理解しやすかった。彼らなら、雨の降らない夜には男たち、女たち、そして子供たちが船の前方で、星の下に体を寄せ合い、口を丸くし、ときどき眼をあけて眠る。」

 そして、この作品にはある意味西洋人の目からみたバンコクのノスタルジックな美しさが定着されている。 映画化された映像はましてもっと正直にだが、いまから30年ほど前のバンコクの水上マーケットや、チャオプラヤー河の匂い立つような生活臭、そして水上生活者、スラムなどが迫ってくるのである。映画の中で、マリオの導きでエマニエルと結びつくムエタイの逞しいタイ青年は、原作ではサムローの車夫である。だが、その黒光りする逞しい胸板は現在、日本人女性ファンがたくさんいるK1の覇者ガオグライ・ゲーンノラシンに、イメージされるようなタイ青年の美しさを描写してあまりある。なぜフランスのポルノ(ソフトコア)小説でこんなことが可能だったのか?
 ボクは、ずっと疑問だった。それが、今回みごとに氷解したのである。

 なんとなれば、『エマニエル夫人』の原作者エマニエル・アルサンとはタイ人女性だったのである!

(つづく)



セプテンバー・ソングス/E.G.P.P.100/step62のレポート

2006-09-07 01:37:17 | 曲水の宴/う・た・げ
Koikawa_syep62
 9月に入っての1日め。このオープンマイク・イベントとしては連続開催62回め。この日のエントリー・出演者は10名(+ボク)、しいこキタムラ、PARA、北村イエス(幸生)、やま、ジュテーム北村、おもとなほ、小堀イチエン、マツイサトコ、恋川春町、美希マドカそしてボクでした。

 この日のテーマ設定は「セプテンバー・ソング」で、ジャズのスタンダードナンバーにからめて、911そして9日の阿部薫の命日などを念頭においてました。そして、この日急遽出演いただいた恋川さんは、「セプテンバー・ソング」そのままのタイトルの阿部薫にささげる新作を書き下ろして読んでいただきました。
 ボクにも、朗読時間40分という阿部薫にささげる詩がありますが、ずっと封印してます。恋川さんには挑発されましたが、封印は解きません。

 エントリーした方のパフォーマンスは写真説明で書いた方の分は省略します。

●しいこキタムラ:(写真2)を読んで下さい。

●PARA:そうか、こういうクドキ方もあったんだ! いや、手管という意味では勉強になった(笑)。だって、あとから見せてもらった原稿には、名前のところが○○○になっていて、これって誰にでも応用できるじゃないですか! マイッタな!

●北村イエス;(写真1)参照。

●やま:ひとり芝居仕立ての「時空の旅人」は、おもとさんのひとり芝居に触発されて作ったもの。ボクはすでに、2回ほど見ている。三島由紀夫の割腹のニュースからはじまる。そう1970年11月25日、酔ったおとこは新聞記事でその事件を知る。時空は2006年の現在に帰ってくる、というもの。真ん中に挿入される曲がやまさんの世界を作っている。

●ジュテーム北村:(写真3)参照。

●おもとなほ:重い内容と言う話は聞いていた。ひたすら穴を掘るおんな。はじめは身の回りの品、そして最後には自分自身を埋葬するための穴を掘る。そして叫ぶ。「わたしに誰か土をかけて!」。
 ひきつった表情、はりついたような笑い。かなりの演技力が要求される芝居だ。しかし、この演目はどうやら二度とやらない気らしい。

●小堀イチエン:テンガロンハットにアロハ風シャツ。なんだか小堀さんのファッションも見なれてくると味があるなぁ。この日は、アコステックでヒット曲「山田」から歌いました。

●マツイサトコ:NY帰りのサトコは、小堀さんにギターを借りて一曲。昼寝をしててあわてて駆けつけたらしい。後半に、ボクがインタビュアーになってアメリカみやげ話をききました。

●恋川春町:テーマを聞いて「セプテンバー・ソング」という書き下ろしを書いてくる彼女の気迫にも感心します。それに、それはこの9日が命日である阿部薫に捧げるポエムなのですから……。BGMは阿部薫の「彗星パルティータ」の「α」。それに、山崎クンがギターをつける。2つめは翌日東京ヒップスタークラブでのイベントで読まれるために書かれたパティ・スミスに捧げる詩。こちらで初お披露目でした。

●美希マドカ:久方ぶりの玉置宏の司会つきの「美希マドカ昭和歌謡ショー」! 玉置宏との一切の打ち合わせがないのは前回と同様。ひとり司会がハイテンションになっているのも、前回と同じ(笑)。美希マドカの歌声だけが、切々と聞こえてくる……。

●フーゲツのJUN:ボクのパフォーマンスは「夏の終焉・幼年期の終わり」の記事から想像して下さい。

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 次回は変則開催で、10月20日(第3金)でE.G.P.P.100連続開催60回突破記念のスペシャル・イベントになります! 美術家にして小説家、また旅人にして若者のカリスマ! あのAKIRAが「水族館」にやってきます。近日、詳細告知! 10月20日は予定をあけて待っていて下さい!
 他にねたのよい、マツイサトコが競演します。あと、ひと組はサプライズ?

(写真4)緊張と饒舌のポエトリー・パンクのマドンナ! 恋川春町さん。



セプテンバー・ソングス/phot_2

2006-09-06 00:53:17 | 曲水の宴/う・た・げ
Ciico_k
 (写真2)北村家族その2。しいこキタム~ラ。なにやら先回より綺麗になってると思ったら恋しているらしく、ノロケてました。
恋のひとつで変われる女性というのは、うらやましいのか、不思議なのか。謎です。
 あ、ボクは鯉コクで変われます。ナマくさくて食べられない!