訃報ばかりが、続いていやになってしまう。小田実さんの訃報に続いてイングマール・ベルイマン監督の死去と、今日(31日)になってミケランジェロ・アントニオーニ監督の死去が伝えられた。ともに、1960年代にATGの配給などでボクもさかんに見ていた二人の映画界の名監督があいついで死去した。
イングマ-ル・ベルイマン監督は、もちろんその映画作品でしか知らない。ベルイマンは初監督が1946年で実は、長い監督歴をもつ。しかし、曲がりなりにもクソ生意気な映画ファンになっていた少年時代(ボクは中学生の頃に、「根津アカデミー」や「動坂シネマ」の常連になっていた。その頃、映画をもっとも見た。)、ベルイマン監督の名前を最初に知ったのは『不良少女モニカ』(1952)だった。この作品で、スウェーデンという国の印象をずっと引きずってしまった。そしてその名が深く刻み込まれた作品は『野いちご』(1957)であり、『第七の封印』(1956)、『処女の泉』(1959)だった。初期のベルイマン作品はハレーションのきついモノクロ映画で、神学的なテーマを持ち、子どもにはむずかし過ぎたが、映像の印象とともに訳のわからない神学的テーマを考えることはいい訓練になったと思う。
たとえば、「神の「沈黙」三部作」と言われる『鏡の中にある如く』(1961)、『冬の光』(1962)、『沈黙』(1963)や『ペルソナ』(1966)、『叫びとささやき』(1973)といった作品は現在ではR15指定に相当して、中学生では見ることが出来ない自主規制がしかれている。ボクは、これらの作品を神の沈黙と、不条理の中で身悶えるイングリット・チューリンのオナニーシーンとして10代で見れてよかったと思っている。むしろ、女性のオナニーシーンやセックスシーンを物語や、哲学抜きのAVで見ることになるのだろう現在の10代の不幸を思うばかりである。
7月30日、スウェーデンのフォール島の自宅で死去。89歳だった。
(画像はベルイマン監督作品『ペルソナ』(1966年)より)
イングマ-ル・ベルイマン監督は、もちろんその映画作品でしか知らない。ベルイマンは初監督が1946年で実は、長い監督歴をもつ。しかし、曲がりなりにもクソ生意気な映画ファンになっていた少年時代(ボクは中学生の頃に、「根津アカデミー」や「動坂シネマ」の常連になっていた。その頃、映画をもっとも見た。)、ベルイマン監督の名前を最初に知ったのは『不良少女モニカ』(1952)だった。この作品で、スウェーデンという国の印象をずっと引きずってしまった。そしてその名が深く刻み込まれた作品は『野いちご』(1957)であり、『第七の封印』(1956)、『処女の泉』(1959)だった。初期のベルイマン作品はハレーションのきついモノクロ映画で、神学的なテーマを持ち、子どもにはむずかし過ぎたが、映像の印象とともに訳のわからない神学的テーマを考えることはいい訓練になったと思う。
たとえば、「神の「沈黙」三部作」と言われる『鏡の中にある如く』(1961)、『冬の光』(1962)、『沈黙』(1963)や『ペルソナ』(1966)、『叫びとささやき』(1973)といった作品は現在ではR15指定に相当して、中学生では見ることが出来ない自主規制がしかれている。ボクは、これらの作品を神の沈黙と、不条理の中で身悶えるイングリット・チューリンのオナニーシーンとして10代で見れてよかったと思っている。むしろ、女性のオナニーシーンやセックスシーンを物語や、哲学抜きのAVで見ることになるのだろう現在の10代の不幸を思うばかりである。
7月30日、スウェーデンのフォール島の自宅で死去。89歳だった。
(画像はベルイマン監督作品『ペルソナ』(1966年)より)