風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

11・8 溶鉱炉vol.11@渋谷アピアに出演!

2008-10-27 18:33:38 | イベント告知/予告/INFO
Youkouro_flyer_1 美しき女性朗読詩人である恋川春町さんが主催するイベント「溶鉱炉 vol.11」に出演します。vol.10に続く快挙です(笑)。今回はなんと渋谷アピアでアピアとの共催という形で行われ、あの遠藤ミチロウさんが特別ゲストで出演なさいます。ボク自身は2001年だかに、ミッドカンブリアンのKATSUに呼ばれて出演したことがあり、名前が出て出演するのは初となります。今から楽しみですが、ジャンベの木霊クンに助っ人を頼もうかと思っております。少々、入場料が高いのですが、豪華メンバーの上、8時間におよぶ長丁場のイベントですので、元は取れるはずとおすすめします。

★溶鉱炉vol.11 Up to the Point of Fusion!!
2008年11月8日(土)
会場:渋谷アピア(渋谷区桜丘町3-15)TEL03(3464)9590/JR渋谷駅南口首都高速246号線歩道橋渡りJTBさらにサクラ薬局先20m左側
時間:13:30開場14:00開演/22:00閉演
料金:前売2200/当日2500円
【出演】
音楽:遠藤ミチロウ、小池真司、浅井永久、三角みづ紀、早川理史、宮西計三バンドOnna、アーヴィントン、MaTZG
詩人:桑原滝弥、chori、伊津野重美、イシダユーリ、恋川春町、青木研冶、フーゲツのJUN(with木霊(予定))、ぬくみりゑ、HARD、Hizuru、どぶねずみ男、佐藤yuupopic、福田理恵
即興舞:MargaJo+伊藤まく
口琴:幕内純平
映像:Ophia、nujebanataw(kokekakiki)
オープンマイクあり。

前売予約は恋川春町宛(mixiメール、又は、callnarcisse@yahoo.co.jp)へ。
渋谷アピア地図→http://www.apia-net.com/access/

☆見所その1☆
メインステージ/サブステージを組み、交互に展開するプログラム。メインステージは、弾き語りや舞踊、詩と音楽のコラボレーション。サブステージでは観客一体型ライブ、アコースティックライブ。

☆見所その2☆
バラエティ豊かな出演者陣。詩人×音楽×舞×映像、溶鉱炉&渋谷アピアが厳選した出演者達のTOTAL7時間~8時間に渡る夢の宴!!これだけのアーティストを一挙に見られる機会は他にありません。

☆見所その3☆
オープンマイク時間には、ご来場のお客様のうちの希望者による観客参加型ライブが行われます。ポエトリー・イベントならではの自由でクリエイティブな時間をご一緒にお楽しみください。初めての参加も大歓迎。

【溶鉱炉】とは:
「詩の朗読」というこれまでの一般概念に捉われず、詩×多ジャンルのアートとの共存・競争により独自のムーブメントを牽引してきたイベント。ROCK、弾き語り、即興演奏、アンダーグラウンド音楽、身体パフォーマンス、舞踏、即興絵画、そしてあらゆる表現手段による詩の朗読。これら様々な形のアート同士の融合。
芸術の第一番目のミューズである<詩>。その再生への飽くなき挑戦。すべての<詩>よ<真に詩なる者の声>よ再生せよ!!この現代に<言葉>の息を吹き返せ!!
さあ、今こそ「詩人達の手に、危険ですごい武器ひとつ。」ジャン・コクトー

※わたくしフーゲツのJUNの出演は、メインステージ第2部19:50ころから持ち時間15分のステージングとなります。ファンの方はいらっしゃらないと思いますが、気に掛けてくれている方はよろしくお願いします(笑)!




本格科学冒険散文/21世紀老人(笑)

2008-10-25 14:54:36 | コラムなこむら返し
20c_boys はじめて行った郊外のシネマコンプレックス??キャパ百数十名の映画館が、映画ルームとでも言うように12室あり、隣接するショッピングモールが、また広くてボクは自分のいる場所が分からなくなり目眩がしてきた。で、見た映画が浦沢直樹原作で自らこの映画のために脚本を書いたと言う本格科学冒険映画『20世紀少年』。

 それにしても、シルバー(老人)料金(もうそれを申請するのを恥ずかしいともなんとも思わず、1,000円で映画が見れるのがうれしくてしょうがない)で入場したボクのために貸し切り同然で上映は始まった。そうキャパ百数十名のシートのど真ん中に座って観客はボクひとりだったのだ。
 平日が休みになることの多くなりそうな(今月から通っている)職場だが、休みに始めて映画を見に行き、リッチと言うべきか、さびしいと言うべきか、ともかくも頼みもしないのに貸し切りだった(上映前にシネコンで泣き笑いを大勢のひとと共に、なんてCMフィルムを見せられるのだからさびしさもひとしお(笑))。
 『20世紀少年』を選んだのも、見たかった『おくりびと』に時間が間に合わなかったという理由。そうでなかったなら観客がひとりもいない状態で、フィルムは上映されていたのだろうか?

 手塚賞受賞作家浦沢直樹のこの作品が連載されていたころ、とびとびだが『ビッグコミック・スピリッツ』で読んでいた気がする。しかし、通して読んだことはなかったため、この映画ではじめて全体像を把握した(笑)。
 主人公たち(ケンヂなど9名)が、少年のころ。1969年、はらっぱの秘密基地で構想された「よげんの書」。そこに描かれたことが謎の新興宗教団体「ともだち」とその政治組織友民党によって次々に実現されてゆく。それは、「悪のそしき」による世界征服計画なのだが、その謎の教祖「ともだち」は、ケンヂたちのはらっぱ仲間なのではないかと展開でストリーが進行するマンガ作品。世界征服という荒唐無稽さと、オウム真理教を彷佛とされる新興宗教団体や、主人公をめぐる生活感のリアルさがマンガという手法で溶け合い、疑念をいつか忘れさせてしまう(笑)見事なマンガ的なリアリティ。
 とはいえ、1969年(昭和44年)にまだ子どもたちの世界に「はらっぱ」という遊び場があっただろうかという疑問はぬぐえない。
 だが、映画はどうやら原作にない(描ききれなかった?)側面(たとえば立ち上がったケンヂたちが巨大ロボットに立ち向かうシーンなど)を描いているらしく20世紀後半の事件を(ということは、アラブ世界が世界史の表面に登場する、911以前ということになるが)さまざまに反映しながら、ボクは思わず浦沢直樹本格科学冒険漫画『20世紀少年』を本屋で買ってきてしまった。
 そのマンガ作品は「ポニョ」や「パコ」の大好きな娘もとりこにしてしまったらしく、現在マンガ本は独占されてしまっているのだが……。

 ところで、『20世紀少年』というタイトルは、マーク・ポランのバンドだったT.REXの曲名「20th Century Boy」から来ている。そして、主人公の名前は、遠藤賢治つまりフォーク歌手エンケンからきているらしい。音楽にくわしい浦沢らしいこだわりが生きているのだ。
 もっとも、映画は三部構成の第1章分なのだが……。

映画公式サイト→http://www.20thboys.com/index.html

(画像)画像は小学館「20世紀少年ギャラリー」より。浦沢直樹画。


10・21と「インターナショナル」

2008-10-21 14:47:33 | コラムなこむら返し
 遠く鼓笛隊の練習する音で目覚めた。近日に迫った運動会の練習をしているのだろう。続いて子どもたちの歓声が聞こえる。応援の歓声も練習のたまものだというのだろうか?
 鼓笛隊の演奏する曲目はめざましく変わる。メインは懐かしき「史上最大の作戦」??The Longest Dayのテーマ曲である。頭の中で「♪ザ・ロンゲストディ、ロンゲストディ~♪」と歌っていると、メロディが同じキィで変わった。即座に寝床で反応する。
 「♪ああ、いんたーなしょなる、われらがもの♪」
 立て、飢えたる者よ! で始まる「インターナショナル」である。この労働者連帯の、メーデーの定番のような曲が小学校の運動会の鼓笛隊の行進曲になぜ選ばれているのかよく分からないが、それこそ日教組の策謀だと最近やめた大臣なら言うかも知れない。
 しかし、どうにもボクにとっても違和感がある。それに、急に思い出したのだが、今日は10・21ではないか!

 今の若者は知らないだろうが、10月21日は「国際反戦ディ」と言って、ベトナム戦争がアメリカの傀儡政権への肩入れで激しさをましていた頃(まさに40年前だが)、この日新宿東口駅前に集結した全共闘、反戦青年委員会の青年たちは、前年起こった新宿構内での米タン(米軍ジェット燃料用輸送タンク)火災炎上事故で判明した米軍ジェット燃料用輸送タンクの輸送阻止、ベトナム戦争反対をかかげて新宿駅構内および線路内に侵入して激しく闘った。多数のヤジ馬たち(一般市民)も学生たちとともに新宿構内に侵入し暴れた。西口側に集結した機動隊と対峙し、石や火炎瓶でガス銃、放水に対抗した。多くの逮捕者も出したこの日の闘いは、戦後初めての「騒乱罪」が適用されたのだった。

 反貧困ネットワークが開いた集会が、21日ではなく19日を選んだと言うのもなんだか思わせぶりである(ま、日曜日だったというのが大きな選択肢だったのだろうが……)。いま、貧困や格差は世界共通の問題となったが、そこで失われているのは国際的(「インターナショナル」)な連帯意識だろうか?
 いまふたたび、階級という視点は階層間の格差/矛盾として浮上しあらたな労働運動を生み出すのだろうか?


金色の道(A Golden Road)

2008-10-19 23:12:58 | コラムなこむら返し
Gold_road 新しい道を歩いている。それはたとえとしてだけでなくボクにとっては、体力勝負の肉体労働であるという意味でもシモーヌ・ヴェイユ的な新しい労働だ。そのことはおいおい書くこともあるだろう。きっとこの労働はボクを学ばせ成長させてくれるだろう。そう思いたい。

 一週間ほど前、この新しい仕事先へ向かう早朝、公園でボクは金色に彩られた道を発見してしまった。その正体はすぐ分かった。その道の片側はそれは見事な金木犀の木でおおわれていたから……。
 その金色の道はボクのために用意されたものではないだろう。それでも、それは早朝のだれも歩いていない公園で、「黄金の道」としてボクを待っていた。まるでボクを祝福するかのように……。早朝の「三文の得」のように……。
 ボクは一日、こころ躍らせていた。そして帰り際に、その同じ道を通ると、もう既に多くの足跡に踏み散らされて「黄金の道」は、跡形もなかった。


ジョン・エヴァレット・ミレイ展(3)/オフィーリアとシャロット

2008-10-16 00:21:37 | アート・文化
Lady_shalott というのも他ならぬその手法が、かのイギリスの地におけるヴィクトリア朝の桂冠詩人テニスンなどの手法に良く似ているとボクには思えたのである。建国神話でもあるアーサー王伝説はむろんのこと、テニスンがその華麗なるペンの先で描写するのは先行するホメイロス、スペンサーそしてシェークスピアの題材に基づくテーマだった。いや、現在でも「千一夜物語」や、他ならぬ「オフィーリア」という作品は飽かず現代作家の手によっても書きつがれている。オフィーリアは尼寺へひきこもるどころか、いまだ作家や詩人のイマジネーションを刺戟し続ける。
 小林秀雄の「おふえりや遺文」もそのような書かれ方をした。オフィーリアに同棲した愛人長谷川泰子の姿を重ねながら、小林は泰子を葬ろうとした。無意識の内か、意図してか?

 「おふえりや遺文」は、死後のオフィーリアの独語として成立している。オフィーリアは、いや泰子はここに於いてはすでに死んでいるのだ。ああ、愛するひと、中也から奪った花嫁、狂った花嫁よ。秀才と言われたわたしをお前は悩ませ続ける。死んでくれ、わたしが殺す前に自ら入水して………。

 「女は俺の成熟する場所だつた。書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行かうとした俺の小癪な夢を一挙に破つてくれた。と言つても何も人よりましな恋愛をしたとは思つてゐない……女を殺さうと考へたり、女の方では実際に俺を殺さうと試みたり、愛してゐるのか憎んでゐるのか判然としなくなつて来る程お互の顔を点検し合つたり、惚れたのは一体どつちのせゐだか訝り合つたり、相手がうまく嘘をついて呉れないのに腹を立てたり、そいつがうまく行くと却つてがつかりしたり、要するに俺は説明の煩に堪へない。」
(小林秀雄「Xへの手紙」)

 今回のミレイ展でも展示された「マリアナ」は、テニスンの詩の中にもある。シェークスピアの「尺には尺を」の登場人物でミレイは群青のビロードのワンピースを纏ったマリアナを官能的に描いている。
 会場にも展示されてあったが、ミレイはテニスンの「詩集」にもエッチングで挿画をそえている。そのテニスンがオフィーリアをテーマにした詩を書かなかったらしいのが不思議に思えるが、オフィーリアの姿はどうやら「シャロット姫」(The Lady of Shalott)に反映しているようだ。

 「ほの暗く広がる川面を下り
  ……そして一日の暮れ果てるころ
  姫は小舟の鎖を解き、身を横たえると、
  幅広き流れにのってはるばると運ばれる、
    シャロットの姫君は。

  雪のごとき純白の衣装をまとい横たわると
  ひらひらと右や左に舞う衣
  ……人々は姫のうたう臨終の歌を耳にした、
    シャロットの姫君の。

  かなしげな、聖なる歌は
  声高く、また声低く歌われた。
  やがて姫の血はおもむろに凍えゆき、
  両のまなこもすっかり暗黒の世界と化し、
  ……流れに身を任せて漂う姫君が
  水路ぎわの初めての家に着くその前に
  姫は己が歌をうたいつつ息絶えた、
    シャロットの姫君は。」
 (「対訳テニスン詩集」西前美巳編訳/岩波文庫)

 そしてこのテニスンの詩文のシャロットの姿形、描写は不思議なくらい小林秀雄の「おふえりや遺文」の描写に似ている!

 「風流な土左衛門」(夏目漱石「草枕」)としてのオフィーリアは、こうして『ハムレット』を離れてひとつの神話的登場人物としてイコン化され、現代にまでつながる系譜となる。
(おわり)

(図版)ウォーターハウスの描く「シャロットの女」。テニスンの詩の場面を見事に描き上げた(この作品も今回のミレイ展とは直接関係しません)。


ジョン・エヴァレット・ミレイ展(2)/オフィーリアの歌

2008-10-15 00:41:23 | アート・文化
Ophelia_waterbottom さて、そのような画家のスキャンダラスなエピソードも興味あふれるのだが、ラファエル前派の傑作ミレィ作の「オフィーリア」について、少し感想を述べる。

 今年の2月ボク自身オフィーリアをテーマとして詩を書き、ポエトリー・リィディングした(「E.G.P.P.100」Step79)。そのからみでこの「オフィーリア」については多言を費やした。このボクのブログ『風雅遁走!』の記事としても4回も連載したのだ(「オフィーリア異聞/たまゆらのおんな」http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20080121http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20080124)。モデルであるシダル嬢とのエピソード、題材をとったシェークスピアの『ハムレット』の中のオフィーリア、ランボーが描いたオフィーリア、その中原中也訳、夏目漱石の言及した「オフィーリア」、ミレイの絵の中にこめられた象徴主義的な隠喩などなどである。小林秀雄の創作「おふえりや遺文」についてもふれた。
 ボクが近年書いた文章の中でも、その長さにおいても、内容においても「中原中也論」(昨年6月に12回にわたって分載発表→http://angura.blogzine.jp/fugue/2007/06/)に匹敵するものだった。いや、このふたつの文章は密接に関連するものとなっている。
 中原中也そして小林秀雄にとってのオフィーリア(おふぇりや)とは、このふたりの親友に前後して愛人となった長谷川泰子だったし、それは遠くアルチュール・ランボーが書いた「オフェリア」を伏線にした愛憎なかばする愛だった。
 それらは、もちろんシェークスピアの『ハムレット』を起源とするものだった。

   オフェリアの歌

 いずれを 君が恋人と
 わきて知るべき すべやある
 貝の冠と つく杖と
 はける靴とぞ しるしなる

 かれは死にけり わが姫よ
 渠(かれ)は よみじへ立ちにけり
 かしらのほうの 苔を見よ
 あしのほうには 石立てり

 柩(ひつぎ)を おほふきぬの色は
 高ねの雪と 見まがいぬ
 涙やどせる 花の環は
 ぬれたるままに 葬りぬ
  (森鴎外訳/「於母影」所載)

 小林秀雄はその文芸批評家としての初期に、創作から出発しているのだが、その中でもこの「おふえりや遺文」はシェークスピアの「ハムレット」に設定を借りながら奇妙なほど逸脱している。
 その逸脱ぶりは、小林がオフィーリアを通じて、ある悲劇的な愛のかたちをあらたなる神話にしたかったのではないかと勘ぐらせる。
(つづく)

(図版)もうひとつの「オフィーリア」。ポール・アルバート・ステック作「入水するオフィーリア」。水底に沈む悲劇の少女をロマンチックに描いている(この作品は今回のミレイ展とは直接関係しません)。





ジョン・エヴァレット・ミレイ展(1)/オフィーリア

2008-10-14 22:07:44 | アート・文化
Millais_ophelia 「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」(Bunkamuraザ・ミュージアム/10月26日まで)に行く。
 今回の目玉作品「オフィーリア」(展覧会のキャッチコピーは「オフィーリアよ、永遠に。」)は、ボクは過去何度か実物を見ている。記憶では、イギリスのテート美術館の展覧会は過去開かれており、またラファエル前派のからみでも日本に幾度か運ばれてきているはずである。しかし、今回のようなジョン・エヴァレット・ミレイの全貌を俯瞰する展覧会は日本でははじめてかもしれない。もちろん、ロンドンに行かれた方は美術好きであれば、テート・ブリテンという長い歴史を持つ美術館で誇らしげに掲げられたミレイの絵画作品コレクションを見ることはできる(おそらくロンドン留学中だった夏目漱石もテート・ブリテンでミレイの「オフィーリア」を鑑賞し、そのことを『草枕』に書いたのだ)。

 なるほど、肖像画や風景画の描写の確かさは、ミレイがヴィクトリア朝絵画の巨匠と呼ばれ(今回の展覧会の副題でもある)、晩年ロイアル・アカデミーの会長になった経緯も推測させはする。しかし、ミレイが巨匠となる前のその若き日、ロセッテイらの仲間たちと結成したラファエル前派兄弟団(ラフェアル前派)の頃(1850年代か)が、作品もその画家自身のエピソードも一番面白く興味あふれる。ラファエル前派の台頭にひと役かったジョン・ラスキンとの交流があり、ミレイはラスキンの妻エフィーをモデルにし道ならぬ恋に陥ってしまったらしい。ラスキンに対しては恩を仇で返すことになったエピソードだ(エフィーはのちラスキンの元を去りミレイと結婚する)。
 ラファエル前派の画家たちは、ロマンあふれるというか今日では「不倫」にあたるひとの妻に横恋慕してしまい結果、奇妙な三角関係をつくってはそれが作品に反映している。
 もうひとりのラファエル前派ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの場合も、彼の「宿命のおんな(ファム・ファタール)」こそはファブリック工房をもち、高名な作家であったウイリアム・モリスの最愛の妻たるジェーン・モリスだった(ロセッティの展覧会も18年前の1990年場所も同じBunkamuraザ・ミュージアムで開催され、ロセッテイも大好きなボクはもちろん行った)。ロセッティはジェーンに「貴女という素晴らしいひとを知らしめるため、この絵を描いたのです」という強力な手紙を送っている(ロセッティの多才ぶりも書きたいのだが、ここではひかえておく)。
(つづく)

(図版)今後とも『ミレイ展』の目玉作品でありつづけるだろうミレイ作「オフィーリア」。シェークスピア『ハムレット』の傍役的悲劇の少女オフィーリアを神話にまで高めた作品。



ル・クレジオにノーベル文学賞

2008-10-13 01:35:58 | コラムなこむら返し
Academy_l_c ノーベル文学賞というのは、聞いたことも見たこともない第三世界(アフリカや、ラテンアメリカなど)や東ヨーロッパの小国の文学者がとって、それをきっかけに翻訳が出版されるというパターンがこれまで多かったと思えるが、今年のノーベル文学賞をフランスの良く知られた作家ル・クレジオが受賞した。
 ル・クレジオはヌーヴォーロマンの作家として60年代なかば日本でもすぐ翻訳出版された『調書』でデビューしたが(続いて『発熱』)、とはいえ最近では南米のマヤの神話に題材をとった物語(レシ)を発表していて、ボクを驚かせたものだった。
 その実、日本ではその名も忘れられかけた(ボクだけかもしれないが)この40年あまりの時間を、ル・クレジオは兵役体験をきっかけとして中南米やメキシコに興味を持つ(ル・クレジオには『ディエゴとフリーダ』という著作もある)。
 ル・クレジオはどうやら、フランス一国の文学者というよりは、フランス領のかって植民地だった国々の混淆した文化、言語と共通するクレオールな文学性というものを獲得し、どうやらそのような世界観が今回のノーベル文学賞につながったらしい。
 『調書』で出会ったこの作家が、さらなる世界性を得たことを祝福したい。

 さて、ノーベル平和賞の方は、紛争地帯に乗り込んで調停役を担うと言うプロ中のプロであるアハティサーリさん(フィンランド)が受賞した。実績から言っても全く異義はないのだが、気掛かりがひとつだけある。中国の人権活動家胡佳・曽金燕夫妻の身の安全である。胡夫妻は、北京オリンピック以前から、オリンピックに反対し中国における人権の問題を世界に訴え続けて来た。現在、夫胡佳さんは牢獄に拘束され(国家政権転覆扇動罪)、残された妻は幼子(娘・零歳)をかかえて中国当局の監視下にあり、それでも外国の新聞社など海外のマスコミに中国の人権侵害の実態と、夫の窮状を訴えて支えて来た。今回、ノーベル平和賞の候補に夫婦そろってのぼっていたはずなのだが、受賞したら政治的亡命のチャンスになったかもしれなかった(曽さんと娘は北京オリンピック期間ホテルに24時間監視され軟禁されていたことが最近判明したばかりだ←15日追記)。
 ノーベル賞選定委員会はもしかしたら、北京オリンピックにうつつをぬかしていたのかも知れない。オリンピックが終わって後、交通規制の解かれた北京はふたたびの大気汚染、無秩序なほどの渾沌がもどってきたらしい。国威発揚ばかりにうつつを抜かし、人民を忘れた一党独裁の政府が体面を振り捨てた時、都市と農村の経済格差はふたたびのプロレタリア革命を引き起こさないのだろうか?

(写真)まるで俳優並みの渋さ、色男ぶり。本年のノーベル文学賞受賞のル・クレジオ。


義母の死/妙香の金木犀

2008-10-08 21:10:22 | コラムなこむら返し
 ボクにとっても「はは」と呼べる最後のひとだった義母が亡くなった。74歳の誕生日を間近にしての死去(数えで75歳)だった。
 まだ若いというべきだろう。その日(3日)の朝も日頃活動している集いに出かける用意をしている時に、倒れたらしい。同居している長男の嫁さんが、発見者で、それももうとっくに出掛けてしまったと思っている時に、集いの先からまだ来ないのだけどと電話があり、部屋に見に行って異変に気付いたのだと言う。
 脳出血だった。もう手のほどこしようがなかったらしく、集中治療室から病室に移されそのままあっけなくみまかってしまったらしい。

 やさしいひとだった。ボクのようなどこの馬の骨とも知れない人間を娘の夫として受け入れてくれ、いまは庶民かも知れないが地方の江戸時代から続く名家(少なくとも歴史に残る)の分家筋であるにも関わらず、そして日蓮宗の菩提寺の熱心な宗徒であるにも関わらずボクが実母の葬り方として「樹木葬」を選んだことに関しても、きっと違和感を持っていたに違いないのに、何も言わなかった。

 懐の深いひとだった。慈悲のこころにあふれるひとだった。
 ボクの場合とは違って親戚縁者が多く、あまり見知った顔がある訳でもないのに家族席に座るのはボクには心苦しいし、片腹痛いことだったが、通夜、葬儀そして忌中払いの席と二日間に渡って義母への感謝の気持ちもあって家族席に座り続けた。そう言えば、数年前、自分自身の熊本の叔父(亡母の兄)が死んだ時も、叔父の死は地元の新聞の死亡通知欄に載るほどのものであったのに、それだからかボクは堪え難い違和感をもって「家族席」に座っていた。
 今回、ボクは菩提寺の住職の送り迎えや、忌中払いの司会を申し付けられたのだが、それは黙って座っているのに比べ随分気を楽にさせてくれた。そこはそれ、MCに燃えてしまった(笑)ボクは忌中払いの席の司会で余計なことを喋って、あとで日蓮宗の菩提寺の住職に突っ込まれたりしたのだったが……。

 金木犀の香りに包まれた中で、営まれた葬儀は盛大だったが、しめやかなもので亡き義母の人柄を感じさせるものだった。きっと、義母はその慈愛あふれるこころで生前関わるひとたちを和ませていたに違いないと思えた。そして、義母のはなす言葉のイントネーションはその娘であるわがつれあいに見事に引き継がれており、つれあいの姿の中に義母の面影を感じるのもまた確かなのだった。

 義母(はは)と呼ぶ 女(ひと)を失くした 喪失に 会葬状に 残すうたあり

 金木犀 香る焼き場の 熱こもる 骨となりしか ふくよかな義母(はは)


看板に力が入った87回め!

2008-10-05 10:49:34 | 曲水の宴/う・た・げ
Step87_oguna E.G.P.P.100開催存続の危機に、多くのひとたちが駆けつけてくれ大変にぎやかな日となった。まだ話し合いが終わっていないので、明確なことは言えないが、E.G.P.P.は共同主催のかたちで、来月以降も存続できそうです。喜んで下さい。そして、今後ともの御支援をお願いします。なにしろ、オープンマイクに誰も集まらなくなった時は、それこそ自然消滅ですから(笑)。

 写真で見られるように、この日の看板絵には一段と力が入ってしまいました。最近の中でも傑作ではないでしょうか(と自画自賛する)?
 描いたのは「詩人・小熊秀雄」の顔です。小熊は今風に言えば「イケメン」でした。女性にもかなりモテたようです。二枚目だったのですが、その発言の過激さもあって詩壇から疎んじられ、不遇のまま死にました。

 (とりあえず、ここまで書いたところで、急用ができました。報告はまた帰ってから……)