ボクは貸本復刻版だが東考社(桜井文庫)から出版された水木の戦記もの(戦争マンガ)の傑作を3点コレクションしている。『暁の突入』(1958年)、『零戦総攻撃』(1961年)、『戦艦比叡の悲劇』(1961年)である。東考社は自身劇画家であった桜井昌一が主宰する小さなマンガ出版社だったが、復刻版ではどこよりも早く水木などの復刻出版に手を染めている。ちなみに桜井昌一は劇画という言葉を作った辰巳ヨシヒロの実兄にあたる。かっては、「劇画工房」に属し探偵推理ものを『街』、『影』などの劇画誌に掲載していた。2年ほど前にお亡くなりになってしまったが、ボクがこれらの復刻版を買った時、東考社に連絡を入れるとちょうど入院なさったと奥様から聞いたばかりだった。マンガ(劇画)ファンには記憶していて欲しい方のおひとりだ。
さて、それらの初期戦記もの(戦争マンガ)は、いわばエンターティメントとして描かれたもので、昭和30年代の後半におこったガン(拳銃)、戦艦、戦闘機などのメカニックなものに対するフェティシズム的なブームにあやかったもので、けっして水木の描きたいもののすべてではなかっただろう。
1973年、すでに売れない貧乏マンガ家を脱皮していた水木は(とりもなおさず1965年に「テレビくん」が講談社漫画賞を受賞したことによって水木の生活は一変する。ビンボー漫画家から超売れっ子へと)、満を持して戦記もの(戦争マンガ)の総集編とも言うべき作品『総員玉砕せよ!聖ジョージ岬・哀歌』を発表する。その作品は、すべてではないがほぼ事実に基づく戦争そして帝国陸軍へ対するうらみつらみと批判が凝縮された作品だった。それに、かっての仲間、犬死にを強制され戦死した日本兵への追悼、哀悼の意味ももっている作品のようだ。
さて、それらの初期戦記もの(戦争マンガ)は、いわばエンターティメントとして描かれたもので、昭和30年代の後半におこったガン(拳銃)、戦艦、戦闘機などのメカニックなものに対するフェティシズム的なブームにあやかったもので、けっして水木の描きたいもののすべてではなかっただろう。
1973年、すでに売れない貧乏マンガ家を脱皮していた水木は(とりもなおさず1965年に「テレビくん」が講談社漫画賞を受賞したことによって水木の生活は一変する。ビンボー漫画家から超売れっ子へと)、満を持して戦記もの(戦争マンガ)の総集編とも言うべき作品『総員玉砕せよ!聖ジョージ岬・哀歌』を発表する。その作品は、すべてではないがほぼ事実に基づく戦争そして帝国陸軍へ対するうらみつらみと批判が凝縮された作品だった。それに、かっての仲間、犬死にを強制され戦死した日本兵への追悼、哀悼の意味ももっている作品のようだ。