風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

訃報そして追悼

2006-01-31 00:00:26 | アート・文化
マハトマ・ガンジーの命日(1月30日)にこれを伝えることは悲しいことだが……。

追悼。
29日 ナムジュン・パイク(ビデオ・アーティスト) 享年73歳 死因不明

29日 渡辺克巳(写真家) 享年64歳 肺炎

9日 北田ヒロユキ(高校教師・ギターリスト) プログレッシブル・バンド「グループセラピー」リーダー 心不全

久しぶりにこのBBSを訪問してヒロさんの死去を知り、がく然としてしまいました。一昨年、ボクがヒロさんのお父上の小説を自分のサイトに掲載していたことからヒロさんと知り合いました。そして、ヒロさんがボクも大好きなプログレのバンドリーダーであることも……。

そして、一昨年の秋、お父上と会見する段取りをとっていただきました。
そして、その際、ボクが詩人として出演する新世界のCOCOROOMへの出演を要請したのでした。ヒロさんは残念ながら私用があり、「グループ・セラピー」のサックスの方を紹介していただきました。

まさしく一期一会の出会いと別れとなりました。
ありがとう! リーダー! 一度共演したかったですよ!
素晴らしいバンドです。ぜひ続けて下さい。
東京のボクのイベントへ呼ぶつもりでした。残念です。

ありがとう! ヒロ・キタダ!
教師と言う職業をボクに告げる時、どこか恥じらっているのが可愛かったですよ!
さようなら! ヒロ・キタダ!
お父さんにも合わせてくれて、うれしかったです。裕幸さん!
いただいた『メラトマニア』今後も大事に聞きますよ!

(北田裕幸さんのお父上は北田玲一郎氏であの60年代幻のビート文学『乞食学(ビートロジー)入門』の著者です)


♪キミと よくこの店に 来たものサ♪

2006-01-29 00:23:42 | まぼろしの街/ゆめの街
Denen_clasics様々なメディアに紹介されてきているにもかかわらず、さすがに名曲喫茶というものは行く人は少なくまた平日と言うこともあったのか久しぶりに行ったその店には客はボクを含めて二人だけだった。とはいえおかげでまるで時間(とき)の止まったような時間を過ごすことができたのだが、この店もいつまで持つのだろうかと心配になってくる。
中野の「クラシック」は昨年、店を閉めたことは聞いていたが、先日行ってみると店は跡形もなかった。新しい建物が建てられるような気配で、あのくすんだような独特の外観はもう永久に失われてしまったのだった。

さて、その国分寺のクラシック喫茶はたたずまいも何もが昔のままでコーヒーの味さえもが懐かしかった。この店で失われたのは、御主人だけであるかのように、今は時間限定で未亡人が店を守ってらっしゃる。
一時は、近くのムサビ(動物の名前ムササビではなく武蔵野美術大学の略称)の学生などもたむろしていたが、最近ではどうなのだろうか?

「でんえん」は、三つの伝説を持っている。1950年代の終わり、大阪から上京したばかりの劇画家さいとうたかをが国分寺に居を構えたため「でんえん」は、さいとうが中心となっていた「劇画工房」の劇画家仲間たちの溜り場になっていたこと。「でんえん」を舞台にした交流は、そのまま劇画史を語ることになる。
ちなみにさいとうの「台風五郎シリーズ」には、しばしば「田園」という名前で登場したと思う。

昨年お亡くなりになった永島慎二氏が、用もないのに(永島氏は「劇画工房」には所属せず自らの主催のグループを作っていた)この店に出入りし、その目的がこの店でウエイトレスをしていた若き日の夫人であったこと。ここが出会いの場所となったこと。そして、それに近いエピソードが劇画作品で描かれている。

60年代なかばに、近くのアパートに山尾三省氏が住んだためその都市型コミューンのバム(乞食の意味だが、いわば和製ヒッピー「エメラルドのそよ風」族と名乗った)の住人たちが、しばしば「でんえん」に出入りしていたことなどの伝説である。

そしてこの伝説にボク自身は、劇画ファン(ボクは貸本マンガ世代である)としても、永島氏と交流があったという点でも(夫人ともお会いしている)、そして「部族」と名前を変えたバムとも交流があったという点でも、奇妙な接点があると言わねばならないだろう。

ボクはどこへも行くあてがなく、ただ無為な時間を過ごすためだけに食事もがまんして一杯のコーヒーを飲むためだけに名曲喫茶や、ジャズ喫茶に通いつめたことがある。そのような遍歴の果てに、ボクは「新宿風月堂」という稀有なカフェに行き着いたのだった。
それが、「青春」だとでも思っていたわけでもないだろうが、時間だけはたくさんあった。そして、同じような逸話は永島氏の『漫画家残酷物語』の中にたくさん出てくる。
つまり、この作品や当初『COM』(虫プロ商事発行)に連載された『フーテン』という作品の中に描かれた登場人物はもうひとりのボクだと言って良く、ボクは文学青年を標榜するより、漫画家志望の貧乏で暗い少年だった。

ボクは思っている。かって、永島氏のように理想の少女とめぐりあえることを夢みて無為の時間を過ごしたあまたの喫茶店、名曲喫茶に失われた夢、失われた時を求めてふたたび経巡りたいものだと……。
それで、失われたものは取り戻せる訳ではないとしても、自分の青春の確認はできるかも知れないと。そう、それらの店が跡形もなくなる前に……。

(写真2)まわりの風景は変化しても、店の佇まいはまるでタイムスリップしたかのようだ。



自主映画『寅蔵と会った日』のこと

2006-01-26 00:45:19 | シネマに溺れる
Torazo3自主映画の初公開というのに行ってきた。作品はさいとうりか監督の『寅蔵と会った日』だ。
どうもインディペンデンス映画=アングラ映画というひと昔前のイメージのあるボクには、現在の自主映画はある面では娯楽作品としても「楽しめる」映画だというのが意外である。
そして昨年末から監督本人とも会う機会に恵まれていたボクは、さいとう監督がこんなにもほほえましい可愛い映画を撮るひとだったというのが、これまた意外性とともに面白かった。
なにしろさいとう監督は、早口の突っ込みタイプの喋りをするひとだ。ま、しかし監督本人と作品は切り離して考えるべきだろうけど、それでも作品もまぎれもなくさいとうりか監督を語るものなのだろう。

「浅草発!ハートフル★すったもんだムービー!!」というコピーがチラシにはつけられている。うん、舞台はたしかに浅草だ。浅草寺の門前も仲見世も「花やしき」も登場する。しかし、浅草である必然がボクにはどうも希薄に感じられた。というのも、浅草のすぐ裏手には境界がどこと明確に言えないような吉原も、山谷もが控えているからだ。主人公の青年が手提げ袋の荷物運びを突然頼まれる寅蔵という「謎の」初老の男は、みなりもさっぱりとしてホームレスの男でもなく、ましてや肉体労働者でもなく、仲見世で「顔」である理由がわからない。「よう!よう!」と気さくに挨拶をかけてき、それで主人公の青年も茜ちゃんとの初デートをすっぽかす羽目におちいるのだが、なんとも気さくでお気楽な男だと言う以外はよくわからない。
これは、寅蔵を演じた石見栄英のひとなつっこい存在感なしには説得性がなかったかもしれない。その点、石見さんは俳優としての長いキャリアのためか、存在感でそこを押し切る。

寅蔵はひと昔前のアングラ映画だったら、警官のナレーションというかたちで説明される説明をはぶいて「謎の初老の男」として「不条理」のままに提示したかも知れない。
そして、映画も主人公が茜ちゃんと仲直りするというほほえましい形で終わる。寅蔵のナレーションがかぶさって寅蔵はふたりの愛のキューピットでもあったかのように……。

うん、これは青春映画だ。「下町(プチ不条理)青春映画」と、ボクならコピーをつけたい作品だった。

(1月22日、23日野方区民ホールで初上映。このあと主演の石見さんの住む博多で上映会が計画されているようです。)

(写真は公式サイトのスチール写真ギャラリーから)→http://www.k4.dion.ne.jp/~torazo



光ライブドア事件/オー、ミステーク!

2006-01-24 22:55:26 | コラムなこむら返し
Ohmisstakeその記事を朝日新聞の夕刊で見つけた時、本当に声をあげて「お、同じことを考えている人がいた!」と叫んでしまった。いや、ライブドア社長ホリエモン(堀江貴文)の逮捕劇で、これでこの時代の寵児も舞台から去るのかと考えていた時、この顛末は何かに似ていると思っていたのである。
戦後すぐの、いわゆるアプレゲール世代の犯罪で、このような時代を象徴するような事件があったじゃないかと考えていた。
そして思い出した(と言っても、その「事件」はボクが物心がつく前に起ったものだ)ライブドア・ホリエモンは戦後すぐ(1949年)に起きた事件「光クラブ事件」に似ていると思ったのである。

そして、今日の朝日夕刊にあのアウトロー系の作家宮崎学氏が、「ゲームの行く末/ライブドア事件を考える」と題され、「「光クラブ事件」との類似と相違」なる副題のついた一文を寄せており、この寄稿文を見つけたボクが自分の考えとあまりにも似ていたので思わず声を挙げたのだ。宮崎氏はさすがというか、ホリエモンと「光クラブ事件」の主犯山崎晃嗣との共通点を見つけだし時代としての共通点さえも指摘している。

「つまり二人は日本のエスタブリッシュメントの自信喪失期に経済界に登場し、短期間に一世を風靡する「東大生」の起業家という共通点を持つ」

さらに、そのメンタリティの共通するものとして、山崎の分刻みの日記帳と、堀江のブログなどを挙げている。そう、宮崎氏も若干ふれているが、その自己演出型の劇場型犯罪と言う点こそよく似ている面だろう。
山崎は留置場で言った。「人生は劇場だ。僕はそこで脚本を書き、演出し主役を演じる」と。

金貸し業「光クラブ」をはじめた山崎晃嗣はその「光クラブ」という新鮮なネーミングで一躍時代の寵児となり創業4ケ月あまりで銀座に進出など、急成長をとげる。
わずか一年後には崩壊、ヤミ金融の摘発をうけ自殺する。その遺書には「貸借法、全て‘清算カリ‘自殺」、「私は行き詰まったからでも、債権者に死んでお詫びするというセンチメンタリズムで死ぬのではない。契約は人間と人間を拘束するもので、死人という物体には適用されぬ。そのために死ぬ」と記されていた。

あらまし「光クラブ事件」とは、このような事件であった。
おそらく、50年後には今回の摘発・逮捕は「IT長者ホリエモン想定外事件」とでも呼ばれるかも知れない。

その意味では、つまり事件の核心にいた人物が流行語を生み出したという意味では、そして強奪した金で一流のデパートでブランドのオーダーメイドの服を作らせまるで「ボニーとクラウド」日本版のような粋なファッションに身を固めて逮捕時に「オー、ミステーク!」と言っ放て流行語になった「日大ギャング事件」(1950年)というもうひとつのアプレ犯罪にも似た面があるとボクは思う。

東京タワーを見下ろす六本木ヒルズの一画の、月何百万の家賃の部屋に住み、セレブを気取り芸能界のタレントとつき合い、グルメ日記をブログに書き綴り、自らもタレントを気取るかのようにTV番組に露出する。自民党の刺客に抜てきされ、スワ政界進出かと「時のひと」になりかかったが、ミステークだったのか落選する。
アプレ犯罪とバブルのアプレゲールに登場したホリエモン。この正月、自家用機でタレントの吉川ひなのとパラオに行ったと言うその姿は、終戦から4~5年のちに旧世代への反抗と反発と、否定から生れたアプレ犯罪の担い手たちの姿ともの凄く近似していると、ボクはそう思う。

(写真は昭和25年「オー、ミステーク事件」の山際啓之の逮捕直後。当時19歳のこの元日大の運転手見習いは強奪した金でオーダーメイドした一流のブランド品で身を固め、日大文学部の教授の娘と一緒にボニー&クラウドよろしく駆け落ちした。今で言えばジャニーズ系もしくはホスト系の容姿をしていた。ここはホリエモンと違うところだが……(笑))



六本木ヒルズとスノーマン

2006-01-23 23:51:58 | コラムなこむら返し
Roppongi_snowman身辺から自殺者まで出し(エイチ・エス証券野口副社長38歳)、側近(宮内亮治取締役・38歳・今回逮捕)からはかばわれ、自らのブログでは「身に覚えの無いこと」とバックレていたホリエモン(33歳)もついに逮捕された(23日午後6時すぎ)。
団塊世代は必要のない人々と言い放って、それでも政治家となると利用価値があると見なしたのか団塊世代よりも上の擦り寄ってくる自民党の幹事長を含めてゴマをすっていたこの「新世代経営者の旗手」も、その裏では「人の心も金で買える」と自著で断言し、「強度偽装」以上の「粉飾決済」、「偽計取引」で巨万の金を労せずして稼ぎだしていたことが明らかになった。
ライブドア「ホリエモン」こと堀江貴文社長の罪は多くの個人投資家を裏切っただけでなく、彼を新しい自分たちの世代の旗手・起業家として憧れ、尊敬してきた若き経営者をも裏切ったことにあるだろう。
とはいえ、若き起業家の群れもある意味このような虚業のバビロンシステムで一獲千金を夢みた意味では同じ穴のムジナではあるのだけれど……。

マスコミの対応はそれ見たことかのオヤジギャグ路線のコピー、タイトルが紙面を踊る。

その中でも傑作は『AERA』1月30日号の中吊り広告のコピー「六本木ひるむズ。」かもしれない。
さらに、
チチエモン「文無しになったら久留米へ帰ってこい」(『AERA』同号)
「ホリエモン」は2月に逮捕されて「ムイチモン」になる!(『週刊新潮』1月26日号)
これも注目
「キーマンのナンバー2・宮内亮治取締役「メールはハマのヤンキー調」」(『週刊ポスト』2月3日号)

これらの週刊誌もさすがに発売日当日にこのような逮捕劇が行われるとは、地団駄を踏んだことであろう。

さて、このようなITバブルとそれに牽引されてきた株式市場の活況がまたたくまに冷え込み、下落する中の22日。くだんの六本木ヒルズへ行ってきた(笑)。

そして、このような東京のバベルの塔にもみまがうヒルズのそばの前日の雪の残る街角でボクが、見つけたのはこのような小さな人目を引かないようなスノーマンだった(笑)。

うん、ウチの娘がつくった方がカワイイし、上だわ。でも、こんな虚構の街の真ん中で妙にやさしい風情でボクは気に入ったのだった。

(写真)「六本木ひるむズ」(笑)近くの街角で、溶けかかった小さな小さなスノーマンを見つけた。



TOKYO SNOWMAN's FAMILY

2006-01-21 23:05:55 | 東京暮色/秋~初冬
Snowman_1豪雪にみまわれている西日本のひとには気の毒だが、21日朝から東京に降ったこの冬はじめての雪は子どもたちには格好の雪遊びの時間をもたらしたようである。

はじめのうちは道には積もらない程の粉雪だったが、午後から雪質が変わり見る間に道をも白く積もってていく。そして我が家のまわりでは、おおよそ積雪15センチほども降り積もった。

ボクはカメラを持って周辺の雪景色を撮りにゆくが、公園に娘たちがつくった雪ダルマがユーモラスで可愛かった。 雪の中にもかかわらず雪国に憧れていた娘は大はしゃぎで、ビショビショになりながらも雪をまるめダルマをつくっていく。そしてキャンプ用と、浄水用にとってあった炭を持ち出して目鼻をつける。
こうして、なんともユーモラスな雪ダルマが二体出来上がった。
スノーマンとその子どものような取り合わせだ。

この写真を「東京スノーマン・ファミリィ」と名付けて公開しよう。
ボクの話題もボクには珍しいファミリィ・ネタだ(笑)。

ところで、いまは雪はあがって雨垂れのように聞こえるのは、屋根の雪が解けている音のようだ。気化作用で放射冷却されて明日の朝は冷え込みそうだ。温かくして今夜は早く眠りましょう(笑)。



HELP ME SOFTLY/ヘルプ・ミー・ソフトリィ

2006-01-20 00:46:07 | ニュース
昨年の1月18日付けの記事(http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20050118)で紹介したロボット・レスキューの研究・開発に贈られる「競基弘(きそいもとひろ)賞」の第1回目の受賞者が発表され、震災から11年目の18日神戸市の「人と防災未来センター」で、授賞式がおこなわれた。

受賞したのは塚越秀行(東京工業大助教授)氏と城間直司(電気通信大研究員)氏でドラえもんの好物のドラ焼き型(笑)のトロフィと副賞200万円を贈られた。ドラ焼き型のトロフィはジョークだが、この賞は23歳で阪神淡路大震災で被災し、アパートの下敷きになって死亡した若きロボット工学の研究者だった競基弘さん(神戸大学工学部院生1年)を記念してNPO法人「国際レスキューシステム研究機構」(川崎市)が昨年設けたもので、今回は初めての授賞式だった。

塚越さんの受賞研究はタマネギ大の瓦礫探索小型ロボットで、ガレキに埋もれた負傷者などを発見するロボットの研究であった。
城間さんはレスキューロボットに搭載する高性能の画像解析速度をスピードアップするシステム開発でそれぞれ受賞した。

ドラえもんというネコ型の癒しロボットに憧れ、夢中になった競さんは柔らかいものを上手に掴めるロボットのアームなどを研究していた。人間なみの五感と感性をそなえた「癒し型ロボット」の製作を夢みていたと言う。瓦礫の中から遺体が発見された時、競さんが大好きだったドラえもんのぬいぐるみも見つかったと言う。

競さんは、このような形で自分の名前が残ることを予想もしていなかったろうが、競さんの夢は人類の夢だし、もしかしたら競さんの夢みたやわらかいロボット・アームと、癒しロボットとは自分をソフトに優しく包み込んでくれる母のようなロボットだったのかもしれない。

そう、のび太のお母さんのような……。


神戸へ、そして神戸から

2006-01-16 23:27:48 | まぼろしの街/ゆめの街
「あの時」から11年目を迎えようとしている。この日の早朝午前5時46分にもまた追悼の灯がともされ、なくなった人々への追悼がなされるだろう。
未曾有の大災害だった阪神淡路大震災から11年目の17日の朝を思う。

震災から1年半ほど経って訪れた長田の現地事務所の周辺は、瓦礫は取り除かれてあったが空き地だらけで、人々は仮設住宅に住み、まだまだ廃墟然とした暮らしの破壊された跡だった。
遅れてきたボランティアとして現地にはいったボクらは、ひとの暮らしの破壊された後へのケアや、訪問、仮設での炊き出し、識字学校の手伝いなどの作業をした。
仮設住宅に住む一人暮らしの人の「孤独死」が、さかんに取りざたされていた。

このボランティア活動と前後して、東京で知り合っていた歌うたいのおーまきとまきとその相棒の野村アキとともに仮設のひとびとを励ますためのコンサートと炊き出しの手伝いに姫路に行ったこと等も懐かしくおもいだすほどの時間が経過してしまった。
アキは当時地域コミュニティ放送局として有名になっていた「FMワイワイ」のディレクターなどもやっていた。そのつながりで、「FMワイワイ」のある鷹取教会にも行った。あのダンボールの筒で出来た礼拝堂にも行った。その両手で火災を止めたと噂されていたキリスト像も見た。焼け残ったキリスト像はそのありがたい信仰に由来するのだろう噂とはうらはらに、奇妙にキッチュな像と印象づけられている。

某NGO団体の現地事務所は学生ボランティアでひしめいており、その中には旅をしている若者もいた。若者らしいバカ騒ぎもあった。

現地事務所が閉所式をやった時にも行った。現在、長野県知事をやっている田中康夫さんが若い女性をひきつれて挨拶に来て、そのツレのあまりにも式典にふさわしくないファッションが異様に目についた。彼がまだクリスタル族の名残りを残したまま勝手連的なボランティアを神戸でやっていたころで(その著作もある)、徹底したミーハーぶりはかれのスタイルだろうとボクは了解したが……。

この旅はつれあいとの新婚ボランティア旅行(笑)でもあり、前年かにインドで落ち合ったボクらが運命的に導かれた行った活動だった。

ああ、いま神戸はどうなっただろうか?
神戸で出会った友は元気だろうか?
神戸は真に復興したのだろうか?

神戸は17日の早朝11年目の朝を迎える。


暗く底冷えの街/山谷

2006-01-14 13:41:29 | まぼろしの街/ゆめの街
Sanya_2東日本の最大の寄せ場である山谷へ行った。行かねばならない事情があったから……。だから、これはルポではないし、まして山谷を語るものではない。越冬中の山谷のひと夜を報告する表層の一文である。

いわゆるヤマと呼ばれる「山谷」という地名は地図の上にはない。だが、その日雇い労働者の街、東日本最大の寄せ場「山谷」は、アークヒルズとともに厳然としてこの国の首都東京の中に存在している。一方はIT長者の住む幻影としてのアークヒルズと、その正反対のひと夜のドヤ(宿)もない底辺労働者たちがアオカン(野外宿泊)する街として……。

そこは首都東京の鬼門、丑寅の方向に見合ったためかふたつの悪場所にはさまれ、さらに隅田川という江戸時代から庶民に親しまれた川のエッジのような場所にある。悪場所とは、ひとつは吉原、そして川向こうの玉ノ井の郭街である。

ボクが少年の頃にはこの「川向こう」という言い方にもどこか差別意識を含んだ言い回しで多くのひと(江戸っ子?)は使っていたように思う。
第一、この日光街道もしくは常磐線を敷衍した先には小菅刑務所がある。この風水的な方位の一致はなんなんだろうと考え込んでしまう。

さて、山谷の街は、そのどこか置き忘れられたような時間の止まった佇まいの街並みとともに淋しく、底冷えがした。実際、かなり寒い日だったのだが、最底辺に生きる人々は身を寄せるようにして商店街の路上に布団を敷いて寝ているのである。その中には行倒れとも泥酔して昏睡しているとも区別がつかない状態で正体なく服のまま横たわっているいるひともいる。そのまま、眠り込んだら凍死の危険もある真冬にである。
だが、どちらかというと労働者の数は全体に少ないのではないかと思われた。それはアブレが少なくなったと考えるべきなのか、かっての街にあふれるような労働者の数が少なくなったのは経済の冷え込みとともに街の活況がなくなったせいなのか、それともボクが行った時間のせいなのか?

寄せ場を支援する団体が運営する「遊戯場」なるところも覗いてきた。地下ホールのようなそこには暖を求めて身の回りの荷物だけをもった数十人の男たちが、一斉に同じ方向を見たまま押し黙っている。その視線の先には大型のTVがあった。まるで、ひと昔前の街頭TVが再現されたみたいだった。
簡単な調理用具と炊事場があったが、時間が遅かったためか使用しているひとはいなかった。

キリスト教関係の伝道所があった。「神の愛」を宣べ伝えるために炊き出しや、生活支援をやっている活動のセンター的役割を果たしているのだろう。そして、その建物がどこか崩れていくような昭和初期のキャバレーか、ミルクホールの佇まいを外観に残しているのが不思議だった。

そして、この寒々しさと非現実感はなんなんだろうと考えながら山谷の街を彷徨していると、それは正体のつかめない、もしくはいづこともしれない名付けようもない「夢の中の街」に似ているのかもと思い至った。
だが、実はこの街は繁栄する日本の常に陰画、ネガでありつづけた街なのであった。高度成長期しかり、バブル期しかり……。ゼネコンからみの大規模施設や、高層建築そして公共事業が盛んに事業計画・建設されていた時代に、それを肉体労働、日雇い労働として支え続けた底辺労働者が住んだ街なのだ。

つまり、「夢の中の街」の「夢」とは、この国がGNP成長の過程で見た砂上の楼閣のことで、ひとときの甘い夢を共有できたかもしれない寄せ場の住人の夢をも内包して、その街の凍えるような寒さと暗さは崩壊した夢の陰画を現わしているかのようだったのだ。

ボクは影のような暗い街を影のようにうろつき回ったのだった。

(写真3)キリスト教系の「伝道センター」の建物は、まるで昭和初期のキャバレーか、ミルクホール跡のような佇まいをしていた。



MIXI7,000アクセスけんごさん!

2006-01-11 21:45:25 | トリビアな日々
フーゲツの JUNさん、こんにちは。

mixiからのお知らせです。JUN さんのページ全体のアクセス数が
7000アクセスを超えました。記念すべき7000アクセス目の訪問者は
けんご さんでした!

以下のURLより けんご さんのプロフィールを見ることができます。
これをきっかけにアクセスしてみてはいかがですか。
プロフィールを見る→ http://mixi.jp/show_friend.pl?id=538099

ページ全体のアクセス数:7000 アクセス
2006年01月11日 19:02 けんご
ありがとう! けんごさん!
まだ見ぬ友よ!
どうやら、けんごさんは旅好きなひとらしい。そしてAKIRAの知り合いのようである。

ブログ「風雅遁走!」全体としてはアクセス数は1/11現在
閲覧ページ数合計: 39430
1日あたりの平均: 92.56
この24時間: 119
今週: 675
といったところです。1週間1,000を上回っていた頃に比べれば、すこし減り気味かな?
でも、個人ブログとしてはこれだけのアクセスがあることにボクは感謝してます。
(おそらくMIXIからのアクセスは、全体の15%くらいでは?)


Step55は「花フェノ」を迎えます!

2006-01-10 23:36:43 | イベント告知/予告/INFO
Hanapheno2006年2月3日(金)
●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
E.G.P.P.100/Step55 テーマ:「春と墓碑銘」

【毎月第1金曜日夜の定例オープンマイク・イベント】
MC:フーゲツのJUN (ゲスト)「花&フェノミナン」
(出演)フーゲツのJUN(ポエッツ)、マツイサトコ(うた)……エントリーしてくれたあなた!
開場18:30/開始19:30
参加費:1,500円(1Drinkつき)
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)http://bsn.bbzone.net/suizokukan/
主催:電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/

※ポエトリー、うた、バンド問わずフリー・エントリーが可能です!
事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP 100 BBS)→http://8512.teacup.com/5lines/bbs

テーマ設定は飽くまでもフーゲツのJUNひとりのもの。これにとらわれずに自由にエントリーしてください! 自分の表現はおのれの手で! フリー・エントリー、オープン・マイクのイベントです!
ゲストは昨年「インド洋つなみ被災民ライブ・エイド」にも出演してくれたわれらが「花フェノ」(花&フェノミナン)です。さぁ、大騒ぎしよう! 歌い、踊ろう!

(写真は昨年2月の「ライブ・エイド」に出演した「花&フェノミナン」)



資料発掘!「美術手帳」1968年3月号

2006-01-09 01:50:30 | アングラな場所/アングラなひと
67buzoku2sエネラルド色のそよ風族のヒッピー新聞「部族」発刊

昨年末より東京の盛り場で、蓬髪の若ものたちがサイケデリックな表紙の新聞を売り歩いている。タブロイド型、オフセット多色刷り24頁の内容は、息づまる国家社会の殻を破って、人間同士、人間と大地と交感せよ、魂の呼吸をとり戻せ、という「部族宣言」を中心に、「ヒンズーの人生観」「詩考」、各部族通信など多彩な絵入り。新宿フーテン族の先輩にあたるバム・アカデミーが以前出していた「プシケ」誌の跡をつぐ第1号。百円。
昨年の、サンフランシスコでのHuman Be-inには各国から四万人のヒッピーが集まったというが、神の子、ハリジャンを名乗り、コミューンのような部族連合をめざすこの日本ヒッピーの生長やいかに。ともあれ、標題の東京部族をはじめ、七色の虹のテント族(京都)、カミナリ赤鴉族(長野県)、ガジュマルの夢族(鹿児島県諏訪之瀬島)などインディアン風の夢多い名を持つ各地の部族員やその仲間たちにより、地方都市でもこの新聞かなり売れている。
(発見資料:「美術手帳」1968年3月号コラム「街にひろう」)

  *********************
新春の北関東の一地方都市で発掘した「美術手帳」に掲載されていたコラム記事です。「変貌するオブジェ」「デュシャン」を特集したこの号には、他にも注目すべき記事が満載でした。

また記事中にある京都の「七色の虹のテント族」の詳細を御存知のかた、いらっしゃいましたら教えて下さい。このネーミング、現在のまつりやレイブにも通じるネーミングですね。
この支族の存在はボクも知りませんでしたので……。

(今日の記事はMIXI内のボクが管理しているコミュ「部族」の投稿記事と重複します。あしからず)