風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

総員玉砕せよ!/水木しげると戦争(3)

2007-08-10 23:45:23 | コラムなこむら返し
 水木しげるが『総員玉砕せよ!』という作品に込めた思いは10頁あまりのラストシーンに一番あらわれているかもしれない。そこでは、玉砕を強要された兵隊たちが(指揮者は「見届ける」という名目で生き延びようとする!)、あてどない斬り込みという冥土への旅に旅立つ一部始終が、爆風に吹き飛ばされ手足が散り散りになる兵隊??その無惨な死体で語られてゆく。
 戦場で我に還って幽鬼のように彷徨う兵隊丸山は、突入前に皆と歌った慰安婦の歌をがなり、アメリカ兵に気付かれて「ジャップ!」と狙い撃ちされ死んでゆく。

 「ああ、みんなこんな気持ちで死んで行ったんだなぁ/誰にみられることもなく。誰に語ることもできず……ただわすれ去られるだけ……」

 南島の野山に放置された兵隊たちの死体。腐敗し溶けてゆく肉。腐臭がただよい、「天国のようだった」島は「全員が天国にゆく」島となる。放置されたまま、野山にジャングルで白骨化してゆく死体たち。戦後62年を経てもいまだ拾われない幾多の遺骨が放置されたままであるように………。

 水木にもし、反戦思想というものがあるとしたら、なぜに日本の軍隊と言うものはかくも情けなく、残忍だったのかということだろう。敵や、現地で徴用したり、強制連行したりといったレベルだけでなく、軍隊はその「天皇の軍隊」の一兵卒であった兵隊と言う貴重な人材、資源に対して情け容赦なく無惨だったし、残酷だった。それは、7月7日の廬構橋事件70年の記事のところでも書いたが、日本の軍隊の中にあった「恥」の観念の押し付けゆえにであったろう。つまり、日本の軍隊は敵の捕虜になることを死に値することとマインドコントロールしたのである。「生きて俘虜の辱めを受けず」という精神主義があったがゆえに、沖縄戦などにおける住民への強制命令的な自殺(自決)の強要があった。

 玉砕の思想は、「本土決戦」という国民に強制的な自決を強要する思想にまでつながった。沖縄はまさしく不運な悲劇の発端で、あのような非戦闘員の市民、農民まで兵士と同じ死に方を強要するものだった。玉砕の思想の強要こそが、沖縄のそして兵隊たちの不幸であり、悲劇だった。