風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

隣の中也(5)/ダダの受容 その4「富永太郎と中原中也」

2007-06-15 00:10:14 | コラムなこむら返し
 もつとも、泰子と中也は同棲をはじめてちょうど1年めの1925年(大正14年)3月に、ともに連れ立つて上京する。それは、京都時代に立命館中学の教師をしていた冨倉徳次郎の友人であつた正岡忠三郎を介して知りあつた富永太郎が、東京へ転居してしまつたことに由来する(正岡忠三郎は、父親が正岡子規の門弟でその縁から正岡子規の死後、正岡家を相続した(養子縁組みのような形で)人物で、仙台で富永太郎と同級だつた。中也の早稲田大受験の「替え玉」を引き受けていたが、書類不備で早大受験はならなかった)。

 中也は6歳年上の富永太郎に傾倒した。一時期の中也は太郎のエピゴーネンであった。ファッションから詩まで、太郎の模倣をした。中也のお釜帽子スタイルで有名な写真の帽子ももともとは富永太郎のスタイルだつたようだ。それに太郎の真似をして長髪にし、長いフランス製の陶器のパイプをくわへた。二人のダンディぶりは際立って、京都の往来をあるく時、「ヴェルレーヌとランボーのようだと思ったものです」(長谷川泰子「ゆきてかへらぬ」)。
 中也は足しげく富永太郎の下宿に通い、つひにはその近くに引つ越していく。これは中也の習性だつた。気に入り、文学論を戦わせる相手であれば、その近所に引つ越していつた。中也は引つ越し魔でもあつたのだ。そして、中也は富永太郎にランボーをはじめとするフランス象徴派と呼ばれる詩人たちの存在を教えられる。中也のフランス語熱が燃え上がるのは、富永太郎との出会い以降であつた。

 ここで、ボク自身の思ひ出話をしていいだろふか。
 実は、最初、ボクは富永太郎にぞつこんだった。中原中也は、御多分にもれず国語の教科書で知つたボクだが(「サーカス」「汚れちまった悲しみに」「正午」が載っていた)、富永太郎は自分自身で見い出した詩人だつたのだ。
 ボク自身、実は詩に目覚めたのは遅かつた。そこのところは中也と多少似るが、ボクは中学時代の担任教師の手引きで短歌を書き出した。まだ歌うという感覚には遠かつたが、ともかくその作品は学級の上位になり、学年でも上位になつた。
 そんなボクが、詩に最初の衝撃を受けたのは、小林秀雄訳のランボーの『地獄の季節』であり、新宿の巷で知ったギンズバーグの『吠える』だつた。
 そして、もう20歳になつていたが、60年代の終わりに刊行されていた学藝書林の『言語空間の冒険』で、富永太郎を発見したのであつた。この詩人・歌人に1巻をさいたシリーズは『全集・現代文学の発見』といい、このシリーズで、ボクは埴谷雄高『死霊』、稲垣足穂『彌勒』、尾崎翠の『第七官界彷徨』も読んだ。フランス折りという見返しのついたオシャレな造本だつた。
 この巻に富永太郎の「秋の悲嘆」「鳥獣剥製所」「恥の歌」などが掲載されていたのだ。夭折したとは言え、なぜこのような天才的な詩人の詩が現在ほとんど読まれていないのか不思議に思ふ。詩を書いている自称詩人たちの中にも、富永太郎の存在を知つているものは少ない。


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3 コメント

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JUNさんご無沙汰しております。 (比留間)
2007-06-15 12:47:27
JUNさんご無沙汰しております。
T野です。
その節は大変お世話になりました。

富永太郎の作品は自分も大好きです。以前、墓地(多磨霊園)に『富永太郎詩集』を持って行ったこともあります。あ、狂信的な感じじゃないですよ(笑)。

先月は神奈川近代文学館へ行き、富永の絵がプリントされたポストカードを購入してきました。詩を読む人も彼の名を知る人は確かに少ないですねぇ。。。
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比留間さん! その節はどうも。 (フーゲツのJUN)
2007-06-15 22:08:56
比留間さん! その節はどうも。
ボクも5月下旬に神奈川近代文学館に『中原中也と富永太郎展』に行きました。いや、行かねばならなかった特集でした。中也と太郎のそれぞれの詩集をもって行き、そして、行って良かったと考えています。二人の存在が、より身近になったし、生きて呼吸し苦しみ恋をした人間としてリアルになりました。それに、神奈川近代文学館のみなとの見える丘にあるその立地も良かったし、山手地区はどこかボクの故郷にも似ています。
(それに、山口の中也記念館に行くには、小旅行ですからね…………。)

神奈川近代文学館は大岡昇平が志なかばにして残した太郎の資料や肉筆原稿、書簡類の宝庫なのですよね。大岡昇平は、富永太郎の全集を出版する心づもりだったようです。
ボクも嬉々として太郎のポストカードを買ってきましたよ。
太郎の絵もよくした詩人というところもお気に入りです。
もしかしたら、人妻に道ならぬ恋をしたところも、傷心の思いをかかえて上海に貧乏旅行をしたところなんかも好みかも知れません。
結局そこで病を得て、それが原因で夭折してしまうのですが……。
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富永太郎と中原中也 (藤山照夫)
2020-04-13 15:44:05
貴殿のHPで「富永太郎と中原中也」を発見して、大変興味深く拝読しました。昨年の夏、中原中也記念館で「富永太郎と中原中也」特別企画展が開催されたので、一段と親近感を抱いた次第です。
どうぞお暇の折「中原中也の四季の詩」https://www.fujiyama-jp.net/wp/?p=2723を御覧ください。
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