風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

2007年を振り返って……

2007-12-31 17:24:56 | コラムなこむら返し
 「サマー・オブ・ラブ」40周年を宣言することからはじまった2007年も今日で終わりだ。その割には、まつり参加も、開催もやや不調だったかもしれない。しかし、来年(と言っても、あとわずか数時間だが)は期待できそうだ。なにかが、起こる(笑)。

 40年という時間は、長いようで短かった。心情的にはあの頃と、何ほども変わっていないような気がする。とは言え肉体的な経年劣化はこれはどうしようもない(笑)。老いを意識していないと言えばウソになるが、あの若々しかった十代の肉体とは比べ物にならない。時間は熟成と、老いを確実に与える(もっとも、熟成の方もボクには怪しいものだが……)。

 今年参加したイベントで、楽しく印象に残っているのは「ひかりまつり」と「はらっぱまつり」である。「ひかりまつり」への参加は舞踏家3人、ミュージシャン3人に混じって口上(という名のポエトリー・リィディング)を述べると言うものだったが、藤野の町なかで門付をするという試みは野心的で、面白かった。もっとも、これは藤野在住のピアニストKYOUさんの根回しがあればこそだったのだけれど……。

 復活して2回めの「はらっぱまつり」には「JUNCOCO」という名前で2回めの出店だった。「やすらからすや」との2店共同出店で7名くらいで参加した。たった1日で、搬入撤去というのはもったいなかった。ぜひとも、来年からはせめて2日ほどの開催を望みます。

 今年E.G.P.P.で取り上げたテーマでパフォーマンス的にも「はまった」なぁという感想は、5月の寺山修司、10月のチェ・ゲバラ、12月の中原中也だったと思う。寺山修司は、まるで降ろした(イタコが降霊するように)ような気がしたし、ゲバラと、中也は機会があれば再演したい。

 ということで、本年もみなさんに支えられお世話になりました。また新しい年もよろしくお願いします。
 みなさんに良い新年が、訪れますように!


蛆拾遺物騙り/語りきれなかったこと

2007-12-30 23:48:04 | コラムなこむら返し
 カレンダーの上では、12月などほぼ毎日ブログの記事を書いているようにみえる。写真のアップなどで実は、更新日付けを稼いでいるところがあるから、そんなにも几帳面に書き続けた訳ではないが、書こうと思って書けなかったこと、触れることが出来なかったことはたくさんある。
 そのすべてを拾遺しきれる訳ではないが、思い出したことに触れておこう。

 映画『パンズ・ラビリンス』はパフェークトの評価を与えながら、映画評は書きそびれてしまった。もう1度見に行きたいと思っている。主人公の少女の名前がさらに気になってきているのだ。

 写真での報告だけをした「反戦と抵抗のフェスタ'07」のミィティングでは面白い発見をしたのだが、それを書くことはなかった。

 22日には、新聞の片隅にジュリアン・グラックが97歳の高齢で亡くなったことが報じられていた。「シルトの岸辺」「アルゴールの城にて」など作品は多くないが、ボクは好んだ。それに、この日本で言えば芥川賞になるだろうゴンクール賞を受賞しながらそれを拒否した孤高の生き方が好きだった(24日報道。死因は非公開)。

 23日には、JAZZピアノの巨星オスカー・ピーターソンが亡くなった(報道は25日)。腎不全で享年82歳だった。これも、記事としては書けなかった。

 ブッド元首相のテロ殺人が報じられた28日付けの新聞は、久方ぶりにまるごと取り上げたいと思うほど面白い内容になっていたのだが、書く時間はなかった。この日の朝日新聞は今年の10大ニュースなどの他に、朝日が一年かけてやっていた「ロスト・ジェレネーション」キャンペーンの総括的な対談や、アマゾンでメチキチレ族が歌を残して森へ消えたという不思議なニュースも載っていた。

 (追加)明けて正月6日まで開催していいるようだが、10月の第2週くらいに国立西洋美術館(上野)に『ムンク展』を見に行った。これまで、幾度も見た画家としてのムンク像がくつがえるような展覧会で、晩年のムンクがどのような構想を持ち、そしてノルウェーの国民的画家になっていったかが、とても良くわかる展覧会だったのだが、感想を書けなかった。ただ、ひとつだけ。
 長いあいだ『吸血鬼』というタイトルで知られていた作品が、それがムンクの付けたタイトルではなくムンクによって否定されていたということを知ったのはちょっとショックだった。
 『マドンナ』は40年ぶりに原画をみたような気がする。やはり「病める子供」の少女像とともに好きな絵だ。

 さて、2007年を振り返るのは、明日の記事のためにとっておきたい。


第1部はまるで出張ミニ「独パン」!

2007-12-29 17:23:42 | アングラな場所/アングラなひと
Muzenji_3 同日、美季マドカの対バンというか、第1部に演奏されたのはまるで出張ミニ「独パン」の様相だった。ボクが「無力無善寺」に入っていった時には、ステージでは真冬に出てきたユーレイのような扮装をした小原努さんが、これまた歌詞を忘れながらなかなかのブルースコードの曲を歌い聞かせていた。小柄ながらギターのストロークが力強い。なんか「真冬のユーレイ」の扮装がここ「無力無善寺」にぴったりだった(なにしろお盆の提灯が後ろで回っているからね。もう究極の季節ハズレ!)。本人は「このまま棺桶に入れる究極のエコ衣裳」ってMCしていました(爆)。

 続いて「独パン」主催のチバ大三。久しぶりに聞きました。チバ節は全開です!
 で、チバくんは美季マドカのリクエストに応えて「チムチム(チンチン)チェリー」を歌ったのですが、これが滅法良かった。ボクははじめて聞いたのですが、哀感があってチバくんの歌い方にぴったりなのです。見直しました(笑)。

 次はなんと言えばいいのか、打ち込みでオリジナル・アイドル路線の歌を歌う少女シンガー(?)りでるさん。もう少し、なんと言うかロリータ路線か、宝塚路線を徹底してもらうと食指が働くのですがね。でも、なかなか可愛い子です。すみません。パンツを見てしまいました(笑)。

 さらに、「永遠の15歳」という触れ込み(笑)の桜川春子さん。彼女は上京参戦組でベタな大阪弁を喋ってました。今回、25日の「独パン」出演で上京し、東京でもさらに歌いたいということで、この夜のライブが実現したようでした。でも、結構いいなと思う曲と、ギターはじめたばかり?と思う曲との落差が大きいです。

 で、ここまでが第1部の出張ミニ「独パン」だったようです。第1部の出演者、お客さんはここでほとんど帰ってしまいました(笑)。

(写真3)チバ大三。「ツチノコのうた」は前も聞いたが、今回はリクエストで歌った「チムチムチェリー」がとても良かった。


オイラがWINNER!(「Last Flight」カラオケ大会)

2007-12-28 23:59:07 | アングラな場所/アングラなひと
Last_flight_1 27日高円寺の「無力無善寺」の第4木曜日美季マドカによる「昭和歌謡ショー」本年最後のイベントは、美季マドカのオリジナル昭和歌謡の名作「ラスト・フライト」のカラオケ(実は美季さん自身の伴奏付きで「生オケ」)大会だった。エントリーは無善法師、13号倉庫、bambi、ボク、PARAと「E.G.P.P.100」関係者が圧倒的だったが、上手いも下手も入り交じって面白かった。それぞれ美季さんが買ってきた参加賞をもらえるのである。そして、栄えある大賞受賞者には豪華商品がつくという話だった(13号倉庫さんの話ではたしかそうだった)。
 豪華商品という言葉に目が眩んだ訳ではないが、練習していった。しかし、原曲はボクにはややキーが高いのであった。
 で、ボクはこの日エントリーするというふっきーをライバル視していた(笑)。彼女は前日からどうやらCDで練習をしているらしかった。彼女のmixi日記によるとNHKのロボコン大会(今回は「風林火山」と題して相手の旗をとる、はじめてのガチンコ対決だったのだ)を見て興奮して、そうしながら「ラスト・フライト」をしっかり練習しているようだった。これは、あなどれない、と勝手にライバル視していたのである。ロボコン→練習という流れまでほぼボクと同じだったのである(笑)。

 ところが、口をあけてみるとふっきーは一向に姿を見せない。ひそかにラッキーと思っていた(風邪でダウンしてビデオを見ていたらしい)。カラオケ大会が、はじまってみると毎月第4木曜日にこの曲を聞いてるはずの無善法師(この人、一応この店のマスターね)は、問題外。全然自分のオリジナル(笑)を歌ってるし……、と思っていた。思わず、こっちが原曲を忘れるくらい音をはずしている(笑)。
 そして、いつもわがオープンマイク・イベントで「純粋観客」をして3年目の13号倉庫さんが、2番めに歌い、あなどれないくらい音をはずさなかった。吃驚した。もう、「素人こそがスーパー・スター」というボクが、E.G.P.P.の前身である「Free Song, Free speaking」(これは、荻窪にあった「Boxing lee's Cafe」で始めたときの命名)のコンセプトを思い出したくらいである。 続いてbambiさん。いつものスピリッチャル・トークで始まった。歌はまぁまぁだ。
 続いてボクの番だ。もう、この時間帯(22時すぎ)になるとbambiさんとともに行こうと思っていた国立「地球屋」のYARZのライブはあきらめざるを得ない(アリ、ごめんね!)。
 歌った。キーが高い。でも、メロディラインはちゃんと歌えたような気がする。
 そして次に、最近結婚したてでアツアツのPARAが歌う。まるで、いつものポエトリーだ(笑)。
 勝算はあった。そして、ボクが栄えある第1回目の「美季マドカ『Last Flight』カラオケ大会」のWinnerとしてコールされたのだ! やった。「ロボコン大賞」よりうれしい「ラスト・フライト/カラオケ大賞」だ(笑)! 努力(?)は報われたのだ。
 商品は、美季マドカの使い古したピック2ケと(しかし、その内ひとつは次の演奏で貸したままで呈良く取り戻されてしまった)、美季マドカ・ライブコンサートの無期限無料(それも手書きの!)10枚つづり券であった!

 ああ、それはそれは見事な豪華商品であった!
 (はやくメジャー・デビューしておくれ!)

 でも、かくして年末をカラオケ大会のWINNERとして栄えある(?)栄冠を勝ち取ってボクは満足であった(ン?)。

(写真1)自分のオリジナル昭和歌謡「ラスト・フライト」を歌う美季マドカ。やっぱり持ち歌は本人が一番うまい(笑)!


2008年口開き/正月四日・花のお江戸の大捕り物!

2007-12-27 15:58:25 | イベント告知/予告/INFO
Nezumibenten_kozo●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
E.G.P.P.100/Step78
テーマ:「ねずみ男(もん)/花のお江戸に義賊出没!」
2008年1月4日(金)開場18:30/開始19:30
参加費:1,500円(1Drinkつき)
MC:フーゲツのJUN
(出演)フーゲツのJUN(ポエッツ)、ココナツ、マツイサトコ(以上うた)ほか……エントリーしてくれたあなた!
(ゲスト)JOKER777
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)http://naks.biz/suizokukan/
主催:電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/

 2008年新春。革命的な1968年から40年目の年の初め??富の不公平を正す革命は成就するどころか、社会の不公平はさらに拡大し、富めるものはさらに富み、貧乏人はさらなる窮地に立たされると言う格差拡大のあたかも封建時代の身分制度のごとき「格差社会」が出現しつつある。政府は手をこまねいて無策であり、政治は問題視するのみの論戦の道具でしかない。
 今からわずか150年前の安政4年(1857年)、浅草「市村座」で初演された河竹黙阿弥作の『鼠小紋春君新形(ねずみこもんはるのしんがた)』は、江戸庶民の喝采を受け、演じた役者ともども大評判となる。都市伝説としての「鼠小僧」の誕生である。その中のセリフ

「盗みはすれど、非業非道の働きせず、人に難儀はかけまいと、利合(利益)の細き町人の家へ入ったことはねえ。百や二百のはした金、盗まれたとて障りにならぬ大小名のお納戸金、盗んだとても、その金をおのが私欲に使やしねえ。難儀な人を助ける金。」

 このセリフに働いても働いても豊かには一向にならない、今で言うところのワーキング・プアの江戸庶民は拍手喝采し、溜飲を下げた。
 まさに義賊、鼠小僧次郎吉は実在の人物。都市伝説となった義賊とは、実際はちと違っていたらしいが、こうして鼠小僧は白波五人男の大盗賊石川五右衛門、江戸のトランスジェンダー弁天小僧らとともに庶民にまつりあげられてゆく。
 正義は悪から始まる。貧しきものに代わって天下を撃つ。仁侠と同じ構造で世の不正を糺す。

 2008年、干支でいえばネズミ年??まさしく私利私欲を捨てた鼠小僧のような義賊の登場が待たれているのかもしれない。
 ベンチャーの雄だったホリエモンも庶民の味方ではなかった。勝ち組を目指した大泥棒は、社会の表面から消えた。ネズミ小僧になれなかったコソ泥は、「ネズミ刑」に処せられる!

 ネズミ年の松の内、会場「水族館」の新春第1日目をかざるポエトリーの大捕り物!
 花のお江戸は東京か? さても、見物においでませ! おいでませ! いらっしゃい! いらっしゃい!
 貧民に代わって巨悪を討て!

 一般オープンマイクへエントリーなさる方には、このテーマ設定でのしばりはありません。御自分の表現・テーマで挑戦して下さい。
 ※ポエトリー、うた、バンド問わずフリー・エントリーが可能です!
 事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP 100 BBS)にエントリー表明を書き込んで下さい!→http://8512.teacup.com/5lines/bbs


三次元に飛び出す絵本

2007-12-26 21:55:16 | アート・文化
Popup_jungle_1 「POP-UP」と英語では言うらしい。要するに「飛び出す絵本」とか、「仕掛け絵本」とか言われているもののことだが、その手の込んだ工夫と細工には、頭の中にあった「飛び出す絵本」のイメージが一新させられたものだ。
 斬新なイメージと内容をもった絵本には、時にイメージが二次元の紙の平面から立ち上がってくるような気がするものだが、「POP-UP絵本」は、字句通りページをめくるとイラストが立ち上がってくるのだ。最初見たのは『不思議の国のアリス』のPOP-UP絵本で洋書だった。ボク自身が欲しいと思ったくらいだった。

 先週、西武百貨店池袋本店で開催されていた「POP-UP絵本ミュージアム」(12月12日~25日西武ギャラリー)というものに行った時、その欲しいと思った『不思議の国のアリス』の絵本の作家の名前がわかった。彼の名はロバート・サブダと言い、今回はマシュー・ラインハートというやはり天才的なPOP-UP絵本の作者とともに、仕掛け絵本の世界を見事なまでに展開し展示していた(サブダひとりで昨年も同じ会場で『しかけ絵本の世界展』という展覧会が行われたらしい。またTBSテレビ『世界ウウルン滞在記』でタレントがサブダに弟子入りするという番組が放映されて、良く知られるようになったらしいのだ)。
 会場にはA全くらいの大きさまで引き延ばされたPOP-UP絵本が、電動で動く仕掛けまで用意されて精妙なそれでいて紙だけで出来た絵本に照明とが音が加わって、どこかチープな遊園地を連想させ、それだけでもこころ楽しくさせるものだった(この場合、ボクは「チープな」という言葉を肯定的に使っています)。

 今回は来春日本版が出るというサブダの新作『ナルニア国物語』(The Chronicles of NARNIA)がメインなのだが、その仕掛け絵本ではついに材料に布まで使われることになっていた(帆船の帆である。英語版は発売中)!
 しかし、サブダの仕掛け絵本は夢もあってファンタジックだが、同じデザイン事務所に所属するマシューの作品は『太古の世界』(サブダとの共同制作)や『ジャングル・ブック』、そして『スター・ウォーズ』などどこかダイナミックで男の子の心琴をくすぐるものだった。

 仕掛け絵本を作ってみたくなって、クリスマスカードに挑戦してみたが、その出来栄えは散々たるものだった。なにごとも一朝一夕にはならないということを確認しただけでした。
 それにしても、サブダとマシューの大型仕掛け絵本は背幅だけで12センチ以上あり、本箱のスペースをかなり占拠することだけは間違いがない。

(写真3)POP-UP絵本の中で現在最高峰の55センチの高さのサル山が飛び出すマシュー・ラインハートの『ジャングル・ブック』。


ハッピー!ルチア祭/クリスマスからルチアへ

2007-12-24 23:08:48 | コラムなこむら返し
Parma_luchia クリスマスはクリスチャン(キリスト教徒)にお返しし、わたしたちは北欧の先住民のまつりと結びついたルチア祭を伝統的な「一陽来復」として祝おうというのが、ボクの提案なのだが、他の主旨はほとんどキャンドル・ナイトと同じであります。
 きょう、新しい光の誕生??新年の訪れをお祝いします。

 とはいえこの提案はサンタクロースのプレゼントをケチろうという魂胆ではありません(笑)。サンタクロースのプレゼントというのも赤ら顔のおなじみの扮装とともに、世間に広まったのはそんなに遠い昔ではありません。サンタクロースのイメージは、1920年代ノーマン・ロックウェルが描くイラストで決定的なものになったが、19世紀のアメリカで作られたものらしい。
 そもそもは聖人であったニコラス(ニコラウス)が、貧しき者に施しをした行ないに由来するのだが、消費社会が巨大な市場に育ったことによってサンタクロース(聖ニコラウス)は、クリスマスと結びついた商魂たくましい企業の格好の宣伝媒体となった。

 日本では、すでに戦前「子供之友」におなじみの姿で紹介されていると言うが、それとて輸入された姿形であり、昭和30年代に徐々に一大勢力になりつつあったサラリーマンの師走のバカ騒ぎで広まり、認知されるようになった。クリスマスは大人の酔いつぶれた姿で認知されていったのだ。トンガリ帽子をかぶっていずこかのクラブか、バーで大騒ぎをしてきた男たちが申し訳のように赤ら顔をして家族のために買って帰るクリスマスケーキとして定着してゆくのだ。

 洋菓子屋のたくみな仕掛けがあったにせよ、今日のようにバースディには当たり前のようにバースディケーキといった風習はそれほど定着しておらず、デコレーション・ケーキ自体がまだ物珍しく感じられた時代だったのです。

 いまではサンタクロースは高価なおもちゃや、ゲームソフトまでも子どもたちにプレゼントするほどリッチになったらしいが、そもそもはせいぜいクッキーを靴下に入れてゆく位の素朴な風習だったと思われます。
 今晩のNHKのサンタクロース特集の番組で、第三世界の子どもたちはフィンランドのサンタクロース村へあてて家族の病が治りますようにとか、学業が続けられるよう自分にスポンサーがつきますようにと言った真剣で、切羽詰まった「お願い」を寄せていることを知った。
 世界が公平に愛に満ちたものになるためには、飽食のなかで麻痺してしまったわたしたちの感覚や、感性こそを軌道修正する必要があるのではないだろうか?
 それこそ、世界に光を与えるため、不公平に満ちた世界をバランスのとれた世界にする光を生み出すために……。

 苦しみに満ちたクリスマスを、光をもたらすルチアへ!

(写真)「聖ルチア」マロッソ画。光をもたらすルチアは眼病の守護聖人でもあるらしい(今年の夏、西洋美術館で開催されていた「パロマ展」より画像をお借りしました)。


「ひと」欄にゲーリーが登場!

2007-12-23 23:58:25 | アングラな場所/アングラなひと
Gary_snyder_poet なぜ今だったのか、結局わからなかったのだが、20日付けの朝日新聞朝刊の「ひと」欄にゲーリー・スナイダーが登場していた。新しい詩集『絶頂の危うさ』が日本語に翻訳されたということだったらしいが、ボクの知る限りこの詩集は思潮社からこの夏(8月)に刊行されていたはずである(刊行に合わせて来日、立教大で講演会を開催)。
 しかし、地球温暖化を論議する国際会議(COP13)が、バリで開催されていたこの時期、ゲーリーがおそらく故玉野井さんらの「地域主義」に影響されながら、その詩人としての感性と禅を学ぶ一修行者の暮らしの中から形作ったと思われる「バイオリージョナリズム」(生態地域主義と訳されているようです)の思想はもっと注目されていい。

 ゲーリーは、ビート・ジェネレーションをその身辺で体験し、かれ自身がジャック・ケルアックの『ザ・ダルマ・バムズ』の登場人物ジェフィ・ライダーのモデルとなったまさにそのひとであるのだが、ゲーリーは奇妙なことにいつも「自我」という気配を消す。そして、禅修行者そのままにまったく無欲なひとである。
 こんなことを書いていいのかどうかわからないが、ゲーリーの翻訳本のいくつかは(日本での)版権をひとにゆずっているものさえある。ゆずられた相手の名を聞けばなるほどと思うのだが、サカキナナオに日本版の版権がゆずられている(したがって増刷などの場合、ナナオに印税が支払われる)。

 彼自身、京都の大徳寺に禅修行におとずれた頃、奇跡的な出会いで「部族」と出会い、ゲーリー自身もトカラ列島のひとつ諏訪之瀬島で先妻のマサと結婚式をあげた。「部族」(当時はまだ「ハリジャン」と名乗っていた)は、60年代のサマー・オブ・ラブの盛り上がりの中で、ただひとつアメリカ西海岸のヒッピームーブメントと連動し、連帯しさらに「スワノセ第4世界」というあらたな聖地の提案を行った。すなわち、諏訪之瀬島が一時ヤマハのリゾート計画の矢面に立たされようとした時、噴煙をあげる火山の島から聖なる解放を世界へ向かって訴えたのであった。
 そして、それに呼応したのがアレン・ギンズバーグらで、アレンらはサンフランシスコで、ヤマハボイコットを含む「スワノセ第4世界」の保全を世界に訴えるギャザリングやポエトリー・リィディングの集会を開催した。日本人も知らなかった辺境の島トカラ列島の諏訪之瀬島が、世界に登場した瞬間だった。
 バンヤン・アシュラムは聖地としてヒッピーたちに認知された。たとえ、現実にはイモばかりを食うしかない日常的な飢えにひもじい思いをしているだけだったとしても……。



今日はなんの日?/一陽来復・ルチア祭

2007-12-22 23:48:17 | コラムなこむら返し
Luchia_light_1 22日は二十四節気の冬至だ。そしてこの日、夏至とともに「100万人のキャンドル・ナイト」が呼び掛けられている。昨年までに比べれば、マスコミの報道も少ないがそれはそれだけ日常化してきたということなのだろうか?
 冬至は別名一陽来復??この季節になるとボクがよく書いている「ルチア祭」の時期なのである(ボクはクリスマスの代わりに「ルチア祭」をすることを提案している)。東洋でも西洋でも、「冬至」は、光が生まれる日なのだ。

 サンタクロースはセント・ニコラス、ルチアはセント・ルチア(サンタルチア=ナポリの守護聖人で有名。別名ルーシー。光の照度の単位Luxはここから取られた)に由来する。この時期、神戸や東京でやっている光の演出ミレナリオの発想の起源もルチア祭であり、一陽来復であるはずなのだ。ならば、電気の派手な無駄遣いによるミレナリオよりそれこそささやかなキャンドルで、この時期を祝うことこそ光の誕生(それは、また新年を迎えることでもある)にふさわしい祝い方ではあるまいか?

 キャンドルのほのかな暗い光は、わたしたちが忘却して久しい光の対象物「闇」を意識させてくれる。そして、そのことによって頼り無いキャンドルの光のほの温かさが身に沁みてくるというものだ。「闇」を忘却したところには「光」も生まれることはないのだ。
 そして、その光のなかでよく知った家族の顔を、恋人の顔をまじまじと見つめることだろう。ほのかなキャンドルの光りに照らされた身近いひとの顔は神秘に見えて輝くかも知れない。もしかしたら、始めて見るような発見があるかもしれない。
 それくらいキャンドルのあたたかな明かりは、見知った顔を陰翳に富んだものとして見せてくれることだろう。
 それはまた、人だけでなく身の回りの物たちにも言えるだろう。身近で親しい家具や本箱や、スィッチを消したテレビジョンさえも、その本来の「存在」を垣間見せてくれることだろう。
 そんなひとたちや、物たちや、家具の真ん中、中心に温かい光を放つキャンドルがある。

 光の女神ルチアの、そうわたしたちにとっても風土として伝統として近しい一陽来復の日としてキャンドルで祝うひとときをボクは提案したいのだ。冬至からクリスマスの間に、ひとときでも電気のスィッチを切って光と闇と戯れてみよう。
 そして思いを馳せるのだ。この惑星(ほし)の行く末に、私たちの暮らし方に……。


少年ダダ 中原中也/イベント・レポート

2007-12-21 23:46:58 | アート・文化
Dadaboy_4 7日、本年最後でもっとも小さい(笑)「中原中也生誕100年」をテーマとしたイベントだったオープンマイク・イベント「E.G.P.P.100/Step77/少年ダダ??中原中也」は、翌8日が命日であるジョン・レノンの追悼の意味も含めて幕間には、『ダブル・ファンタジー』や『シーズン・オブ・グラス』『ジョン・レノン・ベスト』などのアナログレコードを流しながら、闊達に、吹けば飛ぶような規模で行われた(笑)。他に音源として用意したのは、山口の「中原中也記念館」から取り寄せた『復活・スルヤ演奏會'97』、『中也ソングブック/サーカス』であった。これらの音源は、ひそかにBGMとして朗読のバックに流したりした。

 オープンマイクへのエントリーは8名。普段よりやや少なめだったが、それでもひとり当たりの持ち時間がたっぷりとあるのが、この「E.G.P.P.」というオープンマイクイベントの特色でもある(適正規模はエントリー12名くらいと考えています)。これを月例定例イベントとしてオーディエンス含めて30名ほどの規模にして、あと2年のうちに(あと2年で当初目標の100回を達成するからです。なにごともなければ、連続開催第100回目は2009年11月に迎えるはずです!)誰かにバトンタッチするというのが、ボクの目標になっています。それは、もうほとんどカウントダウンだと言ってもいいでしょう。
 このような覚悟で、あと23回をたましいを込めてやろうと思っているのです。

 そう、想像しなさい! ポエトリー・イベント「E.G.P.P.100」に、100人規模のお客さんと参加者が集まってくる光景を! です(笑)。

 さて、そうは言っても毎回決して気を抜かないテーマですが、今回の中原中也は6月からの持ち越しと言ってもいいテーマだったので、一層気が抜けませんでした。
 今年になってボクはこれまで、寺山修司(5月)、フリーダ・カーロ(7月)、ガーシュイン(死後70年、9月)、チェ・ゲバラ(10月)と「20分でわかる評伝シリーズ」みたいな講談(笑)の要素のたっぷりと入ったシリーズを積み重ねてきた。そして12月に中原中也をとりあげて締めくくりとした訳だった。
 とりわけ中也に関しては、この6月にまるまる20日間もかけてこのブログで書き継ぎ格闘してきた。自負とは違って今となっては不満も残るが、現時点での「少年ダダイスト中原中也」に対する認識はそこで書き切った。生誕100年目の今年2007年にそのような作業ができたことは、ボクにとっても幸運だったと思っています。
 今年一年、このオープンマイクに参加し、つきあってくれた方々に感謝の言葉もありません。そして、会場を提供してくれている新大久保『水族館』のマスターにも感謝します。

 来年2008年はこの会場『水族館』の新年度の口開きの日、正月も松の内のあけない4日(第1金曜日)に開幕します。2008年もどうぞよろしくお願いいたします。
 新春4日のテーマは、干支にちなんで「ねずみ男(もん)/花のお江戸に義賊出没!」(仮題)というものになると思います。テーマにちなんで、和太鼓奏者の出演を要請します。どなたかいらっしゃいませんか?
 では、2週間後には年も明けています。4日にお会いしましょう!

(写真10)中原中也の写真からあおった少年ダダイスト(に扮するフーゲツのJUN)。
(写真2~10)カメラ:13号倉庫さん。いつもお願いしてばかりでお世話様です。