風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

あさかぜ・さくら・関門海峡・原風景

2005-02-25 14:46:25 | トリビアな日々
asakaze23日の夕刊でそれを知ったボクは、Macに齧りつくと夕飯も食べずに、JRの予約サイトへすっ飛んでチケットを取ろうと必死になった。

23日朝日新聞夕刊トップ。「ブルトレ 人生の相棒/「あさかぜ」「さくら」28日最終」

「人生の相棒」なんて、朝日にしてはなんて浪花節的な、演歌なタイトルを付けたものだろう! ま、いわば鉄道とともに人生を歩んできましたという「鉄道(ぽっぽ)家」稼業は、JRとして民営化されてのちも美談として語られるだけハナなんだとボクは考えることにしている。IT企業や、ベンチャーの進出はホリエモンの例をみても分かるように、日本人が培ってきた美徳ともいうべきものに泥を塗っている。この国にはダブル・スタンダードというものがあり、それが分かりやすく言うと「タテマエ」と「ホンネ」なんだという土壌はある種の人間には痛快に、他の人には不快に思わせる原因になっている。ま、経済活動にジェンダーが介在するのがおかしいように、慣例と言うルールなんてものは存在しないのだということは、泥試合としかいいようがないニッポン放送の株取得騒動をめぐるライブドアVsフジTVの今回の騒動をみても分かると言うものだ。セックスとエコノミーには「人格」というものは存在しない。

さて、最初に断っておくがボクは鉄道マニアではない。しかし、鉄道には言い知れぬ愛着を持っており、タイでも、インドでもわざわざ鉄道で行くことにこだわったりする位には鉄道が好きなのだ。その、愛着は他ならぬボク自身が故郷喪失者(デラシネ→ディアスポラ)として、生きてきて(生きざるを得なくて。だってそれは、親を選ばないように選べることではなかった)その原風景としての、上京した際に見た車窓からの風景と言うものがあるだろう。それから幾度そのあたりを通過しても、確認することはできないのだが、関門トンネルを通った時に10歳ほどの少年の脳裏に刻み付けられた黒い枕木と、コールタール臭い匂いと、冬ざれた海峡に立つ寂し気な立木は、忘れようとも忘れられない。
きっと、それは初冬の季節で、ボクが離別した両親のあいだで、まるで物かペットの動物のように奪われたり、押し付けられたりし、そうして、何処とも知れぬ未知の場所に向かうボクの心象風景を表わしていたに違いない。

おそらく、上京してきた時はその列車ではなかった。しかし、その後もたびたび、ボクは故郷に向かう時(ボクには「帰る時」とは言えない。なぜなら、長崎には墓所はあれど、もはや帰るべき所も人もいなかったからだ)、ブルートレイン「さくら」(東京-長崎)を使った。この寝台特急は、インドの、タイの特急列車に乗った時の、格好の比較の基準となったということは、正直に申告しておこう。
そのような、ボクにとってこの新聞の夕刊記事は「晴天の霹靂」だった(ちなみに、これは「せいてんのへきれき」と読みます。次のテストに出すから、覚えておくように!(笑))。
これは、冥土の土産にブルトレから見る車窓の風景を、まぶたに焼きつけておかねば……と、思った次第だ。

今回「あさかぜ」(東京-下関)、「さくら」(東京-長崎)のブルトレの中でももっとも古い2系統が廃止されるが、ブルトレすべてがなくなる訳ではないから誤解しないように……(このあたりも試験のツボだからね)。しかし、ボクにとっては一番思い入れの強い系統であり、ボクは是が非でも最後の「さくら」に乗りたかった。で、メシも食べずに必死になった訳だ。

結果、長崎まで直行する「さくら」は全席埋まっていた。しかし、下関までの「あさかぜ」の禁煙席がとれたのである。で、たてまえ、父と祖父と祖母と先祖の皆様がお眠りになっている墓参りという名目で長崎に行くことにしたのです(ボクのブログを丹念に読んでくれている読者がもし、いるとしたならば、ボクの母は千葉に樹木葬で葬ったことの意味が分かるはずだ)。
そう、下関から日豊線を乗り継いで門司に関門トンネルを渡り(正確にはくぐり抜け)、在来線を乗り継いで長崎まで行くのだ。帰りも同じコース。往復、廃止されるブルトレに乗ってくる。とりわけ、帰路(28日)は「あさかぜ」にとってもラスト・ランであり、その感動を昭和30年代に重ねてしみじみと味わってきます。

そう、もちろん先日の話題にしてから本場のチャンポンメンも食べてきますとも!
(しっぽく料理は高くておそらく手がでないと思われる。また「銀嶺」のもまた行ってこようと思ってる。好きな店です)


2/17<つなみライブ・エイド>収支報告

2005-02-25 14:17:38 | 国際・政治
2月17日に新大久保のライブバー「水族館」にて開催した『インド洋津波被災民支援ライブ・エイド』には、多数のミュージシャンに出演していただき、また観客として参加していただいたみなさんありがとうございました(内容のレポートはブログで継続中です)。
事務能力の欠如したボクが、収支報告を書ける状態にまでになりましたので、御報告いたします。

イベント入場収益   15,600円
会場内バウンティング 10,476円
カンパ         3,000円
 ―――――――――――――――
総計         29,076円

ここから振り込み手数料、チケット制作の文房具代 1,035円を引かせてもらって、
トータル 28,041円 を本日2月25日付けで、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)に郵便振込で送付いたしました。ぜひ、アチェの子どもたちのために、生活・教育などの復興支援に有意義に使ってもらいたいと思います。

これで、「電脳・風月堂」関連では「あかね」でのバウンティング10,800円とあわせて、39,876円を今回のインド洋つなみ被害の義損金として拠出し、先のNGO/NINDJAに贈りました(なお、ライブ・エイドは次回の池袋EGPP(3月5日Step18)まで続けられ、今回はララ・ロッキーさんの故郷であるスリランカに対する救援活動をしているNGOを対象として贈るつもりです)。

NINDJAの活動に関しては、そのリアルタイムの活動が、ブログで公開されていて、これがアチェに関するさまざまな報道がされてきた中でも抜群に生々しく面白くておすすめです。現在は代表の佐伯さんが現地報告を続けていらっしゃいます。→http://nindja.exblog.jp/



ビルン避難民キャンプに21日に運ばれた物資
(レートは1円が88Rp.(ルピア))

米   720キロ 230万4000Rp.
緑豆   48キロ  27万3600Rp.
食用油 240キロ 103万2000Rp.
砂糖  121キロ  60万5000Rp.
卵   2,016ケ  99万7800Rp.
食用油容器     19万2000Rp.
 ――――――――――――――
合計       540万4500Rp.

で、これは日本円で6万1415円でしかないことなどの、現場でしか知り得ない感覚がひしひしと伝わってきますよ(NINDJAのブログ23日付けの現地報告より引用)。


平成の笠置シヅ子/チェンマイのララリーヌその2

2005-02-24 20:29:01 | アングラな場所/アングラなひと
kasagi_sidukoはい、ボクはガキの頃に黒沢映画やエノケンや白黒TVで、笠置シヅ子の歌う姿を記憶している。笠置シヅ子は「ブギの女王」と呼ばれて、ある意味今日のJ-POPの先駆的歌手である。いやいや、歌謡曲の女王美空ひばりとて笠置シヅ子のコピーとして当初登場した訳であり(そういうスタイルは実は歌謡界では多い。西田佐知子のコピーとしていしだあゆみとか、歌い方を比較してみればだれしにも分かることだ)、その存在意義は淡谷のり子と双璧をなす。
というのも、淡谷のり子は「ブルースの女王」であり、笠置シヅ子が「ブギの女王」と言えば、だれしも頭の中に描くのは「ブラック(アフロ・アメリカン)・ミュージック」であり、黒人の文化と歴史だ。そう、彼女たちはこの国におけるブルースとブギブギというブルーノートな音楽性を伝えた伝承者であるはずだ。だが、「ブルースの女王」のブルースはむしろ、ブルージィなブルーノートのブルースではなく、この国の歌謡の伝統と音階に基づくものだった。
笠置シヅ子のリズカルなダンス・ミュージック性はその意味でも、この国のボーダーを越えたものだったと言えるかも知れない。
笠置シヅ子については、またあらためてふれることにする。

そこで、ボクはララリーヌさんの歌う姿をあらためて見て、「平成の笠置シヅ子」と思ったのである。スィング感、バイタリティあふれる歌い方……ああ、ボクがなぜか引き付けられていたのはこの感覚なんだなと思い至ったのであった。

ボクは、この「平成の笠置シヅ子」ララリーヌさんを、応援したいなと思ったのである。いまや、忘れ去られようとしているひとりの黒い歌手であった笠置シヅ子を思い出させてくれただけでも、このひとの目指すものは面白い、と、そうひとりごちたのであった。
(ライブ・エイド続報その2/終わり)


チェンマイのララリーヌその(1)

2005-02-24 00:41:16 | アングラな場所/アングラなひと
lalaleeneララリーヌさんの歌声をはじめて聞いたのはチェンマイだった(!)。2002年の初夏にチェンマイ大学の敷地内で、チェンマイでは第2回めとなる「いのちのまつりチェンマイ」が開催され、ボクはタイははじめてのある女性のガイド役を兼ねてチェンマイに15年ぶりくらいに行ったのだった。
チェンマイでは、歌い手の下村誠クンとはバッタリと会い、同じゲストハウスをすすめたり(日本人の経営するそのゲストハウスを彼は気に入って、その後も行って泊まっている)、 いや元「スターリン」のエンドウ・ミチロウさんと親しく話したり(ビデオ記録係のスタッフをやっていた)、ナミさんや……いや、そんな話はいいだろう。ともかく、ララリーヌさんの歌声はチェンマイではじめて聞いて、そのパンチのある歌い方や、変わった名前が印象に残っていた。
その時、ボクは連れの女性とともに「いのちのまつり」のアフターイベントで、ポエトリー・リィディングをやった。ナミさんや、石塚さんや、ミチロウさんたちのミュージシャンの目の前でだ。たしか、ピン川沿いのアメリカン・スタイルのライブ・バーだった。
「いのちのまつり」の裏方スタッフはナミさんのかかわりや、タイ側のスタッフもいたが(カラワンも出演し、手伝っていた)、渋谷の「アピア」つながりという関係が一番多かったと記憶している。

翌2003年秋、そのララリーヌさんの歌声を、ふたたび「武蔵野はらっぱまつり」で聞いた。ボクはステージのほぼ脇で、チャイ屋「チャイハネ・フーゲツ」を開いていた。風にのってその歌声は届いてきたといえば、詩的だがじつはプログラムをもらっていたボクはチェックしていたのだ。なかなかテントで店を開いていると身動きがとれないものだが、やはり覗きに行きたい出演者と言うのはいるので、そのBステージに見に行ったことを記憶している。

今回、17日の<ライブ・エイド>に急きょ出演することになったのは、ララリーヌさんの方からコンタクトがあったのだった。ララリーヌさんは、一児の母であり、歌い手として今回のボクの呼び掛けに共鳴してくれたらしい。それにしても、キーボードの小畑さん(プロの方です)をひとりしたがえて掛け合いで盛り上げ、オリジナルナンバーやジャズナンバーなどを歌ったララリーヌさんの本領発揮という場面が見れたのは、笠置シヅ子の歌をカヴァーした時ではなかろうか?

(今日の顔/ライブ・エイド続報その2/つづく)


麺妖なハナシ……チャンポンメン

2005-02-23 00:04:27 | まぼろしの街/ゆめの街
nagasaki_champ「チャンポン」というのは沖縄方言の「チャンプルー」と同じで「ごたまぜ」という意味があるから、何が入っていても文句は言えない。沖縄の「チャンプルー」は炒め料理だが、「チャンポンメン」はむしろソーキそばなどの中華ソバの系統で、沖縄ソバが島津藩を通じて伝承したものではないかとオイラは、ひそかに疑っている。同じ具を片栗粉でとろみをつけて炒め、麺の上にかけたものは「皿うどん」と称されている(マレー語で「チャンポール」は「混ぜる」という意味があり、また「チャイナ」+「ジャポン」の合成語という説もあることを紹介しておこう)。

オイラは現在「チャンポンメン・闇鍋化プロジェクト」というプロジェクトをひそかにすすめており、かっての「冷やしラーメン」(全日本冷やし中華愛好会)にカウンターした一大ブームをつくろうと考えている。
つまりチャンポンメンのあのクリーム色のスープに隠れて、闇鍋のように様々な食材を、もっと加えようではないかというプロジェクトだ。ヘビを加えれば、精力が倍増するだろうし、赤アリを加えればもっと酸っぱい味付けが可能かも知れない!
それに、そもそもオイラの故郷は「ナガサキ」なのだ。郷土食と言われている「チャンポンメン」をもり立てることは、いわば郷愁に駆られた使命である。いや、故郷に錦が飾れないオイラの断腸の手術なのだ(?)。オランダ坂には今宵も雨が降るのだ! ナニか文句があるか?

(マジな話。チャンポンメンはオランダ料理と和食がチャンポンされた「しっぽく料理」の伝統と、中華料理の「チャンポン」なのですね。で、長崎でも各店ごとに味が違います。麺は独占なのでそれほど違いはなくとも、スープは秘伝です。これは、ラーメンも同じ。で、露地の裏の小さな店がまた絶品なんですよ。なにしろオイラが食べた時は、小さな虫の屍骸までチャンポンされていて、オイラはそのオイシサに感動したのですが、お店の配慮でタダになりました! チャンポンなのに! 面妖ならぬ麺妖なハナシです!)


(今日の顔)安田純平さん

2005-02-22 01:07:51 | 国際・政治
junpei_yasudaもう10ケ月ほどの時間がたったらしいが、昨年の春頃、イラクで米軍に包囲され攻撃を受けていたファルージャの問題が世間の耳目を集めていた頃、バクダット入りを目指していた高遠菜穂子さんらが、武装ゲリアの一団にとらえられ「自己責任論」のバッシングの波が沸き起こったということがあった。
高遠さんは「ひとりNGO」で、たったひとりでイラクのストリート・チルドレンや孤児の面倒をみていたと報じられた。『週刊文春』をはじめとしたスキャンダル・ジャーナリズムは高遠さんが、バックパッカー時代のことを書いた半自伝的な著作からあげつらって高遠さんを「ガンジャ・ウーマン」と呼んだ。
きっとその活動がキリスト教などの団体を背景にしたものであれば、おそらく資金力だけの問題ではなく、もしかしたら「イラクのマザー(テレサ)」と呼ばれても言いかもしれないその活動をお世話になったストリートチルドレンの声として「ボクが身代わりになりたい」と言ったということを伝えたのは豊田直巳さんであり、接触して取材したのは安田純平さんというジャーナリストであった(豊田さんはフォトジャーナリスト)。
この高遠さんの人質事件が無事解放というかたちで解決してのち、すぐさま安田純平さんは、一緒に移動中だった市民運動家の渡辺修孝さんとともに、武装集団(安田さん自身によると「自警団」)に拘束され、三日ののちに解放された。

この事件でリスクも背負ったが、フリージャーナリストとしては破格的に有名となった安田さんは、その後も紛争地や事件の現場を歩き取材を続けてきた。つい1月に10日ほどだったが北スマトラのアチュ州の取材に入って帰国していた。

20日、その安田純平さんと、この間の連続<ライブ・エイド>でかかわりの出来たインドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)のメンバーを招いての「緊急支援集会」が国立・国分寺の市民の手によって開かれた。その集会に、開催されるホールを勘違いして大幅に遅れてだが、参加した。
で、この写真は本人に了解の上、撮らせてもらい、ブログへの掲載も了解をいただいたのでアップします。

安田さんの報告は、さすがに元新聞記者(信濃毎日新聞)だけあって、まとまったもので自分のPCにファイルされた映像データをスクリーンに投影しながらの話だった。

御本人は、拘束事件後のヒゲ面、ボサボサの頭という印象からは(当たり前なんだが)ほど遠いスクッと背筋を伸ばして立つ好青年風でありました(少林寺拳法の有段者であるらしい)。


花&フェノミナン/<ライブ・エイド>続報

2005-02-19 19:08:50 | アングラな場所/アングラなひと
hanapheno「花&フェノミナン」は17日の<ライブ・エイド>では、なんと1時間押しの23時に登場! そして、最後に本当に本当に盛り上げてくれた!
主催者であるオイラも踊り狂ってしまった。タイムキーパーなのに、時間を忘れて!(ああ! 本当にテーゲーなオイラよ!)
花ちゃんの、こころに触れてくるボーカルも最高なんだが、「花フェノ」のミュージシャンたちはひとりひとりが凄い実力をもっているんだ。ツインギターも最高だし、そのひとりは女性(薫さん)である。ガツンガツンとリフを弾きまくる! あくさんのベースも最高だし、渋い!

で、このバンドを一気に有名にしたのは、ジャンベを叩くドレッドヘアーの「さっちゃん」が昨年ある事件でパクられたこともあるかもしれない。それまで、「まつり」関係では驚異の人気を誇っていたのは西の「生活サーカス」東のデッドヘッドバンド「チナ・キャッツ」だったが、ここのところメキメキ力をつけてきたのが、「花フェノ」「国分寺エクスペリエンス」などの若き東勢だ(なんて、別に「まつり」の人気ランキングをつけるつもりもないのだが…)。

さっちゃんは、イラクへの自衛隊の派兵が国内で論議されていた頃に、近くの自衛隊の官舎に「イラク派兵反対」のビラを仲間二人とともにポスティングして、住居侵入罪などという馬鹿馬鹿しい立件で逮捕、起訴された。そして70数日にもおよぶ違法の不当長期勾留され、昨年暮れ、地裁レベルでは無罪を勝ち取った(求刑は懲役6ケ月だった)。
実は、その裁判の過程でこの事件を指揮してきたのが、公安警察であることが明らかにされた。長期勾留によって、さっちゃんたち立川自衛隊監視テント村のメンバーが、力つきて脱退し、運動をやめ警察用語で言うところの「落ちる」と公安は読んでいたのだ(つまり、嫌がらせと言う名の弾圧である)。
ところが、さっちゃんたちは元気だった。拘留中の留置所の外で支援者も花フェノも、中へ届けとばかりに塀の外でコンサートをやったり、デモをやったりした、抗議の輪はどんどんひろがり刑法学者や日本弁護士会からもこの事件に対する声明が出されたりした。
さっちゃんは、人権問題をテーマに国際的に運動しているアムネスティ・インターナショナル(ノーベル賞を受賞しているNGO)の指定する「良心の囚人」に選ばれ世界的にも有名になってしまった。

今夜(19日)もさっちゃん、花ちゃん、花フェノのメンバーが某所でガンガン演奏し、ガツンガツン飲んでることだろう!
ともかく、いまやパワーフルさにおいては、その右に出るバンドがいないほどの凄いバンドに成長しつつある連中なのだ。
(自衛隊官舎ビラポスティング事件の詳細は、いま、記憶で書いているので枝葉においては、事実の誤認があるかも知れませんということを今はお断りしておきます)


イベント・ハイ??ボケるほど楽しかったオイラはナチュラル・ハイ!

2005-02-18 20:32:16 | アングラな場所/アングラなひと
mcp御出演いただいたミュージシャン、バンド、パフォーマーの方、スタッフをかって出てくれた方、お客様そして会場提供をしてくれた新大久保「水族館」のマスターに感謝のことばもありません! ありがとうございました。そして、お疲れ様でした!
いや、また例のごとくボケております。イベント・ハイと最近は名付けておりますが、心地よい疲労と、達成感そして宙に浮くようなハイな気分。思考がうまくまとまらないのですが、気持ち良くこの状態に身をまかせております。
なにか、書かねばならないことがあったはずなのですが、何から書いたらいいか……。

そうそう、タイムテーブルに気を揉んでくれた方もありましたが、なんというかこのテーゲー(沖縄方言で「適当」)なオイラの、ケセラセラぶりのイベント進行お許し下さいね。なにしろ、テーゲーなのに一応タイムテーブルを考えて公表するところが、オイラの性分で気がきくんだが、ぜったい厳格に守れないのよね、これが。
で、それがライブ感覚の面白いとこと思ってるものだから、さらに延びてしまう!
これは、「水族館」だから許してくれるものということは、わかっているんですが、やっぱりそういう感覚のところじゃないとできないオイラがいる。
なにしろ内地(本州の事)では、閉館する午後10時に開き夜を徹して楽しんでる「白保公民館」みたいなところ(石垣島です)を、知っているオイラはそういうテーゲーなノリがいいなぁと思ってしまうクチなんです。
厳格主義者の方、お許しあれ! せめて、幻覚主義者になっておくれ!

しかし、まだちゃんと集計していないがなんだか、結構バンティングを含めた収益金が集まったようだ。そりゃ、大阪(1/19)のようにのべ300人(主催者発表)、30万を超えるバンティングマネーという訳にはいかないが(あらためてスゴイなぁと、金だけの問題じゃないんだが、大阪商人の底力……イヤ、大阪音楽人の底力を感じてしまう)……。

近日中に、オイラのHP、ブログで集計を発表します。
(写真はドラッグ・クィーンの牛ちゃんのいるバンド"Mid Cambrian Period")


友が 旅立つ日に ボクは……

2005-02-16 21:07:39 | 歌え! 叫べ! 世界を切り裂いて……
今日、みぞれ混じりの冷たい雨が降り続いた16日、同じ日にふたりの友人がそれぞれ旅たった。そのひとりAKIRAはタイ、マレーシア、シンガポール経由でインドネシアそしてバリに行くつもりらしい。これは、ボクにもおなじみのコースで、AKIRAには明日、東京(新大久保「水族館」)で、とり行う「ライブ・エイド」にも出演交渉をして、なおかつ北スマトラへ行くことを勧めたが、かなわなかった。もっとも、プーケットの奇祭「ベジタリアン・フェスティバル」にかって参加して本(「出神(アジアン・トランス)」)を書いているAKIRAは、かっての仲間がどうしているのか気掛かりなようだった。とはいえ、プーケットの復興状況は他の地区(インドネシア、スリランカなど)より進んでいる。むしろ、子どもたちの精神的な後遺症の方が危惧されているらしい(SVA情報)。
それでも、きっとAKIRAは様々なものを見聞きして精力的に旅してくることだろう。

もうひとりの旅人リュウは、そう、体格の良さにもましてナイーブなこころの持ち主だ。そもそもは、「新宿シックティーズ・ツアー西口編」に参加してくれて知り合ったのだが、ボクの『アングラ風月堂』などのイベントでもボランティア・スタッフをやってくれている(仕事は言うまでもなく用心棒!)。カタールでプラント立ち上げの仕事をしたあと早稲田大学に再入学した。
アラブ圏は、もうお手のもののリュウは、今回、モロッコへ行く。そう、言うまでもなくポール&ジェイン・ボウルズの世界であるタンジールを目指すだろう。ボクもずっと行きたくて、まだ見ぬアフリカの西北端に旅立つのだ。ああ! タンジールよ! サハラ沙漠の果ての夢のなれの果てよ!

ボクは、今日、旅立つふたりのことに思いを馳せながら、明日のイベントの準備などをしていた。しかし、どこか自分の事のようにソワソワしてしまう。あんがい、成田でハチあわせしているのではなどと考えると楽しくなってしまう。

ボン・ボワージュ! いい旅を! 良き出会いを!

(ボクはといえば、月一の定例イベントがネックとなって旅立てないのだ。痛し痒しである……)


中絶…ではなく悶絶…中!

2005-02-15 23:52:47 | トリビアな日々
腹痛で悶絶中!
昨日、チョコレートを食べ過ぎたか!
と、いうのは負け惜しみ(笑)。おんなどもの「媚薬」作戦に負けてなるものか!
(分からない人は、昨日の日記を参照のこと)
ま、これも見栄だけど、娘からチョコをもらってよろこんでいる世の中のお父さんたちは、娘に発情促進されているという近親相姦的な状況を理解していないらしい。

もっとも、そもそも神戸モロゾフ洋菓子店もカカオ豆が「神の食物」(Teobroma Cacao)とアステカで呼ばれていたと言うことや、ヨーロッパでは「媚薬」「催淫剤」だったなんて知らないで、バレンタイン・ギフトチョコレート作戦をやりだしたのだろう。

実は、腹痛のこころあたりはカキ鍋。ナマじゃないけど、他に思いあたるものがない。
もっとも、あとひとつのこころあたりは、プチ家出から御帰還あそばされた飼い猫LaLaが、オイラがつまむものを舐めていたのかもと言う可能性も捨てがたいのだが……。


聖バレンチノの2.14

2005-02-14 23:48:29 | トリビアな日々
card_smallバレンタインという人は聖人だ。これが今日の2.14にチョコレートを贈るという風習に繋がったのは深く「出会い系」のルーツ的な話があるらしい。
バレンタインは彼が生きたローマ時代になんと、戦意を消失すると言う理由で禁止されていたローマ兵をひそかに結婚させていたと言うのだ。
もっとも、ローマ時代は娼家がたくさんあったらしいことは、考古学的にも分かっているので性のはけ口には困らなかったと思われるし、男色愛=ソドミズムも盛んだった。バレンタインは、そのような「乱れた性」のありかたを憂いて、みずから祝福を与えるという結婚式をとりおこなったのだろう。
いまも、ラスベガスなどにはこの手の誰にでも結婚証明書を与える小さな教会が、たくさんあるそうだが、ま、それとは話が違うか……(笑)。
そしてバレンタインは、ローマ国王の手によってのちに投獄、処刑される。くだってキリスト教が隆盛を誇るようになってからバレンタインは聖人に列せられた。

で、バレンタインはイタリア式に発音するとバレチノとなる。なぜか、すごい美男子だったのではないかと思ってしまうではないか。

ローマ時代は多神教で、2月15日に古代ローマのルペルカリア(Lupercalia)祭というものが行われていた。これは豊穣と多産を祈る春の祭典で、日本で言えば立春のまつりだろう。このまつりの前日2月14日に、女性の名前を書いたくじを男性が引いて、その名前の娘を祭りの間のパートナーにする、というフリ-・セックス的なおおらかな風習があった。これが、中世頃に性的な面を排除した殉教した聖人バレンタインをまつる日となり、今日のバレンタイン・ディの起源となる。

また、チョコレートの原料であるココアに含有されるカフェイン質はヨーロッパでは「媚薬」として珍重されていた(原産地はいうまでもなく南米)。中枢神経興奮作用をもつカフェインは、いわば「催淫剤」だったのである。
さらに、チョコレートの中にはアルギリンが多く含まれ、このアルギリンはホルモン分布をうながし、免疫力を高め、精子の数を増やすことから強精剤とも言われているようだ。

これは、我ながら合理的な説明だ。これこそトリビアだ! とか自画自賛する。
さて、これまで述べたことを知ってか知らずか戦前日本ではモロゾフが、バレンタイン・チョコの宣伝をいち早くはじめている。

ちなみに、女性から男性に贈るという風習は日本だけで、これは昭和33年に新宿の伊勢丹ではじまったキャンペーンによる。
またついでに触れておくと「ホワイト・ディ」には何のルーツも、いわれもない(笑)。

うん、今日は、クイズを中休みしてみんなに勉強してもらおう(笑)!

(画像はボクが贈ってもらいたかったバレンタイン・グリーティング・カードを自分で貼り付けてみました(クソ!))


クイズ/此処はどこ?

2005-02-13 23:19:31 | トリビアな日々
kitaro_houseこの連休に遊びに行ったところです。で、2ケ所あるのですが、その2ケ所の共通のことばを最終的にはあててもらいます。この共通のことばを当てた正解者にはそこで手に入れた豪華(?)グッズが当たるかも知れません。

まず、最初にはここをどこだか当てて下さい。

昔風に言えば、「紀元節」のこの日、オイラは鬼太郎に会いに行くためその小屋を訪れたのだ。

訪問した証拠に写真を撮ってきた。そこはまさしく水木しげるが描くゲゲゲの鬼太郎の小屋そのもので、オイラは小屋の中を覗き込んで、おもわず鬼太郎のチャンチャンコを探していた。

クイズ(1)鬼太郎の小屋があるここはどこ?

(はい、ちゃんと現存します。これは、合成写真でもなんでもありません。お答えはコメント欄へ! メアドもお忘れなく)


元気節

2005-02-12 18:00:25 | トリビアな日々
genki昨日は建国記念日だった! 昔風に言えば、紀元節だ。で、紀元節の起源(!)なんてヤボなことはオイラに聞かないで欲しい!
自民党の若手議員だって、実際、知ってるんだか? 議員じゃなくて、疑問だ!
意味もわからず、休日だってみんな休んでるんだよね。ま、お疲れさん今週の4日間。そう、働き過ぎだって日本が非難されていた時代が、うん、懐かしいかも!
毎週実動4日間がいいよね。なんて素敵な今週なんだ!

紀元節(キゲンセツ)があったんだから、翌日の今日は「元気節」にしたいものだ、と考えた。しかし、こんなのを提案してもだいたい「ゲンキセツ」と読まずに「ゲンキブシ」と読むかも知れない。そうそう、添田唖蝉坊の「演歌」にたしか「復興節」というのがあって、阪神大震災のあとだったと思うが、新宿西口公園で開かれた「野宿者支援夏まつり」で、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットが歌う「復興節」を聞いたことがある。
元うたは、関東大震災のあとにつくられたものだ。
うん、アジア規模というか、インド洋沿岸規模でもいいいからこのような元気づけるような「復興節」が必要かも、と思い出した。
それこそが、「元気節(ゲンキセツ)」の「元気節(ゲンキブシ)」だよね。


L.S.D……のハナシ!

2005-02-11 00:01:50 | トリビアな日々
lsd力つきたあとは、やはりこれで蘇生するのがいいだろうとなんと、今日の話題は「L.S.D」である。「ア、ヤバイ、いよいよ、きたよ!」なんて、早トチリしているひとはだれですか?

だいたい「L.S.D」は幻覚誘因剤と言われてるくらいで、変性意識状態にはなれど、これで覚醒はできません!
この「L.S.D」の正式名称はリゼルギン酸ジエチルアミドというが、今日の話題の「L.S.D」は「ゆっくり長い距離を走るジョギング」(英語はわからずじまい)の意味だそうで、丸の内にある地域コミュニティ・サイトの中に周辺で働く人たちが皇居を走ると言う会(丸の内アスリートクラブ。略して仕事でWindouwsを使っていても「MAC」!)を立ち上げ、そこで実践している走り方を言うのらしい。要するに、無理をしないでマイペースで走るというもので、どうやらお喋りをしながら走っているらしいのだ。

で、ここが新聞に取りあげられていま、ブレイクしているらしいのだが、近くの日比谷公園にはやはり丸の内、八重洲口周辺ではたらくリーマンたちの「器械体操クラブ」もあるらしい。なかなか、リーマン族も健康を考え、やるじゃないの!

で、結局今日は要するに「ランナーズ・ハイ」の「L.S.D」でしたと書いても引っ込みがつかないだろうから、とっておきのゲーム・ソフトを画像で紹介して…では、あした! サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ……!


2/17のフライヤーを作成する……

2005-02-10 00:02:14 | イベント告知/予告/INFO
217flyerあと1週間しかないが、2月17日に決行する<ライブ・エイド>のフライヤーを作成していたら、それできょうは力尽きてしまった。いや、北朝鮮とやったジーコジャパンの応援(TV観戦)で、力尽きたのかもしれない(笑)。いや、見出すとどうも力が入ってしまいます……。

2005年2月17日(木)
『インド洋津波被災民支援ライブ・エイド@水族館』
18:00オープン 19:00スタート 料金:2,000円(1ドリンク付)
ライブバー「水族館」(JR山手線新大久保徒歩2分/新宿区百人町1-10-7-B1)TEL 03-3362-3777
http://bsn.bbzone.net/suizokukan/
出演:花&フェノミナン、ねたのよい、ナラカズヲ+rAnAteKAr、Mid Cambrian Period(真カンブリア紀)、弥宥希(みゆき・奄美三線)、パント末吉、マツイサトコ、ララリーヌほか
オルガナイズ:フーゲツのJUN(電脳・風月堂)
http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/


※ここでの、入場料収益はインド洋の津波被災民の支援活動をしているNGO(「インドネシア民主化支援ネットワーク」(NINDJA)のアチェ人道支援キャンペーン→http://www.nindja.com/index.html)におくられ、現地の人々、子どもたちの復興・生活・教育支援に使われます。このライブ・コンサートは言うまでもなく、出演ミュージシャン、オルガナイザーの手弁当で作られるライブ・エイドです。
アチェの被災した子どもたちに、愛のバレンタインを!