屋久島の山中に一人の聖老人が立っている
齢(よわい)およそ七千二百年という
ごわごわとしたその肌に手を触れると
遠く深い神聖の気が沁み込んでくる
(「聖老人」山尾三省)
1977年その終の住処を、五日市深沢から屋久島の廃村同様だった白川山に定めた山尾三省が、その島にまるで歴史時代はおろか神話時代(神代)にまで遡るほどのおそらく地上最長齢の生き物といえるだろう「縄文杉」の存在を島人から教えられた。いや、正確にいえば人伝えに教えられた「縄文杉」への畏怖の思いが、三省を屋久島へ導いたらしい。ある日、三省は「岳杉」と呼ばれていたその神代からの杉の声を聞く。入植してのち奥岳に足を踏み入れ、半日以上の時間をかけて訪ねて行った折に、その老いたる「巨樹」聖老人は三省に語りかけるがごとき、時代を越えた神聖なるものの気配を伝えたに違いない。
1978年に書かれたこの「聖老人」という詩がその感動と、縄文杉の気配を伝える。
その10年後、1988年に屋久島に行ったボクは、三省とともに5時間あまりを歩いてこの「聖老人」に会いに行った。その時は、三省は野草社が主催する「野草塾」の講師のひとりとして参加し、道々ボクは三省と新宿時代の思い出などを語った。ボクは「野草塾」の参加者ではなく、ともに付いていったのは偶然と石垣さんの好意によるものだった。
かって、そこから屋久杉を大量に運び出した林道鉄道の軌道の上を延々と歩いて、原生林の気配が漂う森の中を歩き、道々大王杉や、夫婦杉、そのウロになった内部から清らかな湧水を湧き立たせているウィルソン株などを経巡りながら、到着した縄文杉はまるで慈悲深い、考え深そうなゴツゴツとした樹皮を老人の皺のように浮き立たせていた。表皮のコブが老人の悲哀に満ちた顔を連想させる森の中に佇む巨大なトルソーの様に見えた。
当時、徐々に増えてきた観光客から根を守るため木材チップは敷き詰めてあったが、縄文杉の根元に腰掛け、その木肌に手を置いて聖老人と対話することは、まだ許されていた。
三省は縄文杉の木の根に腰掛けて、嗜好品である「チェリー」を吸った。そうか、「しんせい」や「あさひ」のような両切煙草ではなく、フィルターのついた「チェリー」なんだ、と印象に留めたことを覚えている。その次の日、ボクは三省の住む白川山を訪ね、三省の庵(いおり)のような家に行った。目の前の白川で、真っ裸になってその清らかな冷たい流れで水浴した。
その、聖老人、縄文杉の樹皮を12カ所にもわたって引きはがした何者かがいた。畏れを知らないやつというより、この杉の長い生命と叡智を理解しない馬鹿者だ。たかだか長生きしても70か80のお前の生命の百倍以上も、この世を、この地球を、この星の変動を見てきた者への畏れと敬いの念も持てないなんて!
もちろん、ボクたち人間と言う同じ同胞は何千年も生きてきた(屋久杉は千年以下の樹齢の杉を「小杉」と呼ぶ!)屋久杉をこれまでも伐採し、搬送し、換金してきた。屋久杉はいまもそうだが、テーブルひとつとっても目の飛び出るような値段が付いている。間伐目的や、倒木以外は利用できなくなり希少性が高まって大変高価なものになっている。
「屋久島を守る会」の兵頭さんたちの努力や、詩人としての三省のアピールもあって、屋久島はその特異で自然の豊かな島だと言うことが、世界中に認知され、1993年に「世界遺産登録」されて久しい。そして、1966年に発見されてからさほどの時がたった訳でもない「縄文杉」は、この島にのみ群生し、原生林を作っている屋久杉をおさめ統べるものに祀りあげられ、豊かな島の象徴のように観光ポスターにまで登場することになった。
それこそ、「聖老人」にとっては、その長き静かな眠りから突然、揺り動かされ目覚めさせられたようにスポットライトが当たってしまったのだ。
押しかける観光客によって踏み荒らされ、根を痛めつけられないように縄文杉の前には、観賞テラスが作られ、直接、手に触れたり木肌を味あうことはかなわぬことになりつつあった。
林野庁は樹木医を、派遣し現地調査をした。所見によれば、樹皮がはがされたところから菌が侵入して、腐るおそれがある、と言う。樹木医は30日から、6月1日まで、三日間現地に留まり、応急処置を施す。林野庁屋久島森林管理署は、傷口が腐るとそこからシロアリが寄生するなどして危険だとコメントした(朝日新聞5月29日社会面などWEBニュース多数)。
まだ見ぬ縄文杉の生い繁るこの島で
わたくしはひともとのすみれの花となろう
縄文杉の森を飾る すみれの花となろう
(「すみれほどの小さき人に」)
このように「聖老人」に憧れ、うたった三省はかの地で潰えた。きっと、これからも生き続けるだろう縄文杉に守られ、その森をたたえるすみれの花のような存在であって、自分は幸福だと思ったことであろう。
三省は、その死に及んで希望を、メッセージを残して旅立って行った。神田川のふもとで生まれ育ち、清らかな白川のそばで死んだ三省らしい希望の原理だった。
すべての川を清流に!
そして三省は、昔の仲間であったゲーリー・スナイダーとの対話の中で、それが「生命地域主義」(バイオ・リジューナリズム)というゲーリーの到達点と、寸分の違いもないことに気付かされる。森をも大きな水源と考えれば、まさしく「流域の思想」であり、慈悲に満ちた法華経の世界でもある。縁といい、関係性といってもいいが、大きな大きな流れの中に、わたしたちのすべては存在し、生かされ、物質は輪廻してゆく。
まだまだ、三省が望み希望したその道を実現させるには遠い遠い旅程の中で、聖老人、縄文杉に加えられたこのような野蛮な行為は、ボクをそしてわたしたちを、なによりも三省の霊魂を悲しませたことだろう……。
三省! 許してくれ。ボクらのひと皮むいた本性がまだまだこのように野卑で、野蛮な生き物であることを!
水がすべてのものを浄化してくれるようには、ボクらはこれまでこの星を汚し、汚濁させることをしかしてこなかったようだ。
この星に棲むひとびとすべてが、己がなぜこの星に生まれてきたのかに気付き、覚醒する大いなるその時まで、わたしたちはわたしたち自身が生み出した汚物にまみれ続けるのかもしれないね……(そして、その「大いなる時」が訪れると言う保証もないのだよね)。
南無浄瑠璃光
天と地の薬師如来
われらの病んだ文明を癒し給え
その深い青の呼吸の あなたご自身を現わし給え
(「祈り」)
※引用した詩はすべて山尾三省のもの。写真は「聖老人=縄文杉」の全景。