風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

ロング・グッドバイ!

2009-08-31 14:41:12 | コラムなこむら返し
 ある程度の予想はしていたとはいえ、国民がこれほど自民党政治に愛想づかしをしていたとは意外だった。
 これまで、磐石の保守基盤だと思われていた農村地区でも次々と自民党は惨敗し、民主党候補にその議席を明け渡してゆく。秋田、福島、新潟、岩手、長野、愛知、静岡、沖縄など自民党がひとりも勝てなかった県がつぎつぎと生まれる。自民党の要職幹部が敗退を告げられる。そのたびに、心の中で快哉を叫ぶ。「ざまぁみろ!」、「天罰だ!」、「反省しろ!」。
 興奮した民主党の当選確定のある候補は「これは革命です!」とインタビューで答えていた。実際、その意味では驚いた。議会制民主主義の総選挙で、政権奪取という革命が可能だったのだ!

 朝日新聞では政治エディターが31日付け朝刊1面に「明治憲法が発布された1889年から数えて120年、日本憲政史上初めての大事件である」(根本清樹)と書く。明治政府と天皇に叛旗をかかげた「秩父事件」というのがあったんだが、と思うのはボクくらいか? とは言え「秩父事件」は明治憲法制定以前だから(1884年)記事は間違ってはいない。
 55年体制と言う言葉で語られる冷戦の時代、世界は二極化し、日本もまたこの年自由党と民主党が合併して結党された自由民主党(自民党)と左派と右派が大同団結した社会党のニ大政党で国政は運営されるはずだった。その実、社会党は自民党に対抗し得るほどの議席を獲得できず、実質的な自民党の単独で政権を独占してきた(過半数割れして公明党と連立を組む)。

 夏の終りに日本本土に近づく台風11号のように、55年以来の保守体制に長いお別れを告げる歴史を変える総選挙だった。ロング・グッバーイ! ジミンパーティ(自民党)!

(もっとも、大勝した民主党が革新政党であるとは、だれも思っていないだろう。少なくとも新保守政党くらいの位置付けだと思う。今後の政権担当能力と政策で国民は見極めるつもりなのだろう。自民党の老人いじめ、年金紛失、雇用対策、経済政策のふがいなさに誰もが民主党に一度はまかせてみるか、という気分になったに違いない。)



9/4 E.G.P.P.100/step98「骨のうたう/竹内浩三の詩と青春と死」

2009-08-30 00:24:55 | イベント告知/予告/INFO
●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
E.G.P.P.100/Step98
テーマ:「骨のうたう/竹内浩三の詩と青春と死」

2009年9月4日(金)開場18:30/開始19:30
参加費:1,000円(1Drinkつき)
MC:フーゲツのJUN、梓ゆい(新MC)
(出演)フーゲツのJUN(ポエッツ)、梓ゆい(ポエッツ)、ココナツ(うた)、ガンジー(Sax)、サリー333(舞踏)、bambi(スピリチャル・トーク)ほか……エントリーしてくれたあなた!
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)http://naks.biz/suizokukan/
主催:電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/

 竹内浩三については8月29日付けの『風雅遁走!』のボクの記事を読んで下さい。

 「帰還」(竹内浩三)

 あなたは
 かえってきた

 あなたは白くしずかな箱にいる
 白くしずかな きよらかな

 ひたぶる
 ひたぶる
 ちみどろ
 ひたぶる
 あなたは
 たたかった だ
 日は黒ずみ くずれた

 みな きけ
 みな みよ
 このとき
 あなたは ちった
 明るく あかくかがやき
 ちった
 ちって
 きえた

 白くしずかに きよらかに
 あなたは
 かえってきた

 くにが
 くにが
 手を合わす
 ぼくも
 ぼくも
 手を合わす
 おろがみまする
 おろがみまする
 はらからよ
 はらからよ
 よくぞ

※フーゲツのJUN、MCで参加できます。9月は会場の「水族館」の開店10周年記念月です。盛り上げましょう!
 深く静かに追悼しながらも、国家の戦争にかりだされて「天皇」のために若き生命を差し出さざるを得なかったひとびとのその無念さと、その名もなき人生を鎮魂し、非戦の誓いをあらたにしたいと思います。
 この平和は、現在の平穏な日々は310万人以上の戦没者の貴いムダ死にの上にうちたてられたことに思いをはせたいと思います。ムダ死にを強要されたひとびとのその死をさらにムダにしないためにも、この平和の世の中を守りぬかねばなりません。

 このイベントは、自由エントリーのできるオープン・マイク形式で開催しております! 一般オープンマイクへエントリーなさる方には、このテーマ設定でのしばりはありません。御自分の表現・テーマで挑戦して下さい。
 ※ポエトリー、うた、バンド問わずフリー・エントリーが可能です!
 事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP 100 BBS)→http://8512.teacup.com/5lines/bbs

mii内主催コミュ「E.G.P.P.100」→http://mixi.jp/view_community.pl?id=230706


骨のうたう/弱虫詩人の残したもの

2009-08-29 15:42:12 | コラムなこむら返し
Kozo_takeuti そのひとは、今から64年前に23歳の若さで戦死したのだけれど、その意気地のなさ、腰抜けぶりからして人間くさく、むしろ64年後を生きるボクらの同時代人かと思わせる。
 映画が好きで、現在の日大芸術学部の前身に当たる専科で映画を専攻し、将来は映画監督を夢みていた。マンガを描き、詩を書き、小説を書いた。その頃は、江古田に住み、よく高円寺のクラシック喫茶やカフェに遊びに行った。4歳年上の姉にマメに手紙を書き、思いをうち明け、たくさんの無心をし、失恋を繰り返し、日記(筑波日記)を残した。バンカラな学生生活をおくりながらも、どこか草食系男子の心優しい面は隠せない。
 「戦争の時代」に、<か弱き男>がうとんじられる時代に生まれてしまった感受性ゆたかな弱虫詩人だった。

 そのひとの名は、竹内浩三??自分の思いを語る時は性急なほど饒舌なのに、問われれば吃音のクセが出、恋するひとに理解されなかった。それにサイズが会う帽子がすぐみつからないほど、頭囲が膨れた紡錘形の頭をしていた。ここでは彼をコウゾーと呼びたい。

 コウゾーは姉への手紙に書く。失恋して号泣した事を……臆面もなく正直に書く。朝まで哭き続けた事も、一度や二度ではないと……(小説『ふられ譚』など)。

 なにもしなかったぼくは
 こうして
 なにもせずに
 死んでゆくよ
 ひとりで
 生殖もしなかったの
 寒くってね

 なんにもしたくなかったの
 死んでゆくよ
 ひとりで
 (「冬に死す」1942年2月8日姉宛の手紙)

 そうして一番きらいなもののひとつ??軍人にイヤイヤなってゆく(「私ノキライナモノ」)。国家総動員法の発令された、そして学生さえも勉学を切り上げて戦争にかり出される学徒動員の時代だった(コウゾーは半年切り上げ卒業)。

 「ヒノクルマ」

 アカジニクロク
 ゼーキンアゲテ
 アークルシイヤ
 ニホンノクニハ

 クロジニノボル
 イキオイミセテ
 アアイタマシヤ
 ニホンノクニハ
 (かえうた「ヒノマル」)

 こんな替え歌を中学生時代に書くコウゾーは映画や文学を愛する自由人だったが、英雄的に時代に刃向かうような勇気ももっていなかった。だから、ボクらの隣人、ボクらのような意気地のない弱虫な人間だったから、むしろボクらは共感できる。竹内浩三を「反戦詩人」と呼ぶのは簡単だが、コウゾー自身はそんな大仰な呼称には恥じ入ってしまうだろう。

 いつも笑顔で、ニタニタ笑っているようにみえたコウゾーは学校でも叱られ、軍隊(筑波陸軍滑空部隊)でもうとんじられるが、コウゾー独自のユーモアで切り抜ける。

 2月8日 モノスゴイ風デアッタ。掃除ヲシテモシテモ、砂ボコリガ床ニツモッタ。
 人間ノ幸不幸ハ、スベテ、ソノ想像力カラハジマル。

 2月11日 キョウノ佳キ日ハ、紀元節。(略)
 金魚ト眼鏡ト風琴ト
 椎ノ実
 コトバガ コトバガネェ
 眼鏡ノ
 森ノ
 コトバガネェ
 ボクノ口カラ 出テコナイ

 2月23日 アア、宮沢賢治ハ銀河系気圏ヘト昇ッテイッタ。昭和8年9月21日午前1時30分。ウタヲウタイ/コドモニハナシヲ聞カシ/肥料ノ発明ヲシ/トマトヲ作ッテ/ナンミョウホレンゲキョ/昭和19年/ボクノ日本ハ アメリカト闘ウ/アメリカガボクノ日本ヲ犯シニキテイル/ボクハ兵隊/風ノ中/腹ノカナシミ/腹ノサビシミ/ソレヲ云ワズ/タダ モクモク/最下層ノ一兵隊/甘ンジテ/アマンジテ/コノ身ヲ/粉ニシテ/アア ウツクシイ日本ノ/国ヲマモリテ/風ノナカ 風ノナカ/クユルナシ/クユルナシ

 4月16日 非常呼集ノラッパガ鳴ッタ。ケレドモ、コチラハ状況外デアルノデ、寝テイタ。起床ラッパガ鳴ッテモ寝テイタ。
 (『筑波日記』)

 『筑波日記』裏表紙扉に次の書き込みがあった。

 赤子/全部ヲオ返シスル/玉砕 白紙 真水 春ノ水

 「愚か」という「旗」を掲げてコウゾーは、それでも平凡な暮らしを営みたかった。「白い箱」に入って「帰還」するという「愚」だけはおかしたくなかった。コウゾーは昭和22年白い箱に入らぬまま姉の元に届けられた。「昭和20年4月9日時刻不明。比島バギオ北方1052高地方面の戦闘に於いて戦死」と言う戦死公報とともに……。骨壷の中はからっぽだった。

 「骨のうたう」

 戦死やあわれ
 兵隊の死ぬるやあわれ
 とおい他国で ひょんと死ぬるや
 だまって だれもいないところで
 ひょんと死ぬるや
 ふるさとの風や
 こいびとの眼や
 ひょんと消ゆるや
 国のため
 大君のため
 死んでしまうや
 その心や

 苔いじらしや あわれや 兵隊の死ぬるや
 こらえきれないさびしさや
 なかず 咆(ほ)えず ひたすら 銃を持つ
 白い箱にて 故国をながめる
 音もなく なにもない 骨
 帰っては きましたけれど
 故国の人のよそよそしさや
 自分の事務や 女のみだしなみが大切で
 骨を愛する人もなし
 骨は骨として 勲章をもらい
 高く崇められ ほまれは高し
 なれど 骨は骨 骨は聞きたかった
 絶大な愛情のひびきを 聞きたかった
 それはなかった
 がらがらどんどん事務と常識が流れていた
 骨は骨として崇められた
 骨は チンチン音を立てて粉になった

 ああ 戦死やあわれ
 故国の風は 骨を吹きとばした
 故国は発展にいそがしかった
 女は 化粧にいそがしかった
 なんにもないところで
 骨は なんにもなしになった

 (「骨のうたう」オリジナル)

 コウゾーは帰ってこなかった。その骨はいまもフィリピンのバギオのジャングルでうたっている。土にうずもれて「ひょんと死ぬる」ことのあわれさをうたっている。

 コウゾーの書き残したものを戦後50年間も保存してきた姉のこうさんは、その遺作、遺品を三重県松阪市に寄贈した。それは、現在、本居宣長記念館に保管されているらしいが、そこはもしかしたらコウゾーが一番行きたくなかった所のように思える。軍国主義に利用されたイデオロギー「国学」など、ひ弱なコウゾーには苦手だろうからだ。そしてボクもまた。



死と生のあわい/兵士の乗った銀河鉄道

2009-08-27 15:25:25 | コラムなこむら返し
 26日が陰暦(旧暦)で7月7日つまり旧暦の七夕だったことに気付いたのは、昼になにげにカレンダーを覗き込んだときだった。そこには、「旧七夕」と書いてあった。
 そして翌日の今日27日は、宮沢賢治の誕生日なのである。賢治は明治29年(1896年)8月27日に現在の花巻市鍛冶町で生まれた。「銀河祭(ケンタウル祭)」つまり「七夕祭」のひと夜を描いた死と生のあわいが交差する『銀河鉄道の夜』を書いた賢治の素質のやうなものをこんなところにも感じることができるのではないだらうか。

 「七月七日 七夕祭だ/仙台のあの懐かしい七夕祭りも何日になったら見る事が出来るのだらう……未だ見ざる子供も生まれた頃だらうな」

 自分のノートをめくっていたら2年前の9月26日の夕刊の切り抜きの記事がはさまっていた。その記事は偶然にも、上記の日記の引用からはじまる「戦場でつづった言葉」という連載記事の第2回めの記事だった。この日記はあの地獄の様相をなしたガダルカナル島で戦死した旧陸軍軍医吉野平一さんが残した日記の1942年7月7日付けのものであった。
 吉野さんが、思いをはせた子は女の子で、7月6日に生まれている。子は父の顔を知らず、父はわが子の性別も、顔もまして付けられた名前も知る事なく戦死した。

 吉野さんは新婚1年で戦地におもむいた。日記は日本へ残した新妻への恋文のやうな恋しい思いが切々と書かれ、9月に入ると水も食糧も断たれたままの苦しい行軍のさまが書かれていた。8月7日海兵隊を中心とした米軍が上陸作戦を展開して以来、敗走を続けていた日本兵はジャングルの中で飢えとマラリヤなどの病により骨と皮になって潰えてゆく。補給も援護も後方援助もないまま無策のままただ消耗戦を強いられた。大本営はその年の12月31日にガ島撤退を決めるが、在命する日本兵はわすかしかいなかった。

 吉野さんはジョバンニでもカムパネルラでもなかったが、銀河の中心をあの世へ向かって走り続ける「銀河鉄道」には確実に乗っていたのだ。気の毒にもその列車は、何万(2万以上の兵士が投入された。そのうち1万5千あまりが餓死、病死だったらしい)という幽鬼のやうな日本兵で満員だったのだけど……。


高校球児と特攻兵士/若鷲の横顔

2009-08-26 01:04:15 | コラムなこむら返し
 夏の甲子園高校野球「中京大中京」と「日本文理」の決勝戦を24日に見ていたらその熱闘ぶりに、胸が熱くなった。そして、グラウンドでプレーする選手だけでなく、スタンドで応援する若者たちのその凛々しい若武者の表情に、なぜか64年前に海の藻くずと消えていった「神風」や「回天」で死んでいった若者たちの俤(おもかげ)を見ていた。彼らもこのくらいの年齢だったのだろうな、と。
 「空の神兵」とか「荒鷲」、「若鷲」と呼ばれ称えられつつ若くして散った特攻隊員である。

 その数およそ5千人。彼らは17歳から22歳くらいまでの青春のただ中にいるはずの若人だった。生きて還れぬ片道飛行に敢然と臨んだその心境はいかばかりだったろう?
 愛しい家族、愛しい山河を守るために死地におもむいた青年たちは、「悠久の大義」に生きれると本当に信じたのだろうか?
 対空射撃の銃弾をかいくぐり、果敢に艦船に体当たりせんと試みて海の藻くずと消えた彼らは、その作戦を命令した軍令部(海軍)や参謀本部(陸軍)の多くのエリートたちが、戦犯のそしりも逃れて戦後64年以上も生き延び、80歳を超えた今日、やっと天に召される年齢に達したことを知ったら忿怒にかられないだろうか?
 
 その肉弾特攻作戦が「カミカゼ」と称されたのは、昭和19年10月25日に出撃した「第1神風(しっぷう)特別攻撃隊」の名に由来する。ミッドウエー海戦での連合艦隊の敗北以来、制空権や制海権を次々と失って敗退する日本軍は、特攻兵器の開発を急ぐ。「回天」「震洋」「桜花」などがそうだ。人間魚雷、「肉迫攻撃艇」と言う爆薬を積んだ小型モーターボート、グライダー型の爆弾と言うのが、それぞれの正体だ。
 その中でも航空機による「特攻」が戦死者数としても多く特攻の代名詞のようになった。

 最初の「特攻部隊」はフィリピンのルソン島から飛び立った「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「桜花隊」であった。隊長は新婚だった関行男大尉。命令したのは第1航空艦隊大西瀧治郎中将。その地に立つ英文の碑には、「カミカゼはボランティアの隊員によって担われた」と書いてあるそうだ。その実、選抜され命令されて実行された作戦だったにも関わらず特攻隊員は「志願」という建て前になっていた。

 ついでに書いておくと、このときの特攻各部隊の名は、当時イデオロギー的に利用された国学の祖本居宣長の和歌からとられている。

「敷島の 大和心を ひと問わば 朝日に匂う 山桜かな」

が、その和歌である。



ポパイの大東亜漫遊記/ホーレン草と日の丸弁当

2009-08-25 00:00:26 | コラムなこむら返し
 ETVで、二回にわたって放映された『戦争とラジオ』を見た。NHK(日本放送協会)自らが戦争中に果たしたプロパガンダの役割を検証するという注目すべき内容の番組は、NHK自らの「戦争責任」を暴き出すには手ぬるい番組だった(8月16日、23日ともに午後10時から1時間30分)。
 番組で明かされたことは、戦時中、NHKには取材記者はひとりもおらず、大本営直属の「同盟通信」から回されてきた原稿を読み上げるだけの下請け機関だったという事実だとしても何とも情けない自己弁明に終始していた。とはいえ、戦意高揚、国民の「神国」幻想を高め、戦局の敗退の真実を隠し続け、軍部に操られるままになっていたNHKの組織としての責任はのがれることは出来ないだろう。

 軍政府の意向を受けて戦時中NHKが果たしたのは、内と外への「謀略放送」だったと言える。内は自国の国民をあざむき、外へは敵国を撹乱し、戦意を喪失させるという役割だ。ナチスドイツの宣伝相ゲッペルスの考え出した宣伝戦(今で言うところの情報戦)をモデルにつくられたらしい日本放送協会つまりNHKは、国民を洗脳するための機関として位置付けられ、またそのような役割を積極的に果たしてきた。その点は、TV視聴にメディアとしてはシフトしているとは言え、心しておいた方がいいだろう。

 第2回目はNHKが短波で放送していた「対敵宣伝放送」がテーマだった。東京ローズ(アイバ戸栗)が人気DJとなって大平洋に展開する若き米軍兵の心をとらえた「ゼロアワー」 など英語で放送していたプロパガンダ放送である(06年9月東京ローズ死去の報にふれて書いた記事も参照して下さい→http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20060929)。
 その番組のひとつが、日本語の脚本として『放送のしるべ 』に残されていた。それが『ポパイの大東亜漫遊記』だ。
 ポパイが日本軍の捕虜となって日本兵と対話する。日本兵は缶詰めのホーレン草を見て干し草と思い込む。そして、日本には梅干しと言うひと粒食べれば2日は戦える驚異のパワー源があると自慢する。再現ドラマでパックン扮するポパイが言う。

 「梅干し? それは「大和魂」の栄養素か?」
 「日本人は日の丸に似た梅干しで、決死のパワーを得るのか?」

 なるほど、これは同時に「日の丸弁当」で「特攻」を敢行する安くて、腹もふくれる「大和魂」の精神注入の必須アミノ酸だと言う訳なのであろう。
 敗走し多くは戦いの中と言うよりは、飢えの中で痩せ細って死んでいった皇軍兵士は、補充食糧も武器も弾薬もない肉弾特攻で敵をせん滅することを期待された安く見積もられた棄民の亡霊だった。


64年目の敗戦記念日

2009-08-15 15:07:17 | コラムなこむら返し
 やっと夏らしい日となり、セミの鳴き声がたかまってゆく。64年目の敗戦記念日である。終戦ではない。日本は完膚なきまでに叩きのめされ、負けたのである。その上の戦没者310万人と言われている慰霊の中には、入りたかった人も入りたくなかった人もふくまれているだろう。
 戦争を兵士として体験した方はのきなみ80歳を越え、少国民として子ども時代をすごした人も70歳を越えた。その証言は次第に貴重なものになってゆく。
 NHKは公共放送としての役割を自覚したのか名もない民衆の戦争体験を記録するプロジェクトを始めたようだ。そのひとつの番組であの時代、兵士として出征する男たちも、銃後の女たちもがだれもが、死をおそれず、日本は負けることはないのだと信じていたと神がかった軍国主義の国家的マインドコントロールを語るようになってきた。それは、言うまでもなく被害者としての自分を語るのではなく、自分の加害者、戦争責任を語ることになるだろうからだ。


8/9 ヤポネシア・ギャザリング

2009-08-08 19:12:56 | イベント告知/予告/INFO
 この秋9月22日、23日に奥多摩川井(中茶屋キャンプ場)で開催が予定されている「ヤポネシア秋分祭」へ向けたプレ・イベントが急遽国立『地球屋』で開催されます。これに、出演することが決まりました。サポート・ミュージシャンはガンジー(Sax)、木霊(b,ジャンベ)で、ポエトリー・リイディングでの参加です。

8月9日(日)ヤポネシア・ギャザリング
国立『地球屋』
Tel 042-572-5851
国立市東1-16-13 B1
チャージ1,000円

19:00~ soul rebel sesshon
19:40~ フーゲツのJUN+ガンジー+木霊
20:10~ コラコラ
20:50~ 山本シン
21:30~ ねたのよい
22:15~ GUN JAZZ

 まつろわぬ者たちの「縄文」の息吹に思いを馳せ、先住の民たちの文化を復活させる「まつり」をつくろうとする「ヤポネシア秋分祭」。若い世代のムーブメントを応援します!
 (というか、「顧問」のような参加でしょうか(笑)?)


8/12 E.G.P.P.100/step97 かぐわしき大地/ゴーギャンと楽園タヒチ

2009-08-03 01:28:43 | イベント告知/予告/INFO
Noanoa_1●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
E.G.P.P.100/Step97
テーマ:「かぐわしき大地/ゴーギャンと楽園タヒチ」

2009年8月12日(水)開場18:30/開始19:30
参加費:1,000円(1Drinkつき)
MC:フーゲツのJUN、梓ゆい(新MC)
(出演)フーゲツのJUN(ポエッツ)、梓ゆい(ポエッツ)、ココナツ(うた)、ガンジー(Sax)、サリー333(舞踏)、bambi(スピリチャル・トーク)ほか……エントリーしてくれたあなた!
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)http://naks.biz/suizokukan/
主催:電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/

 ゴーギャン畢竟の大作「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」とともに現在開催中の展覧会で、ゴーギャンについて多くのことに気付かせられました。
 地上の楽園を求めてタヒチへ渡ったゴーギャン。エキゾチックな版画に彩られた『ノアノア』という楽園通信からは、そのマオリ語のタイトルのように匂い立つような官能が感じられます。
 わずか13歳だった現地妻をモデルにして描かれた「かぐわしき大地」は、その西洋的なテーマ、ヘビに誘惑され罪を犯すイブ(エヴァ)というシーンがタヒチに移し変えられたものですが、たくましく大地を踏みしめた四肢を持つ裸婦像と言い、ヘビのかわりに描かれたトカゲと言い、背景のむせかえるような木々と言い、ゴーギャンがタヒチで見い出したものはそれまでの西洋絵画にはなかった異教的な野性味にあふれています。
 ゴーギャンがもたらしたまったく違った絵画は、エコール(派)を超えた「野生の絵画」とでも呼ぶべき絵でした。それは、みずからも野蛮人(オヴィリ)となることを決意したゴーギャンの野蛮、野生、未開を求めてやまない心情によるものだったのです。

 朗読劇としてのポエトリーで描かれるゴーギャンの絵画の秘密??匂い立つ官能、かぐわしく喚起されるむせかえるような自然。
 植民地本国から来た文明人の身勝手さ、エゴイスティックさはぬぐえないもののゴーギャンに訪れた失われた「最後の楽園」の奇跡のような日々!

 ノアノア! かぐわしい島々よ、たわわな果実、おんな(ヴァヒネ)たちよ!

 ※8月のみ、いつもの第1金曜日ではなく12日(水)に変更になっております。御注意下さい。
 
 このイベントは、自由エントリーのできるオープン・マイク形式で開催しております! 一般オープンマイクへエントリーなさる方には、このテーマ設定でのしばりはありません。御自分の表現・テーマで挑戦して下さい。
 ※ポエトリー、うた、バンド問わずフリー・エントリーが可能です!
 事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP 100 BBS)→http://8512.teacup.com/5lines/bbs

mii内主催コミュ「E.G.P.P.100」→http://mixi.jp/view_community.pl?id=230706

(画像はゴーギャンの木版画『ノアノア』/熊本県立美術館収蔵)