風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

530ってなに?

2006-05-31 23:59:43 | 今日はナンの日?
昨日、5月30日は何の日だったでしょう?
いや、記念日のたぐいではありません。
530。もうこれは6月4日が(あ、もうすぐだね)ムシで、虫歯の日のたぐいのゴロ合わせなのだが、なんだか広報が効いてないのかあまり知られてないようだ。
530で、ゴミゼロの日と言うのだそうだ(5/30~6/4)。
そして制定した官庁が、厚生省(現・厚生労働省)で実施団体が都道府県の環境美化推進協議会というところになっている。
あ、それで先日、周辺の草むしりが町内会で実施されたのだろうか?

いや、趣旨はいいのだが、いまひとつこのゴロ合わせといい、いい加減にしてくれといいたくなる気持ちが先にたってしまう。

環境に留意し、ゴミを少なくするのはいいのだが、その「環境美化」が監視につながるようなニュアンスを感じるのはボクだけか?
事実、草むしりに出てこない家庭は、すこし白い目で近所から見られると言うややもすれば、戦前の「隣組」制度、もしくは「村八分」のような市民の相互監視をよびおこすともかぎらない。

これは発祥はアメリカだが、いまや全世界レベルでの運動であり、理念になっている「アースディ」そして、「毎日をアースディに」で充分じゃないかと思うのだが……。

だからか、どうか知らないが、このことを大きく別紙カラー版で取り上げてまでいたのは、サンケイ新聞だった。

そう書くと、余計うさんくさく感じますよね(サンケイさん、すみませんね)。


今村昌平監督死す!

2006-05-30 17:21:40 | シネマに溺れる
映画監督で、その作品のみならず日本映画の後継者の育成にも貢献してきた今村昌平氏が亡くなったようだ。
『神々の深き欲望』『にっぽん昆虫記』や『楢山節考』などが思い浮かぶが、その作品は土俗的で海外でも高い評価を受けていた(カンヌ映画祭パルムドール(最高賞)など)。
結腸ガンだったと聞くが、一応これは速報です。
まだ、ネットでも流れていないみたいです。
(30日午後5時19分)

享年79歳。転移性肝腫瘍だったそうです。御冥福をお祈りします。

監督作品
* 盗まれた欲情 (1958年)
* 西銀座前駅 (1958年)
* 果てしなき欲望 (1958年)
* にあんちゃん (1959年)
* 豚と軍艦 (1961年)
* にっぽん昆虫記 (1963年)
* 赤い殺意 (1964年)
* エロ事師たちより 人類学入門 (1966年)
* 人間蒸発 (1967年)
* 神々の深き欲望 (1968年)
* にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活 (1970年)
* 復讐するは我にあり (1979年)
* ええじゃないか (1981年)
* 楢山節考 (1983年)
* 女衒 ZEGEN (1987年)
* 黒い雨 (1989年)
* うなぎ (1997年)
* カンゾー先生(1998年)
* 赤い橋の下のぬるい水(2001年)


E.G.P.P.100/Step59は「六月のクロニクル」が語られる!

2006-05-25 00:27:15 | イベント告知/予告/INFO
Egpp_step58●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
E.G.P.P.100/Step59 テーマ:「六月のクロニクル/みどりなす草の褥(しとね)に」
6月2日(金)開場18:30/開始19:30
参加費:1,500円(1Drinkつき)
MC:フーゲツのJUN (ゲスト)おはる(Ex.チナ・キャッツ)
(出演)フーゲツのJUN(ポエッツ)、マツイサトコ(うた)、おもとなほ(ひとり芝居)、bambi(講話、DJ)……エントリーしてくれたあなた!
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)http://bsn.bbzone.net/suizokukan/
主催:電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/

※ポエトリー、うた、バンド問わずフリー・エントリーが可能です!
事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP 100 BBS)→http://8512.teacup.com/5lines/bbs

6月のゲストは、日本のグレートフル・デッドとでもいうべきバンド「チナ・キャッツ」のボーカル、ギターのおはるがソロでやってきてくれます!
この月はなんと美人受付嬢bambi姐さんと、ひとり芝居のおもとなほさんのバースディ月間!
おはるさんのゲストはbambi姐さんの強力な推薦によって実現しました。

6月。6月にはなにが起るのか? なにがあったのか?
六月のクロニクル??六月の年代記。ボクらの時代の年代記。



春雷(しゅんらい)

2006-05-24 23:01:50 | 東京春景色櫻之文章
53tugi_syono今日、ひさしぶりの休暇だった。いや、3K仕事とはいえ一応5日ごとには休みはめぐってくるのだ。半日を寝て過ごすのみで、買い物をしたりほとんどを家の中か、近所で過ごしている。映画を見たくとも街に出かけて行くエネルギーが湧いてこない。それに、やり残したことばかりがたくさんあるのだが、これが片付かない。
めずらしく昼前に起きて外をみたら久方ぶりの五月晴れだった。昼食の用意をしながら、洗濯機を三回もまわしてベランダは満艦飾となる。ああ、これが終わったら散歩に行こうとまるで初夏を思わす暑さに気分が浮き立つ。ところが洗濯が全部終わった頃に黒い雲がモクモクとわきたってきて、瞬く間に雨が降ってくる。干したばかりの洗濯物をいそいでとりこむ。

この雨は4時ころには一旦やむ。日が射してくる。乾いていない洗濯物をふたたびベランダに干して駅前に買い物へ出る。ところが、これが失敗だった。
出かけて30分もたたぬうちに今度は大粒の雨がふたたび降りだしてしまった。空はうす暗くなり、道はまたたくまに水があふれて川のように流れ出す。買い物用のトートーバックを小脇にかかえて傘も役にたたない状態で、洗濯物のために小走りに走る。空は雷鳴もとどろき稲光りもしている。

足下はサンダルばきだったためすべりやすくなんだか小股に走る次第となる。
稲光りは近付いて、まるで頭上に雷がいるかのようだ。首をすくめ、ズボンをまくりあげて小走りに走り出すと、そういえばそんな浮世絵があったなぁとぼくのあたまの中に映像が浮かぶ(もっとも浮世絵、広重の「東海道五十三次」中の一枚で、その季節は夏のようである……夏の夕刻の突然の驟雨にあわてふためく旅人が描かれた浮世絵だったと思う。その激しい雨足も聞こえてくるような名画だ)。

映画にもなった『春雷』という小説の事も思い出す。立松和平が書いた農民小説。北関東あたりの田園風景が背景になっていた。
北関東には「雷銀座」と称されるほど雷の発生の多い地域があるらしい。この小説も丁度そのあたりが舞台だった。

今日の雨雲は関東をすっぽりと包み込むような大きさだったらしいから、広範囲でこの春雷と雷雨は体験されたと思うが、それにしても洗濯機を3回もまわして干していった洗濯物はと言えば、家人が取り込んでくれていて無事だった。

(画像は歌川広重「東海道五十三次之内・庄野」。雨の中、ぼくの頭の中をかけめぐったイメージです)




『AERA』に紹介された樹木葬

2006-05-23 00:21:37 | 樹木葬(花に化身する仏たち)
Tree_tomb昨日(22日)発売の『AERA』44ページに「「樹木葬」はいかがですか」と題されて天徳寺の樹木葬が紹介されていた。
先日の「筍掘り」の春の集いに取材に来たので、そのことも記事の中で紹介されるのかと期待していたのだが、一般的な紹介記事だった。
しかし、その分、樹木葬を御存知ない方にはいいかもしれない。

ちょうど記事についた写真で紹介された御家族は、お父さんの遺骨の上にヒメコブシの樹を植えていました。それは、ボクが母の花木として選んだものと同じだった。

取材に来た黒田さんは、まだ若いライターさんだったが、岩手の祥雲寺(最初に樹木葬をはじめた寺)にもふれてこう書いている。

「思いがつながり、この場でひとつの力となっているわけだ。命の再生現場と言ってもいいだろうか。」

現在、発売中です(5/29号、第25号)。

またこの号は、買って損はないとおすすめします。
先日「般若心経」の「心訳」(現在ベストセラー中)をした生命科学者にして自らも難病と闘病中の柳澤桂子さんのミニ評伝もあるからです(360円でした)。

(写真はボクが撮影した「樹木葬・春の集い」でのスナップから)



大台まであと500! 9,500アクセスめ!

2006-05-22 23:35:06 | トリビアな日々
フーゲツのJUNさん、こんにちは。

mixiからのお知らせです。JUNさんのページ全体のアクセス数が9500アクセスを超えました。記念すべき9500アクセス目の訪問者はRyo/MAX/Joseph さんでした!

以下のURLより Ryo/MAX/Joseph さんのプロフィールを見ることができます。
これをきっかけにアクセスしてみてはいかがですか。
プロフィールを見る→http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2185840

ありがとう! Ryo/MAX/Joseph さん。訪問を感謝します。今後も読みに来てね!

ブログ『風雅遁走!』としてのアクセスは
閲覧ページ数合計: 50819
1日あたりの平均: 91.24
この24時間: 101
今週: 625
ということらしいです。
MIXI一万アクセスの切りバンにはなにかプレゼントを出そうかなぁ(笑)?


美季マドカ with フーゲツのJUN/昭和歌謡ショー@無力無善寺(レポート)

2006-05-21 00:04:41 | アングラな場所/アングラなひと
Muzenji_118日の「美季マドカ昭和歌謡ショー@無力無善寺」は、もうマスターである無善法師を楽しませるためのプライベートショーとして開かれようなものだったが(笑)、ボクも楽しませてもらった。

ボクは、玉置宏(体型からいえば高橋圭三か?)のような名調子の歌謡ショーの司会者として、飛び入り枠のポエトリーとともに参加したのだが、これが、つまり「歌謡ショー」の司会が無善法師にウケまくった。いやいやゲストの敬敬さんを含めて13号倉庫さんや、日雇いさん、途中までいた長髪の若いひと、バイトしているジュンコさんなど観客もいないわけではなかった。
でも、これは将来の「新宿コマ劇場」のショーや、場合によったら「日本武道館」での美季マドカワンマンショーのリハもかねている訳で(笑)気は抜けないのだ。

しかし、ボクのMCはなんだか土俗的な雰囲気のある「無力無善寺」にはもの凄くあっていたような気がする。なにしろ、歌謡をかたるのについに言いました「説経節」ルーツ節!
まだ書き上げていないが、ずっと考えているのがこのあたりのことで、まだ考えが固まらないうちに口走ってしまいました(って何のことかわからないよね)。

ゲストの敬敬さんのオリジナルのうたも凄く良かった。ボクのイベントでも呼ぶことを考えてます。
ま、この日の雰囲気は写真を御覧になって味わって下さい。
(カメラマンはすべて13号倉庫さんです。さすが、映画好きだけのことはあるアングルでした。ありがとう!)

(写真2)美季マドカさんもこうして写真でみるとロッカーしているなぁと思う。この日は、2部形式で「ザンゲの値打ちもない」(北原ミレイ)からはじまりました。



第10回手塚治虫文化賞受賞作品/吾妻ひでお『失踪日記』のこと

2006-05-17 01:15:03 | トリビアな日々
5月10日に今年の「手塚治虫賞」(第10回手塚治虫文化賞)が発表され、吾妻ひでお作『失踪日記』が受賞した。
吾妻ひでお! もう、吾妻ひでおといったら吾妻ひでいよう! といいたいくらいのナンセンスな、なんだかよく分からないゆえの「ナンセンス・ギャグマンガ」を描いていた作家だったと思う。
ただ、吾妻はロリータ風の可愛い女の子を描くので、それなりの人気があったが、作風にムラのあるはっきり言って好きなマンガ家ではなかった。
遠く「奇想天外」とかいうSF誌があってそれで見て以来(「不条理日記」)、ひさしくお目にかかっていなかった。それが、昨年文化庁メディア芸術祭大賞、日本漫画家協会賞大賞とかとって書店に平積みされていた時にも、「お!へぇ!」と思ったくらいで、手にとるつもりもなかった。ただ、そのタイトルにはすこしばかり気がひかれていたけれども……。
その同じ作品が、これは大賞時期としてはちと違反ではないのかと疑念をもちつつも(作品は、ほとんどが92年、02年に描かれたものだが、イーストプレスの単行本は05年3月だからセーフなのか?)三度めの正直で買ってみた。そう、吾妻ひでお作『失踪日記』である。

正直「手塚治虫賞」大賞受賞作品である。久しく読まなくなった最近のマンガのレベルや、動向が分かるかと思って購入したのである。その点は、見事に裏切られた。キャラクターは凡庸、コマ割は平凡、ベタな絵で、どこが評価されたのだろうと思った。

しかし、身につまされた。ホームレス体験のところはボク自身のフーテン時代とも多く重なるが、アル中病棟体験はともかく、第2部の「街を歩く」で、主人公が「お前仕事なかったらうちで働くか?」のひと言でスカウトされてはじめる配管工体験のくだりは、もう3K仕事にいそしむ今のボク自身ではないか!

炎天下の力仕事で、立ったまま貧血をおこす。セメント袋は、かつげずにブチまける。結局、撤去の仕事にまわされるといった展開もなんだか自分に似ていて苦笑してしまう。
「エルボ、チーズ、ニップル、フレキ、ねじ切り……云々」
そこに出て来る用語も、右も左も分からないボクが覚えさせられたものと同じだ(とはいえ、ボクは配管工ではない)。

これはいわば、私小説風マンガ、告白マンガだ。永島慎二やつげ義春につぐ自己を切開する作品だ(このふたりの名前は作中にも出てくる)。と、いいたいのだが、そこは面白おかしく描くことを宿命づけられているギャグマンガ家、深刻には決してしない。むしろ、自分自身の滑稽ぶりを笑いのめしているところがある。

それにしても、手塚治虫賞についていえば、いや先の漫画家協会賞でもそうだが、ある意味、担当編集者に思いのままにあやつられているマンガ家の実体を描きながら、賞を与えるというのは自虐的になっているのは、選考委員の方なのではないかと考えさせてしまう(笑)。

大賞にあたいするかどうかは、関与しないことにして身につまされて読みました。
しかし、出版界と言うところは監獄体験とか、シャブ体験とか本当に好きだなぁ?

編集者は、実はしがないサラリーマンで、非日常体験に常にあこがれ飢えているのは編集者自身だからだろうか?




母の日/for my Mother

2006-05-14 02:23:52 | 今日はナンの日?
Mothers_day母の日である。
カーネーションをプレゼントするべき母は、もういない。生前、こういう日になんの気も回らなかったボクだが、やはりもうプレゼントを考えてもあげる相手がいないというのはさびしい。

最近、母にまつわる不思議な思いをした。
ひとつは、最近やっとひと月になった3K仕事をはじめる前日に、「(行っちゃ)ダメ!」と母の声が聞こえた気がしたのである。空耳だと思った。仕事の初日、所作なく身体の置き場に困っていたボクは、右も左もわからないのにかけてはいけないところに足をかけもう少しで転落するところだったのだ。
かろうじて転落をまぬがれたボクだったが、「ああ、このことを警告してくれてたんだ」とさとった。
で、初日からコッぴどく怒られたボクは、そのこともあったのか比較的ラクな現場にまわされた。実は、危険度も少なくなってボク自身助かっている。その上、その現場は少人数でスタッフに欠員ができていたので、時給もあがってしまった。災い転じて福となす、ということなのか?

母は右手の中指が、他の指より短かった。第一関節から先がなかった。町工場で働いている時、機械にまきこまれて切断してしまったのだ。爪もない短いその指を、ボクらに見せる時、明るく笑いとばし「工場長さんにはよくしてもらった」と感謝していた。
もともとはお嬢さん育ちだった母は、ボクなどよりははるかに逞しい底辺労働者のおんなになっていた。

母子家庭だった。いや、オトコはちょくちょく変わったのだったが、苦楽をともにしたという共有感は母と子どもたちの中に流れていたろう。そして、男であるボクの目から見ても、母が一緒に住むオトコはそのような母子の共犯関係に嫉妬の念もいだかない、鈍いオトコたちだった。

幼い頃から、呼び易いのか、まるで犬コロでも呼ぶように、「ジュン! ジュン!」と呼ばれるのが、ウザかった。姉より圧倒的にボクの名前を呼ぶのだ。

先日もクタクタに疲れた身体を横たえた時、母のボクを呼ぶ声が聞こえて眠れなくなってしまった。そんな母を置いて家出までしたボクは、自分の親不孝ぶりを悔いて枕を濡らしてしまった。

その声音を文章で書くことはできないが、ボクの耳には一生忘れることのできない声がこびりついている。

「ジュン! ジュン! なんばしょっとね。遊んでばかりおらんと、はよ、いいおなごば掴まえて幸せにならんとね」

余計なお世話としか当時は思えなかった。でも、それはきっと母心、親心というものだったのだろう。いささかさしでがましい、ひとの人生にズカズカ土足で入って来るわずらわしさがあり、そのときどきのボクが同棲していた女性ともひと悶着も、ふた悶着も起こしながらも干渉しないではいられない性分だったようだ。

ま、それはいつまでも自立も大人になりきれなかったボクが心配をかけ続けた自業自得でもあったのだが、お互いは親子であっても違う人生を歩むものだ、ということが理解できなかった子離れできなかった母のさびしさの裏返しでもあったのだろう。

そんな母は、いま大原の樹木葬地でヒメコブシとなって眠っている。ボクにとってもあらたな故郷とおもう地に…。

母さん! 今日は母の日だよ! おめでとう! そして生んでくれてありがとう!



5/1 水俣??その50年(4)

2006-05-11 02:13:34 | 今日はナンの日?
「水俣病」は過去のものだと思われているだろうか?

「水俣病」はむしろ現在、世界に拡散している。新潟阿賀野川の昭和電工による「第二水俣病」、アマゾンの砂金掘り労働者(ガリンベイロ)そしてジャカルタ湾、タイなどだ。主なものは一番下に列記したからそれを見て欲しい。
これからは中国あたりが危ないかも知れない。スモッグ(重金属の雲、大気汚染)とともに有機水銀は経済活動ばかりが国是とされているところほど危ないのだ。そしてアジアにおいては「公害輸出」と言われても否定できないほど日系企業が加担していたりする。

ひるがえって水俣では、あの白い巡礼の姿で熊本の寒村から上京し、チッソ本社前で座り込みをし、厚生省(現・厚生労働省)の役人たちとも渡り合った患者さんたちは35年ののち、ふたたび何ごともない前近代の眠りのような平穏な生活に帰ったのだろうか?

未認定の患者さんの問題もかかえて、水俣でズタズタに壊れたものは差別や白眼視や、そして闘争や訴訟の中でこのクニに棄民されたものとしてのにんげんの矜持だったろう。いま、水俣湾は埋め立てられて昔日の面影はない。現在、水俣は行政主導で稀代のエコシティを目指して失われた月日を取り戻そうとしているように見える。
失われた人間関係を、切れたともづなをもやい直すように再構築するための試みが行われている。充分ではないにせよ授産施設や老人福祉の施設もある。ディケアサービスの施設も立派だった。熊本市内のボクの母がお世話になっていたところより立派な施設だった。
だが、現在、表面的には平穏な一地方都市に見える水俣も周辺の漁村では苦吟する水俣病の患者さんたちがいまも生きている。それは、かってように息をひそめてひっそりとではない。
「相思社」をはじめとした患者さんたちが、その支援者とともにはじめた自主・自立のグループやスペースがいくつかある。むしろ、それらのNGO的な組織作りは行政の後手後手の政策を先取りし、これから歩むべき道をむしろ照らし出してきた。

1日。国の主宰する慰霊祭(小池百合子が環境大臣として参加したのみ)とともにそれに参列しない患者さんたちは国の慰霊より古くから営んでいた「乙女塚」の前で慰霊祭をとりおこなった。
それは、そうボクが未だにその衝撃を忘れられないひとり芝居「苦海浄土」をもって全国を行脚し、ついには水俣に住みついてしまった砂田明(故人)が、胎児性水俣病患者であの生き人形のような美少女だった上村智子さんの死をきっかけに建立した慰霊碑だった。
そこはもちろん「水俣フォーラム」が主催する「水俣巡礼」のコースにもなっている。水俣の巡礼にこのようないわばエコツアーでも、個人でも一度行かれることをおすすめする。
水俣へ行けば、ボクらが、何を犠牲にしてこの豊かな国を作り上げてきたかが分かるからだ。そう、強く思う。「チッソ」とは、その利便な技術や商品を享受して豊かに暮らしてきたもうひとりのボクら自身なのだ。

 そのたましいを 折り殺し
 吐き捨てたな 鉄の道の上に
 おまえたちだね
 ぶどう状奇胎のみやこをつくったのは

 (「死民たちの春」石牟礼道子)

(おわり)

●主な世界の水銀汚染
 ヴィクトリア湖(タンザニア・ウガンダ) 
 ミンダナオ(フィリピン)
 吉林市(中国)
 バンコク(タイ)
 ジャカルタ湾(インドネシア)
 バレンシア(ベネズエラ)
 マグアナ湖(ニカラグア)
 オンタリオ州(カナダ)
 ケベック州(カナダ)
 ヘメンキロ(フィンランド)
 スウェーデン
 モロン(ベネズエラ)
 アマゾン(ブラジル)
(「水俣東京展」資料による)



5/1 水俣??その50年(3)

2006-05-10 01:05:05 | 今日はナンの日?
それも、農業人口は大部分が小作農で、この国の農業人口のほとんどは農地改革が行われるまで、奴隷制度に等しい作男だった。格差社会どころか身分制社会だったと言ってもおかしくない封建的な遺制のただなかに、農村はましてあった。だから、もっとも自由な職業は漁師だったのではないかと思う。
漁師は自由であった分、移動もした。それを保証したのがこの国の海の豊かさだった。漁師こそは、機械化されたトロール船や遠洋漁業は別にして(マタギやサンカやアイヌ民族もいますが)、狩猟採集の現在にまで残された自由な仕事であると言えるだろう。
沖縄の人々が自由な生き方をしているように見えるのは、南の島ということもあろうが、海洋の民の末裔だったということが一番大きそうな気がする。

そして水俣の不知火海の渚ぞいに作られたちいさな漁村は、そのような民がたどりついた場所だったし、その暮らしをゆたかな海が支えてきたのであった。九州の子宮の海(石牟礼道子)としての不知火海は、その豊かさで様々な生類を育てたが、人間もまた海によって生かされてきた。

その海が人間を襲った! いや、そうではない! そのような豊かな海を一企業の私利私欲で、有機水銀と重金属の廃液捨て場にしてしまった。ゆたかな不知火海を毒の堆積する海にしたのは人間であり、「会社」だった(水俣では「会社」と言えば「チッソ」のことである)。
チッソは過去2回にわたって臆面もない海を買い取るような仕打ちをしている(大正14年に「永久に苦情を申し立てない」念書付きで海を漁業補償見舞金1,500円で買い取った。さらに、問題が再燃した昭和34年に「死者30万、大人10万円、子ども1万円、不治の病の子ども年間3万円」で値踏みして買うことまでしている(見舞金契約書))。漁師から漁業権を買い取り子々孫々にわたって補償等は一切しない等と言う確約書までとって、水俣病の認定・補償闘争の中でも一時は、この違法な契約をタテにとってはねつけることまでしたのだ(石牟礼道子『わが死民』)。

(つづく)



E.G.P.P.100/STEP58レポート(2)

2006-05-09 00:47:37 | 曲水の宴/う・た・げ
Satoco_step58エントリー5番。ボウズパンクのコボリイチエン今夜も登場!
エレキ爆音でそそくさと3曲歌い、なにも語らずMCなしで引き下がります。
しかし、いつもシャイで無口なひとです。本当にこれで、お経を唱えたり説教ができるのでしょうか?
相当に金儲けにうといボウズだと見ました。こっちが、心配になります(笑)。
コボリさんも、「樹木葬」の輪に加わってほしいな。

ラスト・エントリーはわれらが「歌姫」マツイサトコ!
この夜はアメリカ滞在中のバンド話しなどのMCも飛び出し興味深かった。うたった曲はすべてサトコのオリジナル。
「Decide me」そしてハンドル名にもなっている「lesswaitress」、「Panty on the fire」。
そのすべてが、サトコの才能を感じさせるオリジナル曲である。それに発音がなんといっても本場仕込みである(笑)。
「Decide me」は最近できた曲ではないだろうか?
切ないメロディで、「わたしを裁いて」って意味深な内容である。

次はボクである。「5月のルサンチマン/下層社会のうたをうたえ!」は、この1日に公式発見50年めをむかえた水俣病にふれて書いているボクのブログとも関連していたかも知れない。
砂田明さんの「苦海浄土」のひとり芝居がアタマにこびりついてしまっているボクの鎮魂歌ではなく怨み節です。
この日は右の耳に一輪のツツジの花をさしてパフォーマンスしました(本当はツバキがほしかったんですが……)。

そして、最後は今日のゲスト「平成の藤圭子」美希マドカさんにたっぷりと歌っていただきました。途中にリクエストコーナーがはさまり、MCに玉置宏も飛び出す「歌は世につれ 世は歌につれと申します」(このセリフは、最初は高橋圭三ではなかったろうか? え?知らない?)ありさま。あ、それってボクのことですけど。
ラスト・ソングはみなで手拍子で「ラスト・フライト」!

街の灯りが あんなに遠く
離れてゆくの 愛の街
泪に濡れて ふるえて映る
思い出だらけ 愛の日々
(作詞・作曲/美希マドカ)

嗚呼! この昭和歌謡チックなメロディラインはE.G.P.P.ではもうひとつのヒット曲として参加者の(とりわけオジさん、オバさん世代の)脳裏に刻まれてしまった!
ボクなど、なんの思い当たる節も思い出もないのに思わず泪にくれてしまうのであった(笑)!
で、やっぱり終わったのは23時すぎでした(溜息)!

次回はStep59。6月2日(金)に開催します。ゲストはチナキャッツのおハルと現在交渉中です。きっとみんなのため、bambiさんのために来てくれるでしょう! よろしく!
で、タイトルはいま考えてます。しばらくお待ち下さい!
ともかくE.G.P.P.看板娘(?)おふたりのバースディも含めたイベントです。

(写真4)「水族館」のキーボードはサトコが弾き出すと、いつも沈黙してしまう。サトコだけの現象だと言う。きっと、切なくてキーボードも黙ってしまうのだろう。キーボードもボクらも、サトコに恋してる。われらが、ディーパ(歌姫)マツイサトコ。身長150㎝の小さな大物。



E.G.P.P.100/STEP58レポート(phot_3)

2006-05-09 00:23:32 | 曲水の宴/う・た・げ
Madoka_step58(写真3)今宵のゲストは、オープンマイクへの登場でボクらに衝撃をあたえた「平成の藤圭子」(ボクが名付けました)美希マドカ。「ラスト・フライト」は、E.G.P.P.100ではヒット中です(笑)!
(というかボクなどアタマにこびりついて、いつのまにか口ずさんでます……♪)



E.G.P.P.100/step58レポート(1)

2006-05-08 03:19:37 | 曲水の宴/う・た・げ
先月(Step57)はまだ身体が苛酷な労働になじまなかったために、書きたいことはたくさんあったのにレポートをパスしてしまいました。14名ものエントリーしていただいた出演者およびゲスト出演していただいた水木ノアさんと「GODDESS」の方々におわびします(なにしろ終わったのが、23時をはるかにまわってました)。

さて、GWの後半の金曜日、ボク自身がキャンプから駆けつけ、またさまざまなイベントがバッテングする中でおこなわれたE.G.P.P.100/Step58。大久保「水族館」に開催場所を移したのが、昨年の6月でしたからここでの開催の12回め、一年になりました。この記念イベントは来月、6月のbambiさん、おもとなほさんのバースディ特集(発案者・bambiさん)とからめて行いたいと思います。

エントリー者は今回6名。予想にたがわず少なかったです。しかし、ゆったりとした時間で、そのパフォーマンスはそれぞれが充実して気迫が感じられました。
今回のテーマは「新宿のおんな/ うたのルサンチマン」というもので、ニュー怨歌とも言うべき今回のゲスト「平成の藤圭子/美希マドカ」さんにイメージしてつけたものでした。が、ボク自身の詩も変質し、ミナマタと下層社会のルサンチマン(怨念)をうたいあげた「5月のルサンチマン/下層社会のうたをうたえ!」というものへ変質していきました(ゲストの美希さんの前に朗読)。

エントリートップはダルマ舎こと平山昇さん。まず「レストラン・リストランテのための一編」。某ユニオンが鴬谷に開いたレスチランでその開店に読むために書き下ろしたが、読まずじまいのままレストランもリストラされたという曰く因縁の一編(笑)。そして7年前のリストラ時に書いた詩とその最新の続編の3編を朗読。

2番手。リバースクラウンさん。ふたたびあひるちゃん缶オプンナーと会社の宣伝を明智くんとひかりさんのコンビで面白おかしくやったあとドラッグミュージック(いや「癒し系」のそれだそうだ)をやるはずが、打ち込みCDRを機械が読み込まず急遽明智くん得意のジャズギターに切り変えた。しかし明智くんのジャズギターはいつ聞いてもカッコいいのだ!
今度はぜひひかりさんのジャズボーカルも加えて下さい!

さて、ここから続いておふたりは「ひとり芝居」対抗(ふたりはひとり芝居ってなんかジョークぽい)。「対決」と言ったら始まる前に怒られましたので、対抗戦と言い換えます。注目のひとり芝居紅白戦です。
エントリー3番。まずは紅組、おもとなほさん。新作書き下ろし! なにしろこのGWをこの本のために費やし、そして始まる直前まで推敲していたという作品。タイトルは言ってませんでしたが、「鏡」もしくは「合わせ鏡」とでも名付けたい作品でした。

4番め。白組代表のんべ(蔵重智)さん。のんべさんの手法は、お題をいただいてからそれを即興でつくっていくというもので、いつ見てもスリリングなのだが、今回の作品は見ている観客の方もめまぐるしい場面転換と登場人物の変化。そしてイメージの衝突(演じるのんべさんもその衝突の激しさに、驚いてしまうほど)に脳内麻薬が分泌されるほどでした。
お題で採用されたのは一番早かったボクの「うらみ節」というお題。そう、この夜のテーマをのんべさんがどう料理してくれるか、期待しました。
なかなかテーマには肉迫しなかったのですが、イメージはクルクルと変わってめまぐるしい場面転換、イメージの流出。とりわけ凄かったのは、養鶏場とパチンコ店の店内のイメージのアナロジーの衝突で、そういえば鶏のエサをついばむ音とリズムは、めまぐるしいフィバーの光と音にみちたパチンコ店内に似ています。これは、文明批評だと思いました。オーウェルの「動物農場」ではありませんか!

(つづく)