風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

春らんまん・咲きそめし・桜花

2009-04-06 23:50:35 | 東京春景色櫻之文章
Sakura_09_3 都心に遅れて三多摩地区もソメイヨシノは、狂ったように満開となった。サクラを見に行くために久しぶりに自転車に乗ったら、汗ばんでしまった。そのくらいの陽気だったのだ。
 行ったところは近所のサクラの名所のひとつだが、昨日「サクラまつり」を開催したのか、提灯が残っていた。細長い遊歩道がサクラの長いトンネルになっているのだ。
 だれもおらず、まるでボクひとりのための貸しきり桟敷きのようだった。贅沢な時間だったが、宿直明けのボクはボーッとして眠ってしまいそうになる。
 それでもうれしい。身体が、春の歓びに目覚めてゆく。いや、もう、性の歓びに目覚める年齢ではないので(笑)、純粋にのびやかに春のおとずれがうれしいのだ。
 それに今年のサクラは開花してから、まるではかったように入学式の日取りをこの世の盛りとした。今年は、「花まつり」を散りかかったサクラの中で迎えられそうだ。

 飲み食いしての「花見」は、土曜日(4日)国立のアリ主宰のに加えさせてもらって楽しんできた。国立のサクラ並木はその長さにおいて圧巻だ。しかし、道路が広すぎて花のトンネルとはいかないのである。
 久しぶりに、写真も載せよう。

 散りそめし はなびら集めて 花筏(はないかだ) 水ぬるみゆく 春は爛漫(らんまん)

 咲きそめし 桜この世の ものでなく いのちあの世の ものでもなくて
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黄昏ポエトリー/太陽の黄金(きん)の知恵

2007-03-08 02:54:47 | 東京春景色櫻之文章
Sky070307_1 見つけたんだ!
 夕陽の中に!
 永遠と 溶け合う 時間の溶鉱炉??
 大地と 婚姻する 寸前の 太陽を!
 夜の褥(しとね)に 身を焦がし
 朝露の 玉となって 還ってくるまで
 お前が 食べた
 禁断の 太陽の黄金の 林檎だった

 いったい 何千度の 熱があれば
 天体の 空の 虚無の中の 非情の摂理を
 知ることが できるのか?
 お前 誘惑の魔に 身をまかせ
 その知恵を 知ってしまった
 裸体であることを 恥じ
 性器をおおいかくした
 あんなにも おおっぴらだった行為が
 突然 秘められたものとなった
 ありのままであることから 隠ぺいすることが
 文明の 別称となった

 知恵は 部族の長から
 淫売屋の 女将の手にわたった
 知恵は 売り買いされるものになった
 取りつくろい 厚化粧で 素顔はだいなし
 手入れをおそれながら 一銭でも高く 売り抜けようとする
 さもしい 金銭奴隷のメタボリックな 腹の脂肪さ

 見つけたんだ!
 黄金色に輝く
 夕陽の燃え立つ 光の中に!
 永遠と 結婚する 本当の知恵を!

(写真は2007年3月7日の夕陽です)



春雷(しゅんらい)

2006-05-24 23:01:50 | 東京春景色櫻之文章
53tugi_syono今日、ひさしぶりの休暇だった。いや、3K仕事とはいえ一応5日ごとには休みはめぐってくるのだ。半日を寝て過ごすのみで、買い物をしたりほとんどを家の中か、近所で過ごしている。映画を見たくとも街に出かけて行くエネルギーが湧いてこない。それに、やり残したことばかりがたくさんあるのだが、これが片付かない。
めずらしく昼前に起きて外をみたら久方ぶりの五月晴れだった。昼食の用意をしながら、洗濯機を三回もまわしてベランダは満艦飾となる。ああ、これが終わったら散歩に行こうとまるで初夏を思わす暑さに気分が浮き立つ。ところが洗濯が全部終わった頃に黒い雲がモクモクとわきたってきて、瞬く間に雨が降ってくる。干したばかりの洗濯物をいそいでとりこむ。

この雨は4時ころには一旦やむ。日が射してくる。乾いていない洗濯物をふたたびベランダに干して駅前に買い物へ出る。ところが、これが失敗だった。
出かけて30分もたたぬうちに今度は大粒の雨がふたたび降りだしてしまった。空はうす暗くなり、道はまたたくまに水があふれて川のように流れ出す。買い物用のトートーバックを小脇にかかえて傘も役にたたない状態で、洗濯物のために小走りに走る。空は雷鳴もとどろき稲光りもしている。

足下はサンダルばきだったためすべりやすくなんだか小股に走る次第となる。
稲光りは近付いて、まるで頭上に雷がいるかのようだ。首をすくめ、ズボンをまくりあげて小走りに走り出すと、そういえばそんな浮世絵があったなぁとぼくのあたまの中に映像が浮かぶ(もっとも浮世絵、広重の「東海道五十三次」中の一枚で、その季節は夏のようである……夏の夕刻の突然の驟雨にあわてふためく旅人が描かれた浮世絵だったと思う。その激しい雨足も聞こえてくるような名画だ)。

映画にもなった『春雷』という小説の事も思い出す。立松和平が書いた農民小説。北関東あたりの田園風景が背景になっていた。
北関東には「雷銀座」と称されるほど雷の発生の多い地域があるらしい。この小説も丁度そのあたりが舞台だった。

今日の雨雲は関東をすっぽりと包み込むような大きさだったらしいから、広範囲でこの春雷と雷雨は体験されたと思うが、それにしても洗濯機を3回もまわして干していった洗濯物はと言えば、家人が取り込んでくれていて無事だった。

(画像は歌川広重「東海道五十三次之内・庄野」。雨の中、ぼくの頭の中をかけめぐったイメージです)




サクラ、いま、憎悪……

2006-04-13 00:50:00 | 東京春景色櫻之文章
Hanazono_sakura絨毯のように敷き占められた濡れそぼったサクラの花を踏み締めながら駅に向かう。たしか先月の21日に開花宣言が出されたはずだから、サクラは20日あまりもその生命を保っていることになる。「花のいのちは短くて」とは言えなくなってきた?
もっともボクの住む多摩地区は、都内より2日ほど開花は遅かった。ソメイヨシノに限ってもこの数日の雨に花びらを落としても、凛としたその咲き誇る姿は保っている。
むしろ、ほころびだした頃のはじらう処女(おとめ)のようなたたずまいよりも妖しく恐いくらいの美を感じる散りそめし頃のサクラの方がボクは好きかも知れない。

8日は桜の下で、「花祭り」を楽しみブッダの誕生日をお祝いしようと心に決めていたのに、結局、長時間働きだしたボクは、どの寺にも行くことができず、あま茶も今年は飲み損ねてしまった。だが、サクラ並木のトンネルをバスに揺られながら、通りすぎると言う甘美な体験を何度もした。やわらかな朝の光の下でだ。
こんなにも早起きして、労働に向かうなんていったい何年ぶりなんだろう。

ある友人はこの頃、コピー文のようによく言い、書く。「ニートからビートへ」と。
さながら、この4月からのボクは「ビートからプロレタリアートへ」かもしれない。もっとも死語同然のこんな言葉を使う人間の世代はすぐしれる。若い世代はこの言葉を多くは知るまい。
だが、ボクも当時は知らなかった。ボクは大学を知らない。大学には行っていない。だが、運動としての学生運動は知っている。当時、恋人だったひとが学生だった。デモの隊列にも加わった。色分けされたヘルメットもかぶって……。
むしろ、ボクがよく知っているのは工場労働者を党派が組織した反戦青年委員会の活動家だった若者たちだ。だが、ボクは日雇いは知っていても「労働」を知らなかった。

ボクは、「労働」を軽視していた。いや、「労働」など拒否していた。
そんなボクが、彼ら若き「青年労働者」がいだいた「革命への夢」など理解できる訳がなかった。むしろ、彼らが一様にもっていた「階級的憎悪」が分からなかったのだ。
ボクは、ルンペン・プロレタリアート、ルンプロと馬鹿にされた。つまり、階級的自覚の欠如した未組織労働者だと言うのだ。
ボクは、そのレッテルも拒否した。未組織と組織された労働者とどう違うか理解することを拒んでいた。

「キツイ、キタナイ、キケン」の3K労働の末席を汚しはじめて、ボクはやっと彼らのいだいていた階級的憎悪がいくらかわかってきた。それにもまして、この「豊かな国」と目されてきた国の中になんて多くのひとが、わずかの賃金で時間はもとより人生までも売らざるを得ないのかということまで、おぼろげに分かってきたような気がする。

結論はない。あまりにも遅すぎた理解による現状報告だ。かっても、そして今も「下層社会」に属してきたのであろうボクの、あまりにも遅い認識である。
そう、あえて言えば散りそめたサクラがけなげにも頑張っているように、その妖しげなたたずまいが、自分のいまの姿を連想させると言えばいいのだろうか?

いま少し、自分を見つめ直したい。

ナイフ研ぐ 階級的な 憎悪感 胸に秘めたる サクラ散りゆく

(2006.04.12記)

<写真は3月末日の新宿・花園神社境内のサクラ>



桃の節句/雛あそび

2006-03-04 00:20:21 | 東京春景色櫻之文章
Hina16_2女の子たち! おめでとう! 今日は雛の日、雛あそび。ひな祭りだね。
いとけなき女子、女性たち、「ひいな(雛)」である幼き君たちを言祝ぐ日だね。

「♪お内裏様と、お雛様、今日は楽しい雛まつり!♪」

ボクはお内裏様(意味する所は「天皇」)じゃないけれど、こよなくキミたちを愛してる!
ボクは、女性原理によって生かされてきたと思っている程、キミたちを愛している。世界に女性がいてこそ、ボクらおとこは生きるためのパワーを与えられていると思っている程だ。
だが、悲しいことにキミたちは、機会均等平等法以来まんまと体制にのせられ、経済原理の中でのすぐれた労働力になってしまった。だから、ボクら男の地位が低くなったとか、そんな些末なことを憂いている訳ではない。キミたちは自立した。だけど、ボクらは幸福になったんだろうか?

いやいや、そんなことが言いたい訳じゃない。女性を労働力として駆り立てていく政策と、少子高齢化は一体だったと言うことが言いたいのだ。あまりにも場当たりな百年の計もなにもない、そんな政策に振り回されて子どもを生む生まないの選択肢も、個人の資質の中にはなかったんじゃないだろうか?
生む生まないは、本当に女性が自分の身体の問題として選択してきたのだろうか?

フェミニズムの先生たちよ! どうしたの? あなたたちの賢明な判断と指針があってこそ、女性解放は勝ち取られていくんじゃなかったの?
子どもが育てられやすい環境も、社会的な整備がどれほど進んだんですか?
でも、男も女も労働現場に駆り立てられている。
経済原理が優先された社会で、人智を越えた本当の資源である人間の生産が追い付かなくなったことは、政治の失敗、百年の計もない施策の失敗じゃないのですか?

女性たち! おめでとう!
こうして、女性-性から生むことも、育てることも個人の選択肢から取り上げられ、国家の無計画の施策の中で振り回されていくことへも、おめでとう!

この国の滅びを計画している政治家を選挙で選んでしまう国民も、おめでとう!

(Phot_2) 「雛まつり」の3日に我が家で食べた雛をかたどったおにぎりです。



国立大学通り/直線の桜並木(東京春景色櫻之文章其ノ四)

2005-04-12 01:24:08 | 東京春景色櫻之文章
daigakutoriこれを無情の雨と言うのだろうか。どうやら、東京を含めた南関東だけらしいのだが、低気圧の影響で冷たい雨が降り続いている。土曜日に国立の大学通りの桜並木の写真を撮りに行った。この土日がソメイヨシノの盛りだなと思っていたので、撮影に行ったのだ。それに、国立なら知り合いが花見をしているのに違いないと言うカンもあった。案の定、国立花見組(ライブハウス「地球屋」主催)に遭遇してそのまま花見となってしまったのだった。

大学通り(この大学とは一橋大学だ)のなかほどに陸橋がぽつんとあって、ここから駅を向いたアングルはこの日の行楽日和ということもあって、車が絶えることがなかった。でも、ボクはこの日まるで狙ったのかのように朝帰りとなって、陸橋に上らなくとも絶好のワンショットをモノにしたのだった(笑)。

大学通りは以前も「東京暮色」で取り上げたから、そこでも書いたと思うが、航空機の発着のために臨時の滑走路にするという有事の際を考えた都市計画が基になっている。その有事の際というのは、立川飛行場や滑走路が攻撃を受けて使えなくなった際の予備としての機能である。調布や、府中にはこのような戦跡がところどころに残る。この谷保にまで至る一直線の通りは、大学通りという名の滑走路だった。ところで、これが、現在のヘリコプターを除いた航空機で使用可能なのかどうかは、ボクは知らない。



千鳥ケ淵に櫻はさしかかる(東京春景色櫻之文章其ノ参)

2005-04-10 21:38:33 | 東京春景色櫻之文章
tidorigafuti_2某公共放送局が流した千鳥ケ淵の櫻の映像でも、アングルはどこかで見たことがあるような絵葉書のようなカットだった。しかし、実際に行って見ると九段下の地下鉄からパンクせんばかりに人があふれており、インド大使館(ヴィザをもらいにお世話になった)のところから戦没者墓苑の方へ曲がる緑道は、一方通行にするくらい群集が押し合いへし合いしており風情も何もあったものじゃない。
それでも、こうして写真で切り取ってみると現場ではとてもそんな心の余裕がなかった風情が感じられるから不思議なものだ。これもやはり、絵葉書のようなアングルだろうか……。

すぐそばは靖国神社だ。まるで、戦没者の血を吸い上げたかのような艶やかなそして華やかな櫻が、お堀の淵にさしかかる。千鳥ケ淵??ある世代(そうもう80歳に近い方たちだ)以上の人にとってはある感慨をもって感じられるだろう名前だろう。この近辺は、近衛師団司令部庁舎(現・近代美術館工芸館(※「東京暮色」を参照のこと))をはじめ天皇を守るための精鋭部隊の拠点が数カ所あった場所だ。武士道盛んな頃からこの国にあった、もののふ(士=おとこ)の死に方への危険な美意識が「桜花」、「散花」に結びつく。「昭和」という侵略と戦争の野心の時代に、民衆を死地へ駆り立てたその美意識は民衆の怨念(ルサンチマン)となって、櫻の色を一層深めたのかも知れない。櫻のいのち、あと数日。平成17年卯月上旬、春爛漫。東京春景色櫻之文章其ノ参。