風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

表現すること。その他のこと。

2007-08-27 23:59:34 | コラムなこむら返し
25_1 ボクは思うのだが、ポエトリー・パフォーマンスに専念するとブログに掲載する散文を書くエネルギーが殺がれてしまうようだ。では、お前はどっちが好きなんだと問われたとしたらボクはなんの躊躇もせず、パフォーマンスですと答えるだろう。きっと、ミュージシャンのひとたちも音は奏でられたとたん消え失せてしまうにしても、「ライブ演奏」のあの「現在性」に取り憑かれているのではないかという感覚が自分なりに理解できる。

 いわば、それは「魔の時間」だったりもするのだが、時間が「いま-ここ」に収斂するあの至福の時間は忘れがたい。いわば、ドラッグよりも興奮し「我を忘れる」。変性意識のような感覚も目覚める。きっとあの感覚を味わったら、誰しもとりこになるだろう。ただ、その前に人前に立ち、自分の声、所作がコントロールされねばならないだろう。それが、できたら次の瞬間には「我を忘れて」いる。

 書くことは、このブログの記事のように読まれることを前提にして書いているから、どこか反応を気にしている。いや、それが瞬時にくることはない。だから、充実感という面では時間のズレが生じる。書くことも過去の時間であれば、反応にも時間のズレがある。それに比べ、ライブ・パフォーマンスはすぐさま消え失せ、うつろってゆくものにせよ反応は瞬間だ、推移する時間は「いま-ここ」しかない。

 だから、充実したライブ・パフォーマンスであればこそ表現者が、そのレポートを書かなくともよいのかも知れない。むしろ書くべきではないかも知れない。無用な解説を付け足すことになりそうだからである。

 ということで、8月25日(土)『溶鉱炉 vol.10』(主催:恋川春町/所:新井薬師Special Colors)にてガンジーさんのソプラノサックス、北村誠くん(元「非非非の非」)のギターとともにトリをつとめてきました。なかなか充実した時間でした。
 『溶鉱炉』のイベント自体は、音楽あり、ポエトリーあり、ダンスありの長丁場イベントだったのですが、多様な表現の寄せ鍋であるがゆえに、「溶鉱炉」と名付けられたのでしょう。その名に恥じないゴッタ煮イベントでした(笑)。個人的に気に入ったのはあるユニットでした。CDを買いました。観客数およそ30名くらい、出演およびスタッフが20名近くか?
 ボクの表現に関してはいくつかの感想がでてきたところでピックアップさせてもらうかもしれません。
 ハコはこの8月オープンした(相方のギターの北村クンはそのオープニングを演奏で飾ったらしい)ARTENA関連でオープンしたハコで、舞踏、ダンスなどにはとても向いたハコだと思います。

 翌26日(日)やまさん主催(やまさんは前日の「溶鉱炉」に飛び入り枠で登場)の西立川「カンタービレ」閉店ラストライブ。急に思い立って、行く気になったのはゆめやえいこさんが来るという情報と、サトコに久しぶりに会いたかったこと。そして、一度行きたかった「カンタービレ」に行くラストチャンスだと思ったから……。ボクにしては珍しくクルマを飛ばして行った。
 こじんまりとしたホームパーティのようなノリだったが、なんというかアットホームで良かった。こんな可愛い店だったら早く行っておけば良かった。オーナーのゆうこさんもキーボードも弾くシンガー、この日思わず「アメージング・グレース」などが、聞くことができた。きっと北村幸生くんが刺戟したのかもしれない(彼は「アメージング・グレース」で、「ロック魂」を叫ぶのを持ちネタにしているので、この日もゆうこさんに所望して弾いてもらったらしい)。
 そのゆうこさんのキーボードでシンガーとして、マツイサトコが「サマータイム」を歌ったのだが、これには鳥肌がたった。ジャニスでもなく、エラでもないサトコの「サマータイム」。凄く良かった。
 ボクはなんの連絡もしてなかったので、飛び入りで1編ポエトリーをやらせてもらった。好評でした。ありがとう!