風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

さようなら、コマ劇場

2008-12-31 23:58:25 | コラムなこむら返し
 2008年大晦日、本日をもって新宿歌舞伎町のシンボル的な存在だったコマ劇場が、52年の歴史に幕を降ろした。歌舞伎町というのも、いまはアジア有数の歓楽街に数えあげられるがそもそもは歌舞伎座を誘致して、伝統芸能の殿堂を作りたかったらしいのだから奇妙なものだ。
 もしかしたら、間違っているかもしれないが「コマ劇場」という命名は、その回りながらセリ上がる舞台装置に由来したのではなかったのか。
 ボクにとっては、「コマ劇場」はなくてはならない背景だった。
 とりあえずは、08年のうちにその懐かしき風景がなくなってゆくことに別離のことばを捧げておきたい。さようなら、コマ劇場!


1/7 E.G.P.P.100/step90 「酒呑童子・鬼と化すか、人で在るか」

2008-12-26 01:27:26 | イベント告知/予告/INFO
Syutendoji_vs_raikou
●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
E.G.P.P.100/Step90
テーマ:「酒呑童子・鬼と化すか、人で在るか」
(のんべインプロ・バースディ・イン・スペシャル・ナイト!)
2009年1月7日(水)開場18:30/開始19:30
参加費:1,000円(1Drinkつき)
MC:フーゲツのJUN、梓ゆい(新MC)
(出演)フーゲツのJUN(ポエッツ)、梓ゆい(ポエッツ)、ココナツ(うた)、やま(うた)、bambi(スピリチャル・トーク)ほか……エントリーしてくれたあなた!
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)http://naks.biz/suizokukan/
主催:電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/

 2009年、年頭のE.G.P.P.100は、のっけからスペシャル・バージョンで始まります!
 開催維持が危ぶまれていたのにもかかわらず、こんなバージョン・アップで長続きするのでしょうか?
 この日は、インプロ即興演劇でおなじみののんべさんの誕生日!??スペシャルな夜が実現いたしました。オニがでるか、蛇が出るか? で、テーマは「酒呑童子」で「鬼」が登場する事になりました。正月松の内での邪気払い? このテーマはのんべさんの御指名でございます。
 さても、東西! 東西! ここに立ち出でましたる「さけのみ童子」ではありませぬ、その名も鬼さえ震え上がる大江山の「シュテンドウジ」! 森田童子の累積でもない、それは恐ろしくも残忍な魔物のような童型の「オニ」でございました!

 会場の「大久保・水族館」もこの日が09年の口開き!
 さても、入場料も値下がりし(1ドリンク付き1,000円)、格差貧困化社会に対応し間口を広く開けております(笑)!
 ふるって皆の衆の御参集を、すみからすみへとズズイとお願いたてまつりまする!

 このイベントは、自由エントリーのできるオープン・マイク形式で開催しております! 一般オープンマイクへエントリーなさる方には、このテーマ設定でのしばりはありません。御自分の表現・テーマで挑戦して下さい。
 ※ポエトリー、うた、バンド問わずフリー・エントリーが可能です!
 事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP 100 BBS)→http://8512.teacup.com/5lines/bbs

主催コミュ「E.G.P.P.100」→http://mixi.jp/view_community.pl?id=230706





詩・ナナオ 逝く

2008-12-25 11:34:03 | アングラな場所/アングラなひと
 ナナオ 旅立つ 永久(とわ)の旅
 最期の 漂泊 さすらいの旅
 地球に 飽いて 宇宙(そら)を 往く

 もはや 踏みしめる 大地もなく
 もはや 照らされる 太陽もなく
 雨にも 風にも わずらわされず
 大きな 手に 斧もなく
 丈夫な 足に 愛用の
 キャラバンシューズを 履く事もなく
 頑丈な 身体さえも 脱ぎ捨てて
 もはや 本当の 一文無し
 もはや 真実の 魂(たま)ひとつ

 隅々まで 知った この地球
 愛着もなく 旅に出る
 野に生きた 詩人ひとり
 野太い声さえ 失って
 なのに インインと 響く声
 ナナオ節が 地球に 轟く

 こちら ナナオ 応答せよ 地球!
 死に絶えること なかれ!
 応答せよ 地球!
 こちら ナナオ
 八転び 七生きる!
 ナナオ いま 天翔(あまかけ)るなり!

(2008.12.24 ナナオに捧ぐ)

12月23日、大鹿村にてサカキナナオ死去の報にふれて。
86歳の誕生日(ナナオは元旦生まれ)寸前だった。


セカイは かく変わった

2008-12-23 23:59:33 | コラムなこむら返し
 ボクが世界の動向のすべてを見れる訳ではないし、体験できる訳ではない。思うままに感じた事を書いてゆくしかないだろう。

 天皇誕生日の今日、東京タワーが満50年をむかえた。東京タワーは1958年12月23日に開業した。ボクは、高校生の頃、デートで1回行ったきりだと思う。近くまで行っても、それ以来登っていない。そもそも、東京の下町で育ったボクには東京タワーに何の感慨もいだけない。
 そして、パリジャンにとってのエッフェル塔のようになぜ親しみを持てないのか、分からないのである。

 22日、地上波では初だと思う『初恋』を放映していた。映画館で、2年前に見たが、今回、やや異なる印象を受けた。2年前は「ヴィレ」が、当時の新宿がどの位正確に再現されているだろうかと言う興味が強かったのだが、今回は60年代という空気の再現性に興味がいってしまった。そういう目で見ると、1968年12月10日府中刑務所近くで起こったこの「三億円事件」をテーマにして作られた映画は、60年代を鎮魂(レクイエム)するものとしてはなかなか良く出来てるじゃないかと再認識した。
 あれから丸40年が過ぎた年の瀬である。

 その40年後の、今年12月、ボクも見て興奮していたが、トヨタカップ(現在はトヨタ・クラブ世界杯と呼んでいるらしい)の優勝チームがマンチェスター・ユナイテッドに決定した翌日には、そのスポンサー企業であるトヨタの初の赤字決算(83年連結決算開示以来)予測になるらしい新聞報道があり、社長交代を発表、追いかけるように生産ラインの縮小、期間工の削減を発表した。派遣切り、寮からのうむを言わせぬ追い出しなどが、社会問題化する中、組み立て工場がいくつか建設できるのではないかという総額、高額のトヨタカップの賞金は、働く労働者自身が欲しかったのではないだろうか?
 来年以降も、この大会はスポンサー企業を失って続くとは思えないのだが……。

 12月に入ってからのガソリンの価格には目をみはらせられる。リッター110円になった次の週には105円があらわれこの分では100円割れも近いかとほくそえんでいると、なんと99円を目撃した。もちろん、これは目撃した所沢周辺の状況だろう。これより安いところも、まだ高いところも場所によってはあるでしょう。
 しかし、このガソリン価格の低下傾向は円高還元なのか、それとも中東の石油生産がダブついているためなのか?

 それにしても、世界にまん延する貧困化、生活防衛の中で、円高差益を利用するべくお隣のソウルや、香港や、台湾へみずからの消費欲を満たすためだけに、ブランド品漁りに出かけてゆく日本人女性たち(セレブと言うんでしょうか?)がいるらしいのには驚かされる。いや、驚くのはその欲の皮のつっぱったあさましさにだが、物欲も充分地獄におちる用件を満たすのを御存知ないのだろうか?

 円高は「生産」では利益率の減少で打撃となり、欲の皮のつっぱった「消費」では使い切れないほどの快楽になるらしい。円を外貨として持ち出す行為として、このままでは国賊視もされかねないかもしれないが……(笑)。


「納棺夫日記」と「おくりびと」

2008-12-21 23:31:41 | コラムなこむら返し
 映画そしてコミックの原作でもある本が厳然とあるのに、奇妙な事にその本の存在は詳細に(たとえばクレジットやタイトルバックなどに)指示されていない。むしろ、巧妙に隠そうとしているかのような印象を受ける。そこにはなんらかのメディア上の戦略や、権利関係への思惑があるのではないかと勘ぐってしまう、そんな本が映画およびコミック『おくりびと』には存在する。
 そのことを知ったのは、朝日新聞の主演の本木雅弘さんのインタビュー記事(08年9月5日付け)だったのだが、長い事忘れていた。そして、映画のパンフレットでは、本木さんはそのことを語っているのだが、「ある本との出会い」と書名は伏せられてしまっている。 ついでに書いておくと、俳優の本木さんは藤原新也の『メメントモリ』を20代後半の頃読んでインドに興味をもち、どうやら事の真相をたしかめるべくバラナシへインドのひとびと(正確にはヒンドゥ教を信仰する人々)がどのように荼毘にふされるのかを見に行き、その体験を印象深くもっている時期に『納棺夫日記』と巡り合い、これを映画にできないかとあたためていたらしい。

 ボクが、先の朝日新聞のインタビュー記事を思い出したのは、まさしく書店に行ってその文庫本と巡りあったからである。その文庫本の帯には、遠慮深く「本木雅弘さんが、この『納棺夫日記』に感動して、映画『おくりびと』が誕生しました。」と、書いてあったからである。
 しかし、このユニークな書物は(もともとは自費出版に近い地方小出版物だった)その具体的なエピソード、主人公の「セロ弾きのゴーシェ」を思わす人物設定、舞台を雪国にしたことなど、明らかに原作といって良い内容である。この本を書いた青木新門さんは、詩人だったこともあってその静謐な「死」の認識、親鸞の『歎異抄』への直感的な迫り方など明らかに映画やコミックよりは深いのだが、映画やコミックにはむしろ邪魔な要素だったのかも知れない。
 この青木新門さんの『納棺夫日記』は、どうやら口コミのような形で読み継がれてきたようだ。仏教に対する認識なども、分かりやすく、直截で、そしてなにより美しい。
 宮沢賢治のジョバンニのような菩薩道を行くひとかと思いそうだが、実際は現在長い間勤めた冠婚葬祭会社の専務取締役から監査役をやっている方らしい。実際は、営利、ビジネスとしての仕事をなさっているのだが、もともとは売れない詩人で、お子さんのミルク代に困ってたまたま目にした求人欄の「冠婚葬祭 社員募集」広告でこの道に偶然入り込んだそうで、その意味でも青木新門さんは映画、コミックの主人公小林大悟その人のモデルであると言っても良い方なのである。

 映画制作会社そして脚本家や、監督、さまざまな関連会社がからむ映画ビジネスの中で、おそらく青木新門さんの『納棺夫日記』は「「原」原作」のような形で、はじき飛ばされてしまったのだろう。納棺夫を納棺「師」というあたかもそのような「国家資格」があるようなことばに変えたり、「おくりびと」というロマンチックなことばに置き換えたりと巧妙な手段で、「「原」原作」の香りをぬぐい去ろうとしたのではなかったのか?

 ともかくこの青木新門さんの書いた『納棺夫日記』というひかり溢れる本の一読をおすすめする。

青木新門『納棺夫日記』(増補改訂版)文春文庫1996 <★★★★>


シューズを投げつけられたブッシュ大統領/軽蔑

2008-12-16 00:57:54 | コラムなこむら返し
 任期をあとひと月あまりにして何故、この期にブッシュ大統領はイラク、アフガニスタンを訪問したのだろう。それも、事前通告なしの電撃訪問だったらしい。
 ブッシュ大統領は14日、バクダットの記者会見場で地元TV局の記者から靴を投げつけられた。大統領はうまくかわしたが、「犬め! お別れの挨拶代わりだ!」「戦争で亡くなった女や母たちからのプレゼントだ」と叫んで靴を投げつけた記者はその場で、取り押さえられた。同じ、会場でその記者の前に座っていた男は、フトコロからナイフを取り出して制止しようとしていた(TV映像にて確認。記者会見場にナイフを持って立ち入るこの男の方が、よっぽどアブナイとボクは思ってしまった)。
 イラクでは、靴を投げられたり、靴でぶたれることは「軽蔑」を表わすと言う。そう言えば「バクダッド解放」のとき、倒されたフセインの銅像をひきずりまわしたのち、人々はサンダルでさかんに打擲(ちょうちゃく)していた。
 民衆は、大統領に靴を投げつけた記者のこの行為を英雄行為と称え、同記者の即刻釈放をもとめて数千人がデモ行進をした。

 ブッシュ大統領は大いなる誤解をしているのではないだろうか? 「私はサダム・フセインの支配下にあったイラクから、民衆を解放し、イラクに自由をもたらしたアメリカの大統領だ」と信じきっているのではないだろうか?
 アリ一匹抜けだせないほど包囲したファルージャで、罪なき子どもたちの頭上に空爆し、女たち、母たちを殺りくした事を忘れてしまったのだろうか?
 戦争の渦中でアメリカに対する憎悪の感情が、噴き出している事を見て見ぬ振りをしてきたのだろうか?
 子どもたちはいまだ戦火のもたらした後遺症から癒えていない。
 それなのに、任期の終わる直前に大統領専用機を飛ばして、なぜ、凱旋将軍のようにイラク、アフガニスタンへ飛んだのだろう?
 ブッシュはその親子二代にわたった政権の終りに、世界にその姿を印象づけたかったに違いない。退く前に、いいところを見せたかったのだろう。
 オバマ大統領を生んだ大統領選の熱気ですっかり影の薄くなっていたブッシュ大統領が、晴れ姿を演出したかったのだろう。
 この靴を投げつけた記者はそのあたりの演出臭さを見抜いて、大統領に一矢むくいたのだ。きっと。

 だいたい、金融大恐慌寸前の国内事情をうっちゃって大統領専用機を最期に飛ばしてみたかったといった幼児性をこの大統領はもっているような気もするのだけれど……。


「大貧民」と「格差貧困化社会」

2008-12-14 23:51:24 | コラムなこむら返し
Ari_dec_14 結論から書こう。やはり、非正規労働の悲哀をかかえるボクは、最底辺の貧民から抜け出す事がなかった。
 なんのことだって? 土曜日から遊びに行った彫刻家のYUCOの上野原の家で、残った6名(1名その日の内に帰宅)で何となく酒宴もおさまり、Wiiなどで遊びながら、トランプが始まり、7並べなどやっているうちは良かったが、M発案の「大貧民」(または「大富豪」「人生ゲーム」と言う呼び名も)が始まり、これが終わらなくなってついに朝まで興奮しながらワイワイ遊んでしまったのであった。
 「大貧民」なる遊び方がいつ頃誕生したのか知らない。でも、少なくともボクが子どもの頃にはまだなく、こういう遊び方があるらしいことを知ったのもかなり長じてからだったと思う。遊び方を思い出しつつも教えてくれたMの教示にしたがって、ほとんどはじめて「大貧民」をやったボクは、後半以降、ついに「大貧民」階級を抜け出す事が出来なかった。途中、「革命」がおこせる4カードがあったにもかかわらず、そのカードを切る事が出来たのはゲームの主導権を得た終り間際で、革命は効を奏さなかった。

 このゲームにはローカルルールが色々あるらしく、そのひとつと思うが「大貧民」は、「大富豪」に上納金のように自分の一番強いカード(最強カードは、なぜか2。そしてそれより強いのはジョーカー)を差し出さなければならず、一度「大貧民」に陥ると、地獄のルールで、なかなか抜けだせないと言う苛酷な搾取を課せられる。一度、しびれを切らしてチョンボをして、最強カードを残してみたら、なんでそんなカードを持っているのかと糾弾される始末。結局、ゲームが終わるまで、最低ランクに格付けされたままだった。

 ゲームとは言え、なんだか現在の「格差貧困化社会」を地で行くようなゲームで、後味が良くなかった(笑)。それに、ゲームだと言うのに身につまされてしまった。
 現在のようなアメリカ発の金融恐慌の事態に入る直前に、かろうじてもぐりこんだ現在の賃労働も、非正規の身分で明日はどうなるか分からない。業績が悪化すれば、おそらくまっ先に切られるだろう。

 ニュースを見るたびに、「イヤな時代になってしまった」と嘆息をつく。昨夜の軽い興奮が覚めやらぬうちに、ボクは言っておきたい。

 「『大貧民』ゲームに、永久革命(Permanent Revolution)のルールを!」

(写真)14日朝の自然発生的セッションでのARI。


「いしぶみ」というモチーフ(2)

2008-12-13 12:49:59 | コラムなこむら返し
 いにしえびとは、石にどんな思いを込めたのだろう? ここに1編のうたが残っている。万葉集にあるうたである。

 「信濃なる千曲の川の小石(サザレシ)も 君し踏みてば、玉と拾はむ」(信濃ノ国ノ歌)

 信濃地方の千曲川の小石も、あなたが踏んでお通りになったからは、それを大事に玉として拾って持っていましょうという意と解釈した折口信夫は、続いて「古代の作物には、その人の霊魂の一部が、石に宿っているものと言う、信仰を持っていると見ねばならぬ。」と注釈している(全集・国文学篇「万葉集」)。

 別な文章で折口信夫は「たまとたましいは違う。」と述べる。同じ魂魄(こんぱく)でも、<たま>は内在するもので、<たましい>はあこがれ、常世国から依りつくものと説明している。
 <たま>は<かみ>と<もの>に分かれてゆき、のちに鉱石(宝玉)や動物の骨を呼ぶものに転意される。<たましい>は、力量や才能など生きる力の意と言う。
 そして、<たま>の容れ物として<うつ>があると言う。中が虚ろ(空、全)になったものである。身体も<たま>が入る虚ろな容れ物と考えられる。
 さらに、石も中が虚ろなものといにしえびとは考えたと折口は言う。そして、<たま>は石の中に宿って石を成長させると、驚くべき事を言う。
 実際、各地の伝説にそのような石が成長したり、カミになったりする話が伝承されている(柳田国男「日本伝説集」)。<たま>は虚ろだった容れ物に宿ると、その容れ物ごと成長してゆくものといにしえびとは考えたらしい。この国の国歌に採用されているあの歌の歌詞にも
「千代に八千代に さざれ石も 巌(いわお)と なりて」
とある「何千年もたって小石も岩となる」というくだりの意味にも、そのような<たま>のこもった小石は成長するという考えがあるからに違いない。本来なら、何千年もたてば、岩が侵食されて細かい小石になってゆくのが事実だろうからである。
 そんな解釈まで折口がのべている訳ではなく、ここはボクの考えだが、このわが国の国歌の歌詞の奇妙さをだれも(まして教師も)教えてくれなかった。暗いメロデイが明治時代についてしまったこの歌は詠みびと知らずの和歌で、本来は万歳のような「祝言」だったのかもしれない。
 だから、「君し踏みてば、玉と拾はむ」の思いも、「小石も 巌となりて 苔のむすまで」の長い時間をたたえるうたも、<たま>がこもればこその愛しさであり、成長なのだろう。

 いにしえびとは、河原の石に思いを込めた訳ではなかった。そこに<たま>がこもればこそ、あなたが踏んだ石なれば、あなたの魂魄がこもった<たま(霊魂)>であり、<たま(玉石)>なのですねと、いとおしく拾い大事にしたのである。そして、その小石はやがて、内なる<たま>の力により、岩になり、カミになるのかも知れない。

 ついでながら、折口は
「人間の骨を拾ふ事をも昔の人々は、<たま>を拾ふと言つて居るのである。」(「剣と玉と」)
と、さりげなく述べている。

(おわり)


「いしぶみ」というモチーフ(1)

2008-12-12 14:30:44 | コラムなこむら返し
 映画『おくりびと』の中に「いしぶみ(石文)」のエピソードが出て来る。主人公が幼い頃、出奔した父が、河原で教えてくれた事として出てくるエピソードだ。主人公大悟は、亡骸となった父がその手の中に石をしっかりと握りしめている事を発見する。そしてそれを、生前に再会する事のなかった父の自分へのメッセージとして受け取るのだ。大悟は、その石をいまや夫の納棺の職業を認めた妻の胎児を宿した腹部に押し付ける。

 さて、このエピソードはこの同じモチーフを絵本にまでした脚本の小山薫堂のオリジナルかと思ったら、映画のパンフレットにこのエピソードは、先輩脚本家であった向田邦子のエッセイに書いてあったことだと明かしている。
 大昔、まだ人々が言葉を知らなかった頃、遠く離れた恋人や妻へ自分の想いに似た石を探して送ったものというのだ。

 主人公は映画の中で、妻である美香に言う。
 「もらった方は、その石をギュッと握りしめて、その感触や重さから遠くにいる相手の心を読み解く……つるつるの丸い石には平穏を、ゴツゴツの石の時は相手を心配してね」(映画『おくりびと』パンフより)

 脚本を書いた小山薫堂は、インタビュー(同じく映画パンフに掲載)でこう答えている。
 「父と息子のエピソードとして使用しました。現代社会は携帯電話のメールなどで簡単に自分の思いを相手に伝えられるから、送る側も受け取る側もわかりやすいことしか伝えない。簡単なだけに人と人との繋がりが希薄になっているような気がするんです。だからコミュニケーションが困難な方法なら人との結び付きは逆に強くなるんではないか、そう思っていたので石文というツールをこの題材、エピソードの中で構築してみたんです。」

 このエピソードは秀逸だ。「精神のリレー」(埴谷雄高)を見事に表わしているし、あたかも事実あったことであるかのようではないか。古代恋しいひとを「呼ばふ」(夜這いの原義、恋しいひとの前でまず自分の名前を名乗ることをいった)とき、玉石を渡したと言われても信じてしまいそうだ。
 「いしぶみ」は本来「碑・石文」のことだ。これは、出来事を後世に残すために彫ったものである。「いしぶみ」は石碑のことなのだ。しかし、これは郷土史家にとっては、おそらく古代からのメッセージ、手紙と受け取る事だろう。

(つづく)



コミック版『おくりびと』 (さそうあきら・作)

2008-12-09 13:11:34 | コラムなこむら返し
 1本の映画制作は他のメディアとタイアップして、宣伝もかね複合効果を狙うのが常識になりつつある。コミックス(漫画)を原作としてヒットした映画はたくさんあり、原作とは似ても似つかない作品(たとえば『三丁目の夕日』など)もあるが、それでも日本映画に活気をもたらし、映画にとってもなくてはならないジャンルに育ちつつあるのかもしれない。
 しかし、その逆の展開、映画をコミックスにしようという試みはこれまであまりなかったような気がする。そしてまた、漫画家というものも原作があるとなかなか自由闊達に脚色するのはあまり得意ではないのかもしれない。
それでも、さそうあきらが描いたコミック版『おくりびと』(小学館・BIG COMICS SPECIAL)は映画に忠実なだけに(建物まで忠実である)、またむしろ映画が取り落としたところも取り上げている。
 たとえば、まるで宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシェ」を彷佛とさせる主人公の小林大悟のその内なる音楽性と「おくりびと(納棺師)」としての仕事との幸福な融合といったものは、実際に音楽の流れる映画よりも上手く描けている。実は、ボクはコミック版の方を先に読んで、これは早く映画を見に行かねばと思ったのだが、さそうあきらのコミックスはまるでページから音楽が聞こえてくるようだった。
 映画で広末涼子が演じた妻美香の仕事をピアノ教師にし、近所の子どもたちとの触れ合いを描いたのもよかったのかもしれないし、さそうあきら自身がもしかしたら庄内出身なのかと思うほどネーム(マンガのセリフ)も忠実な方言の再現にこだわっている(ようだ)。

 葬儀で呼ばれた先に、故人が愛用していたらしいセロ(チェロ)があって、NKエージェントの社長が納棺するその脇でバッハを弾くシーンがあり、そこで大悟は、納棺と音楽の幸福な一致をとげるのだが、これなどそのまま葬儀のセレモニーになるのではないかとボクには思われた。

 「死者を送るということ??/そこに人生のすべてが凝縮されている。/それを/音にするんだ。すべての死者のために、/祈るんだ。」

 「納棺師」を嫌った美香が帰ってきた夜、銭湯「鶴の湯」の浴場で男湯と女湯にわかれて「アヴェ・マリア」をデュエットする。別の日(第11話)、「鶴の湯復活コンサート」で子どもたちや近所の人たちを前にして、主人公は妻の伴奏でセロを弾き聞かせ、その場で妻の妊娠報告をする。だからこそ、つぎの河原で「石文(いしぶみ)」を美香に渡す場面も生きてくる。
 たたみかけるエピソードが、細やかで次のシーンの伏線になってゆくところが、さそうあきらのコミックスのうまさだろう。

 映画の感想で引用したセリフは、コミック版ではこうなっていた。庄内弁がまた味わい深い。

 「死ぬっていうごとは 終わりでねぐ、/そごをくぐり抜けて 次さ向がう…/まさに、門です。/私は門番として、多くの人を、/見送ってきました。/いってらっしゃい、また会おうのって。」

 評価(★★★★)


映画『おくりびと』

2008-12-07 23:48:46 | コラムなこむら返し
 ひさしぶりに映画館に2回足を運んだ作品だ。感動した。映画の世界には引き込まれた。だが、月収50万になるらしい(面接のシーンでそういうセリフがあった)「納棺師」という職業が私たちに必要なのかどうかという根本的な疑問はぬぐえなかった(言うまでもなく、これは映画作品の評価とは別ものである)。

 つい最近、義母の葬儀があり、その一部始終を見届けたひとりとして、この映画作品のなかに、いくつか出て来る葬儀の場面に奇妙な言い方だが、親しさを感じた。
 義母の場合、葬儀会社のひとが用意したのは、お遍路さんのような白い死装束だった。布団をはがして、胸元に置いてあったドライアイスを片付けると、白い足袋をはかせ、脚絆を巻き、手には手甲、合掌した手に数珠を持たせた。そして、それが少し驚いたのだが、仕上げに草鞋(ワラで編んだそれ)を取り出して、足に手際良く履かせた。
 いま樹木となって眠っている実母が亡くなったとき(「樹木葬」を選んだため墓石はない)、熊本で一番金のかからない「市民葬」でお願いしたのだが、シンプルもシンプル、母はまるで普段着のまま納棺され、焼き場へ行った。
 きっとそれが直接世俗の金額に反映したクラスというものがあるのだろうが、地方の風習と言うものもこと葬儀に関しては、強く残っている。
 映画の舞台として選ばれたのは、山形県の酒田市周辺で、どうやらその農村地帯では、野辺の送りの風習が残ってるらしいことが、映画にも1シーンの風景として登場する。

 この作品のカギは何と言っても、納棺する際の儀式のような技と手際の良さで、ある意味辛気くさい内容になりそうなところを映画的な見せもの(パフォーマンス)にしたところだが、もうひとつロケハンで探し出したのだろうNKエージェントの社屋の建物や、主人公がUターンして住むスナック「和」(かってはクラシック喫茶「コンツェルト」だったという)の三角形の建物などが、かもしだすアウラがリアルに地方都市していてなんともいい。
 チェロをやって挫折した主人公の設定のためか映画の中にもカザルスのレコードが登場したり、レコードが回される。そして、それが出奔してしまった主人公の父親の大好きだった曲であることなどが明かされる。

 劇中で町の銭湯の常連でもあったおじさんは実は隠亡を職業としており、その銭湯の女将さんが亡くなったとき語るいい台詞がある。

 「死はひとつの門であります。わたしはいつも<いってらっしゃい。また会いましょう!>と言って送りだすのです。わたしは門番ではないでしょうか?」

 「おくりびと」とは、真にこの「隠亡さん」のことではないかとボクは考えてしまった。

 2回見るとさすがに、こまかいところに気付く。この台詞もそうだが、NKエージェントの社長をやった山崎努がソファに寝っころがって読んでいる本はデズモンド・モリスの『ボデイ・ウオッチング』だった。
 またこの作品は、先日亡くなった、俳優峰岸徹(出奔した父親役)の最期の映画出演作になったのではないだろうか。合掌。

評価(★★★★1/2)

滝田洋二郎・監督
小山薫堂・脚本
久石譲・音楽

本木雅弘・主演 広末涼子/余貴美子/峰岸徹/吉行和子/山崎努・出演
(モントリオール映画祭グランプリ)

公式サイト→ http://www.okuribito.jp/


レヴィ=ストロース/100歳の慶賀

2008-12-04 15:15:45 | アート・文化
Levi_strauss これからクロード・レヴィ=ストロースについて書こうと思うのだが、きちんとした学問をおさめた訳ではないボクには(ボクは高校しか行っていない)、手に余ることに違いない。それなのに、なぜ「現代知性の巨人」と呼ばれる人物を取り上げようと言う気になったのかと言えば、70年代はじめの頃、当時、一種の思想的流行であった構造主義に御多分にもれずイカれてしまった一人として、この「構造主義の父」とも言われるレヴィ=ストロースが、11月28日にめでたく百寿(もしくは百賀)を迎えたことを慶賀したいと思ったからである。これは、当然、勝手なお祝いの表明であり、御本人には届くものではないことを充分承知の上で書くものです。

 レヴィ=ストロースは、ボクなどには難解すぎ、だから充分に内容を理解している訳ではないのだが、それでもかって「家族とは何か?」を考える機会(ある「会」での勉強会でレクチャーした)があったとき、レヴィ=ストロースのインセスト(近親相姦)タブーと親族の基本構造の分析が考えをまとめる際の、道具になってくれたことがあった。それでも『親族の基本構造』という書物は、現在手に入る翻訳書でも本文800ページにおよぶ大部なもので、通読するにも手に余る。それに、その頃はまだ翻訳は出てなかったのではないかと思う。だから、ボクが参考にしたのは解説書であり、そのダイジェストだった訳だ。

 まともに読んだと言えるのは、これはひとつの紀行文の体裁をもったレヴィ=ストロースの良く知られた著作である『悲しき熱帯』である。そしてこの著作はその読み易さにも関わらず、その後のレヴィ=ストロースの思想的展開のエキスのようなものを含んだ著作であると言えると思う。
 実際その著作はレヴィ=ストロースにとっても記念碑的著作でもあった。というのも『悲しき熱帯』は、書かれたのは1954年(出版1955年)で、それは博士論文でもあった『親族の基本構造』(1948年、出版は翌年)の後に書かれたものなのだが、その中味はその20年前の1935年、サンパウロ大学の講師に誘われ(それまではレヴィ=ストロースは高等中学<リセ>教師だった)はじめてブラジルに渡り、休暇を利用して先住民インディオの村を訪ね、その翌年体制を整えて6ケ月の人類学的調査というか、旅をするその顛末と見聞を書いた著作なのである。それは、主にマットグロッソ州の奥地の森に分け入り、河を遡る探検のような調査行で、現在ならフィールドワークと呼ばれるだろう旅だった(レヴィ=ストロースは当時27歳の青年期)。
 『悲しき熱帯』の調査行は、その後レヴィ=ストロースに「野生の思考」(栽培思考ではない、類推に基づくの感覚的思考。同名著作は1962年)という概念を芽生えさせる。『構造人類学』(1958年)の誕生である。

 ところで、この著作はボク自身にインディオの存在と、その文化を生き生きと伝えてくれた著作でもあった。いまでこそ先住民の存在や、生活ぶりは日本人探検家である関野吉晴や、地球環境サミットに登場したことで知られるが(もしかしたらNHKの『未来への警告』という番組のおかげだったのかもしれないが)、それ以前は「世界残酷物語」(ヤコペッテイ監督が確立したモンドものと言われる「記録」には値しないヤラセ映画)レベルでの「奇習」や、「野蛮」という見世物的意味以外では知られていなかった。
 「地球空洞説」や、「アトランティス」などの奇想の大好きだった少年時代、間借りしていた部屋の廊下には黒沼健の著作や『別冊実話特報』(昭和30年代に双葉社から発行されていた)が詰め込まれていて、それまでマンガとSFのファンだったボクは引き込まれてしまった。その書棚に並んでいたそれらの本や雑誌で読んだ数々の先住民やアフリカの人々の「奇習」は、ボクをすっかり魅了してしまったのだ。
 『悲しき熱帯』は、ボクの内に醸造された「未開人」のイメージが、偏見で、差別的なものだったことに気付かせてくれた書物のひとつだった。そこに記述され、写真で記録され、そしてスケッチで写し取られた図表(顔面塗飾など)は、リアルに地球の裏側に生きる先住民の尊ぶべき文化を教えてくれたのだった。

 そう、写真???『悲しき熱帯』には、レヴィ=ストロースによるフィールドワーク的写真が掲載されている。もちろんセレクトされたわずかな写真だが、魅力的な写真だ。そして、その写真をメインに構成したもうひとつの『悲しき熱帯』とも言うべき著作が『ブラジルへの郷愁』(1995年)である。

 レヴィ=ストロース博士! 僭越ながらあなたに百寿のお祝いを述べさせていただきます。最近『レヴィ=ストロースの庭』(港千尋/NTT出版)というあなたをその私邸にお訪ねした写真エッセイの本で、あなたの最近のお姿と素敵なお屋敷を拝見いたしました。100歳を越えてもあなたの知性はすこしも衰えることがないとか! あなたは、もしやフィールドワークの過程でインディオに不老長寿の薬草を煎じて飲まされたのではありますまいか?
 今後ともの、あなたのますますの御健康と長寿をお祈りするものです。

 (ついでながら、わたくしも100歳まで生き、百寿のお祝いをするつもりでおりますことを申し述べておきます(笑)。)

写真は「みすず書房」のサイト「レヴィ=ストロース生誕100年」より→http://www.msz.co.jp/news/topics/Levi-Strauss100.html