風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

ハングリーであれ!バカであれ!/S・ジョブズのメッセージ

2011-10-07 13:42:34 | トリビアな日々
 ちょっと吃驚してしまった。デジタル・ヒッピー(その概念が存在するとして)の先駆者であり、成功者であったスティ-ヴ・ジョブズが10月5日に亡くなったと言うのだ。
 自ら創業したアップルコンピュータ社のCEOを、この8月に退任し会長に就任したばかりだった。

 自らは大学中退のS・ジョブズがスタンフォード大学で行った卒業記念スピーチは感動的だ(2005年)。スティーヴにとっても最初の卒業式出席だと言って笑わせる(笑)。
 講演のテーマは三つある。スティーヴは、自分がなぜ大学をやめたかを語る最初のエピソードは、自分の生い立ちを語るものだ。
 スティーヴを身籠った母親は、その時まだ大学院生だった。母は生まれたばかりのスティーヴを里子に出す。
スティーヴを貰い受けた育ての親は、義母が大学中退で義父は高校さえも中退だった。実母はその子を大学を卒業させる事を条件に許諾書類にサインする。
 そして17年後に入ったリード大学は、両親の収入を食うだけのものだった。半年ほどでやめた。それから一年半スティーヴはモグリの学生として好きな学科だけに顔を出す。そのひとつにカリグラフィがあった。
 スティーヴが仲間とつくったMacがフォント搭載のコンピュータとなったのは、その時の美しい書体、カリグラフィとの出会いがあったからだ。
 これがひとつめの「点と点をつなげる」。

 次のテーマは「愛と喪失」。スティーヴが自らの会社アップル・コンピュータ社から放逐されて不遇の時代を過ごした11年間を語るものだ。
 その11年間の不遇こそが、スティーヴにあらたな創造の機会を与えた。その時、スティーヴは30歳。
 スティーヴは再度ふるいたって新たな会社を興す。NeXTおよびピクサーだ。
 ピクサーはデジタルアニメの先駆者となり『TOY STORY』を生み出す。NeXTは当時業績不振に陥っていたアップルに買収され、スティーヴは一年後にアップルのCEOに返り咲く。この間に、スティーヴは生涯の伴侶とも出会う。

 その三つめのテーマが「死について」。もちろん、スティーヴの死の元凶になった膵臓がんについてのエピソードを語る。このエピソードの中でスティーヴは彼の世代のバイブルであった『全地球カタログ』(ホール・アース・カタログ)からいかなるインスピレーションを受けたかを語る。
 アナログ時代の”Google”であり、エコロジカルなライフスタイルを提唱していた『全地球カタログ』の最終号の裏表紙に印刷されていた発行人スチュアート・ブラントのメッセージ!

 ”ハングリーであれ、バカであれ!”

 スティーヴは、いまこの言葉を卒業生の皆に贈ろうと語るのだ。

 http://youtu.be/jQkJsyDUFhU

 膵臓がんは彼の命を奪った(享年56歳)。ボクらにデジタルなヒッピー・ライフのスタイルを過ごすツールを与え示してくれた天才スティーヴ・ジョブズよ、安らかに眠れ!
 ありがとう。合掌。

 (一Macユーザーから愛を込めて)


ありがとう!アシューラ!

2011-03-16 23:56:42 | トリビアな日々
 多くの人はスタジオ・ジブリのアニメ化で知ったかもしれない『ゲド戦記』の原作者アシューラ・ル・グウィンはSFファンにはかなり有名人だった。1969年ネビュラ賞、1970年ヒューゴー賞のダブル受賞した『闇の左手』。ローカス賞の『天のろくろ』(1972)、『所有せざる人々』(1975)などなどの作品でおなじみだった。
 その彼女が後世にまで長く残るだろう傷跡を残した3.11東北関東大震災(2011東北地方太平洋沖地震)に見舞われた日本の読者にこんなメッセージを寄せ、それを親しい翻訳家に託していたものを読んだ。
 歳のせいばかりではないだろう。すっかり涙もろくなったボクはそれを読んで思わず泣いてしまった。大ファンの多い日本への励ましの便り!
 アシューラありがとう!

 ~~~?~~~?~~~?~~~?~~~?~~~

 日本の読者の皆さんへ??
 わたしたちとあなたがたの間には海があります。でも、その海で、わたしたちとあなたがたはつながっています。?? 日本を襲った大津波は海を旅しながら、だんだん弱くなり、アメリカの西海岸に達しました。それはここではほとんど害をなしませんでした。けれども、あなたがたの悲しみと苦しみが大きな波となって、その小さな波とともに、わたしたちに届きました。?? こちらではたくさんの、とてもたくさんの人が今、あなたがたのことを考え、あなたがたのために泣き、最悪の時が早く過ぎ去るように祈っています。そのことをどうか知っていてください。?? このように大きな喪失の悲しみ、苦しみ、不安のさなかで、日本のごくふつうの人々が示す静かな勇気に、わたしは言葉にできないほどの賞讃をおぼえます。あなたがたのしっかりとした、忍耐強い顔を見ると、その美しさに打たれます。ひとりひとりの顔に目を向けると泣けてきます。あなたがたに力がみなぎり、よりよい明日への希望を胸に抱けるよう願っています。?
??愛をこめて?アーシュラ
?2011年3月14日??
(翻訳:谷垣暁美)
原文掲載サイト→http://blog.bookviewcafe.com/2011/03/14/to-my-readers-in-japan/


看板(お品書き)「森乃女子/系譜探索」

2009-12-06 23:48:49 | トリビアな日々
Face_bord 新生E.G.P.P./Nova! にはギリギリ駆けつけだったので、ゆっくり看板を描く時間がなかったのですが、一応「森ガール」イメージをラフに描いてみました、という感じです。
 看板は食の世界で言ったら、「お品書き」にあたるでしょうか?
 まずは、ここで本日のメニューを提示します。
 そう言えば、メニューをお客さんがチョイスするのではなく、料理人におまかせという形式は新生E.G.P.P./Nova! は、むしろ日本料理店に近いかもしれません。とは言え、食材はなかなかバタくさいのですが……。
 まずは、お品書きを目で楽しんでください。



樹木葬秋の集い/精進料理お品書き

2009-11-30 23:44:19 | トリビアな日々
Shoin_lunch 28日、29日と千葉県大原の天徳寺の「樹木葬秋の集い」に会員でもあるのだが、同時にボランティアとして泊まりがけで参加した。
 いやはや、樹木葬の集いではこれまでの中で最大の参加人数(135名と聞いた)で、NHKの取材も入り、「通いの寺男」としても忙しかった(12月8日「ゆうどきネットワーク」にて5分程度放映予定)。樹木葬の会員でもあるボクは、ヒメコブシの母の墓参もかねて時間の許す限りお手伝いをしている。それにしても、本堂をいっぱいにするほどの参加者の数には天徳寺樹木葬の最初期会員であるボクもすこし気押しされました。受付、配膳、駐車場係とボランティア会員がよく働いて下支えしてくれました。ご苦労様でした。
 さて、ボランティアの人はあわただしい中で、そそくさと食べるしかなかったのですが、好評だったこの日のお昼の精進弁当を写真入りで、紹介しておきましょう。
 写真左下のゴハンのところから、反時計回りにブロックごとに紹介します。

 一、むかごごはん、大根の漬け物
 二、白菜と柚子とんぶりの漬け物
   出汁昆布と糸コンニャクの佃煮
   蓮の実、銀杏
   舞茸と自然薯、湯葉包み揚げ
   蓮根と高野豆腐そぼろ
   小麦粉グルテン団子
 三、薩摩芋と練り胡麻きんとん
   柿ジャム
   りんごあん、牛皮包み野苺のせ
 四、湯葉巻き(牛蒡、人参)
   湯葉巻き(しめじ、小松菜)
   里芋煮物
   しめじ、人参、ホウレン草の白あえ
   なめこと生湯葉辛子酢味噌あえ
 五、栗麩、生湯葉の柚子味噌のせ
   大根もち
 (汁物)カブと薩摩芋団子入りの汁物

 以上。すべて自然素材の精進料理。おいしくいただきました。ごちそうさまでした。


819の日

2008-08-19 22:37:21 | トリビアな日々
 もじりと言えば、もじりだが、記念日ってそんな付け方が一般にされている。6月4日がムシで「虫歯の日」だとか、そんなものだ。安易と言えば安易だが、聞いてすぐ忘れそうな記念日は、そんな名付けられ方をしているようだ。

 で、本日8月19日は、819の連想から、「俳句の日」であり、また「バイクの日」なんだそうだ。前者の「俳句の日」の決め方が、なんとも残念だ。伝統的なこの短詩型(わずか十七文字の!)の記念日であれば、俳聖芭蕉が奥の細道に旅たった日とか、死去の日とか色々考えられたのではないかと思うからである。

 と、ともかくそのような理由で決められたらしい。

 ヒグラシの 蝉が鳴きいる 819の日




MIXIキリバン22222

2008-06-02 23:34:54 | トリビアな日々
 このブログはSNSサイトmixiの日記としても登録リンクしており、mixiでのアクセスが下記のゾロ目のキリバンを踏んだ方がいたので久しぶりにこの話題を……。

フーゲツのJUNさん、こんにちは。

mixiからのお知らせです。フーゲツのJUNさんのページ全体のアクセス数が22222アクセスを超えました。記念すべき22222アクセス目の訪問者はヌエ さんでした!

以下のURLより ヌエ さんのプロフィールを見ることができます。
これをきっかけにアクセスしてみてはいかがですか。
プロフィールを見る→ http://mixi.jp/show_friend.pl?id=16868081
(5月31日付けです)
ブログ「風雅遁走!」としては通算アクセス数:123940(6/2)

 いつも、あるいは今日たまたまか、ともかくボクのブログを読んでくれてありがとう!

 そして、マイミクのヌエさん、ありがとう!


さあ、心機三転!(本日のニュースからセレクト)

2008-04-01 22:49:51 | トリビアな日々
 4月1日は、新年度のはじまりの日でもあり、入社式、入省式等があいついだと新聞にあった。朝日新聞や読売新聞等は、前日から使用活字が大きくなって一見読み易くなったが、スカスカと白っぽく感じるのは気のせいだろうか?
 注目すべき記事は以下の3点だろう。

●東京都は、1日新規採用の職員1.150人を対象に入都式を行った。この中で、つい最近、経営難に陥った新銀行東京に対して400億円の追加出資を勝ち取った石原慎太郎東京都知事は、このように挨拶した。
「銀行を勝手に立ち上げて、民間に経営をまかせたらとんでもないことになってしまいました。今回から私が頭取を兼任しますので、御安心ください」。さすがに、都庁に新人として入都する職員からも、驚きの声が漏れた。

●イージス艦の漁船衝突事故や、前事務次官の逮捕劇などきびしい批判にさらされている防衛省は、新規採用者120名の入省式を1日とりおこない、その中で石破防衛相は、省に昇格した1年を振り返り、「今日一日、自分が国家のためになにをしたか、自己保身、責任転嫁はなかったか? きびしい世間の逆風の中で、今後は災害救助、災害復旧に省全体のありようを特定し、本日1日から「平和省」と改名する」と発言し、周りを占める高官、政府関係者、来賓から拍手喝采で受け入れられた。

●出版界では昨年来、新書で出版された「品格」シリーズが売れに売れている。現在、『国家の品格』『女性の品格』『親の品格』がそれぞれロングセラーを続けている。その中に、1日あらたな品格シリーズが出版され、たった1日にして数十万部が売れたとのこと。その新書の名前は『子どもの品格』。5月5日の「子どもの日」へ向かって強力なキャンペーンセールを展開するようである。


満開のサクラの木の下、花見をする

2008-03-31 23:04:26 | トリビアな日々
Hanami08_kunitati_5 陽気にさそわれて29日(土)に花見に行った。娘を連れて、午前中に持ち寄り惣菜をチャッチャと作って(カジキマグロの唐揚げ)、国立のアリが呼びかけた花見の宴に合流した。
 結果として翌日曜日は肌寒く、雨になったから満開のサクラの木の下で宴をひらくには土曜日は格好の天気であり、青空だった。
 都心では開花宣言が出されてから、わずか5日で満開となったが、多摩地区でも1日遅れくらいで20度近くの日が続いたせいで、みるみるうちに花は満開の様子となり、見ごろとなった。大学通りでのアリの花見も1週間の前倒しになったくらいだ。そぞろ歩くひと、桜の下で宴をはるひとなどで、ごったがえしていた。
 それでも、上野や井之頭公園と違うなごやかな雰囲気は、大学通り沿いの桜並木のせいなのか?

 陽も傾いてからみなでもう少し駅よりの「地球屋」の宴の方に移動した。ここは、なんと100名近い大宴会が繰り広げられ、にぎやかだ。ここにたどりついて日本酒を飲んだあたりから、ボクは酔っぱらってしまった。記憶が曖昧になっている。
 最後は幼い娘に連れて帰られたような有り様で、頼りにならない親父だとまた思われたことであろう。いやはや、スミマセン。

(写真4)こじんまりと楽しい花見の宴でした。アリ、ありがとう!



聖なる参賀日(さんがにち)/貳、参日

2008-01-10 20:23:50 | トリビアな日々
08newyear_3 ボクはけっして神道を信仰するものではないが、社務所で「神宮大麻(じんぐうたいま)」を求める。ずっとずっと気になっていたのである。なぜ、このアマテラスオオミノカミを祀る御幣をそう呼ぶのかと……。このことの結論は、こんなところですぐに出る訳もないので別稿で考えてみたい。
 ただそのせいかどうか、その夜、こんな夢を見たのだ(今年の「初夢」ということになるのだろう)。

 出雲大社のような(それとも伊勢神宮だったのか)立派な社(やしろ)のある、神社へゆくと、宮司(ぐうじ)が直接出迎えてくれた(ボクは神道の研究者でも、偉いひとでもないのにだ)。そして、その社殿にかかる見事な注連縄(しめなわ)を指して、「これも昔は麻でなえたものですよ。」と、とくとくと説明をはじめるという夢だった。
 きっと、ボクは夢の中で疑問を質(ただ)しに行ったのだろう。ちなみに、注連縄を昔は麻で作っていたのかどうかは知らない。ただ、この夢が伝えたかったメッセージだけは、なんとなく分かる。
 つまり、近代以降大事な植物(食物)となった藁(米、麦)と、古代の重要な植物だった麻との関係を考えろということなのだろうということくらいは……。

 続いて、北関東では昔から有名だと言う観音様を祀る寺へ。正月は御開帳していて、その多面のお顔をもつ観音像を拝観できるのだが今回は断念して、詣でたあと境内にたくさんの出店している屋台で昼食となるものを物色する。そして、結局ヤキソバになってしまったのだが、それはとても不味いものだった。
 しかし、ボクは境内でふるまっていたタル酒と甘酒を飲んでいい気持ちになっており、意に介さなかった。

 ボクだけ、先に帰った。ボクには4日の自分のイベントがあったから……。帰りしな、一年に一度だけ訪れている駅前の古書店に寄る。ここは正月だと言うのに店を開けていると言う奇特な店なのだ。
 そして、その店でボクは懐かしい本とまた巡り会うことになる。
 それは、まだ「地球の歩き方」などのガイドブックがなかった頃、初めの頃のインド・ネパールへの旅の手引書となった懐かしい本だった。

 『インド・ネパール旅の絵本』(1974年10月刊)というのが、その書名である。

 その懐かしい本を繙くとボクはいっきに、最初にインドを訪れた旅の記憶に引きずり込まれたものだった。

(おわり)

(写真7)観音堂。関東三大観音とか言われているらしい。ここは、そのひとつ。今回は拝観しなかったが、堂内にはスリムで素敵な多面の観音像が祀られている。



聖なる参賀日(さんがにち)/貳日

2008-01-08 23:58:07 | トリビアな日々
08newyear_1 数時間の仮眠で起こされ、初日の出を見る。が、アパートの屋根越しに昇る日の出のためしばらくボクらは、あらぬ方を見ていたことがわかる。陽も高くなってそのことに気付き、あらためて見上げた太陽は目を開けていられないくらい眩しかった。
 ともかく、眠い目をこすりつつ帰宅。さらに、2時間仮眠して、北関東の一地方都市へ家族で出かける。

 小さなさびれた街だが、ボクにも愛着のようなものがうまれつつある。第一、江戸時代くらいからその街に根をおろして住み続けてある偶然から親戚関係を結んだひとびとが住む街なのだ。

 二日目。自転車を借り受けて街をめぐることに。とは言っても、この街にある文学館や、美術館は正月休みなので、結局、初詣に行くしかない。
 きっとそこは長い歴史を持った村の鎮守様だったのではないか、と思わせる渡良瀬川沿いの神社へ。ここのすぐ裏手の土手に登って見る景色は雄大だ。正月休みで、風もあり晴れ渡っていたためか、日光の男体山までみえるではないか(なぜ、その山が男体山かとわかったかというと土手の上に景観標示のプレートがあるのだ)。その景観にも打たれたが、この風景も長い時間の中でひとびとが作り上げてきた治山治水がうみだしたものだという思いもボクを感動させる。村(コミュニティ)の結束と言うのも、本来は自然や天災の脅威に立ち向かうところから必然的に形作られ、けっして支配の道具としての権力からではなかったろうと考える。

 またこの土手には万葉集に東歌として掲載されている歌が2首、石碑に彫られている。万葉の時代にこの河の渡しをめぐって愛をかわす相聞歌だ。その歌は切なくて砕けそうなまでの思いを今日まで伝えている。

 まくらがの 許我の渡りの からかじの 音高しもな 寝なへ児ゆえに

 逢はずして 行かば惜しけむ まくらがの 許我こぐ船に 君も逢はぬかも

(大意)この地の渡し舟の柄のついたカジのきしむ音が高いように寝てもいない娘とうわさが立ってしまった
 (返歌大意)逢わないままにこのまま行ってしまえば残念なことだろう この地の渡し舟であなたと出逢えないものか

 この大意にはあまり自信はありませんが(碑文の解説の訳もちょっと妙でした)、出会い系サイトのない万葉の時代に、河の渡し舟がとりもつ縁なんて、ロマンですなぁ!

(つづく)

(写真5)風は強かったが、晴れ渡った正月の空。雄大な景観の彼方に日光の山々が見えた。



聖なる参賀日(さんがにち)/元旦奉納行為

2008-01-06 18:30:14 | トリビアな日々
Jun_oomisoka07_2 それは2007年と2008年をまたぐ経年プライベートなイベントだった。それでも、見届けたのはボクを含めて6人。ボクがそこに着いた時、この館(と言ってもマンションの一室)の主は踊っていた。
 主の名は成瀬信彦、そう、この頃色々からむことの多い舞踏家名、舞踏歌である。
 この日は、無音であった。緊張した時間が流れている。で、舞踏が終わり作務衣に着替えた舞踏歌と飲食が始まる。で、ボクがポエトリーをやることになった。
 2007年おおつごもり(大晦日)のその演目は、ぜひとも再演したかった(E.G.P.P.100での)12月のテーマ「少年ダダ/中原中也」だった。その前日だかに見たETVの「中原中也」が、あまりにも福島泰樹らの中也研究の書物を通り一遍になぞっただけで、それを町田康が、わがことの発見のように中也にまつわる場所を経巡って語るという番組で、見ながらボクは腹をたてていた。
 書物のそのままの再現で特別番組がつくれるものなら、ドラマにあるような原作料を払い、しかるべきクレジットを入れるべきではないだろうか?
 もっとも、番組にも見るべきシーンはあった。2007年に各地で行われた「中原中也生誕100年」の関連イベントが、短い時間にせよ紹介放映されたからだ。特筆すべき催しだったものとして、シャンソン歌手如月伶生の「シャンソン中原中也の世界」をあげておこう。これは、ライブをボクも見たかった。如月伶生は中性的な美しさを持つシャンソン歌手である。

 そして、年が明け、近所の「北野天神」に奉納および、初詣に出かけることになった。成瀬はふたたび、コノハナサクヤヒメのような扮装をまとい、境内で舞いはじめる。境内では年越しの焚き火がたかれ、舞台ではお囃子もやっている。そのお囃子にのせるかのように、ボクもポエトリーを即興で叫ぶ。

 かくして、2008年は奉納行為で明けたのであった。

 (写真4)「少年ダダ/中原中也」は生誕100年の07年の掉尾を飾るには、相応しかったかも……。周りの成瀬のオブジェも呪物玩具的な作品であった(2月2日から横浜ZAIM地下スペースで展覧会があり、ボクは仲間とともに9日に「ニクの日」と称してポエトリー・イベントを敢行します)。
 写真3、4もカメラ:さかた。提供を感謝します!。